Ⅳ.蕾の個性
ギルバート先輩から最初の指導を受けて以来、俺は毎日ベラさんにご飯をあげて、ある程度鞭を振るえるようになるための練習を続けている。次の公演は出られないとしてその次、つまりは一ヶ月半後には出演することになってしまっているため正直不安だ。いや、満月の夜に開演と聞いているから、一ヶ月半よりもっと早いのかもしれない。今日もいつも通りの時間帯に、いつも通りの誰もいない会場に足を踏み入れる。
「ああ、おはよう。」
いつも通りじゃなかったようだ。
普段はゼロではないにしても会場に現れることが滅多にない団長だが、今日はそこに現れた。どうやら俺を待ち構えていたらしい。
「ギルバートから聞いているよ、やはり結構素質はあるみたいだね。ただ、ずいぶん単調な練習が続いているとも聞いている。もちろん基礎を積み重ねることは大事だけれど、たまには気分を変えるものもどうだい?……と、いうわけで。アレンには今日から三日に一回ほど、特別指導を受けてもらうよ。」
聞かされたその内容は、各団員から課せられる課題をクリアしろというものだった。既に先輩達に話はつけてあるし今日の担当も決めているみたいで、ずいぶん計画性と行動力と人望があるのだなと驚かされる。準備はしてくれているから部屋の扉をノックしなさい、とのことだったが、本当に行って良いのだろうか。
そんなわけで俺は今、オリバー先輩の部屋の扉の前で暫し考え込んでいる。団長から言われた注意点は二つで、汚れても良い服で行くことと、茶会の主人の言うことには出来るだけ従うこと。茶会の主人ってなんだ?時刻は指定通り、ともかく扉を叩いてみなければ。どうにも緊張しがちな己を恨みつつ、そのぎこちなさを残しながらも扉を叩けば、部屋の中から元気な返事と共に彼が出てきた。
「いらっしゃいませ!中にどーぞ!」
彼の背丈の二倍はある扉に寄りかかるようにして、俺が通れるように開けてくれているのが見てとれる。先輩の立場からしても、自分で開けろ、くらい言ってくれて良いのに。それでもにこにこで俺が部屋に入るのを見ているから、少し申し訳なかったがありがたく開けておいてもらうことにした。
「そこ座って!待っててね!」
彼は俺の入室を見届けるなり扉を閉めつつそう指示を出し、部屋の奥へと走る。指された椅子へと腰掛け、どうしたらいいのだろうかと思わず視線を泳がせていれば、部屋の中が絵本でいっぱいであることに気づいた。ベッドの上に開かれたまま置かれていたのは不思議の国のアリスだ。やはりオリバー先輩は可愛らしいな、なんて考えつつその姿を探すと、今度は小さな冷蔵庫の前にいた。本当に何をしているんだろうか。
「あの、せんぱ……」
「あ、だめだよ!座ってて、もうすぐだから。」
そう言われてしまえば座っているしか道はなくて。けれど、その後の彼の行動で全てわかった。トレーにティーカップとロールケーキを乗せて小さなテーブルに置き、自分も反対側の椅子へと座ったのだ。なるほど、確かに茶会の主人だ。
「スコーンは忘れちゃった……」
少ししょぼんとして見せる彼だが、その手に持つカップに口をつければすぐに笑顔を咲かせ直す。俺もまた口をつけてみれば、彼の幼さとは裏腹にずいぶんと香り高い茶であることがわかる。正直俺よりも淹れるのが上手いと思う。目の前の彼はといえばぱたぱたと足を動かしながらあっという間にロールケーキを平らげていた。そして頬杖をつきつつ、こちらに話しかけてくるのだ。
「あのね、僕ね、この特別指導のお話聞いた時ね、すっごくわくわくしたんだー…なんか楽しそうでしょ?」
もしかして待たせてしまっているだろうか、と慌ててロールケーキを頬張りつつ何度も頷いて見せれば、彼はご機嫌な様子で
「んふふ、それ食べ終わったら僕とお外行こうね。」
と、腕をめいっぱい伸ばして俺の頭を撫でた。流石はぬいぐるみの体、撫でられ心地は良い。ただなんだか、いくつも年下に見える相手に撫でられると、こう、不思議な感情が襲ってくるものだな。ロールケーキを飲み込み、底に少し残った葉と共に茶を飲めば小さく息を吐く。後味まで良い茶だった。その様子を見届けていた先輩はぴょんと椅子から飛び降り、俺の手をくいくいと引いて言った。
「アレンお兄さん、お外行こう!特別…しどー?だっけ、やらなくちゃ!」
子供ながらの忙しさというか、あれだろうか。俺の歳はまだ若いと言われるくらいのはずだが、なかなか…ついて行き難いぞ。手を引かれるままに立ち上がり、部屋を出て玄関へ。汚れても構わない、動きやすい靴を履いて彼の後ろをついて走る。なんの躊躇いもなく森へと入る彼を追い、少し恐れながらも踏み込んでいけば、景色が急に開けた。花々が咲いて、鹿や栗鼠等の動物がいる。少しじめじめとしているかな、という風には思えるものの、雰囲気の良い空間だ。
「ついた!それじゃあ説明するね、今から動物さんまねっこ大会を始めまぁす!」
ぱちぱち、と彼が手を叩くのでこちらも同じように拍手を送る。名前通り、ここにいる動物の真似をすれば良い…らしい。幼稚園なんかでよくやる内容だ、と安堵しながらも取りかかることにした。
「ほら、見て!かえるさんがいるよ。こんにちは~……よく見て、高くジャンプしてる!今からこの蛙さんのまねっこ大会ね!」
湿った草の上にいた蛙の隣にしゃがみこんで挨拶をしている。なんだか可愛らしいなと見守っていたのも束の間、くるりと振り返って出た言葉に、あぁこれは指導なんだなと改めて気が引き締められた。蛙ということは跳べということなのだろうか、とぴょんぴょん跳ねてみれば、先輩は不満げな顔をして
「ちがう!かえるさんは足2本じゃないでしょ?ちゃんとまねっこしなきゃ!」
と注意をする。本気のまねっこ大会なのだ。ならば試しに四足で、蛙のように足を曲げて。その姿で跳んでみれば、オリバー先輩はこくこくと頷いて拍手をし、また俺の手を引いた。
「お兄さんとっても上手!じゃあさ、うさぎさんは?」
木の根の辺りをとんとんと跳ねている兎を見つけたようで、小声で話しかけてくる。兎が跳ねるということはわかっているのだが、考えてみればあのもふもふとした毛でいまいち構造がわかっていなかったように思う。手足が見られるように、じーっと見つめていると兎もこちらに気がついたのか、のんびりとしていた先程の歩みからは考えられないほどの速さで茂みに消えていった。あれを見るに多分、前足を地面につけて後ろ足で地面を蹴り、大きく前に、出す。
「わ、すごい!僕もできないよそれ、どうやったの?っじゃなくて、えーと、今のまねっこしてみてどうだった?」
はしゃぎながらもしっかりと仕事を全うしようとする彼に心底感心しつつ、その質問には悩み込んでしまった。どうだった?とは何が求められているのか。なんだか急に時間が止まったように感じる。体が縮んでいくような、そんな気分に……
「どうしたの?思ったこと、そのまま言ってくれれば良いんだけど……」
その言葉だって何度も聞いた。それで思ったことを言ったら、そうじゃなくてって言われるんだろう。でも相手はこんな子供なんだから、そう言われて腹が立てばいくらでも捩じ伏せることは出来そうだ。なら、ならば、思ったことを言ってみようじゃないか。
「あー……足が少し、疲れますね。」
どうだ、これくらいしか感想なんてねぇよ。急に蛙や兎の真似して、感想もなにもあるか。で?何が正解なんだ。言ってみろよ。そんな妙にいらいらとした気持ちで言葉を待った。すると、
「あ、わかる!やっぱかえるさんやうさぎさんとは違うもんね。でもそこがまた面白い!」
と全肯定とでも言うべき言葉が帰ってきた。途端に、先程までの自分の考えが、恥ずかしくてしょうがなくなる。ただ純粋に感想を聞かれただけなのに何を苛ついているんだ俺は。そんな俺を他所に、草むらに腰かけた先輩は話し始めた。
「かえるさんとかうさぎさんのまねっこすると、似てる動きになるでしょ?じゃあさ、かえるさんとうさぎさんって同じ動物?」
「いや、そりゃあ、違うんじゃないすかね。」
「でしょ、両方とも一番目に見える特徴が似てるだけで、違う動物さんだよねぇ。……でも、それがわからなくて悩んじゃう人っているよね。あの人とおんなじだからだめだー、とか。同じわけないのに。」
足をぱたつかせながら、子供の声で語られる言葉は、なんだか俺を優しく包み込んでくれるようだった。俺もその例に挙げられるうちの一人だ。十四、いや、十五だっただろうか。学校のクラスの担任にピアノが弾けるからピアニストを目指してみたらどうだと言われたことがあった。けれど、他のクラスには生徒達から絶賛されている、俺よりピアノの上手いだろうやつがいた。そいつの二番煎じになると思って、やめた。そいつは今やピアニストだ。確か十七の頃には、そんなに猫が好きなら獣医はどうだと言われたこともあった。けど、同じクラスに家で猫を5匹飼ってる猫が大好きなやつがいたからそれもやめた。いつの間にか、個性個性と言いながらも何も行動を起こせない俺が誕生したわけだが。
「僕ね、このお話初めて聞いた時、ジュースみたいだなぁって思ったの。桃味の野菜ジュースと桃味のヨーグルトドリンクって違うよね!そんなお話してたら飲みたくなっちゃったな……帰ろ!」
その行動力に疲れは見えず、俺と共に蛙や兎の真似をしていたはずなのにさっさと立ち上がって俺の腕を引いている。その底知れない体力どこに貯まってるんだ。森を共に走りながら考える。俺はどうなりたいのか、どう言われたいのか、何を求めているのか。何が嫌で今まで導かれたいろいろな道を拒否してきたのか、そこまでしてやりたいことがあったのか。今、もう何も持っていないじゃないか。変に項垂れながらただひたに足を動かしていると、急にオリバー先輩が振り向いた。
「そういえば、アレンお兄さんのそのお顔かっこいいよね!だって僕、お兄さんみたいな頭見たことないし。咲いても綺麗なんだろうな~」
にこにこの笑みで言われれば言葉に詰まる。なるほど確かに、頭が蕾であることもまた個性といえば、個性な気がする。けれどそれはなんだか、嫌だ。ごめんね、俺の頭一生咲かないかも。
寮に帰ればすぐさま台所へ。団長に桃の使用許可を取りに行くからと先輩に待たされているところだ。共用の台所には初めて来たが、個室にも軽い調理場があるというのにずいぶん設備が整っているものだ。冷蔵庫は大きいしシンクもやたらと綺麗でいろいろ弄りたくなってしまう。
「アレンお兄さん!許可取った!」
そう叫びながら駆けてくる先輩はくるりと方向を変え冷蔵庫の前で立ち止まり、冷蔵庫の扉を開ける。食材もかなり品揃えが良くて驚いた。食材が並ぶ中で器用に桃を取り出した先輩は俺に皮を向くのを頼み、先輩自身はミキサーのセットをし始めた。作るのは桃のヨーグルトドリンクらしい。
「先輩、一口桃食います?」
「わ、良いの?食べる!」
あーん、と口元に桃を一切れ寄せれば素直に口を開ける彼が可愛らしい。口を動かしつつミキサーのセットを終えた先輩はヨーグルトと牛乳を入れ、それからこちらに様子を見に来た。
「剥けた…?」
これでも軽い料理は得意な方なので、なんとなく自慢気に剥き終え切り終えた桃を見せれば先輩はやっぱり素直に拍手をしながら褒めてくれた。
「すごい、綺麗!お兄さんはお料理上手だね!」
なんだか依存性がある気がする。その桃を入れミキサーのスイッチを押せば、あっという間にヨーグルトドリンク。飲んでみると市販の物くらいに美味しかった。正直レシピが知りたいところだ。
「お、美味いっすねこれ。」
横で既に一杯目を飲み終えている先輩に声をかければ、
「んふふ、動いた後の冷たい飲み物って良いよね!あ、そーだ、とくべつしどー終わったらやることあるんだった……えっとね、はい!しどー完了です!」
という言葉と共に、スタンプの押されたカードが差し出される。カードには大きく歪な文字で『おめでとう!』と綴られていた。これくらいなら頑張れるかもしれない、と蕾の個性を持つ俺は、少しだけ自信を持って気合いを入れ直した。
幸せの舞台で踊れ 道端の稲穂 @mnr_1640
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