第2話兄と妹

 ——◆◇◆◇——


「ねえ。これから入学式なんだけど、まだ準備しなくていいの?」


 四月。まだどこか肌寒さを感じる季節に、こたつに入ってゴロゴロと寝転んでいた俺に向かって少女が見下ろしながら問いかけてくる。


 茶色の髪を頭の横でまとめている、どこか間抜けさの感じられる顔つきをした少女。間抜けさがあると言っても、それさえも可愛らしいと思えるようなもので、愛嬌がある、あるいは純真なとでも言える顔つきをしている。これが俺の|妹(・)である『佐原祈』だ。


 たった今妹が聞いてきたように、俺達は今日この後、今月から通う学校の入学式がある。今の時間的にはそれほど余裕があるわけではないのだから、もう準備しないといけないのは間違いない。

 けど、あんまり乗り気になれないんだよなぁ……


「んあー……くぁ。……はあ、だるいなぁ。いっそのことサボらないか?」


 正直、学校なんて行かなくてもいいんじゃないだろうか? まともに高校を卒業しなくても金が入ってくる状況はできてるんだし、暮らしていくだけならゴロゴロしていても問題ない。


 これが普通の学校であればまだよかったのかもしれないが、俺達の通うことになっている学校は少し特殊だ。

 祝福によって生じた魔物を倒すための人材を育成するための学校。普通の授業もするが、メインは戦いだ。命をかける戦場に行くための勉強をするところなんて、誰が好き好んで行きたいと思うのか。それもあって、『普通に生きたい』俺としてはあまり進んで通いたいとは思えない。


「いや、ダメに決まってるでしょ。仮にも特待生扱いなんだから、サボっていいわけないじゃない」


 俺達は学校に通うにあたって特待生としての扱いが約束されている。だって俺達は『祝福者』だから。

『祝福』を元にして開発された劣化コピー能力である『スキル』を身につけているものは多くいるが、『祝福』そのものを授かった者はそう多くはない。祝福を授かるための〝極限の願い〟とはそう簡単なものではないらしい。


 そのため、国としては『祝福者』である俺達を戦士として……いや、駒として扱うために特待生として学校に通わせるというわけだ。


「いや、逆に考えろ。特待生だからこそサボっても——」

「だからダメだってば。それに、私はあれだけど、兄さんは特待生じゃないってことになるんでしょ? じゃあ行かないとダメじゃない」

「まあな」


 俺達は二人とも神から祝福を与えられた『祝福者』だ。だから魔物と戦う者を育成する学校においては特別扱いされる。

 だが、『普通』に生きたい俺は自身の能力を——『祝福者』であることを秘匿するように国に申請してあるし、国としてもその申請を受け取っている。『祝福者』だとバレているのは祈だけだ。

 俺についても、学校に入学するにあたって学長は知っているだろうが、書類上の手続きは一般の生徒と変わらない。


 そんな俺がサボったりしていたら、目立つことこの上ないのでやるべきではないというのは理解できるし真っ当な意見だ。


「はい。そこに制服出てるから、着替えてね」

「その前にお茶くれー」

「やーだ。自分で用意してー」


 そう言って祈は離れていったため、仕方なく体を起こし、だがそのまま立ち上がることはなく、ボケっと宙を眺めた。

 起きないわけにもいかないんだが、お茶とはいかずともせめて起きる前に水が一杯飲みたい。こたつで寝ると何でか知らないが喉が渇くんだよな。


 そのため、起き上がる前に水を飲むため『祝福』を使うことにした。


「|再演(アゲイン)」


 そう口にした瞬間、俺の体から半透明な腕が出現し、その腕はニョロニョロと伸びて台所まで進んで行った。

 そして腕は何かを探るような動きで台所を漁り、コップを掴むとそのまま水道を弄って水を汲み、コップの中に入った水をこぼさないようにこちらに戻ってきた。


「あー! またそんなことに能力使ってる!」


 だが、そんな場面を祈に見られてしまった。


「いいだろ。便利なもんは使わないともったいないしさ」

「神様から与えられた『祝福』だってのに、信仰心がすっごい人とかに見つかったら面倒なことになんない?」

「見られないからいいだろ。家ん中なんだし」


 外で同じようなことをやって見られたら大変なことになるかもしれないが、ここには俺たちしかいない。これだけ便利な能力なんだから、見られることを気にして使わないなんて勿体なさすぎる。というか、こんなことくらいにしか使えないような能力なんだから、ここで使わないでいつ使うってんだ。


 水を飲み、そろそろ動き出すかと考えたところで、少しだけ深刻そうな表情をした祈が口を開いた。


「母さんと父さんは——」

「来ねえよ。どうせ来ねえだろ。こんなんで来るようなら、最初っから一緒に暮らしてるって」


 あの二人は来ない。俺はあの二人と仲が悪いわけではない。でも来ないと断言できる。

 もう長いことあの二人とは一緒に暮らしていない。それどころか会ってすらいない。時折業務報告のようなメールか、稀に必要な時に電話をするくらいの関係だ。

 きっと普通の親子関係ではないのだろう。それでも、この状況は仕方ないものだと理解している。だってあの二人は——


「……申し訳ありません」


 祈が普段になく他人行儀のように畏まった態度で頭を下げてくる。だが、俺はこいつのことを責めようとは思わない。たとえ原因が祈にあるのだとしても、そのことを理解しているのだとしても、俺だけはこいつを責めたりはしない。だって祈は俺の妹なんだから。


「謝んなよ。お前のせいじゃないんだから、謝る必要なんてねえ。それより、今日は入学式だけだったよな?」

「……ううん。入学式の後にオリエンテーションがあったはず。学校案内とかそんな感じのやつ」


 話を変えてやれば祈もそれ以上謝ることはなく、普段のような態度に戻って話を続けることにしたようだ。


「案内とか、見たいやつが勝手に校内回れば良くね?」

「結構広いから、迷子になったら困るでしょ。実際、毎年新入生が移動授業の時に何人か迷って遅刻するみたいだし」

「どんだけ広いんだよ」


 普通の学校なら迷ったとしてもちょっと歩けばすぐに自身の場所を理解できる。よっぽどの方向音痴でもなければ迷子になる程迷ったりはしないはずだ。それだけの広さがあるってことは、かなり規模の大きな学校ってことでもある。

 けど、それもそうか。何せ俺たちの通う学校は所属こそ日本だが、通う生徒は世界中から集まるような学校なんだから。


「そもそも、早く終わったところでやることなんてないんでしょ?」

「まあそうだけど……『祝福者』専門の学校なんて、そもそも行きたくなかったんだよ」


『祝福者』だって言っても、俺の場合はやろうと思えば指定された学校に通わないこともできた。今でも行きたくないと思っている。見ず知らずの誰かを助けるために鍛えるなんて馬鹿げていると思うし、命をかけるなんてありえない。誇りや名誉のために死ぬなんてのももってのほかだ。


「じゃあ、どうしてあの学校にしたわけ? 私は特待生枠だったけど、兄さんは普通受験の一般枠でしょ? 別んところにすればよかったじゃない」

「……それだと、お前を一人にするだろ。面倒を見ないわけにはいかないからな」


 こいつを一人で学校に行かせるわけにはいかない。こいつはまだまだ子供だ。表面上を取り繕うことはできても、本質的には一人前には程遠い。

 だけど、そんな祈は学校に行くことが確定しているため、それに合わせて俺も行くしかなかったのだ。


「じゃあ、そう決めたんだったらさっさと着替えてよね。遅刻したくないもん」

「はいはい」


 まあそうだな。なんだかんだとありはしたが、結局同じ学校に行くことを決めたのは俺自身だ。今更変えられるってもんでもないし、学校に行くために準備するとするかな。


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