Ⅲ.君を愛で守る
「さ、気分はいかがかな?初めての練習の時間だ!」
朝早い時間から叩き起こされ手を引かれ、半分寝惚けている俺にかけられたギルバート先輩の言葉がこれだ。朝早い時間からの練習は覚悟していたものの、やけに元気な先輩のテンションには面食らってしまった。起きて軽く準備してそのまま来たものだから、俺の服装は適当なトップスに履き心地だけで選んだサルエルパンツというほぼ部屋着。それに対してギルバート先輩はダボついたトレーナーを肘辺りまで腕捲りをしていて、俺と似たようなものなのになぜか俺よりずっと清潔感があった。
「どうだった?公演見てみて。自分で舞台に立つってのはなかなか楽しいもんだ。モチベーションは上がった?」
興味津々とでも言おうか、その問いかけにはなんと答えていいか少し迷う。正直なところ確かにモチベーションは上がったが、あの中に入れるのだろうかという不安の方が強かった。舞台に上がって何か失敗したら、あのステージを崩してしまったら、そう思わずにはいられないのだ。どう答えるべきか考え込む俺の顔を覗き込み、納得したような顔で先輩が先に口を開く。
「あ、もしかして不安?なぁに、気にしなくていいのさ!誰だって初心者の時期はあるものだしね。」
「でも、先輩のようなあんな、魔法みたいなこと……」
続いた俺の言葉に首を傾げた彼は、暫し不思議そうにしてから急に笑い出し言った。
「ふははっ、魔法なわけないだろ!まぁ、一部は魔法みたいな能力持ちもいるけど。俺の場合はそうだなぁ……少し、待ってて。」
笑われた、と少し恥ずかしさを感じながらも、どこかへ向かう彼を目で追う。戻ってきた彼の手の中には一輪の花が握られていた。この花はおそらく先日の公演でも共に出演していた花と同じものだろう。唐突に出てきた花に呆気にとられている俺に、未だ少し笑いながらも彼は説明を始めた。
「今から俺とゲームをしようか。今から手品を見せよう。公演と似たようなものをね。終わった後、種に気づけたら君の勝ち!」
先日は放送室の窓越しだったから、今回のこの近さなら種もわかるだろうと意気込んで頷く。
「よし!それじゃあ始めよう、見逃さないようにしっかり見ておくんだ。」
楽しげに手品を始める先輩の手元をじっと見つめる。今のところおかしなところはないはずだ。この前の公演のようにハンカチを被せ、取り払って…鳩に。こんなに見つめているのに種はわからなかった。なんで?何を仕掛けてる?ハンカチはただのハンカチだったし、鳩に何かあるのか。と、思って彼の腕から飛び立つ鳩をじっと見つめると、
「ん、ふ、やば……ほらほら新人君!ちゃんと見てなきゃ!」
と声をかけられる。咄嗟に彼の方へ向き直れば、笑いを堪えているのかふるふると肩を震わせながら俺の腰辺りを指差していた。視線を下ろすと、そこには大量の、花。俺のズボンの両ポケットに花畑が出来ている。
「あははっ、ふふ、さぁ解答時間だ!最後の手品の種はなんだと思う?」
最後の手品、ということはおそらく花を鳩に変えた部分は含まれていないのだろう。俺のポケットに花畑を作ってたあれだ。花束の如く大量の花が挿してあるわけだが、この大量の花がどこから出てきたのかすらもわからない。俺のポケットから生えてきたのか?いや、絶対違う。考えても考えてもわからなくて、とりあえず答えてみないと始まらないからとしどろもどろになりつつ口を開いた。
「あ~っと、えーと……ちゃんと見てなかったのでわからなかったんですけど、多分…」
「お、正解!」
「………は?」
続けようとしていた言葉を遮られて告げられた正解は正直意味がわからない。頭に大量の疑問符を浮かべている俺を、やっぱり楽しそうに眺めながら彼は種明かしを始めた。
「正解は”観客の目をそらした”こと。君、鳩の方に仕掛けがあるんじゃないかって思っただろう?それで、鳩を追って上を見た。その隙にちょちょいとね。」
あの最初の鳩の手品はあくまで下拵えで、俺が目をそらしているうちにポケットへ花を挿した。そういう手品なのだと気付き、悔しさに悶えそうになる。手品をするよ、よく見てて、と言われたらそりゃあ鳩の方を見るだろう。その文句もまた彼の思う壺なのだと思えば、どうにも出る言葉はなく口を噤むしかなかった。
「お、不服そう。いいかい?物が置かれていない机を見て、机から視線をはずして、もう一度机を見た時何か物が乗っていたらそれはいきなり出現したように見えるものさ。魔法が使えなくても、舞台の上じゃあ魔法使いになれる。」
指をくるくると回し、魔法を使っているかのような仕草をしながら手の中の花をいつの間にか二つに増やしている彼は、さながら本物の魔法使いだ。とはいえその目をそらさせるのが難しいから職業になるんだろうけれど。
「ああ、余計な時間を使わせて悪かった。今は君の練習の時間だった!さて、こっちにおいで。」
急にその手の花をぽんとステージ端に投げたかと思えば俺の腕を掴み、そのまま引いてステージ裏へ歩き出す。なるほどこの人は切り替えが早い上に行動力があるのか、とまた一つ彼への情報を仕入れつつも、その先に何があるのだろうと少々胸を躍らせて着いていけば、そこにあったのは檻だった。檻とはいえどやたらと内装は整備され、俺でも暮らしやすそうな檻。その中にぎらりと光った目が見えた。
「おはようベラ!朝食が遅れてしまったね、決して君を忘れていたわけではないんだよ?今日は新しい団員を連れてきたんだ。」
ギルバート先輩は鍵を開けて躊躇いなくその檻の中へと入っていく。ステージ裏とはいえ広い室内に響く低い唸り声に正直彼が心配だったが、薄暗い檻からずいぶんとその”ベラ”を可愛がる声が聞こえてきたので多分問題はないのだろう。
「はい、どうぞ。お腹空いてた?そりゃあ申し訳なかった!今後は遅れることがないようにするからね。」
そう語りかけつつ、檻の扉を開け放った彼は部屋の戸が閉まっていることを確認しながら俺を手招きする。朝食を済ませたからかあの唸り声はもう出していない。彼と共に扉から出てきたのは、俺と同じかそれ以上の体長になるだろう虎である。驚いて思わず一歩後退ったが、それを見た先輩が慌てて言う。
「おっと、怖がっちゃだめだ。言葉の伝わらない動物相手でも案外感情は伝わってくるものだよ。彼女は人に慣れているからよほどのことがなけりゃあ噛まないさ。」
右手で彼女の背を撫でる先輩はその左手を俺に差し出し、おやつらしきものを渡す。ハンドサインを見るに、目の前に置けということなのだろう。そっとそのおやつを目の前の床に置くと、彼女はじっと俺を見つめた後に、しっかりと匂いを確認してからそのおやつを食べた。こう見てみると怖いというより可愛いが勝る気がする。何より、こちらが見ていても気にせず食べてくれているというのが嬉しかった。
「お、よかったよかった。初対面は成功みたいだ!ベラとの関係性はゆっくり深めていくものだから、明日から毎日これをやってもらうよ。本来彼女は檻にいるべきじゃなくてね、彼女専用の広い部屋があるんだ。これからはそこで!」
先輩が俺より嬉しそうにしながら彼女を撫で、その額に軽く口付けるようにしながら檻の中へと戻した。そしてくるりと振り向いてはまた俺の手を引き、今度はステージの上へ。次はなんだろうと彼の言葉を待っていれば、彼の手に鞭が握られた。猛獣使いといえば、という感じの鞭だ。とはいえ俺は鞭の使い方から仕組みから何もかもよくわからないので、それを見て首を傾げるしかなかった。
「それで叩くんですか?」
「あー、まぁ叩くこともするけれどこう、優しくぺちっとね?滅多にないし。多くは空気中で音を出して指示するとか、空気を切る音を犬笛みたいに使ったりとかするんだ。こうやって……」
彼は説明を交えながら鞭の柄を握り込み、位置を確認したかと思えば、腕を振り上げ背中側に鞭を垂らしてから素早く前に振り下ろす。途端にぱぁん、と乾いた大きな音が響く。どこから音が出ているかはよくわからなかった。ただ、それを確認できないほどにはその鞭の先が速かったことはわかった。
「ほら、試しにやってみな。案外出来るかもだろ?一旦背中側に下ろしてから、勢い良く前だ。」
その言葉に頷いて、見様見真似で鞭を振る。音は出ない。というか、勢い良くいかない。遠心力に変に引っ張られてゆっくりぐるんと回るだけだ。見たままやっているのに、何度振ってみても俺が鞭に振り回されているのだ。
「何て言うんだろうな、もう少し……いや、だめだ。ちょっと失礼!」
こちらをじっと見つめて首を傾げた彼はまず言葉で説明しようとして、けれど途中でそれを止めて俺の後ろに立った。左手は俺の腰に回し、右手は俺の右手に重ねて。相手がスタイルのいいギルバート先輩だから、普段のたるんだ状態を咎められそうな気がして思わず姿勢を正してしまう。けれど流石にそんなことはなく、かけられた言葉は優しいものだった。
「さ、俺と一緒にやってみようか。」
自然と強張ってしまった体にくすくすと笑う声が聞こえる。せーの、の合図と共に振り下ろされた俺の腕は、見事に鞭を振るい音を立てた。実際どうかはわからないが、なんとなくコツが掴めた気が…する。一人感動している俺の頭上から、また小さな笑い声が聞こえた。先輩は俺の後ろから離れ、もう一回一人でやってみな、とでも言うようにこちらを見て微笑んで見せている。やるしかない、と思って、さっきの感覚をなんとか思い出しながら力を込めて振ってみた。今度は、小さく張りがないものの音が鳴る。
「っ……鳴った!先輩、鳴りましたよ!」
嬉しくて思わず彼に向かって全力で叫ぶ。余計に笑われて恥ずかしくなって止めた。けれど一応上達ということなんだろう。
「良くできました!初めて鞭を持ったにしては上出来だよ。」
俺のそばに歩み寄り、褒めるようにぽんぽんと肩を叩く先輩。この人はなんだか、人を得意気にさせる才能がある気がする。そして彼はにこにこの笑顔のままステージに座り込んでは、話を始めた。
「音を立てるほどの力では、絶対にベラを叩いてはいけないよ。痛みで押さえつける演技は観客にも伝わるし……何より、彼女が可哀想だ。」
正直なところ、猛獣使いは痛みで動物を動かしていると思っていたので驚いた。音だって最初は動物を叩いているから鳴っているものだと思っていた。けれどこの言葉を聞くと案外、動物虐待は行っていないみたいだった。
「わかりました。……ところでギルバート先輩はなんであんなに鞭を振るうのが上手いんですか?」
先程の言葉に頷くと同時に、一つの疑問を。初めて手にした俺がああなるのなら、先輩は鞭を振るったことがあるということだ。
「ん?あぁ、元々猛獣使いも兼任していたからね!多分、教育係に任命されたのもそのおかげさ。とはいえ……他所は知らないけれど、うちのサーカスの猛獣使いとなれば、動物に痛い思いや怖い思いをさせない、が絶対条件だ。」
意外な情報と共に告げられたその条件に、それならばどうしつけているのだろうという疑問がさらに湧いてしまう。その答えは聞かずとも帰ってきた。
「まずは、彼女と仲良くなること。そして彼女の好きにさせること。嫌がっていることは無理にやらせちゃいけない。たとえ嫌がり始めたのが公演の日の朝でも、自分が出演をやめて彼女を優先すべきだ。彼女が楽しんで共に公演に出てくれる関係を築かなくちゃね。技は……そうだな、彼女が自らやる動きくらいで丁度良い。火の輪くぐりなんてもっての他だろ?」
彼の言葉に、少しの怒りが滲んでいる気がした。そういえば最近の新聞にはサーカスの動物曲芸の扱いについて取り上げられているものもあったような。その場合、動物達に信頼され、お互いが楽しんでやっていたとしても反対されるんだろうか。そんなことをぼーっと考えているうちにまた彼が口を開く。
「でも忘れちゃいけない、相手は猛獣だ。じゃれついているだけのその動きがこっちには致命傷になることだってある。……いいか、動物達だって怖かったら身を守るだろ?当たり前の反応。けれどそれを見ていた観客にはどう写る?……動物が、ベラが、猛獣使いである俺達を襲った危険生物に見える。自分の身を守ろうとしただけの動物が。そうならないためにも、俺達が出来るだけ気を付けてあげることが一番重要なんだよ。」
ループタイの先を弄りながら発せられたこの言葉には、どうにも後ろめたさというか、悲しみのようなものが滲んでいた。
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