第13話

 雨の勢いはようやく少しずつ弱くなってきた。

 先ほどは夢中で気付かなかったが、土はぬかるんでとても歩きにくい。足首まで埋まって抜けなくなったり、足の裏が滑って転びそうになる。きららさんを斬った忍びの者はこんな中をあの速さで走ったのか。その体術のすごさに改めて感心し、恐ろしさも感じる。


「念のために、きららさんの分け身を預かってきました」

 アリシアさんが体長50cmぐらいのオオサンショウウオを抱えている。歩きながら器用に衣装の裏側にあるポケットの様な場所にしまい込んだ。分け身の方もおとなしく収納されているのはほほえましかった。

 分け身がこちらにあれば、もしも再び攻撃されても、きららさんは瞬時に移動する事が出来る。だが、アリシアさんが言ったように念のための処置だ。今一番忍びの者が目標にする可能性が高いのはきららさんではない。



「それにしても、忍びの者から見れば今が絶好の機会ですね」

「そうですね」

 アリシアさんはどちらかと言えばのんびりとした口調で話しているが、内心は忍びの者への怒りに満ちている事が俺にもわかる。そして俺も同感だった。

 ことさらに、相手にとって好機と見えるような状況を作り出したわけではないが、敵が機に乗じて襲撃してくるならば、それはこちらにとっては返り討ちにする機会だとひそかに期待していた。


 そしてその期待はすぐにかなえられた。

 先ほど北に消えた忍びの者が、再び探知範囲に入ってきた。

 俺はアリシアさんに目配せして、それを伝える。

 忍びの者は急速に距離を詰めてきて、一度は一番近い家の陰に隠れて立ち止まる。

 そしてしばらく機をうかがっていたが、音を立てずに疾走して俺たちの後ろに回り込もうとする。

 

俺はそれまで抑えていた犬たちに、攻撃してもいいと合図する。

 ただちに次郎と三郎が敵の左右に走り、同時に襲い掛かった。

 忍びの者は跳躍して、家の壁を蹴り、攻撃をかわしつつ、距離を詰める。

 だが、正面に太郎が立ちふさがり、五郎と六郎が左右を固める。そして背後に回り込んでいた四郎が飛びかかる。

 忍びの者はそれをかわしたが、予想以上に犬たちの連携が取れているのに驚いたのか少し後ろに下がって距離をあける。


 俺はようやく忍びの者の姿を間近で見る事が出来た。それは俺のいた世界で創作に登場するような、茶褐色の忍び装束で全身を固め、眼のある顔の部分と手だけが露出している。犬たちの動きに即座に対応できるように構えながらこちらを見る。

 俺と一瞬、眼が合った。そのまなざしは鋭く冷淡で、相手を人物というよりは現象のように眺めている。

 そんな印象を俺は持った。

 鋭さよりは冷淡さを恐ろしく感じる。だが、一方で敵愾心てきがいしんというのだろうか、相手に対抗してその意図をくじいて、倒したいという感情が湧き上がってきた。


 それは心理的には長く感じられたが、ほんのわずかな間の出来事だった。

 アリシアさんが「携界収容」でしまい込んでいた大きな石を取り出し、猛然と忍びの者に投げる。それは最初頭部にめがけて放たれたが、途中で方向を変え胸に向かう。忍びの者がそれをかわすと、大きく曲線を描き、速度を速める。もう少しで右の大腿部に当たる所をかろうじてかわされた。

 忍びの者はさらに後ろに飛びずさり、着地すると何かを感じたのか、再び地面を蹴る。

 蹴られた地面に、突然大きな穴が開いて、ねそこさんが頭を出し、

「仕損じたか」

 と叫ぶと再び地中に姿を消す。


 そこで忍びの者はついにあきらめたのか、懐から出したものを投げつけた。

 それは俺たちの手前で地面に落ち、激しい爆発音とともにもうもうと煙が上がった。

 その煙は強烈な悪臭を放ち、犬たちが悲鳴を上げる。

 俺は犬たちを煙から守るために大急ぎでその場を離れる。


「忍びはどこに?」

 アリシアさんが俺にぴったり寄り添いながらたずねた。

「逃げました。北へ離れていきます」

 すぐに忍びの者は探知できなくなった。

 安心した俺は、激しくせき込む。

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