35.さよなら、騎士団総長!元気でな!




【数時間前】


「ダメよ。そんな作戦には乗れないわ」

「GAO!? なんで!?」


 エリザにあてがわれた自室で、ラスティは驚きの声を上げた。

 外では未だ、火竜が暴れているらしく、騎士たちの世話しない怒号が行き交っているのが分かる。


 そんな中でも、エリザは、なんとか息を整えつつラスティを見た。


「いい? あなたの言う、そのユペロプス……」

「違うよ、ユペロホスだよ」

「……そのユペロホス・サウザング」

「だから違うってぇ! ユペロホス・サウマシオス・ディアソシ大作戦だよ!」

「あぁもう、作戦名なんてどうでもいいわよ!! ていうか、何語よ、これ!!」


 エリザは布団に置かれていた枕を地面に叩きつける。

 ラスティは「せっかく、かっこいい作戦名だったのに……」と、自身の絶望的なまでにないネーミングセンスを棚上げしていた。流石は、シルヴェスタの壊滅的な剣名にツッコミを入れない魔女である。

 エリザはラスティを見ながら、「闘鶏の鶏主にでもなれば、売れそうね」とどうでもいいことを、一瞬だけ考えた。


「こほん。とにかく、ラスティが魔女っていうのは分かったし、私としても疑う余地もないわ。でもね――いいえ、だからこそ、あなたを餌にする作戦には乗れないの」


 エリザはそう言うと、部屋の隅に置いていた荷物の側に寄り、そこを漁り始める。

 見つけ出したのは、ラスティから徴収していた背嚢であった。

 それを持ち上げようと手にかけたエリザは、しかし想像よりも重かったためか、一瞬かくんと体を沈ませた。なんとか持ち上げ直したエリザは、「何が入ってんの、これ」と言いながら、ラスティの許に降ろす。


「さあ、あなただけでも逃げて……お兄さん――ウォーカーの方は、私がなんとかしてみるから」

「…………」


 ラスティは差し出された自分の背嚢を見つめながら、押し黙る。

 ここで引き下がることに、納得がいかないのだろう。彼女はフードの奥で口を尖らせて、子供のようにもじもじとしている。

 エリザもそのやるせない気持ちだけは、十分に理解できていた。

 

 けれど、ラスティが提案してきた作戦はダメだ。絶対に認めてはいけない。そう思う気持ちも、エリザの中では非常に強い。

 あの兄の前にわざわざ身を晒しに行くなど、死ぬよりも恐ろしいことだ。そもそも、作戦成功の前提が博打すぎる。エリザは金を賭けるような、お遊びの博打は好きでも、命が掛かっているような本気の博打は好きではない。


 それでもラスティは引き下がるつもりがないのか。

 

「……エリザちゃん」

「……なに」

「エリザちゃんは怖いんだよね、そのイドヒって人のこと」

「っ――――」


 真っ直ぐに、隠すこともなく、真正面から切り込まれたその質問に、エリザは「……そうよ」と答えることしかできなかった。

 自分でもわかりきっていることではあるが、それを改めて他人から告げられるのとでは、大きく違う。


 だけれど、ラスティは気にした様子もなく、返された背嚢を踏んづけてエリザと同じ視線まで登った。


「よかったぁー……なら、やっぱり大丈夫だね。私も怖かったけど、エリザちゃんも怖いなら、これで半分こできる!」

「いや、意味わかんないんだけど……何よ、半分こって」


 エリザがそう問いかけると、ラスティは顎に指を当てた。

 

「GAOH……ほら、立ち向かうのってすごく怖いでしょ? でも、隣で同じくらいか、それ以上ビビってる人みたら、妙に落ち着いたりしない?」

「それは……あるけれど」

「でしょ? ウォーカーも多分怖がってる。でも、誰かと一緒なら、少しだけ前向きに、諦めず、頑張ってみようかなって思える」


 ラスティはエリザの手を取り続ける。


「お願い、エリザちゃん。私と一緒に怖がってください」


 フードの奥で揺らめく光瞳では、いったいどのように世界は見えているのか。

 もはや、エリザの前では隠す必要もなくなったラスティの魔女としての特徴。それが向けられたエリザは、目を外したくても、外せないような不思議な魅力に取り憑かれた感覚になる。


 だから、エリザは問いかけるほかなかった。


「……なんで、そこまで立ち向かおうとできるの? あなたも、あのウォーカーって人も」


 ただただ、彼女にとって純粋な疑問だった。

 あのイドヒを知っていると言うことは、もちろん、その恐ろしさも知っていると言うことだ。

 過去に何をされたか分からないが、かなり手痛いことをされているのは、エリザにも想像に難くない。でなければ、あそこまで人は憤怒に塗れた顔をすることはできないだろう。喉から血を吐きそうなほど、あの時のシルヴェスタは怒りを滾らせていた。

 ラスティは、そんなエリザの呟きを聞いて、小さく返す。


「ウォーカーが立ち向かえる理由は知らないけど、私が今回頑張れる理由は簡単だよ。……知ってるんだ、私」

「知っている……? 何を知っているの」


 唇から漏れた言葉に、ラスティは大きな瞳の中で泳ぐ光を揺蕩わせながら答える。

 

「ウォーカーが、絶対に負けないってことだよ」


 そう言った魔女の光瞳に、一切の影はなく。

 あまねく闇を呑んでしまほうど眩いそれは、ただエリザを吸い込むように見つめていた。


 やっぱり不思議な目だ。

 さっきまでエリザの体は、恐怖で小刻みに震えていたのに、それが嘘のように取れている。

 手から伝わる温かみのおかげなのか、はたまた、あのイドヒよりも、この魔女の方が――――。


「……分かった。ラスティの作戦に乗ってあげる」

「GAO! ホント!?」

「ただし、条件があるわ!」


 エリザはそう不完全な笑みを浮かべながら告げた。

 博打だ。成功するかどうかなんて分からない。

 大粒の汗と、妙な痙攣を起こす頬を引き攣らせながら、エリザはその条件を語った。




◼️




 回想から戻り、現在。

 山城にある西倉庫内にて――。

 

「さぁ、とことん踊れ、愚妹。私のために命を燃やせ」

 

 イドヒにそう告げられたエリザは、自身の持つ魔剣から、劫火の炎を際限なく放出させた。

 倉庫内は熱気に包まれ、古びた油に引火したのか、小さい爆発を起こす音も聞こえる。

 エリザと対峙するシルヴェスタは、そんな光景を手錠をかけられたまま見ながら、小さく身構えた。


「……やべーな」


 ゴクリと小さく喉を鳴らす。

 

 剣術と極小範囲内での魔力操作を使ってきたイドヒとは違い、エリザは最初から魔剣の力を解放している状態だ。

 今のシルヴェスタでは、攻撃を受け止めることもできなければ、避けることも難しい。エリザを包むようにして燃える炎は、まさにシルヴェスタにとっては、死を招く熱と言えるだろう。


るってんなら、こっちもる気でいくが……できれば、あんたとは戦いたくねーな」

「……ぅ…………ぃ……」

 

 シルヴェスタがそう嘆願してみるも、目の前で立つエリザからは返答が来ない。何かをぶつぶつと口にしながら、彼女は魔剣を構えたまま、動きは止まってしまっている。


 キャットウォークで見ていた騎士たちも、どうしたらいいのか分からず混乱状態にあるようだ。

 カイデンに付き従っている一部の精兵も、シルヴェスタとエリザの動きをくまなく観察している。漁夫の利を狙うつもりなのか。それとも、襲われれば自己防衛するとはいえ、大隊長である彼女を積極的に傷つけたくないのか。意図は分からないが、今すぐに手を出してくる感じではない。

 エリザに命令を下したイドヒに至っては、胸ポケットを弄りながら高みの見物に耽っていた。


 どうしたものか。そうシルヴェスタが頭を悩まし続けていると――。


「…ぃ……を………げよ!!」

「いきなりかよ!!」


 ――突然、エリザが構えから、突進へと動きを切り替えた。

 魔剣を上段で振り上げ、大きく左足で踏み込んでいる。


 地面を踏み抜く音が倉庫内に響き、炎がそれに合わせて一層激しく燃えた。

 今のシルヴェスタにとって、まさに超高火力の魔法を持つ相手は天敵だ。彼がどんな小細工や搦手を使おうとも、相手はただ純粋な暴力だけで悉くを捩じ伏せてしまう。


(今は避けに徹するしかねぇ!! 踏み込み一歩! これなら、たいした距離は詰められん!)

 

 シルヴェスタはなんとか初撃を外させるため、エリザの踏み込みから突進できる距離を推測し、それに合わせて後ろへ飛び退こうとする。

 しかし、炎の噴出を利用したエリザは、その推測を容易に裏切ってみせた。


うんまっ!!?)


 魔剣について知見のあるシルヴェスタからしてみれば、エリザの熟練度は舌を巻くほどだ。素直に脅威として認識できる。

 飛び退くのが間に合いそうにないと判断したシルヴェスタは、すぐさま自身の重心を崩して、剣を躱す。ちりちりと、髪の毛の数本が魔剣から放出された熱で焦げた。鼻先ギリギリを掠めたせいで、顔も長時間日光に焼かれたような熱さを感じる。


(一旦距離を――――!)


 このまま近距離で切り結んでいたら、自分の体が炭と灰になってしまう。

 そう判断したシルヴェスタは、重心を崩した時の足運びを応用し、特殊な歩法で距離を取ろうとするものの、エリザは無理やり炎の推進力を使って、追い縋ろうとしてくる。


「まじかよ、あんた!!」

「……ぇ、……ぁぃ……」


 このままでは、いよいよ本気で殺しあうしかない。

 シルヴェスタがそう覚悟を決めた時だ――。


「遅すぎよ……」


 ――そう呟いたエリザは、俺に微笑みをこぼすと、いきなり倒れた。

 

「……え?」


 シルヴェスタの素っ頓狂な声が響く。何が起こったのか理解が追いつかなかった。

 彼女が倒れたことにより、魔剣から放出されていた炎も綺麗に霧散してしまっている。焼けた匂いだけが充満し、いやにからっとした熱波も、次第に山の寒さによって冷まされていった。

 

 エリザがいきなり襲いかかってきたと思ったら、たった一撃放った後、そのまま地面へと接吻した。

 一連の流れを説明してみたが、シルヴェスタも訳がわからない。それ以上、なにかを説明しろと言われても、シルヴェスタから見た光景だけでは、それ以上の情報は存在しなかった。

 つまり、何もない所で転んだように、エリザはぶっ倒れたのである。


「……」

「……」

「……」


 流石の光景に、上から見ていたカイデンも、混乱していた騎士たちも、はたまた余裕綽々の笑みを浮かべていたイドヒですら、言葉を失ったように沈黙する。


 しかし、鉄檻の中でただ1人。エリザがこうなることを、予め分かっていた少女は、フードを被った頭を抱え丸まっていた。


「ご、ご、ごめん〜〜〜……! ちょっと魔法発動を遅くしすぎたかも……!」


 まぁ、この泣き言を聞けば、説明なんぞ不要であろう。

 鉄檻の中、小さく身を屈めながら、誰にも聞こえない声量で謝罪をする娘。

 そう、エリザが倒れたのは、ラスティの仕業であった。



 ――『GAO? 条件?』

 ――『そう、条件よ。あなたの言う通り、本当にウォーカーが勝つようなことがあれば、私を行動不能にしてほしいの』

 ――『んー、なんで、そんなことをするの? ウォーカーが勝ったら、それで一件落着な気がするけど』

 ――『甘いわね、ラスティ。ほぼ確実に、いいえ絶対と言える確率で、あの兄は周りの騎士を扇動させ、ウォーカー1人を殺させようとするわ。何より敗北を嫌う生き汚い人だもの……きっと、兄の前に立った私は、その命令を拒否できない。死んでも嫌だけどね、私、最後には従ってしまうようにされてるのよ……』

 ――『だから、第三者の手で失神させてほしい……そう言うことだね』

 ――『ええ。だから、あなたがそれをできないって言うなら、この作戦はやっぱり無しに』

 ――『GAO、分かった。やろう!』

 ――『えぇ!? そんな簡単に……私、結構な無理を言ってるわよ!? 杖も何も持たせてあげれないんだからね!?』

 ――『平気平気、まっかせて! 私こう見えて、魔法の工程変換は得意なんだから!』

 


(頸に、魔法陣……? ……これ、ラスティの仕業か!)


 シルヴェスタは、倒れ込んだエリザの頸を見て、ようやく状況を理解する。

 エリザがラスティと結託し、何かを企んでいるような感じはしていたが、まさかこうなることを見込んで、あらかじめ魔法の起動陣を施していたとは……流石のシルヴェスタも、エリザたちの荒唐無稽な作戦は予期していなかった。


(と言うことは、さっきエリザが呟いていたのは、この魔法陣を起動させるための詠唱……? いや、それにしては、あまりに長かかったような……)


 そう疑問に思うものの、ひとまず何も起きなかったのだから良いか、とシルヴェスタは思考を打ち止めにする。

 実は、エリザが呟いていたのは、ラスティが掛けた魔法があまりにも痛かったためにくる、泣き言だったりする。逆に、あの痛みのおかげで、体の動きを鈍くさせることに成功させていた。


(今はそれよりも、か)


 そう思い、シルヴェスタは倒れたエリザを綺麗に寝かし直すと、イドヒを睨んだ。

 

 これでイドヒに味方するものは、現状誰もいなくなった。

 カイデンが謀反まがいのことを起こしたせいで、他の騎士たちは、この戦いに参入して来ず。

 また、唯一イドヒの味方をしてくれる(正確にはさせられる)妹のエリザは、ある魔女との作戦で、自ら気を失うことにより、それを回避してみせた。


 望んでいた展開が、シルヴェスタの目の前に転がり込んだことになる。

 つまり、合法的にイドヒを叩きのめせるチャンスということだ。

 

「つくづく使えん愚妹だな……まぁ、特に期待もしていなかったが」

「負け惜しみかよ、イドヒ。勝負から逃げた弱虫ってのは、負け犬根性が板につくのも早いのか?」

「黙れ、クズが。私は逃げてもいなければ、負けてもいない。世迷言を吐くには、いささか道化不足だ」


 イドヒは呆れ返ったように、シルヴェスタを見た。

 笑みを浮かばせてはいないが、まだその高圧的な態度からは余裕が見て取れる。

 決して、追い込まれた獲物のような立ち振る舞いではない。どちらかといえば、断頭台に送られる死刑囚を眺めるような、そんな好奇心と残虐性の入り混じった瞳で、シルヴェスタたちを見つめている。


「……あぁ、認めよう。ここまで総長である私をコケにしたのは、貴様らで初めてだ。見せかけだけのクズ……犬にも劣る愚鈍な妹……脳みそが足りていない地方のサル……どいつもこいつも、私の予想を超えた阿呆ばかりだ」


 イドヒはゆっくりと弄っていた胸ポケットから、ある物を取り出す。

 シルヴェスタがイドヒと対峙した時、何か仕舞っているのを見抜いていたアレ。考える必要はないと、早々に切り捨てたものを、イドヒは勿体ぶったような素振りで取り出してきた。


「いいだろう。貴様らの生きる価値はないと私が認めてやる。故に死ね。貴様ら全員、ここで皆殺しだ」

「……笛?」


 シルヴェスタがそう発した時だ。イドヒに向かって、横に何かが通り抜けたのを感じた。


「フッ――――」

「っ、シエン!」

「分かっている」


 イドヒが鼻で笑うと同時、さっきまで沈黙を守っていたカイデンが、鉄格子に身を乗り出し叫んだ。


 物陰から飛び出し、シルヴェスタの横を通ったのは、紫の長髪が特徴的な男。

 さも、空中を走るような速さで、その男――シエンは、イドヒに向かって飛びかかる。シエンの手には複数本の巻物スクロールが指で握られていた。

 

「クハハハ、やはり狙ってきたか。分かっていたよ、貴様らサルの狙いなんぞ、最初からな」

「――――もしや」

火竜サラマンダーを手繰る初代国王の聖遺物――――否、正確にはどんな聖遺物かは分からなかったのだろう。ただ、あのゴーシューという男は、騎士団総長に与えられる、その超抜したマジックアイテムを、最初はなから狙っていたのだろう!?」


 嘲笑ったイドヒは、飛びかかってきたシエンに剣を向けるわけでもなく、笛を突き出したまま立ち尽くす。それを好機と思えたのか、シエンは握っていた複数のスクロールを広げると、イドヒの体に巻き付け、背後に着地した。


「だが残念だったな、サルども。見透かされているものは作戦とは言わん。もはや、この土地も貴様らも、皆殺しは船を降りた時から決めていたことだ」

「おいおい、なんかマズイぞ! シエン早く魔法を完了させろ!!」

「……術式、作動」


 イドヒの淡々とした呟きをよそに、シエンはスクロールに刻まれた魔法を発動させる。

 予め、魔力と術式を溜め込んでおくことで、使用者の任意のタイミングで発動できる魔法技術。スクロールの元となる素材によって、保持できる術式の内容や、魔力の多さは変わるが、このスクロールはフリーディ山脈に生息するあらゆる魔物の皮を使い、実験し、シエンが手心込めて作ったものである。

 Aランク詠唱師が見たとしても、喉から手が出るほど欲されるそれは、たった広げ、呪文を紡ぐという工程だけで、長距離転送魔法の起動を実現させていた。


「くっそ、なんかよく分からんが、ヤバそうな雰囲気だ!」


 シルヴェスタはイドヒが捕まった瞬間に、決着をつけることを諦めていた。

 下手な介入が入ってしまった以上、無理を押し通す必要もない。

 シルヴェスタは気絶しているエリザを背負って走り、鉄檻に囚われているラスティの元へと走った。


「GAOooo……なんか、魔力酔いしてきたかも……うぷ」

「ラスティ、大丈夫か!? って、うお、吐いてる!!?」 

「き”も”ち”わ”る”い”……!」


 若干、乙女としてはぶち撒けては行けなさそうなものを垂らしながら、ラスティは蹲っていた。

 シルヴェスタは慌てて、鉄格子の隙間から手を伸ばし、ラスティの背中を丁寧にさすってやる。


 その間も、イドヒとシエン、それを見守るカイデンのやり取りは続いている。


「くっ!」

「おい、シエン! まだ、転送魔法は完了しないのか!?」

「やっている! だが、この男! 自身の魔力操作だけで、妨害を……!!」

「……は栄光を……には勇気を……祖は導き手に委ね、身を投ぜしは獅子の穴……」

「ああー、くっそ! まっずいことが、起こるな、こりゃ……だから俺は嫌だったんだ。旦那、まじで恨みますぜ、こんな仕事!!」


 魔力の暴風が吹き荒れる。大気を蹂躙し、地を揺るがす。

 イドヒの手に収められた笛は青白く光り、誰が見ても神秘的な輝きを伴って、その全貌を露わにする。

 手のひらよりも小さかった筈の笛。それが人の腕と同じほどの大きさに変容している。

 カイデンはそれを見て、側に置いてあった戦斧を握ると、イドヒの腕を両断するべくキャットウォークから飛び降りた。


 けれど、もう遅い。


「……は伝えられた。我が意は遂げられた……終焉は訪れ、ミツ首の輪は破却される」


 イドヒの詠唱と共に、砕け散る笛の聖遺物。

 それと同時、イドヒの腕は転送魔法によって消滅を開始していた。


 故に、カイデンの戦斧は切り裂くものを見失い、地面へと叩きつけられる。

 

「さらばだ、サルども。精々、私の火竜と仲良くしてやってくれ」

「こんのっ」


 イドヒの言葉を皮切りに、倉庫の外から徐々に轟音が近づいてくる。その音はまるで、大地が揺れるような重々しい足音であり、不思議な熱気を運んでくるかのようだった。


「私は、安全な地で、貴様らの死体を探させるとしよう」


 完全に転送魔法によって消えるイドヒ。

 きっと、魔力操作により、ある程度の行き先も調節されているに違いない。一度発動してしまえば、キャンセルが効かないのが、スクロールの弱点でもある。


 イドヒによって取り残された騎士は、時が止まったように立ち尽くすことしかできなかった。

 心臓の鼓動が早まり、胸の奥がざわめく。何かしなければいけないはずなのに、その何かが分からない。死の恐怖が差し迫っていることだけを直観した彼らは、いつもできていた思考すらできないほど、追い込まれたように固まってしまっている。

 

「ぼけっとすんな!! 総員、退避!! 退避ぃ!!!!」


 カイデンの叫びがとどろいた瞬間、

 倉庫の一角が、巨大な炎によって消し飛んだ。

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