43.火竜 最終決戦




「決戦といくわよ、サラマンダー!」


 エリザの怒号とともに、ぴん、と張られていた弦が弾かれる。

 放たれる矢。

 闇夜に照らされた鏃は、鈍い光を反射させながら、暗闇の空を駆け抜ける。今なお、旋回を続けるサラマンダーの胸部目掛けて真っ直ぐに奔ったそれは、ぷすっと可愛らしい音を立てて、サラマンダーの炎の肉体へと呑まれて行った。


「……」

「……」


 カイデンとエリザの間に沈黙が流れる。


 あれだけ意気揚々と矢を番えておきながら、鳴った効果音といえば「ぷす」だ。虫が炎に飛び込んで消えた時と同じような音である。

 

 ぎぎぎ、と首を鳴らしながらカイデンは、もう一度、矢を放った張本人を見つめれば、女はなんともいえない顔で目線を逸らした。


「……まじですかい、お嬢」

「――、わ、私だって、ウォーカーに言われたから、矢を撃ってみただけで! そんないきなりサラマンダーを殺せる威力、出るわけないじゃない! バッカじゃないの!?」

「えー……」


 馬鹿はお嬢でしょ、とカイデンはエリザの鼻白むような言い訳を聞きながら、ぐったりと肩を落とした。


 あれだけ「決戦」などと啖呵を切ったものだから、何か秘策があるのかと思っていた。

 だが、蓋を開けてみたら、ただの苦し紛れの一矢。シエン以外遠距離攻撃ができないメンバーによる、ただの醜い悪あがきだった。

 カイデンは「こりゃ、本格的に終わりか」なんて、匙を投げそうになった時、しかし、サラマンダーの苦痛に歪む咆哮が轟いた。


「――――███◼◼!!!?」

「き、効いてる!? 私、弓の才があったの!?」


 その光景に、なぜか一番驚く弓を放った女エリザ

 カイデンも、まさか、と思いサラマンダーの様子を窺ってみるが、どうもダメージによって苦しんでいるようには見えない。どちらかと言えば、何か毒に侵されたような時のような、そんな苦悶の身じろぎに見えて……。


「手を止めるな、エリザ! もっと魔力を込めて矢を叩き込め!!」


 そんな2人の混乱を切り裂くように、シエンを肩に担いで逃げいてたシルヴェスタが叫ぶ。

 

(なるほど、偽騎士はこうなる事が分かってたわけだ)


 澱みのない指示からは、彼がサラマンダーがこうなることを予見していたことが伝わってきた。

 そして、カイデンは納得する。

 元から底が知れない男だった。これくらいはやってのけても不思議ではない、と。






「お嬢! 理由を考える必要はなさそうだ! たらふく、矢を食わせてやれ!」

「言われなくて、も!」


 額に滲み出る汗を無視し、エリザは3本の矢を一度に番える。

 今、必要なのは狙って射ることではない。とにかく数を撃って、サラマンダーに嫌がらせをすること。彼女の役目はそれなのだと、シルヴェスタから聞かされている。


(一射目は、感覚を掴むための試射……初めて長弓なんて使ったけど、運よく当てることができた……!)

 

 初めて長弓など番えたエリザからすれば、最初は確実に矢を放つという行為を体で感じ取りたかった。

 

 しかし、一発目で当てた。当てれてしまった。 

 であるならば、もう慎重になる必要はない。エリザはすぐさま精密性よりも、速射性と拡散性を選び取った。長弓は速射性には不向きではあるものの、極限まで己を魔力で肉体強化すれば、この程度の離れ技、赤子の手を捻るのと同義である。


「さっさとくたばれ、バケモノ」


 エリザの言葉とともに、もう一度、矢が放たれる。

 今度は3矢。先ほどと変わらない速度で、サラマンダーの脚、翼、鼻先を華麗に撃ち抜く。


 ぷす、ぷす、ぷす、と軽妙な音を奏でながら、全て炎の体へと呑まれる矢。

 だがやはり。


「――――!!!」


 サラマンダーは停空すらままならないと言った様子で、悲痛な鳴き声を天に轟かせる。




 




「おい、どうなっている、偽騎士」

「あ? ……あー、エリザの矢がなんで効いてるかってことか?」


 シエンを担いだまま、ある地点へと走るシルヴェスタが尋ね返す。

 肩に腹を預けような体制のシエンは、後ろで苦しむサラマンダーを見ながら、こくりと頷いた。


「あれは自然の化身だ。いくら、あの娘の魔力と言えど、大したダメージにはならないだろ。現に、矢は心臓に届かず、燃え尽きている」

「まぁな。今のエリザの攻撃じゃ、サラマンダーからすれば虫に刺されたくらいなもんだろう」

「では、何故?」


 そうシエンが問えば、シルヴェスタは少し速度を緩めてから立ち止まり、サラマンダーへと振り返る。


「魔剣だ」

「なに?」

「エリザは魔剣を奪われたと言っているが、それには相応の対価が発生する。魔剣は本来、担い手を選び、それにのみ恩恵を与えるものだ」


 神殿迷宮の時、俺が作った偽魔剣だって、その縛りからは逃れられなかった。正しく真価を発揮したければ、正しく担い手になる必要がある。

 そのために、譲渡という儀式があり、また選定という儀礼があるのだ。

 それらを省略して魔剣を奪おうとすれば、それは本来の担い手ではないと判断され、魔剣がその不当な持ち主へと牙を向く。


「矢は焼かれても、エリザの魔力はサラマンダーの体に残る。そしてそれは、放熱器官として使われている魔剣にまで循環し、本来の持ち主を認識した魔剣は、偽物の主を喰らうために暴走を始める」


 シルヴェスタが手で口を覆いながら、笑う。


「己を内側から食い破られる感覚……何もかも望み奪った獣には、相応しい天罰だぜ」


 果たしてそれは、サラマンダーを見てつぶやいた言葉なのか。

 はたまた、あれを操っていた仇敵への嘲なのか。

 手で顔の半分を覆われているため、シルヴェスタの相貌を覗ける者はいない。けれど、肩に担がれていたシエンだけは、自身に触れるこの男こそ、本当の化け物だと思わざるを得なかった。








 

「カイデン、あっちまで走るわよ!」

「え、ちょ、お嬢! どこ行きやすんで!?」

「ウォーカーに指定されたポイント! サラマンダーをあっちまで誘き寄せるのよ!」


 あのあと、さらに5射もサラマンダーに叩き込んだエリザが、急に踵を返して走り出した。

 確かに、エリザの弓矢でサラマンダーはろくに動けないほどにまで苦しんでいる。しかし、それが長くは持たないとことは、エリザの目でもわかっていた。


 明らかに順応を始めているのだ。

 さっきまで、羽ばたくのすらおぼつかなかったくせに、今ではもう停空自体は危なげなく行えてしまっている。未だ、苦しみの咆哮は上げているものの、それも唸り声のようなものが多くなり、段々と平静さを持つように変化していた。


 このまま畳みかけても効果は薄い。

 エリザの長弓だけでは仕留めきれなかった場合の作戦。そちらに移行するべく、彼女は走っている。


「っ、やっぱ追ってきてくれたわね……!」

「おいおい、まずいんじゃねぇですかい!? 俺はもう限界ですぜ!」

「文句言わず、走りなさい! 死んだって骨くらいは拾ってあげるから!」

「テメーそれでも大隊長か、ゴラァ!? 部下を労わりやがれ!」

「そう言うあんたは、上司をもっと敬え、このコング!!」


 がるるる、とお互いに威嚇をしながらも、仲良く隣り合って走るカイデンとエリザ。後ろには低空飛行へと切り替えたサラマンダーが、速度は遅いものの、追いかけてくる。


「あと、ちょっと……! っ、あそこよ、カイデン!!」

「チッ、焼かれた脚が……クソッタレェ!」


 いくら速度が落ちたからと言っても、飛んでいるサラマンダーの速度のほうが速いに決まっている。エリザとカイデンは、底を尽きそうな体力と魔力を振り絞り、シルヴェスタがつけたであろう目印のある地面へとダイブした。


 すぐ後ろにはサラマンダーの口が迫っていた。

 シルヴェスタがつけた地面へダイブしたとしても、何も起こらなければ、2人はサラマンダーによって食い殺されてしまうことだろう。それだけではなく、炎の体によって燃やされ、最後には肉も骨も全て溶かされてしまうに違いない。


(このまま食べられたら、絶対に化けて出てやるんだから……!)


(クソ、偽騎士がっ! ロクでもねー作戦を立てやがってェ!!)


 2人が同時に内心で毒を吐く。

 サラマンダーの吐息が靴底に掛かり、じりっと燃える。


 胸から腹へと滑るように着地する。

 サラマンダーの影が、着地した2人を覆い隠す。


 これはダメだと2人は振り返る。

 サラマンダーがいよいよ2人の膝先を飲み込もうとすれば――――。


「土遁の術・地手掌」


 そんな呟きとも取れる詠唱が空気を伝えば、カイデンとエリザの間を縫うように3本の手が伸びた。





 

「――――――!!?」


 口を開け差し迫っていたサラマンダーは、その土の手によって打ち上げられていた。まるで毛虫を祓うかのように、軽く、されど嫌悪に満ちた掌底。

 天に瞬く太陽のように、己の飛行能力ではない力で空へと押し上げられた炎の体は、何の抵抗をする暇もなく、ゆっくりと放物線を描く。


「――――」


 刹那、竜の視界に男の姿が映った。

 男は、槍投げのような格好で、長さ180にも及ぶ両手剣を片手で、構えている。その剣は、サラマンダーがこれまで吐いた炎の光に反射して輝き、男の面貌を隠すようだった。


 瞬時に竜は悟る。

 その男――シルヴェスタが何を為そうととしているのか。何を狙っているのか。


 意表をついた反撃を受け、サラマンダーの体は自由が効かない。そもそも、エリザの攻撃により、今なお内側を食い破られるような感覚が、竜の回避行動を阻害し続ける。


 すぐさま羽を動かすことは不可能。

 すぐさま落下することは不可能。

 すぐさま回避することは不可能。


 不可能。不可能。不可能。不可能。不可能。不可能――――。


「――――っ!!!」


 声もなく投げ放たれた剣。

 投げ槍でも、飛矢でも、砲丸でもないくせに。その両手剣はまるで重力というものを知らないのか、真っ直ぐと伸びるように上へ上へ伸びていく。


 まさに流星が地から天へと降るように。

 一瞬でも意識を逸らせば、次の瞬間には体を貫き、通り抜ける速度で。


「――――███◼◼」


 サラマンダーは咄嗟に、己の体を形状変化させた。

 回避行動が取れないのであれば、飛翔することができないのであれば、己の体を蝕む力を利用し、せめても当たる面積を小さくしてやればいい。そのように瞬時に考えた結果だった。


 そして、それは最善の選択でもあった。


 無理やり形状変化させたために、サラマンダーの心臓の位置は僅かにずれ、シルヴェスタの両手剣は、半ば半壊しながら炎の体をすり抜けた。


 サラマンダーは内心でほくそ笑む。

 警戒していた男の渾身の一撃。それを三度にもわたって回避した事実に。


 竜は気づいていた。

 シルヴェスタの魔力に限界があることに。それが残り僅かだということに。それなのに、あの男は失敗した。実に哀れで、醜悪で、悲しい生き物なのだろうかと微笑う。


 それが誰かに与えられた感情なのか、はたまた竜がもつ生来の感情なのかは分からない。だが、ただひたすらに男の失敗が、サラマンダーにとっては歓喜に打ち震えるほど、たまらなく美味しいと思えた。




 ガタン。




 何かの音が聞こえる。空に打ち上げられていたサラマンダーは、目の前で失敗した男を嗤うのに喜びの感情を食べるのに夢中で、そんな些細な問題には気がつかない。


 そう、最善の選択であったのだ。


 竜は己を形状変化させなければ、今頃、シルヴェスタの両手剣に心臓を貫かれていたことだろう。


 しかし、最適な選択ではなかった。


 サラマンダーはもっと注意深くなるべきだった。

 なぜ、シルヴェスタの両手剣が、”半壊しながら”己の体を貫通したのか。

 その事由きちんと考え、吟味し、そして推測して対処するべきだった。


 魔力を伴った攻撃は魔力膜で防ぐしかなく、魔力膜を打ち破るには魔力を伴った攻撃でなければならない。

 それが一般常識。

 けれど、一般常識なだけであって、それが真理ではない。

 魔力は絶大であっても絶対の力ではないのだから。


 実態を伴わない魔力の体。

 それに干渉できるのは、魔力を帯びた物体か、魔法によって具象化されたものだけである。それ以外は、シルヴェスタが攻撃した時のように弾き出されるか、触れただけで体を痛めるように魔力の干渉によって”破壊されるか”の二択である。


 であれば、あの両手剣に魔力は本当に込められていたと誰が証明できよう――――。


「頭上注意だぜ、サラマンダー」

「――――███■■■」


 すり抜けた両手剣なんぞに、最初はなから魔力なんて込められていなかった。最初から、素の身体能力だけで、シルヴェスタはあの凄まじい投擲を可能としていた。


 ならば、狙いは何だったのか?


 サラマンダーにダメージを与えることもない。心臓にも届くはずのない無意味な攻撃だったのか?


 否。それは断じて否である。

 

 今この瞬間、サラマンダーの頭上めがけ、続々と降り注ごうとている塔の残骸。それを作り上げたのは、サラマンダーをすり抜けた両手剣ではないだろうか。


 では、その塔とは何なのか。


 ラスティが言っていた――。

 監視塔には場所を取るほどの魔物避けが施されており、その魔法式は多重構造になっていると。

 ともすれば、その監視塔は魔力でできた巨大な凶器とも言えるのではないだろうか。数多の魔物すら寄せつけないように施された、強力な魔物避けだ。たんまりと魔法式へ魔力が注ぎ込まれていたに違いない。


 そんなものが、両手剣を避けるために装甲を薄くしたサラマンダーへ、遠慮なしに降りかかる。








 瓦礫に埋もれたサラマンダー。

 かなり高さのあった監視塔が、まるまる落ちてきたのだ。あの竜でもただでは済むまい。しかも、自ら体を小さくして、弱点を曝け出すような形状をしていたのだから。


 しかし、それでもサラマンダーを倒すには至らなかった。


「――――██████ ███■■■■■!!!」

 

 瓦礫を弾き飛ばすように、上空へと立ち上がる炎の渦。

 下から這いずって出てきたのは、四足歩行の蜥蜴の姿をしたサラマンダー本体であった。心臓は蜥蜴の口部分に収納されており、それを後生大事そうにしながら、溶かした瓦礫の中を進んでいる。


 ぺちゃん。ぺちゃん。


 溶岩のような肢体が、ことごとくを溶かし進む。

 ドロドロに溶けた炎の顔。今にも崩れそうな体をふらつかせながら、それでもサラマンダーは歩みを止めようとしない。


 そして、目の前に立つ男をサラマンダーは見た。


 銀髪の髪をたなびかせ、静かに得物も持たず、ただ立ち尽くしているだけの男。こちらを見る瞳はとても鋭利で、見る者によっては恐怖さえ覚えそうな眼差し。


 サラマンダーはそいつを見た瞬間、飛びかかった。

 己の全てを賭してでも、この男だけは殺さねばならないと思えた。


 けれど、一閃。

 すれ違うように歩いた男が、拳を振り抜くと、サラマンダーの口の中にあった心臓があっけなく潰される。


 ぐちゃり。


 元は竜の心臓であったそれは、物理的耐久力も、魔力的護りも決して弱くない。それなのに、魔力を込めたシルヴェスタが拳を一度振るっただけで、それは本当に、ただの霞のような儚さで、肉塊へと変じてしまう。


「…………」


 サラマンダーの肉体はどろりと溶けて無くなった。

 最後に残ったのは、地面に残る煤の跡。

 その場に立つのは、ただ1人の男。



 遠くでラックと避難していたラスティが、自身の魔法で作り上げていた防護壁の中から顔を出す。


「GAO、終わったんだね……」


 その言葉が聞こえた時には、すでに山城内の多くが失われた状態であった。

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