29.あの娘を殺す




「久しぶりだな、クズヴェスタ」

「イド、ヒ……!」


 俺は錠前を即座に破壊して、檻を蹴り破る。

 イドヒは飛んできた檻を簡単にかわすと、瞬時に距離を詰め、俺に向かって拳を放った。


 ――鈍い!


 俺は首を捻るだけでイドヒの拳を回避すると、その勢いを利用して左脚を振り上げる。側頭部を穿つ蹴り。当たれば、魔物よりも巨大じゃないこいつの体を吹っ飛ばせるのだが――。


「――拘束、麻痺、倦怠の術――」

「あ、がっ」

 

 イドヒの影から伸びてきた男の魔法をくらい、膝をついてしまった。


「ほう、中々隠れるのが上手くなったじゃないか。よくやったぞ、紫サル」

「……」

「テ、メェ――――! 神殿迷宮にいた奴かァ!!?」


 影から出てきたのは、ゴーシューとともにいた、シエンという男だった。奴らが逃げる時、俺に幻惑魔法を使ってきた人間でもある。


 魔力膜を張れない俺では、魔法に抗う術がない。特に、ダメージを生じさせるものではなく、動きを抑制する魔法や、弱体化を強いてくる魔法は、もろに魔力抵抗値に直結するため、体の頑丈さなど意味をなさないことが多かった。


「うご、け……! 動けよ、クソ脚ぃ!!!」

「ハハハ、まるで獣だな。……いや、どちらかと言えば、貴様は昔からそのような男だったか? 変に冷静ぶって、人間の皮を被っていたに過ぎんか」

「ぐっ――――!」

 

 イドヒは楽しげに笑うと、俺の顔面を容赦なく蹴り飛ばす。拳ではなく、硬い鎧で守られた膝であれば、俺がいくら額で返り討ちにしようとも、魔力で強化されたことによってあえなく押し負ける。


 額が切れて、左目に血が入る。それでも目を閉じることはせず、俺は半分真っ赤に濡れた視界をかっぴらきながら、イドヒを睨むことをやめなかった。


「……腹立たしいな、その目」

「……ぁって……ぉ……」

「苛々とさせる。いっそのこと、くり抜いてしまうか」


 俺の方にゆっくりと伸びる手。体を動かそうにも、シエンの魔法によって、今は指一本動かすことができない。

 それでも、最後までイドヒから目を逸らすことはせず、やれるものならやってみろと、眉間に皺を作り、俺は掠れた声を出した。


 目玉に到達するまで、あと数センチ。


 その時だった。


「総長様、勿体ねーですって。こんなギャラリーのいない所で、痛ぶっても」


 イドヒの後ろからそんな豪快な男の声が聞こえた。


「なんだ、貴様。私のやることに意見するのか? 地方のサルの分際で?」

「いえいえ、まさかとんでもない! でもね、総長様の婚礼祝いが竜狩だけって味気ないな、とずっと思ってたんですよ」

「何が言いたい?」


 その豪快な男――カイデンは、肩をすくめながら、イドヒに近づき笑みを深めた。


「サルの身ですが、ずっと考えてました。総長様の婚礼祝いをもっと華やかにする方法を……見世物をしましょう! ギャラリーは、この山城に駐屯した騎士たち! もちろん、主役は貴方様だ! 多くの者が見る中で、貴方の凄さを見せつけるんですよ!」


 何を言って――――。

 俺はそう思いながら、カイデンの方に視線をやる。

 けれど、この男と目線が合うことはない。


「……メリットがない。私はこの男を痛ぶり、貶し、辱めればそれでいい」

「いやいや、そいつを盛大にやりましょうってことですぜ、総長様。どうせ甚振るなら、皆の前でやったほうが盛り上がります。祝いは盛大にやらないと、でしょ?」


 ね? と言い、無精髭を撫でたカイデンは、それでもまだ快活に笑う。

 イドヒはそんなカイデンを振り向きながら見つめた後、なにを思ったのか、俺に触れようとしていた手を引っ込めた。


「……フハハ、そうだな。確かに、貴様の言うことにも一理ある。このクズの連れもいるのだろう? 早くも鞍替えとは、貴様もとんだクズだ」

「ぉ……ぇぁ、言う……ぁ!!」

「カスの言葉は、私には理解できん。おい、紫サル。もっと強めろ」

「御意」


 イドヒの命令により、俺にかけられる魔法がさらに強くなる。ここまで綺麗に重ねがけをするやつなんて、見たことがない。普通、残った魔法の術式同士が競合を起こして、一つくらい上手く動かなくなったりするもんだろうが……!!


「決めたぞ。題目は虐殺劇だ。貴様を皆のいる前で殺す。罪人のくせに騎士団の拠点に入ってきたのだ、それくらいの覚悟はできているんだろう? なぁ、クズヴェスタ?」

「…………!!」

「まずは、貴様を半殺しにし、その後で貴様の連れとやらを殺す。ああ、女だったか? なら、皆の前で服を剥ぎ、腕を落とし、股を開かせてやろう。さぞ、気持ちいいだろう。その女も、私に抱かれるのだ、非常に名誉あることだなぁ、クズヴェスタ?」

「っ――――――!!!」

「フン、その前に味見くらいはしておくか」


 だめだ、こいつはマジで腐ってやがる。

 許してはいけない生き物だ。

 

 ルリス王女だけでなく、ラスティにまで手をかけるのか……? 俺が何もできない、この状況で?


 ふざけるな!!!

 動け、動けよクソが!!

 魔力なんか生成できなくても、お前は元最強なんだろうが! 意地を見せろよ!! ここまで助けてくれた女の子を、テメェは見殺しにするつもりか!!?


 しかし、どれだけ力を込めようとも、体は一ミリも動かない。それどころか、ますます体に虚脱感を覚える。

 ほぼ間違いなく、シエンが魔法干渉力を際限なく強めているのだろう。これを脱するには、やつを止めるか、俺が魔力で対抗するしかない。


 どうしようも、ないのか……?

 

 俺は絶望に染まりそうになりながら、口の中を噛む。自分に痛みを与えなければ、気が狂いそうな気がしたから。

 しかし、イドヒから目を背けたことで、ある1人の希望を見出した。


 そうだ、まだエリザがいる。第一等騎士の彼女ならば、カイデンらと同じように、上手くイドヒを嗜めるかもしれない。

 上手くやれば、ラスティだけでもここから逃して――――。


「おい、愚妹」

「っ……!」

 

 するとイドヒは、さっきまで話しかけなかった人間へ話しかけた。

 愚、妹……?

 俺はおそるおそるエリザへと目を向ける。


「このクズの連れはどこだ?」

「ぇ……ぁ……」

「聞こえなかったのか? このクズの連れはどこだと聞いたんだが?」


 イドヒはエリザに近づき、優しい手つきで頭を撫でる。目線を合わせるために少し腰をおり、甘い吐息を彷彿とさせる声で、エリザの耳元で囁いた。


 囁かれたエリザは、完全に顔を青ざめさせている。

 明らかに尋常じゃない大粒の汗を流し、瞳孔が開いて、体が小刻みに震える。


「わ――――わた……」

「よく聞こえん。もっとはっきり喋れ」

「わ、私…………!!」


 そこまでエリザが言いかけた時だ。

 突如として、山城内にこの世の生き物とは思えない咆哮が轟いた。


 ――――――――――!!!


 地を揺るがすほどの響きに、一瞬だけ聴覚が奪われる。建物は全体が揺れ、まるで嵐が通り過ぎたように窓が割れる。

 イドヒはその咆哮をうるさそうに耳を塞ぎながら聴き終えると、軽い舌打ちを零した。


「また、火竜アレか……癇癪の激しいやつめ」

「ふい〜、今のは大きかったですね。暴れ出す前に、止めた方がいいかもしれませんぜ。最悪、ここが吹き飛びます」

「チッ、仕方ない。付いてこい、貴様ら」

「……呼ばれてるぞ、カイデン」

「テメーも来るんだよ、シエン! 今回は、おサボり禁止だろうが!」 


 そのような会話を漏らしながら、イドヒ、カイデン、シエンはここを後にする。俺をもう一度檻に入れようなんてことは考えていない。きっと分かっているのだろう、ここから逃げ出すことができないことに。ラスティがいる限り、俺はここを離れられないことに。


 やがて、3人の気配が完全に消えると、突っ立っていたままのエリザが「……ごめん」と謝る。


 ……なんで謝るんだよ。まだあんたはイドヒにバラしてないだろ。


 しかし、そんな言葉が吐けるまでには、俺も時間がかかるらしい。まだシエンにかけられた魔法のせいで、体が上手く動かない。


 今日の夜……。

 イドヒ主演の虐殺劇……か。


 その間までは、たぶんラスティも安全だろ。奴らはサラマンダーの癇癪と言っていたし、宥めるために今日は一日竜狩を行うはずだ。ラスティに手を出す暇はない。


「ぁ…………ぅ」


 俺はエリザに言葉にならない言葉をおくる。

 何を言ったのか、きちんと伝わればいいのだが。

 

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