49.帰るまでが冒険です




「ちくしょう! 持って行かれたっ……!!」


 マトークシー中央部 ベイベリー大森林の中。

 上裸の男シルヴェスタが、蹲った態勢で悔しそうに慟哭した。


 彼の目の前に佇むのは一匹の魔熊であった。

 見るもの全てを敵と思い込む気性の荒さ。獲物を取られれば、地の果てだろうと追いかける執念深さ。縄張りに入った者は、もれなく死を持って償わせるという獰猛さ。

 そんな生態をしているからか、その魔物は暴れ熊アルクトスという名前が付けられ、マトークシの原住民からも非常に恐れられていた。


 アルクトスは、悔しそうに顔を歪めるシルヴェスタへと振り返り、大きく息を吐く。物を咥えているせいで、アルクトスの口からは唾液が糸を引いていた。


「グボァ……」

「返せよ……楽しみだったんだよ」


 シルヴェスタは、アルクトスを睨みながら嘆きを続ける。


 思い返すのは数瞬前のこと。

 やっとの思いで、例のブツが手に入ったと喜んだシルヴェスタは、不覚を取られ、現在魔物の神経毒により動けないでいた。そんな彼の横から盗人のように忍び出してきたのが、このアルクトスである。

 シルヴェスタが手に入れようとした例のブツを横取りすると、アルクトスは優雅に尻を振って離れてしまったのだ。


「そこらへんの木の実だろうが、葉っぱだろうが、なんだってくれてやる……!!」


 シルヴェスタが叫ぶ。


 今では、シルヴェスタの手の届かない安全圏から、ほくそ笑んでいるように見えない。

 アルクトスは蹲る男など歯牙にもかけない様子で、そのまま座り込む。そのまま口に咥えていたものを前脚で持ち直し、その大きな口から舌をぺろりと出し、ひと舐めした。


「だから、返せよ! 毒蜜巣それは、たった一つの楽しみだったんだよ!!」








 




 

「ふぅん、それで奪い返せたのが、たった一欠片と」

「……面目ない」


 俺は取り返せた約5センチにも満たない毒蜜巣をラスティに渡した。

 ラスティはハイライトの失せた瞳を、フードの奥で鈍く光らせる。


「……木偶のウォーカー」

「ほんと、ごめん! でも、その目やめて、怖いから!」


 はぁ、とラスティが嘆息すると、横にいたラックもやれやれと言ったように肩を竦める。


 バーモット村までの帰り道。荷物も何もかも失った俺たちは、途中、腹も空いたのだしと食料を探し求めていたのだ。そんな折、俺がサラマンダー討伐前に飲みたいと言ったこともあって、毒蜜巣を採取する流れになった。

 だが、結果はご覧の通り。

 普通に他の魔物に出し抜かれましたとさ。おしまい。


「まぁ、食材は取れなかったけど、危ない目に遭ってなくて良かったよ。少しだけ心配してたけど、もうウォーカーは1人でも森を出歩いて大丈夫そうだね」

「いや、毒にやられたのはかなり危ない気がするんだが」

「あっははー、やだなー。その程度じゃ死なないでしょ、どうせ」


 どうやら、謎の信頼を獲得することに成功したらしい。

 もうお前は一人前だ、と言わんばかりに俺の腕を叩くラスティは、満面の笑みを浮かべていた。なんだか投げやりな感じがしなくもない。果たしてこれは進歩と喜んでいいのだろうか。


 と、俺はラスティの外套から覗く脇腹と、今なお酷い血痕の汚れが目立つスカートが目についた。


「……」


 脚の方は、軽く走ったりする姿を見た限り、魔法で治癒しているのだと思える。下山している時も、杖を大きくして補助するようなことはしていなかったし、無理に脚を引きずっているようにも見えなかった。

 しかし、脇腹の方と言えば……。


「GAO? どうしたの、こっちを見て?」

「いや…………なぁ、ラスティ。その脇腹の傷、治さないのか?」


 俺がそう指をさせば、ラスティが一瞬驚いたような表情をする。

 そして外套の崩れを慌てて治して、申し訳なさそうな目でこちらを見上げてきた。


「あー……気づいてたんだ」

「時々、横腹をさするようにしていたからな。さっきも、俺が毒蜜巣を1人で取りに行くよう、遠回りに誘導していたし。……動き辛いだろ。もしかして、治せなかったりするのか?」


 ん“ん“ーーー、とラスティは困ったように下唇を噛んで目を瞑り、上を向く。

 言いたいことはあるけど、口にしていいか憚られているような雰囲気だ。その横では、なぜかラックもラスティの挙動を真似をしていた。


「えーと、誰にも言わないって約束できる?」

「ああ。誰にも言わない。だから、治せないなら遠慮なく言ってくれ」

「笑わないって本当に誓える?」

「笑うわけないだろ。こんなことで」


 俺がそう言うと、ラスティは本当に困ったように、フードの奥で目をキョロキョロとさせ、慌てふためくような表情を繰り返す。あーでもない、こーでもない。視線を右往左往させながら、汗を垂らし、口を小さく開閉させ続ける。

 そうしてとうとう意を決したのか、「GAO」と強く頷くと、俺の方へぐいっと顔を近づけてきた。


 手招きで耳を近づけるよう要求される。

 ラックが近くにいるからだろう。誰にも聞かれたくないと言っていたし。


 俺が耳を近づけてみれば、ラックは「僕も僕もー」と言わんばかりの満面な笑みで近づいてきた。ラスティはそれを投げ返すと、再び俺の耳元へ口を近づける。


「あのね……その……治すのが怖いんだ。昔、一度やらかしたことがあって……」


 一度、そこで言葉は途切れたが、ラスティはまだ続けるらしい。

 微かな彼女の息遣いが俺の耳にかかる。


「その時もお腹に怪我をしててね、いつものように回復魔法で治そうとしたんだ……最初はうまくいったと思ったよ……? 外傷も見えないくらいだったから」


 でもね、ラスティは心地よい声音で囁く。


「ずっとお腹が痛かったんだよ……その日だけじゃない、一週間くらいずっと……これは流石におかしいと思って、意を決して自分の体を調べてみたんだけど……」


 ここでラスティは息を呑んだ。

 聞いていた俺も唾を呑む。


「間違えて、大腸と膵臓を繋げてたんだ……!! あー、思い出しただけでも、お腹が痛い!! もう自分では治せないよ!! どおりでトイレに行っても何も出なかったわけだ!」

「…………」

「ねぇ、ウォーカー! どうしよう! 私、また間違えてつなげちゃったら、今度こそヤバいかもしれないんだよ!? 女の子としても、いろんな尊厳を失っちゃうと思うんだ!」

「…………」


 ゆっくりとラスティの口元から離れた俺は、耳を疑う。

 いや、どこからツッコむべきだろうか。


 そもそも笑える話じゃなくて、どう考えても痛い話である。失敗した本人からしたら笑えるかもしれないが、聞かされた俺としては、ただ想像しただけで腹痛を与えられる話だった。

 次にそんなトラウマ持っているくせに人の体に回復魔法をかけてたのかい、と言ってやりたい。普通に怖いんだけど。俺の体、変に繋げられてたりしないよね?


「GAOoooooo‼︎ 思い出しただけでも腹痛が……!!」


 お腹を抱え込むようにして蹲るラスティ。


 とりあえず、治せるなら治せばいいのではないだろうか。

 俺はそう、最後に心でツッコミを入れるのだった。




 ラスティの悶絶から復活するのを待って少し。


「よーし、いやなことは美味しいもので忘れよう! 村に帰ってからって約束だったけど、今から毒蜜巣入りの紅茶を作るよ! おー!」


 結局、治さないという選択をしたラスティは、気を取り直したらしく元気いっぱいに拳を振り上げる。ラックも「ピピぃ!」と腕を上げた。

 俺はと言えば、腕を組んで素朴な疑問を投げかける。


「でも、ラスティ。俺たち今持ってるものほとんどないぞ? ラスティの荷物だって、建物ごと蒸発してたし」

「GAO、嫌なこと思い出させないで…………!」


 ラスティが耳を塞いで頭を振るが、現実というものは何も変わらない。

 山から戻ってくる際、もしかしたら荷物の生き残りがいるかもと思い、灰の山を2人と1匹で掘って探したのだが、出てきたのは唯一、ラスティの鉄鍋と思われるものだけであった。まぁ、その鉄鍋も手のひらサイズのカケラとしてしか残っていなかったわけなのだが。


 そのため、食器も食材もなければ、今の俺たちには調理器具すらない。

 ここにいるのは服すら失った男と、杖だけを持つ見習い魔女。そして食欲だけを引っ提げた大きいネズミである。

 はて、このメンツでどうお茶会をしろと言うのか。


 俺がそう思っていると、ラスティが目の前にある大木を指差して振り返った。


「とりあえず! ウォーカーってさ、この木の樹皮だけって切れる!? 切れるよね!?」

「別に切れるけど……魔法で切ったほうが早いんじゃないか?」

「なーに言ってんの。今は少しでも魔力を節約しないと、だよ! 魔法なしでできるなら、それに越したことはないんだからさ」


 なるほど、それもそうだ。

 別に説明されたからと言うわけではなく、俺は言われた通りに樹皮を剥ぎ取る。ラスティが「私の腕サイズくらい」と言っていたので、その長さの正方形で切り取った。


「取れたけど、これ何に使うんだ? ……もしかして、これを濾したものを紅茶って言い張るわけじゃ……!?」

「失礼すぎ!? これは鍋の代用に使うだけだからね!?」


 あー、なるほど。鍋の代用ね。


「……いや、すぐ燃え尽きるだろ。何言ってんだ、ラスティ」

「ピピィ……」

「もう、馬鹿ど素人は黙ってて! ていうか、ラックは村でも使ってるでしょーがー!」


 ぐるるる、と怒ったラスティは形相を浮かべながら、湧き水が流れているところまで走っていく。俺とラックは取り残されてしまったが、ここからでもラスティが、何かよからぬことをしないかは見張ることができた。


 目をくわっと開けた俺とラックは、一分の隙もない監視を続けていると、どうやらラスティは樹皮を折り畳んでいるらしい。それを真ん中へ窪みができるよう丸め、湧き水を溜めていっていった。


「ラック。お前から見て、ラスティの動きに異常はあるか?」

「ピピィ」

「やはり無い、か。引き続き監視を続けるぞ。俺とお前の腹を守るためだ」

「ピピィィ!!」

「失礼すぎるぞ、馬鹿ウォーカー! さっきから、全部聞こえてるんだかんなァ!!」


 こっちを振り返ってきたラスティは、まるでカイデンを相手していた時のような表情を浮かべていた。


 水を汲み終えたラスティは、俺たちのところへ戻ってくる。水の入った樹皮を俺へと渡し、ラスティは慣れた手つきで石と木を組んで即席の竈門を作っていった。

 そして最後に、一番細い焚き付け材に魔法陣を描いて放り込む。

 すると、ぼうっと一気に炎が燃え上がった。


「魔法、使っても良かったのか?」

「今のは魔力を使ってないからね。スキルの一種だよ」


 ラスティはそう言って、「それ貸して」と言ってきた。

 俺が水の入った樹皮を返せば、ラスティはそのまま石で窯を作っているとは言え、直接炎が当たる場所に樹皮を置く。


「ちょ、ラスティ!? まじで燃えるんじゃ……!」


 だが、俺の言葉通りにはならなかった。


「にししー、水を入れていれば意外と樹皮は燃えないんだよ。水が沸騰する温度より、樹皮が燃える温度のほうが高いからなんだってさ。オヤジがそう言ってた」

「……まじだ。底が焦げてるだけで、炎が貫通してない」

「どう、驚いた? 驚いたでしょ?」


 ラスティが勝ち誇ったように、膝を抱えながら俺に笑いかけてくる。その笑みには、俺も素直に降参を認めざるを得なかった。確かに俺は、馬鹿のど素人だったらしい。


 少し脇腹を庇うように座り込んだラスティを見て、俺もラックも座る。

 するとラスティは徐に、その辺の細い茎のような真っ赤な葉っぱを拾って、満足げにうなずいた。

 嫌な予感がする……。

 俺が一旦その行動を見守っていると、ラスティは土の汚れを取った瞬間、樹皮鍋の中へと放り込んだ。


「って、うぉ! 今のはアウトだろ!」

「? 大丈夫だよ。今のはレッドピノっていう木の葉っぱだから。それに体に良いんだよ〜。体を温めたり、血行をよくしてくれるんだ。やっぱ紅茶と言えば、これだよね~」


 ふんふ〜ん、と鼻歌を奏でながら、ラスティはどんどんレッドピノなる謎の赤い植物を放り込んでいく。確かにこの娘の言う通り、水は熱されていくごとに、紅茶のような赤みが水に染み出してきていた。


 だが、断じて俺の知っている紅茶などではない。


 入っているのは、よくわからん茎のような細長い赤みの葉っぱだ。というよりもう、葉とすら思えないただの針だ。そのまま呑み込めば、喉奥で突き刺さりそうなほどに鋭い線だ。

 俺は次第に恐怖のあまり顔を歪めていく。

 逆にラスティと、いつの間にか俺を裏切っていたラックまでもが、るんるん気分で体を揺らし初めていた。


 なにこの光景、怖い。


「もうそろそろかなー? この染み出して沸騰している紅茶に、毒蜜巣を入れて……と」


 俺がどうやめさせようか思案している隙に、ラスティが次の工程に進んでしまう。取り出したのだ。あの5センチにも満たない大きさのブツを。髑髏マークの穴が特徴的な蜂の巣を。

 フォォォォ、と謎の怨嗟が聞こえてくるそれを、ラスティは遠慮なく赤い出汁へと放り込む。混ざり合う紫色の粘液と赤い出汁。普通、ぷつぷつと音を立てて沸騰するはずの水は、フロロロタスケテと聞こえるような音で沸騰を初めていた。


 もはや言葉にすることすら悍ましい何かが出来ようとしている。


 ……俺、あんなの飲みたがってたんだ……。


「よし、できたよ! レッドピノティー毒蜜巣入り、その名も”ラスティー”の完成だ!」

「ピピィ!」

「どう、ウォーカー? 私のおりじなるぶれんどってやつだよ!」

「ラスティト同ジ名前ナンダ……スゲー」


 俺は虚無の拍手を送りながら、心にもない感想を漏らした。


「ウォーカーは紅茶が初めてらしいから、一番美味しい一口目を譲ってあげるね。 きちんと口の中の空気と混ぜながら味わうんだよ? それが『通』ってものだから!」

「……なるほど。空気を含めないと死ぬのか」

「ピピ?」


 神妙な面持ちをしながら、俺はラスティに渡された毒の入った樹皮を受け取る。

 中身を覗いてみれば、毒蜜巣は完全に熱に弱いのか、どうやら粘液とともに溶けてしまっているようだ。もはや原型は見当たらず、赤く染まっていた水は、若干青色の光沢を見せていた。


「ふっふふーん♪」


 ニコニコと笑うラスティ。

 すごく笑顔である。

 これがカイデンとか、シエンとか、ゴーシューとか、イドヒだったならば、俺はきっと遠慮なしに馬乗りを決め込み、最後にはタコ殴りにしたことであろう。


 だが目の前にいるラスティからは、邪気、悪意、敵愾心など一切感じさせない。それどころか、心の底から俺に楽しんで欲しいという気持ちだけが、ひしひしと伝わってくる。


 俺はラックを見る。

 本当に大丈夫なのかという意味を込めてみる。

 バーモット村でよく飲まれているのであれば、まだ覚悟が決められる。そう思ったからだ。

 しかし、ラックは俺と目線が合うなら、ケタケタと手を打って笑い始めた。


「(なに他人事みたいに笑ってんだ、このネズミィ……!!)」

「どうしたの、ウォーカー? もしかして、本当にいらなくなった……?」

「え? ああ、いや……そんなことはない! 飲む飲む! 俺が飲みたいって言ったもんな」


 ごめん、俺は弱い人間だ。

 こんなところで断れるほど、俺も人間性が腐ってはいない。


 ふぅ、落ち着けシルヴェスタ。冷静になるんだ。

 ラスティは確かに外見上よろしくないことを勧めてくることは、ままあった。しかし、実際はどれも安全性の高いものばかりで、意外と得をしたこともあったはずだ。それに毒蜜巣は、意識がない状態とは言え、一度口にしている。

 ビビる必要なんて、ひとつもないじゃないか……。


「よし、いただきます……!」

「はい、どうぞ!」


 ニコー、と笑顔を浮かべるラスティを見て、俺は樹皮に口をつける。

 ぐびっと一口、喉を鳴らし胃の中へと流し込む。

 そうして俺が『ラスティー』を飲みながら思ったことはただひとつだけだった。


 


 あ、多分この娘は、笑顔で人を殺すタイプだ……。




「……」

「ウォーカー?」

「……」

「そんな……白目剥いてる……。あ、これ魔毒から魔力を摂取するから、私が疑似器官動かさないと、ただの毒なんだった」


 どうやら、帰るまでが冒険という言葉は、真理のようである。


「く、そ……! また神経毒かい!!」

「GAO!? 自力で生き返った!?」

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