33.静まり返った劇場





 ――魔力膜とは何ですか?


 ある魔女は言う。

「GAO? 魔力膜? んー、簡単に言うと、見えない鎧みたいなものかなー」


 また、ある元騎士は決めつける。

「そりゃー、あんた、生存証明を強化するための技巧だろ」


 ある女騎士は思考を放棄させ。

「知らないわ。考えたこともないし。え? 真面目に答えろ? んー……じゃあ、魔法に対抗するための防御手段」


 ある糸目の男が静かに答える。

「そうですねぇ。確かに魔法に耐性をつけるという意味でも使われますが、意外と魔力膜の働きはシンプルなものです。私たちの心に、ストレスから守るための防衛機制が備わっているように、肉体にもそう言ったものが存在します。脊髄反射、防衛体力、外界からの適応……その中でも、外表を強くすることに特化した技術を、私たちは魔力膜と呼んで使っているんですよ」









「かはっ、こほっ」


 イドヒが崩れていた。

 地面に両手をつき、さっきまで見下していたはずの男に、今度は逆に見下されている。


 ありえないことだ。

 否、ありえてはいけないことが起こっている。


 さっきまで歓声をあげていたギャラリーは、誰一人として声をあげない。

 そればかりか、先ほどのひと交わりに、何が起こったのかを分析するので精一杯といった様子である。

 

「どういうことだ? 何が起こった?」「見えたか、お前?」「いや、わからん。総長様が勝手に崩れたようにしか……」「バカ、狡だだ、狡」「はぁ、じゃあ何をしたか分かるのか、お前?」


 困惑と理解不能さでギャラリーが頭を悩ませているとき、ここにも信じがたいものを見たといわんばかり目を見開いている少女がいた。

 イドヒの妹、エリザである。


「うそ……」


 思わずエリザは、そう呟いていた。ラスティから衝撃のカミングアウトをされたとき以上の驚愕である。

 自身の常識をひっくり返されたような。まるで今まで生きていた世界が偽物だったかのような、そんな真事実を突きつけられたに等しい感情の揺さぶりであった。


 彼女の兄が倒されたことも十分信じがたい光景に入るのだが、それ以上に、やはり魔力が生成できていない人間が、魔力膜を張った者を倒せるとは思いもしなかった。


 エリザは、一人だけこの光景を予見していた魔女を思わず見る。

 すると彼女も、エリザに見られているのが分かったのか、炎に包まれた鉄檻の中で、苦しそうにしながらも笑う。


「にしし、言ったでしょ、ウォーカーは絶対に負けないって」

「ラスティ……こうなることが、最初から分かってたの?」


 思わず、魔剣から出していた炎を解除する。

 ラスティは「うぉ」と驚きながらも、自身の喉の調子を確認するように揉んだ。思わず、その痛々しい所作に後ろめたさを感じたエリザは、目線をラスティから逸らす。


「分かってたのは、ウォーカーが絶対に負けないってことだけだよ」


 ラスティはそう言ってフードを少しだけ上げた。


「ウォーカーの強さはね、魔力でもなければ、スキルでも、肉体の強さでもないんだと思う」


 彼女の言葉にエリザは耳を傾けるしかなかった。

 ラスティの声音からは、シルヴェスタへの深い理解と敬意が宿っているように思える。


「何かを失っても、あるもので補う。失ったからこそ、その真価をし見極め対処する。魔力をは持たないから強いんじゃない。たとえ失ったとしても、それでも歩みを止めようとしないからこそ、ウォーカーは強いままなんだ」


 そう言ったラスティとともに、エリザは今もまだ油断なく佇むシルヴェスタを見た。


「GAOH……まぁ、さすがに一撃でノックアウトさせるとは思ってなかったけどね」

「強いのね、あいつ……私とは似ても似つかないわ」

「そう? エリザちゃんも強いと思うけどなぁ……なんせ、私の無茶に付き合ってくれてるんだもん」

「……こういうやり方でしか、反抗できないだけよ……」


 ぐっと自身を抱くように、エリザは愛剣を持つ右腕を左手で強く握った。

 エリザの体はまだ、震えている。

 決して喜びに打ち震えているわけではない。決して感激からくるものでもない。

 彼女の震えは、いまだ恐怖によるものだった。


「なるほどなぁ、それがあの偽騎士の強さってことですかい」

「っ、カイデン!?」

「GAO!? 糸目の人といた……髭!!」

「よう、お嬢……あとカイデンって呼んでのが聞いてんだろうが、死にてーのか、偽従騎士」


 頭上からかけられた男の声。ラスティとエリザは上にある、キャットウォークのほうを見上げると、そこにカイデンが立っていた。

 彼の手にはなぜか、樽ジョッキが握られている。

 まさかとは思うが、完全に酒の肴感覚で、シルヴェスタたちを見ていたのだろうか。エリザは自分の悩みなんぞそっちのけで、少し頭が痛くなった。


「にしても、すさまじいねー、あいつ。なにしたか見えました?」


 エリザの気苦労など眼中にないのか、樽ジョッキを呷るカイデンは、にやりと笑って問いかける。

 当然、口端にはどう見ても赤い液体が付着していた。


「……かろうじて、見えたわ」


 一旦、カイデンの暴挙に目を瞑りつつ、エリザはうなずいた。こういうところが、彼女の弱さでもある。


「手錠の鎖をお兄様の手に絡め、それを顔面に当てたのよね。しかも、場所は顎先だった」


 思い返すのは、あの一瞬。

 シルヴェスタとイドヒが接したあの一瞬だった。


 エリザが目で追えたのは、最低限のところだけである。けれど、この戦いを見た多くの騎士は、きっと彼が何をしたかもわからないまま、イドヒが倒されたように見えただろう。

 

 シルヴェスタが半歩前に出て、イドヒからの不意打ちを避けた後。


 シルヴェスタは手錠をつなぐ鎖を、イドヒの右腕に絡め、それを顎先へと逸らしたのだ。

 次の瞬間、残ったのは、鈍い音と、地面を踏み砕くような音。

 その証拠に、シルヴェスタが立っている床には、大きな亀裂が入っており、それが蜘蛛の巣のように広がっていた。


「そ、それで総長様は一撃で倒れた。騎士学校でも習う簡単な体捌きですぜ。帯状のものを相手に巻いて、攻撃をいなす……そんな基本的な動きだけを、あの野郎は立派な殺人術に変貌させた。総長様は咄嗟に剣を落としていますが、あれが拳じゃなかったら、今頃死んでますね」


 カイデンは細めた目でシルヴェスタを見つめながら、さらに樽ジョッキを呷った。言葉は真剣みを帯びているものの、なぜか彼はそれを楽しそうにしているように見える。

 エリザはカイデンの表情にうすら寒さを感じながらも、かろうじて「そうね」とだけ、小さく返せた。


「……魔力がないなら、相手の肉体を武器にすればいい。理屈は分かるが、できるかね、普通」


 カイデンがそう締めくくったのと同時である。


「クク、ハハハ――ハハハハハハハハハッ!」


 突然、倉庫内にイドヒの狂笑が響いた。


「……」


 対面しているシルヴェスタは、なにも言わず見下ろし続けている。しかし、場の空気が凍り付かせるには、十分なハプニングであった。


 イドヒはそんな場の空気など関係なしに、膝に手をついて立ち上がろうとする。


「いやはや、私ともあろうものが完全に油断した。まさか私にもまだ良心が残って――」


 そこで、イドヒの体は止まった。膝は半分までしか伸ばされておらず、立ち上がったというには、あまりに烏滸がましすぎる姿勢で固まったのだ。


 なにが起きているのかわからないのか、イドヒは思わずシルヴェスタを見上げてしまった。


「……っ!?」

「立ち上がれんだろ、イドヒ。顎先を完全に捉えたからな。相当、足にきてるはずだ」

「なにを――っ、クソ、こんなものっ!!」


 イドヒは悔しさを押し殺すように立ち上がろうとするが、足に力を入れることができず、再び尻を地面につけてしまう。

 それを淡々と冷めた目で見つめるシルヴェスタは、なにもせず、ただ黙って眺めていた。なにもしないことこそが、最大の侮辱なのだと、そう伝えるように。


「良いことを教えてやる、イドヒ。油断、お前はそう言ったがな――――戦争では、テメーのような驕った奴から死ぬんだよ」


 鋭い言葉を吐くシルヴェスタの顔に、色は見受けられない。

 証明からの逆光のせいで完全に顔へ影が落ち、その闇とも言える面貌から、金色の瞳だけがイドヒを見つめている。


 見上げていたイドヒも、傍から見ていたエリザも、思わず押し黙ってしまうほどの圧を感じさせられた。


 シルヴェスタは淡々と、イドヒが落とした無銘の剣を拾い、それを本人の手元へ投げ渡す。


「はやく、回復しろ。そして剣を持って掛かってこい。何十、何百……何千回だろうと、俺はお前を否定してやる」

「……チッ」

 

 顔を大きく歪ませたイドは、すぐさま自身に魔力強化を施す。そもそも立てなくなったのは、顎先の攻撃による脳の揺れた。であれば、脳の機能を魔力強化で補ってやれば、回復魔法も要らない。

 常人では、そのような精密で繊細な魔力操作はできないものの、イドヒであれば何の苦労もかけずできてしまう。彼も彼で優秀であることには変わりない。


「……令嬢をったクズが、よく吠える」


 イドヒは唇を噛みしめ、悔しさを滲ませながらも、ゆっくりと立ち上がった。

 呪詛のように吐き出された言葉に、シルヴェスタの目が冷たく光る。

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