46.炎星、堕ちる 後編




 ゆっくりと、その星は降ってきた。

 身を焦がすほどの熱風。大気を溶かすほどの無慈悲な炎塊。

 あらゆるものが星に呑まれていく。

 あらゆるものが吹き飛ばされていく。

 木々は突発的に燃え上がり、建物の瓦礫は見るも無残に溶解され、そこにあった生命の息吹は悉く終焉を迎えていた。

 事象すべてを焼き尽くす劫火。

 帝国との戦争時に似たようなピンチがあったっけかと、男は呑気にも思ってしまった。


「…………」


 男は今なお溶けていく瓦礫の上に立ちながら、めくりあげられていく大地を無視して、じろりと睨み続けた。

 残り600メートル。

 地表は高温度の魔力熱に侵され、外気温は再現なく上昇していく。あと数秒もしない内に着弾するだろう星が差し迫る状況下であっても、男は身じろぎひとつしない。


「――――、――――、――――」


 そこで、男の呼吸が断続的に繰り返された。浅く、細く、小さく、けれども決して一つ一つを無駄にしないようにと、慎重に繰り返される呼吸。

 空気を吸う度に、もしくは空気を吐く度に。熱によって上昇した大気は、容赦なく男の臓腑を燃やしていく。

 本来なら、自殺行為だ。

 ここに立っていることすら、命を投げ出しているのと変わりはない。件の魔女が言うように、男の体に残った魔力は、見る影もないほどに微弱な量しか残っていなかった。


「――――、――――、――――――」


 男は拳を固めながら、思い返す。

 この地域で。あの森で。1人の魔女と出会った時のことを。そこから始まり、一緒に神殿迷宮へ潜り、そして彼女に助けられたことで、今ここに命を携え立っていられる現実を。


 ――『いいよ、私が呪いの解き方を教えてあげる』

 ――『もしかしたら、ウォーカー大ピンチかもって、泣きそうになったんだからね!?』

 ――『GAO。やれるものなら、やってみれば? 絶対にウォーカーは"負けない"んだから』


 自然と男の口角が上がる。

 最初は変な娘だと思っていた。信頼も信用もない。ただ、自分と目的が合致しただけの少女だと決めつけていた。己の半生を知りもせず、協力を申し出てくる少女を、なぜ簡単に信用できようものか。

 男は警戒心を孕んで最初接していたが、それでもやはり、関わっていくうちに、彼女の打算なき気持ちが、徐々に男のしがらみを解いていったことに違いはない。


 ――『絶対、生きて帰ってきてね』


 魔女を地下壕へと入れる別れ際、最後につぶやかれた言葉を男は反芻する。

 もとより死ぬつもりはない。

 もとより命を投げ出す気もない。

 あの炎に晒された肉体は、何秒保つなんか考えるだけ無駄なこと。あの熱風に分解されずに済む方法など、対策を講じるだけ徒労に終わってしまう。


 残存する魔力量を巧みに練りながら、男は対策を考えるのではなく、生き抜くことだけに集中した。我が身の頑丈さを自負しているが故にできる、捨て身ではない、捨て身の戦法。

 これから行うことは、およそ人間業ではない。もしかしたら、できるとしても考えも付かないこととして、常軌を逸した行動と言われるかもしれない。

 けれど男は、死ぬ気がないのだから仕方ないと笑ってみせた。己が元最強であった事実を根拠に、自信に満ちた瞳で炎の星を睨みつけた。


「――――はは」


 全盛期など、とうに過ぎている。

 魔力も生成できなければ、スキルだって使えない。

 魔力強化できなくなった肉体は衰え始め、戦闘の輝きは一層失われてしまった。男の全盛期は、もしかしたらこれから来るのかもしれないが、それでも呪いを受けたあの日、最強としての彼は死んでいる。


 しかし、その上で、


「――――」


 男は地を蹴った。

 衝撃により、足の指が溶けてなくなる。上腕は風船のように破裂し、片目が陥没を始めた。皮膚が爛れるのではなく気化したように煙へと変化し、脳みそが危険信号を鳴らす。

 それでも、男は走ることをやめなかった。

 炎星が落下する地点へ向かうため、その速すぎる走力を総て使いながら、死地へと駆けていく。


 本来不可能なことだ。

 人間は焼かれながら、溶けながら進むことなんてできない。

 だと言うのに、男は不可能を可能にしていた。


「――――、――――、――――――」


 男が最後の呼吸をした後、炎星は地表へと着弾した。

 瞬間、空気が爆ぜる。その少し後、鼓膜を破るような轟音が辺り一帯を吹き飛ばすように響いた。

 半径5キロにも及ぶ大爆発。

 衝撃によって岩盤は空へと吹き飛ばされ、熱によって呑み込まれた自然は大きなクレーターを生み出すとともに、瞬時に蒸発していく。


 数秒の後に遍く痕跡は消え去った。

 数秒の災害が地形を大きく変えてしまった。


 残ったのはクレーター内で立ち込める陽炎と――――。





⬛︎





 爆発の余韻がまだ残るクレーターの中心地で、熱気でゆらゆらと揺れていた。その熱は、地面から立ち上る陽炎を生み出し、遠くの景色を歪ませている。陽炎が、まるで幻想的な絵画のように、現実とは異なる風景を見せていた。


 ――ずぶり、どぶり。


 と、魔剣が纏う炎星の残り火に四肢が生えだす。それは時間を経過するごとに竜の体を象っていき、やがて頭部までもが生え揃ってしまう。胸部と思われる部分には、マグマのような赫い魔剣が移動し、核のような働きをしているのか、僅かに脈打つように見えた。


 竜は、生えた頭部をゆっくりと動かし、辺りを確認する。クレーターの周囲は、黒く焦げた土壌が広がっているばかり。爆発の熱で溶けた岩石が固まり、不規則な形状を作り出している。

 足許から拡がる光景は、まさに竜にとって満足のいく焼け野原であった。


 己以外、何も存在せず。

 また存在することを許さない絶対の力。


 かつて生命が息づいていた場所は、今やただの無生物の領域となっており、暴虐の果てに手に入れた荒地の風景に、竜は思わず炎の喉を打ち鳴らさずにはいられなかった。

 

 ――――ああ、なんと気持ちがいい甘美だろうか


 感情のままに生殺与奪の権利を行使した結果、残ったのは、竜ただ一匹という最高の終焉。

 これほどまでに、心躍ることがあるだろうかと、竜は思う。あの目障りだった男ですら、最後、爆心地に飛び込んで骨すら残らず蒸発してみせた。


 ――――もっと、もっと壊したい味わいたい


 元来より感情が希薄だった竜は、欲望という旨みを知ってしまった。

 知ってしまったからには、貪らずにはいられない。骨の髄までしゃぶりつくし、我が身を焦がすような情動を体外へと発散させてしまいたい。


 あの男も死んだ。

 見るだけで嫌悪を示しそうになる銀髪の男。

 殺したと思っていたのに、なぜか生きていた男。

 しかし、降ってくる際、最後に見た男の姿は醜い以外のなにものでもなかった。五体満足とは程遠い醜態で、落下地点へとただ只管に駆けていた。

 竜に唯一心残りがあるとすれば、男の悲鳴を聞くことが叶わなかったことだろう。いくら痛めつけようとも、男はぴくりとも恐怖せず、臆することはなかった。残虐性あふれる竜の心を燻ぶらせるには、十分な不満である。


 ――どうでもいい、死んだ者に興味なし。次だ、次を殺そう。


 竜は新たな獲物を探すべく、より一層あたりを見渡す。

 何か他に壊すものはないか。万が一、億が一の確率で、生き残りなど転がっていないだろうか。一撃で焦土と化してしまったのだから、当然のことだが、生命の息吹は聞こえてこない。


 ならば、と竜は空を向く。地上に生き残りがいないのであれば、上空に新たな獲物が飛んでいないか賭けたのだ。


 そして、竜はその賭けに勝った――勝ってしまった――。


 上空に浮かぶ大きな方舟。半透明な魔力の壁で形成し。浮かんばせているのか、竜からも中がくっきりと見える。

 見れば、そこには大量の人間が収容されていた。自分を散々、傷つけてきた憎い人間もちらほらと混ざっている。


 ――ああ。


 竜は浮かぶ方舟を見て安堵した。

 まだ殺せることに安堵した。


 さっきの一撃により炎の体は薄いが、それでもあの壊れかけの方舟を壊す程度であれば造作もない。

 竜は体の形成に使っていた炎を一点へと集め、今まさに発射するべく口を大きく開けた。





 その時である。





 だん、と何かが跳ねる音が後ろから響いた。

 己以外、存在しないはずの無生物の領域で。


 何かが跳ねたのだ。


 竜は後ろを咄嗟に振り向く。

 そんなはずはないと、確信に近いものを抱きながら、それでも一抹の不安を払しょくするために振り返る。



「――■■■」


「――よ"う"」



 ありえない。


 ありえない。ありえない。ありえない。

 ありえない。ありえない。ありえない。

 ありえない。ありえない。ありえない。


 ……ありえない、筈だった。



 飛び出してきたのは、体の半分近くを焼死体に変えた男。右半身は完全に焼け爛れ、皮膚は剥がれ落ち、赤黒い筋肉と白く見える骨が露わになっている姿。

 男の顔の右側は、目玉が溶けて失われ、皮膚が炭化しているため、口元は歪んだ笑いを浮かべたように見える。口の端からは焦げた肉片が垂れ、焼け焦げた血が乾いた痂となっていた。


 死んでいなければならない重症だ。

 生きているとしても、もはや動くことすらできない死に体である。

 それなのに男は、綺麗に残された左目だけを血走らせ、生き生きとした瞳で、今なお竜を睨みつけている。



 捨てたのか。



 竜は瞬時に理解した。

 己を殺すためだけに、男は必要最低限の肉体を守り、他はすべて捨てたのだと。

 男の魔力が残り僅かであったことは、自然の化身である竜が、一番理解していた。あの程度の魔力量であれば、きっと防御もできずに死ぬことだろうと。否、たとえ防御できたとしても、そこで男の行動は終わるだろうことは、容易に想像できていた。


 なのに、複数の不可解なことが起きている。


「――――」


 吐かれた息により、男の胸からは焦げた肉の匂いが立ち上った。肺の中の空気が焼けたのか、じゅう、と微かな音が漏れ出ている。



「――■■」



 炎の体でありながら、竜は芯から凍るような感覚を覚えた。

 快楽と不満しか知らない竜である。今しがた、自分に起きている現象が何なのか竜は理解できていない。

 それでも、それが己を壊してしまうナニカであろうことには気が付いた。さきほどまで高揚していた気分は全て霧散し、炎の肉体は鉛のように重く動かなくなっている。


 半ば焼死体と化した男。

 それが拳を振り上げる光景を眺めながら、竜は本能で考える。



 ――おかしい、おかしい、おかしい、おかしい……この男は。








 化け物だ。








 それと同時、炎の体が融解した。シルヴェスタの拳は空を切り、からんからんと、魔剣が地面に落ちる音がする。


 竜は自壊することを選んだのだ。

 目の前にいる男を、決して敵に回してはいけないと認知してしまったが故に、それを最善として、自ら死を選び取った。

 これ以上、争ってはいけない。

 これ以上、男を敵にしてはいけない。

 それが竜が最期に感じ、最後に会得できた、恐怖という感情である。


 

 



■ 






 半透明の魔力壁で形成された防御魔法――その方舟の中。シルヴェスタとサラマンダーの最後の攻防を見ていた者は、みな言葉を失っていた。


「……本当に彼は何者なの、ラスティ」


 しかし、そんな静寂に差し込むように、エリザが、ぼそりとつぶやきを漏らす。答えを求めてのものなのかは分からないが、尋ねられたラスティはエリザを一瞥し、ぶんぶんと首を横に振った。


「……一度だけ、そいつを戦場で見たことがあるんですが」


 そんな二人の間に割って入るように、カイデンが近づき、言葉を吐いた。

 ラスティとエリザが、シルヴェスタから視線を外し振り返ってみれば、そこには興奮冷めやらぬ表情を浮かべたカイデンが立っている。完全に開ききった瞳孔は、眼下で死闘を繰りげた男の一挙手一投足を、絶対に見逃さないようにしているとすら思えた。


「常に鎧と兜を被っているせいで、誰もその素顔は知らない。……されど、ひとたび戦場に出れば、どんな戦況すらひっくり返す化け物」


 カイデンが、ばん、と魔力の壁に手をつく。

 あまりに力が強かったせいか、崩れそうになっていた方舟の壁に、さらなる罅が入った。


「帝国が最も恐れた王国最強の騎士――姿なき英雄。間違いねぇ。あいつこそ、俺があの時に見た騎士だ……!」


 それを聞いたラスティは、神殿迷宮でゴーシューが言っていた言葉を思い出す。


 ――『難しいことではありません。単純に今見張りをしている彼らは強いということです。第一等騎士ではありながら、実力は第一等聖騎士クラス。あの銀髪男がいくら強かろうと、彼らからは逃げられません。それこそ、彼らを簡単に相手取る者がいるとすれば、あの姿なき英雄くらいのものです』


 対してエリザは、信じられないことを聞いたという表情を浮かべ、目を見開いた。

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