31.嵐の前の静けさ




【Side シルヴェスタ】


「痛てて……くっそー。眉の上がぱっくりと裂けてやがる」


 獄舎のような部屋へと戻り、俺は床に大の字で寝転がりながら、自分の左眉上の傷口を撫でる。

 イドヒからの強烈な膝蹴りをもらったせいで、完全に切れ目ができてしまっていた。血は眉間に力を入れることで止めているが、今は縫う道具もなければ、治癒魔法を使うこともできなしで、自然治癒を待つしかない状況だ。


(眉間に力を入れ続けるって、意外と大変なんだな……)


 大の字で寝そべりながら、俺は夜が来るのを待つ。

 さっきまで部屋の外を徘徊していたラックが、俺が動かなくなったのを不思議に思ったのか、とことこと戻ってきては、いきなり頬をつつき始めた。


「なんだよラック。今は休ましてくれ……て、お前それエリザが残していったパンか」

「ピーピー」

「……半分やるって?」

「ピィイ!」


 ラックが差し出してきたのは、自分が持っているよりも大きい方のパンの半分だった。


 ……ちょっと、いいところあるじゃん。


 俺は寝ころんだままの姿勢から上半身だけ起こし、ラックが差し出してきたパンを受け取る。

 飯がなくては、畑は耕せぬ……だったか。

 そんな諺が農夫の間で流行ってたっけなー、と思いながら、俺はそのパンを勢いよく齧った。


「んぎぎ……やっぱ硬ぇ」

「ガシガシガシガシ!!!」

「齧歯類って、すげーんだな……」


 ラックのいい食いっぷりを横で見ながら、俺はすこしパンをもぎ取って口に放り込む。唾液で柔らかくしながら食べるパン。独特な木の実の風味がするが、不味くはない。ほんのりとした甘味があって、口の中で転ばせれば転ばせるほど、唾液が出てくる。


 ラスティにも食べさせてやりたかった……。


 いや、もしかしたら、今頃エリザのおかげで脱出して、これより良いもの食っているかもな。


『おーい、生きてるかー、偽騎士ー!!』


 俺とラックが食事をしていると、工業棟の外からそんな声が飛んできた。

 この声の主はカイデンだろう。あの豪胆さに似合った大声だ。ちょっとだけ、壊れた鉄格子が声の振動で揺れた。


 はぁ、返事するのも面倒くさい……。

 そう思って無視を決め込むと、ずかずかと無遠慮な様子でカイデンが俺の部屋のある階まで登ってきた。


「お、生きてるなら返事しろよ。おまけに、飯まで食ってやがるし」

「返事しても、どうせお前は上がって来ただろ。なら、してもしなくても変わらん」


 俺はそう言って、パンを食う作業に戻った。

 カイデンは、「まったく、自分の立場分かってんのかね」と呆れたように言いながら、俺たちの前に椅子を引っ張ってきて、それに腰かける。


「ようやく、あのクソ蜥蜴の機嫌が収まったところだ。ったく、朝から日没まで元気なこった。付き合わされる身にもなってくれんかね」

「おいおい、愚痴を言いにここまで来たのか」

「まさか。でもな、ちょっとくらい良いだろ?」


 カイデンは鎧の肩に付いていた煤を払うと、俺の方をじっと見てくる。


「にしても、なんで逃げてないんだ、お前。あの騒動に乗じてなら、簡単に逃げれただろ」


 暗に、あの神殿迷宮での戦いを見て、俺をそう評価しているのか。心底、不思議といった様子でカイデンは言ってきた。

 

 もちろん、答える義理はない。


 俺は無言を貫きながら、ラックとパンに舌鼓を打つ。


「……ま、言いたくないなら、いいんだけどよ。ひとつ教えておいてやる。お前の連れは見つかった。うちの大隊長が連れて来たんだ。今は天井にぶら下がった檻に入れられてる」

「大隊長? ……いや、それよりも、なんでまだこの山城にいる? そもそも隠していた筈だろ」


 俺の言葉にぴくりとカイデンが耳を動かした。


 ラスティはエリザが隠していたはずだ。

 第一等騎士が匿っているのなら、問題ないと俺も安心しきっていた。


 兄を嫌っている風に見えたエリザが、もしかしてイドヒの言う事を聞いたというのか? いや、それは考えにくい。だが、それでしか説明が付きそうもないのが、現状だ。


「お前、等価交換って知ってるか? 俺は錬金術師みたいな陰気な奴は大体が腐った野郎だと思っているが、自分の聞きたいことだけ聞いてくる人を嘗めた野郎は、それ以上の屑だと思っている」


 カイデンはそう言いながら、背負っていた戦斧を抜き、地面に突き立てる。その重たい衝撃が地面を伝わり、俺の体にも伝わってきた。


 無駄口を叩けば殺す。

 反論すれば殺す。

 態度が気に食わなければ、やはり殺す。


 そんな闇のように深い殺意を感じ取れてしまう。


「いま俺はクソ蜥蜴のせいで疲れている。正直、無駄に頭を働かせたくない。こっちはこっちで喋りたいように喋るから、お前も質問に答える気がないなら、黙って聞け。いいな?」


 カイデンは猪突猛進のタイプなように見えて、以外と繊細な奴だったのかもしれない。もしくは、それだけイドヒが連れてきたらしい火竜の相手で疲弊してしまっているのか。


 まぁ、いくら相手が騎士だからと言って、俺も交渉を端からほっぽり出していたところがある。コイツの言う通り、少しは話を合わせたりするべきだった。


 ラスティの安否も気になるし……ここは、仕方ない。


「……ここから逃げなかったのは、あの娘のためだ。俺が逃げれば、イドヒは必ず彼女に固執する。なぜ捕まったのかは、さっぱりだが」

「ああ?」

「……ほら、これでいいだろ。そっちの番だ」


 俺がそう促せば、イドヒはきょとんとした顔から、にやりと笑みを浮かべた。


「はは、いいねぇ。ノリのいい奴は嫌いじゃない」

「そういうの良いから、早く聞かせろって。あの娘は無事なのか? エリザはどうした?」

「おいおい、しれっと質問が増やすな。あの見すぼらしいガキんちょだろ? まぁ、いまんとこ無事と言えるだろうな」


 カイデンは無精ひげをしごきながら笑った。目は遠くを見ていて、少し前のことを思い出しているように見える。


「お前にも見せてやりたかったね。あのガキ、総長様に啖呵切ったんだ。くかか、今思い出しても、笑えてくる」

「っ、おいなんで止めなかった!? イドヒにそんなことしたら、タダじゃすまない事くらい、あんたも分かってんだろ!?」

「俺も旦那と同じで健気に尽くす女は嫌いじゃないんでね。あのガキの勇姿を見届けてやっただけのことだ。まぁ、そのあと普通にぶん殴られてたが」

「それだけか!?」

「あ? まぁ、それだけと言えば、それだけだな」


 あのイドヒが殴って終わり?

 よほど、火竜の躾が大変だったのか……普段のあいつなら、俺の目の前殺すのすらやめて、すぐにラスティを血祭にあげそうなものなのに……。


 だが、その程度済んだのならよかった。

 本当に……よかった。


「次は俺の番だな。お前と総長様の関係はなんだ?」

「……言う気が起きん」

「おいおい、頭を使わさせるなって言ったばかりだろ。遠回しに聞くのも面倒なんだ、早く言え」


 これは逃げられそうにもないな。

 カイデンは完全に出された質問を改める考えはないらしい。

 俺は気を落ち着かせるためにも、手でこねていたパンの切れはしを、口に含んで飲み込んだ。


「……かいつまんで言うと、俺がイドヒに裁かれた罪人ってこどだ。

「なんの罪だ?」

「次は俺だろ」

「チッ! 納得いかねーが、まぁ良いだろ。ただし、俺もぼやかして答えるからな!」


 カイデンがそう言うと、斧を肩に担ぎ直し、苛立たし気に顔を顰める。


 これ以上はまずいな。話を続けると、すべて喋らないといけなくなりそうだ。

 情報を与えすぎないためにも、この質問で終わらした方が無難か。


「俺からの最後の質問だ。あんたはなんで俺を助けた? 言った通り、俺はイドヒによって裁かれた罪人だ。つまり、あんたらの敵でもある。あの時、イドヒにやられる俺を助ける意味はなんだ?」

「はぁ? 最後って言って、聞くことがそれかよ。助けた覚えは少しもねーが……ま、強いて言うなら、そんなつまらないことに興味がねーのさ、俺たちは。お前が罪人だろうが、総長様の敵だろうが、心底どうだっていい。ただ、面白くなりそうなステージを用意してやった。それだけだ」

「どういうことだ、それ?」

「……ま、どうせもう質問のやり取りは終わりだし、もういいか。シエン!!」


 カイデンが一瞬だけ嫌そうな顔をすると、背後の誰もいない空間に向かって叫んだ。

 すると、俺に魔法をかけてきた紫髪の男が、ぬるりと現れる。


「……呼んだか」

「説明」

「……我はやらん。お前がやれ、カイデン」

「テンメェ……ここに生存確認するのも、本来なら全部テメーの仕事だったろうが! なのに、俺ばっかり働かせやがって! 少しは仕事しろ、ボケ、カス、ロン毛頭!!」

「……はぁ、仕方ない。今回だけだぞ」

「なんだぁ、その言い方ぁ!? 今回以外もだ、ボケ!」


 なんか急に怒鳴り合いを始めたと思ったら、最終的にはシエンという男が折れたらしい。カイデンよりも少し前に出ると、俺を唯一見える左目でじろりと睨んできた。


「今夜のショーの詳細が決まった。今より、2時間後。場所はもう使われていない西倉庫で執り行う。もし、逃げた場合、イドヒはこう言っていた」

「……」

「『貴様の大事なものがどうなるか、分かっているな?』と……我は確かに伝えぞ」


 イドヒからの伝言を聞いて、俺はパンを噛み砕く。


 挑発のつもりか、イドヒ……?

 俺がお前から尻尾巻いて逃げて、それでのうのうと生きていく人間に見えると、本気で思っているのか……?


 だったら、それは決定的な勘違いと言えるだろう。


 いくら魔力が生成できない体になったとしても。

 例え、四肢がもげ、剣も握れず、歩くことさえ困難な体になったとしても。

 俺はお前を――――。


「上等だ――――ぶっ殺してやる」


 地獄に落とすと決めている。

 









「……カイデン」


 シルヴェスタがいる工業棟を後にしたカイデンに、後ろを連れ立っていたシエンが呼びかける。

 面倒くさそうな目をしながら、カイデンは渋々と言った様子で振り返った。


「……なんだ」

「仕事の頼みじゃない。そう警戒するな」

「……んだよ、それなら先言えって! おいおい、つい身構えちまったじゃねーか!」


 さっきまでの剣呑な雰囲気とは打って変わり、カイデンは上機嫌にシエンの肩を叩く。いつも仕事を押し付けられているせいで、カイデンはつい条件反射で、シエンに眼を飛ばすようになってしまっていた。


「疑問だ。あの男が本当にイドヒを出し抜けると、本気で思っているのか?」

「あ? なんだよ、その話か……もう散々議論したろ。俺はできると思っているぜ? 一発いいものを決めてくれれば、それだけで俺たちの心も多少はスカッとするってもんだ」


 まぁ、一発いいものを決めなくても、多少持ち堪えてくれるだけでもありがたいけどなー。

 などとカイデンは言いながら、左手をポケットに入れ、右手で戦斧を弄びながら歩みを再開させる。


 しかし、シエンは会話を終わらせるつもりがないらしかった。


「瞬殺されるのがオチだと我は思ったぞ。ずっと観察していたが、あの男、魔力が一切生成できていなかった。乏しいのでもなく、隠しているわけでもない。……正真正銘、あの男は素寒貧だ」

「…………マジ?」

「ああ。現に我の術を、何一つとして対抗できていない」


 シエンからの言葉にカイデンは、だらだらと汗を流しながら顎を軽く揉む。そして数秒経って――――。


「あいつ、死んだかもな」


 と困ったような笑みを浮かべるのだった。

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