40.火竜 総力戦




 サラマンダーが口から吐き出した火の玉は、まるで音速を超えるような速さで放たれた。炎が石の飛ぶ軌道を一瞬で覆い尽くし、騎士たちはその光景に呆然とする。


 次の瞬間、響き渡る轟音――それと、襲い来る熱波――。


 その炎は、一瞬だけ天に熱線の残滓を残し、光の粒子となって消えていく。エリザが振り向いた時には、既にその熱が齎した凄惨な光景が広がっており、思わず目を背けそうになった。


(化け物ね、まったく……)

 

 狙われたのは、投石隊だった。

 一番遠くに配置され、投石機を用いてサラマンダーに攻撃するための部隊。サラマンダーからしてみれば、自己の命を脅かさない、ただ鬱陶しいだけの存在だったにも限らず、だ。


 炎に包まれた騎士たちが、悲鳴を上げながら地面に倒れていくのが見える。他にも、爆風に巻き上げられた騎士が、無残にも空中へ身を晒し、無抵抗のまま地面へと叩きつけられる光景も見えた。


 ある程度、力を付けている騎士は、一命を取り留めているようだが、戦線の復帰は期待できそうにない。さっきの一撃だけで、投石隊が壊滅してしまった事実に、エリザは思わず下唇を噛んだ。


(これまで討伐してきた魔物が、まるで赤子のように思えてくるわね)


 荒れ狂うサラマンダーの猛攻は、まさに死を直感させるほどの厄災だった。山城内にいる総勢50人の騎士を動員させてもまだ、一向に勝利の兆しというものが見えてこない。


 最前線を張っているカイデンも、エリザと同様の気持ちに侵されているのだろう。手と足は止めないものの、さっきから顔色は険しくなる一方だった。時折、重い舌打ちを繰り出してすらいる。


 この場にいるサラマンダーだけが、愉悦の咆哮をあげ、高らかに嗤っていた。




『サラマンダァァァァァァァァァァァァ!!!』




 ――そんな竜の顔が、なんの拍子もなく吹き飛んだ。


 後ろから響いた怒声。そこには壊滅に追い込まれた投石隊しかいないはずの場所から、男の声が響いた時だった。


 エリザも、カイデンも。

 それだけではない、サラマンダーと対峙していた多くの騎士が一斉に後ろへ振り返る。


 そこにいたのは――。



「「ウォーカー/偽騎士!!」」



 ――まぎれもない、上裸のシルヴェスタであった。


 シルヴェスタは自身の何倍も高さのある投石機を、ひとりで操りながら、次の砲丸をセットする。

 そして、狙いを定めると、錘を引いて発射するのではなく、無理やりアーム部分を投げるように振るわせることで、サラマンダーへ追加の投石を成功させた。


 頭部を失ったサラマンダーの腹に、ぽっかりと穴が開く。


 さっきまで、弧を描くような放物線の投射だったはずなのに、シルヴェスタが投石を始めてからというもの、まるで落下するのではなく、撃ち抜くような角度から、砲丸が発射されていた。


「ぼけっとすんな! たたみかけろっ!!」


 シルヴェスタの叱責に、全員がはっとした。


 これまで無かった手応え。

 どれだけ斬りつけようと、どれだけ矢で射ようと、どれだけ石をぶつけようと。まるで、水を殴っているかのように感触が無かったはずの勝利が、いま目の前に転がっているように思える。


 効いているのだ、間違いなく。

 証拠に、シルヴェスタが撃ち抜いた頭部と腹部は、ぽっかりと失われたまま、回復しようとしていない。


 となれば、必然。

 この場にいる第一等騎士の考えは一致した。


「っ、テメーら、ありったけを寄こせ! 出し惜しみなんかしたら、ぶっ殺すぞ!」


「総員、下がって! 加減無しでいくわよ!!」


 カイデンとエリザの叫びが、山城内に木霊する。


 カイデンに命令された第二等騎士らは、反射的にスキルと魔法を使い、多くの強化を彼へと施していく。

 腕力強化、敏捷強化、螳螂之斧、鬼人の祝福、闘気活性etc.

 無駄なんてものは一切ない。

 洗練されたカイエンの部下たちは、まるで最初から役割分担が決められていたように、各員がそれぞれのパラメータを上限まで引き上げていく。


 対して、エリザの命令に従った右翼隊と左翼隊も、すぐさま後退を始めた。

 彼女が持つレーヴァティンは、シルヴェスタも舌を巻くほど、圧倒的な火力を誇る魔剣だ。並みの騎士などと、足並み揃えて使えるものではない。

 全解放すれば、骨も残らず蒸発するだろう。一瞬でも退避が遅れれば、サラマンダーに殺されずとも、エリザによって焼き殺される危険性が大いにあった。

 エリザは自身の立っていた場所から構え、魔剣から後方数十メートルにも及ぶ噴射炎を放出させる。 


「(ここで仕留める!)」


「(余力なんて考えない!)」


「(惨めに死ね、クソ蜥蜴!)」


「(魔剣の劫火に嬲られろ!)」


 阿吽の呼吸ともとれる連携で、カイデンが脚を、エリザが胸を狙うため、それぞれが肉薄する。


 一足で距離を詰めたカイデンは戦斧を肩にかつぐような独特の構えを取り、胸の位置まで炎の推進力で飛んだエリザは、限界まで絞り出した劫火を巧みに操り、その場の空中で一回転した。


「―――悪鬼剛腕!」


「―――炎星・煉獄ソリス・インフェルヌス!」


 カイデンの構えが生み出す、緊張感に満ちた空間。その後の爆発的な動きは、まるで雷鳴のように突如として訪れる。カイデンの戦斧が水平に振り抜かれると、その軌跡からは熱閃のような眩い光が放たれ、サラマンダーの炎の脚を一刀両断にした。


 崩れ落ちるサラマンダーの体。


 その隙に対し、エリザが追撃の機会を逃すはずもない。彼女の動きは一つの流れのように滑らかで、回転の勢いを利用したエリザの巨大な炎の剣は、サラマンダーの右肩から左胸をかけてを駆け抜ける。斬撃の軌跡は、まるで流星のように美しく、見る者の心を大きく揺さぶった。

 


 ――誰がどう見ても、返しようのない損傷ダメージだ。



 サラマンダーは今、頭部を失い、胴体を切り裂かれ、腹には穴が空き、地に立つための脚を奪われている。

 もう戦うこともできなければ、吼えることも叶うまい。

 崩れ行くサラマンダーの体を見て、その傷をつけ当人たちはそう思った。


 その鳴き声を聞くまでは――。



『――▚▜▝▚▅▃▂▁』



 発声されたそれに、エリザもカイデンも驚いた。

 掠れているし、今にも消えそうな鳴き声だ。


 されど、死にかけている生物の声ではない。


 ただ、発声するための器官を失い、声だけがか細くなっているような音。


(ああ、これはヤバい……)


 いち早く、危険性に気が付いたのはエリザである。

 顔もなければ、体もほぼ半ば失われているサラマンダー。けれど、その体から漏れ出ている醜悪な感情とでも表現すればいいだろうか。

 ただただ、人を不快にするような暴力の揺らぎ。

 それは、この世で彼女が最も嫌悪し、恐怖する兄の相貌と重なって見えるようだった。




「――――▖▗▘▙▚▛▜▝▞▟▆▅▃▂▁!!!」




 刹那、サラマンダー崩れかけていた炎の体から、無数の炎が飛び出していく。それらは空中で輝き、流星のように瞬いた。


「(大技の後に、無差別な全体攻撃かいっ! クソが、怯んでたわけじゃねーのか、あのクソ蜥蜴は!?)防御陣形・方円!!」


 斧を振り終わった直後のカイデンは、射程距離外へ逃げることを即座に諦め、部下を呼ぶ。

 参上した部下たちは、カイデンの命令を聞くよりも早く、自らの意思で内側からの防御魔法と、それを閉じ込めるように外で残った部下たちが空牢魔法を重ね掛けした。


 反面、エリザは部下を守るため飛ぶ。経験が浅い者が多く配属され、なによりサラマンダーとの距離が近かった右翼隊の前へと出る。

 そして、レーヴァティンによる劫火の壁を形成し、今からくる攻撃に備え終えれば――――。



 一つ一つの炎の塊が、独自の軌道を描きながら、地上に向かって降り注ぐ。

 空気を切り裂く音を立てて降下した炎は、地面に激突すると、瞬く間に爆発し、広範囲に渡って熱をまき散らす。


 全てが一瞬にして焼けていく。サラマンダーの炎の力が全てを包み込む。

 しかし、その中心のサラマンダーは攻撃を止めることはしなかった。その炎の体は崩れかけながらも、なお力強く燃え続けている。その存在感は、周囲を焼き尽くす炎の海さえも圧倒し、山城内に存在する遍く事象を焼き殺そうとしていた。



 そんな中、部下2人の命を散らせ、防御魔法で張られた障壁の内側にいるカイデンは、降り注ぐ火の雨を睨みながら思う。


(おいおい、精霊に魔力切れなんざ無ぇって聞いたことあるぞ! これじゃジリ貧で死ぬじゃねーか!?)


 また、魔剣の炎により炎の壁を形成し、部下の命を守らんとうするエリザは、苦痛に顔が歪む。


(ふざけんじゃないわよ! 質量攻撃で押し切ろうなんざ、それでも四大精霊 なの!)


 どちらも防戦一方だった。

 攻めに転じれば、その瞬間、体が灰になろうことは容易に想像できてしまう。かといって、このまま攻撃を受け続ける選択も未来がない。無尽蔵に自然から魔力を生成できる精霊に、魔力切れなどという事象は発生しない。あれが肉の鎧を持っていた時であれば、その生物に則った生き方をしていたであろうが、残念なことに、サラマンダーは既に肉体を炎で構成するようになっている。


(どうする?)


(どうする!?)


(一か八か、障壁を解いて吶喊するか?)


(炎の壁をやめて、私だけでも攻めに転じれば、あるいは……!)


 2人がそれぞれ、思考を回し、自身が最善と思える手札を探す。


 片や、機動力が劣るせいで、防御を解除できない男。

 片や、機動力はあるものの、部下の命を一身に背負ってしまっている女。


 されど、そんな彼彼女をあざ笑うかのように、遥か頭上で男の声が響いた。




「――花火にしちゃ、火力調整が雑だなァ、燃えカス!!」




 その男は、声とともに堕ちてきた。

 文字通り、天から地へと、まっすぐ堕ちてきた。


 光を反射する銀色の髪。男の背には、一匹のネズミと、足を怪我したフードの少女が、振り落とされまいとしがみついている。


 落下を利用した、頭上からの突き下ろし。


 まるで雷が地面に落ちるような速さで落下するその攻撃を、避けられるはずもない。ましてや、頭部を失っているサラマンダーでは、シルヴェスタの攻撃すら、認知していない。


 両手剣がサラマンダーに突き刺さる瞬間、時間が止まったかのように、一瞬空気が停止する。

 しかし、それは一瞬の出来事で、すぐに男の剣はサラマンダーの体を貫き、縦に真っ二つに分かつと、そのまま地面へ着地した。


 着地の衝撃で、周囲の空気が震え、地面が揺れる。

 その空気の振動で、降り注いでいた火の雨は霧散し、地で燃え盛っていた大半の炎が消化された。


 しかし、切り裂いたシルヴェスタは、すぐにサラマンダーの体から距離を取る。


「くそが、心臓の位置を咄嗟に変えやがった!」


 すでに泣きそうになっているラックとラスティを地面に置き、シルヴェスタは両手剣を再び構える。

 眼前には、唐竹割りしたにも関わらず、炎の体を再生していくサラマンダーが映った。


「久々の魔力を込めた一撃だってのに……こんな簡単にあしらわれると、いくら俺でも傷つくぜ」

「GAOoooooo……目が、目が回るぅ……」

「ピピ……ピピィ……」

「(ラスティたちも、これ以上は動かせないな)」


 目をぐるぐるとさせながら、地面に倒れこむ一人と一匹を見て、シルヴェスタはそう思う。


 サラマンダーが炎の雨を降らせようとした時。彼はまだ生き残っている近くにいた騎士と、ラスティ、ラックをかき集め、投石機を用いて、空へと打ち上げていた。

 サラマンダーの炎によって確実に殺されるか。それとも木々が生えている方に飛ばして、運よく生き残る可能性に賭けるか。全員に聞いたわけではないが、シルヴェスタは死ぬよりマシだろうという、傍若無人な精神のもと、救助活動を行ったのである。


 ラスティとラックだけは、自分と一緒の投石機で飛んでいるが、そのほかの騎士は別の投石機で飛ばしたため、本当に生きているかは、彼すら確認することはできない。


「にしても……暴れすぎだろ」


 シルヴェスタは、ちらりと炎の雨が降り終わった後の山城内を見た。


 左翼隊と呼ばれていた騎士連中は、半分近くが炎によって殺され、地面の煤と変化している。

 カイデンの中央隊も、2名の犠牲者を出し、エリザが守った右翼隊は、死者は出ていない者の、もともと負傷者が多かったせいか、誰も戦えそうにない。



 だが、この状況下において、まだ戦える者はいる。




「ウォーカー、もう動けるの!? 悪いけど、治療したてであろうと、足引っ張ったら斬るわよ」


「ここにもサボってた奴を見つけたんだ。こっから第二ラウンドとしゃれこもうぜ、偽騎士」


「離せ、カイデン。我はサボってなどいない。ただ、避難していただけだ」


「はぁ~あ……緊張感のきの字もない連中が、運よく生き残ったわけだ」




 第一等騎士エリザ、カイデン、シエン。

 そして微弱ながら魔力を手に入れた、元王国最強の男、シルヴェスタ。


 現状、マトークシ―において、最強の名を欲しいがままにする四人が、今ここに出揃った。

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