45.炎星、堕ちる 中編




【Side エリザ】

 

 宿舎が立っていた場所の下。そこの地下壕はサラマンダーが散々、地上を熱したせいか、蒸し暑い空気が肌にまとわりつき、少々息苦しさを感じさせた。壁は古びた石でできているらしく、所々に苔が生えている。照明はわずかなランタンの光だけで、暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる影が不気味だった。

 水滴が天井からポタリと落ちる。かすかに漂う土とカビの匂い。そして、あらかじめ避難して来賓たちの汗と体臭、さらには香水の臭いが入り混じっていた


 そんな場所に、私たちはラスティの提案のもと避難を始めていた。

 

 私が地下壕のスペースを開けるための陣頭指揮を。

 カイデンが来賓たちの説得と、落ち着かせるための説明を。

 そしてラスティとシエンが協力して、内側に防御魔法のための魔法陣を書いていっているという状況だ。部下たちは基本的に私の指示のもと動きながら、要らない荷物を外へ出していっている。手が余っている者たちも、まだ外に生き残りがいないか探索中だった。


 先に避難していた来賓客たちは、カイデンの尽力もあってか、だいぶ落ち着いたように見える。さっきまでは、外で何が起こっているのか理解できていないため、酷く混沌に満ちた声が響いていた。

 まぁ、それも仕方ないことだと私は思う。彼らからしてみれば、王女と婚約する騎士団総長へのごますり程度の認識で、今日ここへ来たのだろう。それが、サラマンダーの暴走に巻き込まれる羽目になるとは、誰が予想できたであろうか。

 正直、あの兄なんかへ媚びへつらおうとする心構えは気に食わないが、それでもこんな理不尽に晒されていることに、同情を禁じ得ない。

 

「(それにしても、あの兄は、自分を祝おうとした人たちも全員殺すつもりだったのかしら……ていうか、そもそも、なんでサラマンダーが暴走してるんだっけ? 私が気絶したから? それともウォーカーに負けた腹いせ? ううん……どれもあり得そうだけど、それだけじゃないような気がする……)」

「大隊長、地下壕に魔毒中和薬剤が入った箱があったんですが」

「――――ああ、それも要らないわ。地下壕には全員が入れるだけのスペースを作りたいから、迷ったものもガンガン外へ捨てて」

「了解です!」


 自慢の髪の毛を指先でくるくると混ぜながら、私は地下壕の入り口に立ち、冷たい石壁に背をあずけ、時折部下へと指示を飛ばす。その間も、頭の中では兄に対する考察を深めることをやめない。


(やっぱり、公国と戦争するための口火が欲しかった、とか……? それにしては、回りくどいというか、あの兄らしくないというか……あぁもう、気絶してから流れが全っ然分かんないわね)


 そう、私が悶々と頭を悩ませている時だった。

 地下壕の入り口付近に香辛料の匂いが漂ってきたのは。


「スミマセン、騎士サン」


 声に釣られ振り返れば、地下壕の中には小麦肌の男が立っていた。見るからに身につけている装飾品がうるさい男だ。ゴールドだとか、シルバーだとか、目立つ貴金属を好んでつけているらしい。

 どこぞの成金かしら?

 私は、こんな人も来賓として招かれるんだ、と思いながら体を男の方へと向ける。


「どうかされましたか?」

「イエ、皆大変ソウダッタノデ、私ドモニモ手伝エルコトアリマスカ?」

「え? あー、ちょっと待ってね」


 辿々しい王国の言語を操りながら、男は私にそう聞いてきた。

 手伝えることって言われたって……騎士としてはあまり来賓を働かせたくない。というよりも、ど素人が首を突っ込んできて邪魔をされる方が嫌なのだ。

 ここは気持ちだけ受け取る事にしよう、と悩んだ素振りから私は切り替える。


 しかし、私の言葉が出ることはなかった。

 

『GAO、雑! 雑すぎだよ、シエン!』

『何を言っている。魔法陣など、魔力が途切れなければ問題ない。貴様の方こそ丁寧すぎだ。時間がないのだから、さっさと書け』

『GAOH! そんなこと言いながら、ここ間違ってるじゃんか! これじゃ防御魔法内で窒息死しちゃうよ!!?』

『気にするな。カイデンなら、15分くらい無呼吸で生き残れる』

『全人類の平均を、あの髭とウォーカーで考えちゃダメじゃないかな!?』


 私が断りの言葉を入れをしようとしたとき、地下壕内で防御魔法のため、魔法陣を書いていた二人が言い争っているのが響いた。

 何事かと思い、入口から下を覗き見れば、ラスティがフード越しにシエンへと威嚇している。しかし、シエンはそんなラスティの態度なんてどこ吹く風。気にした様子もなく、淡々と鉄棒を手に壁へと魔法陣を刻み続けていた。


「もう、こんなのじゃ間に合わないかも! あと3分もないのに! 誰か他の人にもお願いしてくる!」


 とうとうラスティは怒って、入り口付近に立っていた私の方へと登ってくる。

 

「あ、エリザちゃん――――と、知らない人」

「ハジメマシテ、レディ」

「えっと、はじめまして……? と、それどころじゃないんだ! お願い助けて、エリザちゃん! あの片目お兄さん、色々と雑すぎるんだよ! 防御することしか頭にないのって感じ!? あれじゃ、防いだ後の二次被害で私たち死んじゃうよ!」

「まぁ、シエンが誰かと共同作業すること自体が難関だったものね。ラスティ、あなたのせいじゃないわ」

「もう無理だよ〜〜〜!」


 そう私に縋りつきながら泣き言を吐くラスティ。

 魔女でも弱音は口にするのね、と無駄な思考が走る。それだけ、シエンとラスティの相性が悪かったということだろうか。まぁ、基本的にサボりたがりのアイツは、真面目なこの子と馬が合わないのは確かだろうけど。


「フム……デハ私ノ部下ヲ貸シマスネ」

 

 私たちのやりとりを側から見守っていた異国の男が、唐突に言った。

 え? と私が返せば、ラスティも気になったのか、男の方へと向く。

 小麦肌の男が異国の言葉で呼びかけると、地下壕の奥から数人の部下たちが登ってきた。徐々に地下壕の影に隠されていた部分が、露わになっていく。

 星の光に照らされ、その全貌が明らかになった部下たちは、誰もが顔に傷をつけており、中には指やら眼球やらを欠損している者まで紛れこんでいる。さらに鍛え上げられた肉体は、筋肉が山のように凹凸しており、胸部なんて見たことがないほど、服が張り裂けそうにさながら着こなしている。

 

 カイデンよりも一回り大きい屈強な男達。それが何故か、ラスティを取り囲みだした。

 巨漢に囲まれたラスティが、固まる。


「ひぇ――――」

「ドウカサレマシタカ? 彼ラガ貴女ヲ手助ケシマス」


 ラスティの身が硬直したのを感じ取ったのか、異国の男は柔和な笑みで語りかけた。悪いけど、私も同じことされたら絶対に硬直するわ。第三者が見れば、強面の巨漢たちが、いたいけな少女を誘拐しに来たようにしか見えないもの。


「き、ききき気持ちは嬉しいけど、そそそそのー、なんだろ、怖い……じゃなくて……殺されそう! とかでもなくて……!!」

「どっちも同じ意味になってるわよ、ラスティ。落ち着きなさい。確かに相手はすごく強面だけど、悪い人じゃないわ。…………多分」

「なら、なんで目を逸らすのかな!? エリザちゃん!? ねぇ、こっち見てよ! 私の代わりにこの人たちに囲まれてよ!!? っていうか、なんで私だけが取り囲まれちゃってるの!?」


 ごめんね、ラスティ。

 私って弱い人間だから、身に余ることからは目を逸らしちゃうのよ……。

 とりあえず、私はラスティを無視して問いかける。


「この人たちも魔法ができるんですか?」

「ハイ。彼ラハ、トテモ優秀ナ魔法工学ノ術師デスヨ」


 ムキぃ……。

 私がラスティを取り囲む彼らを見れば、なぜか他称 魔法工学の術師たちが一斉に筋肉をアピールするようなポージングをした。

 もはや怪奇現象ね。


「へー、魔法工学の術師なんだぁー(棒)」


 …なるほど、それなら魔法陣くらい、私より上手く書けるわよねー(棒)。


 私はラスティに「ガンバッテー、優秀らしいからー(棒)」と告げると、彼女は泣きそうになった瞳を、フードから覗かせていた。そのまま他称 魔法工学の術師たちに胴上げされるラスティ。意味不明な「わーしょしょ、わーしょしょ」という謎の掛け声とともに、地下壕の奥へと運ばれていったのである。


「エリザちゃんのバカあああああああ!」

「……」

 

 悲痛な叫びを聞きながら、私は静かに王国教の祈りを捧げた。









「……さて。そろそろ、やばいわね」


 あれから、さらに少し経って――私は地下壕の入り口から上空を見上げながら、ボソリと呟いた。外に出ていた部下たちも、荷物を運び出していた者も含め、みんな地下壕へと避難は完了している。


 澄んだ夜空には、一つの異様な光景が広がっていた。

 空に浮かぶ炎の凶星。

 ぐんぐんと落ちてきているのか、はたまたずっと肥大化を続けているのか。今では魔力で視力を強化しなくても、くっきりとそれを見ることができた。自然と外気温も上がっており、さっきまで気にもならなかった暑さが、じんわりと肌を刺すような感覚がする。額から頬へ。頬から首筋へと汗が滴る。


「GAO、ギリギリ間に合ったぁ……」


 私が監視を続けていると、報告のため入口まで上がってきたラスティが、ぐったりと倒れ込んできた。

 下の方をちらりと一瞥すれば、あの筋肉ダルマとも言える他称 魔法工学の術師連中が、またもや筋肉をより良く見せるようなポージングをしている。


 ……正直言って、暑苦しいわね。


「残りはここだけだよー、エリザちゃん。あとは他の騎士さんたちも配置についてもらってる」

「ええ、分かったわ。ご苦労様、ラスティ」

「エリザちゃんこそ、ありがと。ずっと入り口で作業しやすいように風とか、光を入れてくれてたもんね?」

「……さあ、何のこと? 私は肉体労働が嫌だから、上で命令してただけよ」


 私はふいっと顎を逸らして呟く。

 照れ隠しにもならないのは分かっているけど、さらっと気を効かしていたことを指摘されると、なぜか条件反射で隠してしまう。私には他人の気遣いが似合わないと自覚してるからかもしれない。

 はぁ……我ながら面倒臭い女だわ。


「うわー、大きいねぇ……もうあんなに膨れてるんだ。5分って言ってたけど、少し長く貯めてるみたいだね」


 ラスティは、そんな私の内心など気づかないのか、横から身を乗り出すと、フードを少しだけ上げて空に浮かぶ炎星を見た。


「じゃあ、ここも閉めて防御魔法張っちゃいましょ。いつ降ってくるか、分かんないしね」

「あ、待って、エリザちゃん。ウォーカーが地下壕の中に見えなかったんだよね。たぶん、まだ外にいるかもしれない」

「ウォーカーが?」


 言われてみれば、確かにウォーカーの姿を見ていない。ずっと入り口に立ってたのだし、ここで待機していれば、普通は一度や二度は見ていると思うけど。


 そう思って外の辺りを探してみると、そいつはいた。

 崩れ落ちた監視塔の瓦礫の上。その頂に立った男が、じぃっと空に浮かぶ炎星を睥睨している。

 

 私はそこまで気がついて、目を見開いた。


「ちょっと、何してんのよ! もう降ってくるわよ!」


 私の叫びがウォーカーに届いたのか、彼はこちらを振り返る。

 表情はいつも通り、平常運転といった顔だった。


「ああ、エリザ。もうそっちは終わったのか? だったら閉めてくれ。そろそろ降ってきそうだ」

「っ――なに言ってんのよ! あなたが入ってないじゃない!」

「俺は地下壕には入らん。だから閉めていい」


 ウォーカーは立ち上がると、なぜか屈伸運動を始め、さらには腕を伸ばすようなストレッチを始めてしまう。今から軽く散歩でも行くかのような立ち振る舞い。思わず、私は絶句してしまった。


 ――上から、ずん、と何かが落ちる音が響く。

 

 咄嗟に見上げてみれば、炎に包まれた巨大な星が、赤く輝きながら徐々に地上へと近づいてきているのが分かった。薄雲をかき分けるように、天から地へと堕ちてきている。私が魔剣を使っても、あそこまでの火力はではしないだろう。まるで燃え盛る太陽の欠片が落ちてくるかのようなその光景。熱気が空気を波打たせ、周囲の温度が次第に上昇していくのが感じられる。

 あれが齎す威力は、シエンの言う通り「この山岳一帯を吹き飛ばす」程度に違いなかった。


「早く来なさい、ウォーカーッ! あんたが外に出てる意味なんてないでしょ!?」

「意味ならある。その地下壕に閉じこもったとして、それは一発耐えたらお終いの防壁だ。魔剣を奪ったサラマンダーは、何度でもこの攻撃を仕掛けられる。そうなれば、次はどう対処する? 結局は誰かが外に残って攻撃を凌ぎ、あいつに真のトドメを刺してやるしかない」

「っ――――、それなら防御結界の中にいたって」


 私がそこまで言うと、さっきまで黙っていたラスティに服を引っ張られた。

 振り返ってみるとラスティが、目を伏せている。フードに隠れてしまっているため、どんな表情かはわからないものの、彼女はそのまま外へ出た。

 出たと言っても、一歩分、外にいるだけだ。

 そこから彼女が、悲しそうな声音でウォーカーに語りかける。


「また、命を天秤にかけてるじゃん」


 ラスティの言葉に、シルヴェスタは一瞬驚いた表情をして体を止めると、ゆっくりと力強く首を横に振る。


「いいや、ラスティ。これは賭けじゃない」

「賭けだよ。もう、ウォーカーの魔力は残りちょっとだ。それじゃ、どうあっても攻撃と防御どっちもは行えない」


 ラスティに虚をつかれたウォーカーは、困ったように頬を掻く。

 

 そうだ。たしかに。ウォーカーは言っていた。

 

 ――『残り2回』――『俺が魔力を十分に寝れる回数だ』と。

 

 私は最初、何の意味かわからなかったけど、ここにきて漸く本当の意味を理解する。彼は追加で魔力を生成できないのだ。だから、あらかじめ生成していた魔力を練って使うしかない。

 サラマンダーの偽心臓を潰すときに、確実に一回は使っていた。

 私は慌てて彼の内在する魔力量を確認する。すると、ラスティの言うとおり、ほとんど魔力が空の状態であることが分かった。


「嘘、でしょ……」


 思わず、口を手で覆った。


 しかし、ウォーカーはそれを大したことでもないような振る舞いで続ける。


「……ラスティ」

「……なに」

「一つお願い事をしてもいいか?」


 ラスティからの返事はない。

 後ろからは、ただ、俯くように頭を下げているように見えた。


「昔から、俺は仕事終わりには甘いものって決めてるんだ……だから、これが終わって村に帰ったら、あの毒蜜巣の紅茶を飲ませてくれ」


 それを告げながらウォーカーはラスティと私の方へと歩み寄ってくる。

 そして彼女の前で止まると、手を差し出した。


「約束だ、ラスティ」

「……一緒に帰るんだよね?」

「ああ、一緒に帰る」

「……また冒険してくれるんだよね?」

「ラスティが望むなら、それも悪くないって思えるようになった」


 ウォーカーは快活に笑うと、膝を折ってラスティの目線に合わせるようにした。きっと、握手でも交わしているのだろう。私の方からでは、ラスティの背中が邪魔をして見えないため、彼らが今、どんな顔で、どんな気持ちで、何をしているのかは明確には分からない。


 ただ、それでも――

 

(ああ、やっぱり……)


 ――それを羨ましいと感じてしまう、卑しい私がいるのに気付かされる。


 

 握手を交わし終えたのだろうラスティは、私の方へと振り返って、地下壕の中へと戻ってきた。目を伏せているせいで見えないが、ボロボロと雫がフードの奥からこぼれ落ちている。

 一度死にかけていた彼が、もう一度、その危険へ身を晒そうとしている。

 遺される側としてはたまったものじゃないだろう。いくらウォーカーが強いと言っても、あの巨撃に耐えられる保証はない。

 しかも、魔力が残り少ない彼は――。


「エリザ、閉めてくれ」


 しかし、まるで不安など感じさせない笑顔で、ウォーカーは告げた。地下壕の入り口は内開きのため、彼からでは閉められない。だからお願いしてきたのだろう。人の気も知らないで。


 今も降ってきている炎星。

 私はウォーカーの言葉に従い、入り口の扉を閉める。


 すると、待機していた魔法工学の術師たちが、一斉に駆け登り、入り口に防御魔法をかけた栓を差し込んだ。

 

 その数秒後。

 

 けたたましい破裂音と共に、地面が激しく揺れ、尽くを蒸発してみせた。

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