37.魔女は泣いて、また立ち上がる




 エリザが外へと逃げ出した瞬間、西倉庫が轟音とともに爆ぜた。


 闇夜に咲く紅蓮の華。目を奪われるほどの赤い炎が、爆発の中心から熱気を伴い広がる。煙が立ち上り、その黒煙は瞬く間に星空を隠していった。爆風によって巻き上げられた破片が空中を舞い、まるで鉄くずの雨となって周囲に降り注ぐ。


 振り返れば、かつてそこにあったはずの建物は、もはや原形を留めていない。木材が飛び散り、鉄骨が曲がりくねり、まるで巨人の手でねじ曲げられたような惨状が広がっていた。炎は生き物のようにうねりながら周囲を舐め尽くし、夜空を赤く染め上げる。


 乱れた呼吸を整えながらその光景を見つめていると、じんわりと汗が背中に伝い、シャツが肌に張り付くのを感じた。


「はぁ……はぁ……危なかった」


 エリザは、ただ茫然とそう呟くことしかできない。

 変体を遂げた火竜サラマンダーは、彼女から見て異質な表情を浮かべていた。

 まるで、あの獰悪な兄を彷彿とさせる下卑た笑み――。

 炎だけで象られたはずの表情は、まさに人を不快にさせるに足る、醜悪さが伴っていた。直視された側としては、たまったものではない。自然と自身の腕が震えていることに、エリザは気が付いた。


「お嬢、無事ですかい?」


 そうして燃える倉庫を眺めていると、彼女よりも早く脱出できていたらしいカイデンが近づいてくる。

 後ろには数人の部下を、すでに引き連れいていた。

 見てみると、全員が第二等騎士の連中である。イドヒの護衛をするカイデンが同行させた、彼の腹心たちだった。カイデンの命令なら、自死すら厭わない。コークシーン騎士団でも有名な連中である。


 エリザはそんな彼らを見ながらも、特になにかを言う気にもなれず「ええ、私はね」と、そう返した。


「それより、ラスティたちは? あなた見てないの?」

「あぁ~~~~……ガキんちょなら見ましたけど」

「?」


 カイデンの妙な言い回しに、エリザは小首をかしげる。

 たしかシルヴェスタがラスティを持って、逃げていたはずだ。ラスティを見ているというのであれば、それを担いでいたウォーカーも当然見ていることになる。


 なのに、ラスティなら、という言い方は、不自然極まりなかった。


「ま、お嬢も見ればわかりますよ。ありゃ、ダメだ」

「なによ、その含みのある言い方は」

「まぁまぁ」


 そう言って、誤魔化すように笑うカイデンを、エリザは半目で睨んだ。


 けれど、ここで無駄な言い合いをしていても、時間の無駄だ。

 今は倉庫が焼けて、そこからサラマンダーが飛び出して来ないから、悠長に話せているが、いつまたあの竜が外に飛び出してくるかも分からない。

 

「とにかく、ラスティを見たなら案内して。サラマンダーが出てくるまで、時間がないかもしれないし」

「放っておいたほうが良いと思いますがねぇ」

「いいから!」


 エリザがそう怒鳴ると、カイデンが肩を竦めてから歩き出す。

 その後ろを、エリザは何も言わずついていった。


 少し歩いて、見覚えのある鉄檻が、飛び散った瓦礫の中に転がっているのが見える。


 その中に、膝を抱え顔を隠すラスティがいた。


「ラスティ……!」


 エリザはカイデンを追い越して、足早に駆け寄る。

 鉄格子を掴み、ぐっと身を乗り出して観察してみれば、鉄檻はところどころひしゃげており、ラスティ自身も、派手に地面で転んだような怪我が見受けられる。膝を抱えている手の甲には、わずかな擦り傷と血が滲み出ていた。


「怪我はあるみたいだけど、大丈夫!? 頭とか打ったなら、すぐに回復魔法を掛けないと――」

「……もういいよ……」

「もういいって……どういうこと、なにがあったの? それに、あなたを運んでたウォーカーは」

「っ」


 エリザがそう言って周りを見渡すと、ラスティがさらに殻へ閉じこもるように強く身を抱き始める。

 ――なにか変だ。

 さすがに不思議に思ったエリザは、ラスティを改めて見つめた。


 そして……。


「泣いてるの、ラスティ……?」

「…………」


 腕とフードの隙間から、ぼろぼろと流れ出る涙を、エリザは見てしまった。


 少し考えればわかったことのはずだ。

 ラスティに付けられた傷。倉庫内にいたときには無かった、不自然な鉄檻の歪み。

 あんなにラスティを守ろうとしていたシルヴェスタが、彼女に傷を負わせるような存外な扱いをしなければいけなかったという事実に。


 だが、エリザは気がつけなかった。

 いや、そもそもそんな可能性を初めから放棄していた。

 なんせ彼はエリザの恐れる最強の兄を、魔力もなしに打ち倒した男だ。自分が逃げられているというのに、彼だけが逃げ切れなかったなどと、考えられるはずもない。


 だが、現実はそこにあった。


「そんな――まさか」

「ッ」


 ラスティの顔があがる。

 くしゃくしゃになった顔。長い髪が顔を覆い、涙で濡れた頬に張り付いている。


 誰からも羨望される魔女。そんな伝説の存在と同じ特徴を持つ少女が、ただ子供のように泣きじゃくることしかできていなかった。


 なんの体裁も、なんの虚偽もない。魔法で隠さなければいけないはずの光瞳すら輝かせながら、大粒の涙を目じりに溜めるラスティを見て、エリザはかける言葉を失くしてしまう。


「さっきからね……ずっと魔力探知で熱源を探してるんだよ……ずっとずっと……ウォーカーは生きてるはずだって、まだ死んでないって……! でも、なんにも引っかからないんだ……!」

「……」


 ラスティの声は震え、喉が詰まるようだった。

 唇は震え、言葉にならない嘆きを繰り返す。


「なんであんなことするの……? 大切な人に会うまで死ねないって、いつもは言うくせに、なんであの時だけ、私に『じゃあな』って言ったの……? 投げられたとき、必死にやめてって言葉にしたんだよ……? それなのに、最後にあんな笑みまで浮かべて……私の命が助かることのほうが、よっぽどうれしいみたいな顔をして……! ずるいよ……そんなの、ずるだよ! たった数日だけのくせに、なんでそんなことできるの!? なんで、なんで、なんでなんでなんで……!」


 ラスティはフードをぎゅと深く被りながら、震える肩を小さく縮めていく。

 

「お願い……答えてよ、ウォーカー……」


 再び、ラスティの涙は堰を切ったように溢れ出していた。彼女の悲痛な叫びは、やがて静かなすすり泣きへと変わり、夜空の下には、深い沈黙が戻った。


 エリザはゆっくりと握っていた鉄格子を離す。 

 カイデンがだめだと言った理由が、すぐに理解できた。

 見れば分かると言われ、本当にその通りになってしまった。


 ぱちぱちと火花が飛ぶ音が、やけにエリザの鼓膜を鮮明に打つ。

 いまだ、夜空には黒煙が覆い、顔に掛かる輻射熱が煩わしく思えた。


 そんな中、後ろからカイデンがやってきて、エリザに呼びかける。


「だから、言ったでしょ、放っておけって」

「……」 

「まぁ幸い、その檻はサラマンダーを閉じ込めてたのと同じ素材でできてますし、そのガキんちょを拘束しておくなら、檻ごと地下壕に放り込んでおけば、万事解決。そう簡単に脱走も、自殺もできま――」

 

 カイデンがそのように熱弁している傍ら、エリザは突然一歩踏み出し、ラスティの入っている檻を斬った。

 炎を纏う魔剣は、鉄格子をバターのようにスムーズに分かち、切断面が赤く輝く。


「……なんの真似ですかい、お嬢」

「見たら分かるでしょ。檻を斬ったのよ」


 エリザはそう言って、魔剣を一度振る。

 鉄檻が派手に切り裂かれたというのに、ラスティは顔をフードで隠したまま、微動だにしなかった。


「カイデン、作戦を変更よ。応援を待たず、速攻であのトカゲを討伐する」

「いやいや、まじですかい? 一時の情に流されて、自分がなにをやっているのかも分からなくなってしまってるんじゃないでしょうね」


 カイデンの言葉に、後ろで付き従っていた第二等騎士らも、ひりついた緊張感を出した。

 ここで、下手なことをしてみろ。この場にいる全員でお前を殺す。

 そのような脅迫が聞こえてきそうなほど、カイデンの眼差しには真剣みをおびているものがある。


 けれど、エリザは一歩も引くことはしない。


「うっさいわね! コークシーン騎士団の大隊長は私よ! いいから、黙って言う事を聞け!」


 それは、エリザが初めて強硬して命令を下した瞬間であった。


 普段はゴーシューの挑発にも冷静を保ち、波風立てずに事を収めることに長けていた彼女だが、この時ばかりは違った。彼女の声には、いつもの押しの弱さがなく、その鋭い調子が場に響き渡る。

 それを聞いた第二等騎士たちは、彼女のこの珍しい厳しさには驚きを隠せず、一様に目を見開いた。


「……自分で何言ってるのか、分かってんのかい、大隊長さん」

「ええ、適切な発言だと思ってるわ、カイデン。文句があるなら、相手をするわよ」


 カイデンが戦斧を握る手に力を込めながら睨むも、エリザは毅然とした態度を貫き通す。


 彼女の碧眼は、本気でカイデンと、その奥にいるゴーシューへ反逆を促すような決意が見て取れた。


 両者、睨みあうこと数秒。


「くく……はは、ははははは!!!」


 突然、カイデンが喉の奥から低い笑い声を漏らし始めた。それは徐々に大きくなり、やがて轟音のような大爆笑へと変わる。彼の笑いは山城内に響き渡り、後ろにいた第二等騎士とエリザは、彼の奇行に怪訝な目を向けた。


「……何がおかしいの?」

「いや、あまりにもお嬢が勇ましかったもんで、ついね……くく、そうですかそうですか。俺たちとやりあう、ねぇ」


 カイデンはそう言って、蓄えた無精髭に触る。


「ん、やめときましょう。今回は素直に従うとしますぜ」

「一応聞くけど、変なこと企んでないでしょうね」

「まさか。ただ、今のあんたになら、ちょっとついていきたくなっただけですよ」


 カイデンはそれだけを言うと、他の騎士を連れて焼ける倉庫のほうへと歩いていく。

 本気で、サラマンダーと戦ってくれるらしい。

 エリザはそんな彼の後ろ姿を眺めながら、今もなお、殻に閉じこもるように縮こまったラスティへ話しかける。


「ごめん、こんな時に言うのもつらいだろうけど、それでも言わせて」

「……」


 ラスティからの返事はない。

 それでもエリザは続ける。


「ラスティ、あなたの気持ち、少し分かる……私だって信じられないもの……でもね、あいつはきっとラスティがそうしていることを望んでないと思う。立ち向かうにしろ、逃げるにしろ、あなたがそうやって彼の死を悲しんで、身動きもせず、ただただ殺されるのを待つようにしていること、きっと望んじゃいない」


 どの口が言うのだ。

 エリザは自虐的な笑みを浮かべ、そう思った。

 シルヴェスタと出会ったのは、昨日が初めてだった。彼のことをよく知っているのは、間違いなくラスティのほうである。


 それなのに、上から知ったような口を利く。

 醜いにもほどがある説教だ。


 けれど、それと同じくらい、エリザには確信にも近いものがあった。

 獄舎のような工業棟で見た、彼の怒った顔。それだけ怒れるほど、あの兄を憎み、そしてその先にある目標へとひたむきに邁進する姿勢。


 そんな彼が――。


「ねぇ、そうでしょ? だって、大事な目的を捨ててでも、命をなげうってでも、あなたを救いたかったんだから」

「っ」

「だから、どうか……生きることを諦めないで」


 シルヴェスタが最後に願ったことは分からない。

 けれど、そんな願いがあったことは、きっと、たとえ付き合った日数が短くても、間違っていないのだとエリザは思えた。









 エリザが最後の言葉を残し、その場を発ってから少し時間が立った。

 今も、原形をとどめていない倉庫は燃え、あたりに鉄くずや燃えた木材が散乱している。

 焦げた臭いと、サラマンダーによって吹く魔力の風は、訓練されていない者からすれば、即座に気分を悪くさせるような極めて厳しい環境だろう。


 そんな状況の中、身を丸くしていたラスティに、ちょんちょんと何者かが指をつつく。


 首をあげる気力もない。

 今のラスティには、周りのことなどどうでもよく、全ての情報が鬱陶しいとすら思えている。


 ただ、それでも。

 最後にエリザから掛けられた言葉だけは、何度も反芻するように思考にこびりついていた。


「ウォーカーの、ばか……」

「ピィ」

「……はは、幻聴まで聞こえてきたかも……なんで、ラックの声なんて……」

「ピピィ……あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!」


 びくん、とその叫びに肩をはねあげるラスティ。

 至近距離で、聞き覚えのある野太い叫びが聞こえれば、流石に今のラスティでも、驚きで体を条件反射させてしまう。


 その勢いで、ラスティは上げる気力もなかった顔をあげ、横を見た。見てしまった。


「GAO、なん、で……なんでラックが、こんなとこに?」

「ピピィ、ピピ、ピピピ!!」

「え、私の背嚢の中に入ってたの……? 全然、気づかなかった」


 ラスティはそう言って、再び膝を抱える。


「でも、ごめん、ラック……オヤジにも謝っておいて。私、もう帰る気がないんだ」

「ピピ?」

「無理だよ……こんな気持ちで帰れるほど、私だって強くないんだよ?」


 ラスティはそう言いながら、また視界がぼやけるのが分かった。


「初めてだったんだぁ……誰かと冒険するの。ずっと楽しみにしてたんだ……でも、それもまだ伝えられず……神殿迷宮で、楽しかったか聞いてって言ったのにね……?」

「ピピィ」

「慰めてくれるの……? 優しいね、流石、男の子だよ……」


 ラスティはそう言って、ラックを見て、撫でようとした。

 と、そこでようやく気が付く。

 この小さいネズミの体に、なにかが巻き付けられていることを。よくよく見てみれば、ひも状のものをたすき掛けして、何かを背負っていた。


「これって……もしかして、私の杖? ここまで持ってきてくれたの?」

「ピピ、ピピピっ、ピピィ」

「ウォーカーからの頼み……? いつの間に、そんなに仲良くなったの……」


 ラスティはそう言われて、ラックから杖を受け取る。

 もう要らないと思っていても、これだけは手放すわけにはいかないから。

 でも、まだ受け取ってほしいものがあるのか、ラックはほっぺに貯めていたナニカを吐き出した。


「ピピ」

「……これも私に?」

「ピィ」


 ラスティはラックからそれを受け取る。

 見たところ、片手サイズの石ころだ。

 こんなもの渡されてもな、そう思いながらラスティが裏を見たときである。


「……っ……! GAOH……卑怯すぎるよ、こんなの……」

「ピィ?」

「ウォ……ウォーカーが、ね……これ使って……ラスティだけでもっ、逃げろって」


 またぽろぽろと流れ出したせいで、視界が洪水のようだ。

 ろくにウォーカーが石に彫った、メッセージも読めそうにない。

 なんどもなんどもこぼれる涙に蓋をするように手で拭うも、それでも一向に涙は止まってくれない。


 ラスティだけでも、生きろ。


 そう簡潔に書かれた言葉は、きっとイドヒに捕まったラスティへの最終メッセージのつもりだったのだろう。あの場で、自分がどうなっても、ラスティだけは無事でいてほしい。

 なんて、わがままな願いだろうか。

 なんて、自分勝手なエゴだろうか。

 それが他人を傷つけるとも知らず。


「やっぱり……っウォーカーは、デリカシーがない、ねっ……! こんなの渡されてもっ……私が、逃げられるわけ、ないって……分からないん……だもんなぁ……!」


 そう言って、ラスティは立ち上がる。

 そうだ、逃げられるわけがない。

 死ねるはずもない。

 まだ、シルヴェスタの死体を見たわけでもないのに、なぜこんなところであきらめがつけるのか。


 ラスティは杖に魔力を充填し、すすり泣きながらも、呼吸を整えていく。


「……ごめん、ラック。やっぱり、私は帰れないよ」

「ピィ?」

「あのバカを連れてかなきゃ、冒険は退屈だからね?」


 そう言って、泣きながら笑った魔女は、エリザたちがいるところへと歩き出した。


 一歩、また一歩。

 倉庫へ近づいていく。


 そうして初めて、ずっと続けていた魔力探知か、希望の熱源を捉えた。

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