R1.第二王女の献身
【Side ルリス】
シルヴェスタがフリーディ山脈で捕まる2日前。
視点を王都ロンデブルへと移す。
美しき花々が競い合うように咲き誇る庭園。その中心に佇むガゼボには、第二王女であるルリスが、ある子爵令嬢と対峙して座っていた。数名の付き人が控えめに立っており、二人の間には静謐な空気が満ちている。優しい日差しがガゼボを照らし出し、その光がルリスの髪に微かな輝きを添えていた。
しかし、その美しい光景とは裏腹に、ルリスと向き合う令嬢の表情には重たい影が落ちていた。ルリスはそんな彼女に寄り添うように、優しい声で言葉を紡ぐ。
「ようやくお会いできましたね。体調はもう大丈夫でしょうか」
ルリスがそう語り掛けた子爵令嬢――。
名を、エリアスタ。
シルヴェスタ・H・ウォーカーに襲われたと告発し、冤罪を着せる原因となった女性である。
エリアスタは黙って立ち上がり、礼をしようとしたが、ルリスはやんわりとそれを止めた。
「ふふ、大丈夫です。そこまで気を遣わなくても良いんですよ?」
「……」
静止されたことで、エリアスタは黙って立ち尽くす。
彼女は喋られなくなった女性として有名だった。
理由は誰も知らない。彼女が実際に喋らなくなる過程を見た者もいない。
しかし、彼女が辿った道のりを知る者ならば、その理由を否が応でも察することはできるだろう。
イドヒ・A・キルケーとの結婚。
それまでの彼女は、明るく甘え上手な女性として知られていた。しかし、結婚後は全く異なる、物言わぬ女性へと変わってしまった。
あの男がイタズラに心を壊したゆえだろう。
エリアスタを知る者は、口を揃えそう噂していた。
ルリスは、ティーカップの縁にそっと唇を寄せ、静かに紅茶を味わう。「美味しいですね」と、目を閉じながら微笑みを浮かべると、再度エリアスタと視線を交わした。
「私がなぜここに来たのかは、お分かりのようですね」
「……」
「少し歩きましょうか。エリアスタさんの庭園は王宮内でも有名ですから、私も見てみたかったんです」
ティーカップをテーブルに戻したルリスは、付き添っていたメイドに目配せし、離れるよう伝えた。エリアスタもルリスの動きに倣い、付き人を遠ざけさせると、そのままエスコートするように側に寄る。エリアスタの手には、いつの間にか日傘が握られていた。
エリアスタの薄暗い瞳。
ルリスの宝玉を思わせる瞳とは対照的に、彼女の目に光はない。それを不気味に思う人もいるだろうが、ルリスは気にする様子もなく、日傘を差してくれるエリアスタをともだって庭園内を歩き始めた。
「まずは、お詫びをしないといけませんね。元主君として、彼がしでかしたことを心より謝罪いたします」
「……」
「なぜそうなってしまったのかは分かりません。されど、彼がエリアスタさんの心を傷つけてしまったのは確かでしょうから」
エリアスタからの返事はない。
それでもルリスは構わないとばかりに、ゆっくりと庭園を歩き続けた。
やがて2人は、花のアーチが延々と続く道に足を運んでいた。青や紫色の花が敷き詰められた花のアーチは、陽光を受けることで、一段と輝いて見える。
「綺麗ですね」とルリスは言い、エリアスタの差す日陰の外へ歩み出した。花々の青紫の影に守られながら、彼女は少女らしい笑みを浮かべる。
特に目を引いたのは、青色の薔薇だったのか。
ルリスはその装飾を気に入ったらしく、その薔薇に近づくと、触れるか触れないかの距離で手を添えた。
「エリアスタさん、青色の薔薇の花言葉をご存知ですか?」
「……」
突然の質問に、エリアスタは少し悩むような間を挟むと、黙ったまま首を振る。
「『不可能』と言われていたそうです。自然界では、純粋な青い薔薇は存在しなかったため、そのような花言葉が付いたのだと」
「……」
「しかし、十年ほど前。ある学者が青い色素を生成できる薔薇を作り上げたことで、その花言葉も変わってしまいました。貴方も青薔薇がお好きなのでしょう? ふふ、彼がよく私の部屋にも生けてくれたんです。『知人から譲り受けたもの』と言って」
エリアスタの瞳に一瞬、かすかな光が宿ったように見えた。しかしそれも、すぐに元の無表情に戻ってしまう。
「シルヴェスタ様と何があったのか、詳しく教えていただけませんか。あの日、貴方の屋敷で……いえ、それ以前のことも踏まえて、何があったのかを。
真実を知ることができれば、彼を助ける手助けができるかもしれません」
青薔薇から目線を外したルリスは、エリアスタへと向き直ってそう言った。
流れる沈黙は、非常に重たい空気のように場を沈ませる。
エリアスタは再び黙り込んだまま、ルリスの宝玉を思わせる瞳をじっと見つめた。
その瞬間のことである。
一瞬、目を見開いたルリスが、慌てて口を押さえて咳き込んだ。
「かはっ、こふっ」
「……!」
苦しそうに胸も押さえながら蹲るルリス。
エリアスタは突然の急変に驚きながらも、日傘を差す手とは逆の左手で、背中を優しく撫でた。
「はぁ……はぁ……あり、がとう、ございます……不躾な姿をお見せしてしまい、恥ずかしい限りです……」
ルリスは苦しみがらも、汗を流した顔で笑みをこぼす。そして口を押さえていた手の平をそっと見れば、よろめきながらも立ち上がり、前で手を組んだ。
エリアスタが喋らない女性として有名であるならば、ルリスは体の弱い王女として有名だ。イドヒとの結婚が迫っている現状では、心労も相まっているだろう。
それでも気丈に振る舞う彼女を、エリアスタは顔に影を落としながら静かに見つめることしかできなかった。
背後から、どたどたと慌てた様子の足音が聞こえてくる。
遠目でルリスたちを見守っていた付き人が、彼女の体調の変化にいち早く気がついたらしい。
一週間前までは、このような手厚い保護はされていなかったルリスだが、イドヒとの婚約が決まってから、彼の子飼がルリスを守ろうと必死になっているのだ。
いつも駆けつけてくれていた銀色の男を思い出し、ルリスは悲しげに笑みを溢す。そして、目の前にいるエリアスタへと頭を下げた。
「申し訳ございません……このような美しい庭園を案内してくださったのに、どうやら、私はもう帰らないといけないようです」
「……」
「口惜しいですが、またお会いできることを楽しみにしておりますわ」
ルリスからの別れに、それでもエリアスタは何も答えなかった。庭園の中を割って近寄ってくる人影を見つめながら、二人はただ黙って、それらの到着を待つ。下手に動いては体調が悪化するかもしれないという懸念もあるが、それよりもまだお互いに話したいことがあるのかもしれない。
けれど、時間は過ぎ去るもの。
あと数秒。たったそれだけで、走ってきている付き人も、ここに辿り着く。
ルリスは諦めたように目を閉じると、最後にエリアスタに礼をして去ろうとする。
その時、エリアスタの口からかすかな声が漏れた。
「私は……あなたが羨ましい」
その言葉に、ルリスは立ち止まり、振り返った。エリアスタの目には、ほんの少しの涙が浮かんでいた。
「……私も同じです」
ルリスは微笑みを浮かべ、再び歩き出した。青薔薇の花が風に揺れ、その青い色が空に溶け込むように、付き人に連れられるルリスの背中も庭園の風景に消えていく。
体は弱いが心は強い王女。
片や、体は強いが心は弱い子爵令嬢。
果たして、どちらが幸福なのか。
それはきっと、誰にも分からない。
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