24.総長の妹は、元騎士らと会う




【Side エリザ】


「へっくちゅん! …………うぅ、寒い」


 いきなり雨が降ってきた。

 今は近くにあった洞窟へと逃げ込み、私は震える体から、なんとか熱を逃さないよう体を丸めている。

 濡れた上着と靴を脱ぎ、湿った髪からは水滴が落ちる。魔法で起こした焚き火にあたりながら、私は陰鬱な気持ちで炎を見つめた。


 なんでこんなことになったんだろう……。

 

 そう考えるも、きっかけは単純だった。二日前、部下のゴーシューから、フリーディ山脈に向かって欲しいとお願いされたからだ。

 彼の嫌がらせで護衛もつけられず、私はひとりでフリーディ山脈へ前乗りすることになった。

 しかし、所詮はそれも災難の始まりに過ぎない。

 マトークシに来るまでに乗っていた馬車は、馬が怪我をし徒歩行軍を余儀なくされ。教えられた道はいつの間にか、おかしな道へと繋がっており。森に入ってからは何処を歩いても、魔物、魔物、魔物、魔物……しまいには天候にも見放された。


「あぁ、もう、ほんとについてないわね! あれもこれも全部、あの糸目クソ野郎のせいよ!」


 洞窟の中だから、よく声が響く。私の放った罵声も、洞窟の壁で反射されて、思いのほか大きくなった。

 けど、だからと言って気分が晴れたわけじゃない。

 

「はぁ、何してんだろ……私」


 帝国との戦時中……ある人の活躍を聞いてから、この道を選んだけど、やっぱり私には無理だったのかなぁ。

 膝に顔を埋めながら、私は長く息を吐く。目頭が自然と熱くなるのは、きっと焚き火のせいだ。

 

「って、ダメダメ! なに弱気になってんのよ、エリザ!」


 危ないところだった。完全に泣く流れになっていた。

 私は埋めていた顔をあげ、冷えた足先同士を絡める。

 

 3日に一度、今日みたいにメンタルが下がり切ってしまう時がある。理由は、その時々で様々だが、最近はゴーシューが原因のことがめっぽう多い。

 今日はまだ2日目だった気がするけど、どうやらこの雨と、魔物との連戦からくる疲れで、メンタルが落ちる周期も早まったらしい。


 いけない。コークシーン騎士団の大隊長である身だ。そう簡単に挫けては、部下に示しもつかないし、いざという時に引っ張っていけなくなる。

 ――弱さは罪だ――泣き虫は害だ――。

 昔、口を酸っぱくなるほど教えられた教訓が、脳裏に浮かび上がる。


「クソっ、な記憶……」

 

 私は焚き火に向かって舌打ちを繰り出す。寒さのせいか、出ないはずの白い吐息が、唇の隙間から漏れ出した。


『――――ティ! こ――に洞窟――――だ!』

『G――! 助――、――くはいっ――――!』

『ま――――! 外套を――――!』

 

 しばらく焚き火を眺めていると、いきなり外から声が聞こえた。声色からは急いでいるのが伝わってくる。

 

 人……?

 いや、そもそもこんな森深いところに人間などいるのだろうか。

 

 魔物の中には、人語を介するものもいる。意味をなさない人語を話すのであれば、せいぜいが警戒指定オーダーⅢの魔物だ。

 しかし、完璧な人語を使うとなると、その指定もグッと跳ね上がる。


 私はすぐさま腰を浮かす。

 愛剣は脱いだ上着の下だ。手の届く範囲には置いていない。そもそも、こんな小さな洞穴では、剣を振るった方が不利だし、取りに行く必要はないだろう。


 一番手頃な焚き火に焚べていた木を取り、私は洞窟の入り口へと目を凝らす。


「だれ!? 誰かいるんでしょ!」


 私がそう叫ぶも、返事はなし。今いる位置からも、洞窟の外は覗けるが、横にはけているのだろうか。


 ごくり、と唾を飲む。

 マトークシーは凶悪な魔物が多い。指定もそこそこ高く、気を抜けば第二等騎士でも、危ないと言われる魔境だ。今の状況では、あまり戦いなくないけど……。

 

 仕方ない……! 殺らなきゃ、殺られるのはこっち! 魔物に遅れを取るのは悪手だし、攻められる時に攻めないと!

 私がそう思い、とうとう洞窟の外にいるだろう何者かに攻撃を仕掛けようと決意した時――。


「うぉぉお、危ねえ!? 俺達は怪しいもんじゃない! ここら辺に住む村民だ!」

「GAOGAO! ウォーカーの言う通り、怪しい者じゃないよ! 私たち雨から逃げてきた善良な村民だよ!」

「村……民?」


 ――2人組の白色の外套を着込んだ男女が、洞窟に入ってきた。





◼️






「へぇ、大森林の南西部にも村落ってあるのね、私知らなかったわ。マトークシで人が住んでいるのは、専ら北東って話だから」

「GAO、たしかに北東の方が街に近くて便利だもんね。でも、南西部も南西部で良いところだよ」


 白のフードを被った女の子――ラスティと名乗った少女が、そう笑いながら教えてくれる。


 聞けば、彼女たちはマトークシにある集落の村民だという。自然が多く、さらには公国との領境ということもあり、マトークシーは人の住む領域が極端に少ない地域だ。特に南西部は、さらに王国領内の端に位置するようになるため、自然と誰も住んでいないものと思っていた。

 

(彼女たちみたいな人間も、いるところにはいるのね……なんでフードをずっと被ってるかは、疑問だけど)

 

 少し気になったが、もし顔の傷を隠すためだったりしたら気まずい。話し方からもわかる通り、ラスティはきっといい子だろううし、詮索しないでおこう。


 対して、男の方――ウォーカーだっけ? この男からは魔力を全然感じられない。

 元々、生成量が少ない人間もいるし、彼もそれに該当するのかしら。まぁ、分厚い外套の上からでも、その強靭な体つきは確認できるので、貧弱という言葉は全く似合わないんだけど……それでも意図的に魔力を隠している様子もないし、多分、生まれつきの体質なんだと思う。


 不思議な2人組。

 でも、嫌な感じは全くしないのが不思議だと思えた。


「ねぇ、気になったんだけど、あなた達って兄妹? 恋人――――ていうのは流石にないと思うんだけど。なんか身長差的に」

「ぇ……そ、そんなの分かんないよ〜!? こ、ここここ恋とかに身長は関係ないって、オヤジが言ってたしぃ!?」

「え、じゃあマジなの?」

「待て待て、誤解が生まれてる。あんたの言う通り、俺とこの娘は兄妹だよ。妹は森を歩くのが好きでな、今日も俺が付き合っている」

「むぅ……!」

「怒ってるように見えるけど?」

「気にするな。いつものことだ」


 ラスティがフードの奥で膨れっ面をしているのが、見えないけど分かる。

 兄妹、にしては変な反応だけど、こういう仲もいるにはいるのだろう。本当に仲が良さそうだ。兄妹でもこんなに違うもんなのね。


「ふーん、まぁいいわ。仲いいのね、あなたたち。兄妹なんてどこも仲が悪いと思ってたわ」

「……こいつチョロいな……」

「ん? なんか言った?」

「いや、何も。洞窟の声が反響したんじゃないか?」


 兄の方が何かを言った気がしたから、そう聞くも、どうやら私の聞き間違いだったらしい。私の起こした焚き火にみんなで当たりながら、静かに揺らめく火を見つめる。


 ふと、意地悪な言葉が頭をよぎった。

 

「……そう言えば知ってる? 王族も、兄妹仲が最悪らしいわよ」

「王族”も”?」


 ラスティの言葉を私は一旦無視する。


 これは私の汚い部分から出た好奇心だ。彼女たちがどのような反応をするのか。ただ気になったから聞いてみただけの質問。


 兄のウォーカーは妹であるラスティの方を見る。そしてラスティが首を横に振ると、「ふむ」と考え込んでから言葉を紡いだ。


「…………すまん、聞いたことがないな。俺達は田舎住まいだから、王族事情には疎いんだ。本当にそうなのか?」

「ま、でしょうね。知ってるのは王都ロンデブルに住む民か、中流以上の貴族くらいだろうし」

「じゃあ、あんたもその一人って訳か」


 ウォーカーが今までとは違う速度で聞いてくる。

 彼の金色の瞳と、私の碧眼がかち合えば、重苦しい空気が流れたように感じた。


 彼の瞳の中に、わずかな敵意を感じてしまう。


「……ごめん、言ってなかったわね。あなたの言う通り、私は貴族に当たる人間だわ。家名は言いたくないし、今は訳あって、こんなところを1人でふらついてるけどね……」


 私は別にあの兄と違って平民が嫌いとか、貴族だから偉いとかは思っていない。貴族の中にも優れていない人はいるし、平民でも優れている人はいる。


 でも、そんな簡単なことすら気づけないのが、今の王国貴族で。

 それを受け入れてしてしまっているのが、王国平民だ。


 虐げる者と、管理される者。

 どちらの認識も合致しているために、王国に身分至上主義は今も廃れることはない。


 多くの人は、私がどう思っていようと、貴族と聞いただけで厭な顔をした。平民は貴族を目の敵にし、貴族は平民を毛嫌いする。一部のうまくやっている貴族だけが領民から慕われ、多くの貴族は、貴族というレッテルだけで恐れられる。

 

 一度だけ、街で迷子になっている子供に声をかけた事があった。その時は、純粋にその子が泣いていて、放って置けないと思ったからだ。

 しかし、私が声をかけただけで、街の住人が恐怖に染まった顔をした。私を人攫いの貴族だと思ったのだろう。

 ……いや、私の家名が、彼らに恐怖を与えたことは間違いない。キルケーという名前は、それだけ民衆からの心象が悪かったのだ。


 私はお兄さんから向けられる敵意の目線から逃れるべく、視線を外しながら謝ることしかできなかった。


「……本当にごめん、別に隠すつもりはなかったわ。何を言っても言い訳にしかならないけど、信じて――」 

「GAO、なんで謝るの? 何も悪い子としてないのに」

「――え?」


 しかし、私の言葉を遮るように、ラスティがそう疑問をぶつけてきた。


「あー、ウォーカーが怖い目してる! もー、他人をいじめちゃ、駄目ってさっき言ったばかりなのに! ステュレの時もそうだし、私の地図の時もそうだよね!? すこしは他人を労わらないと、いけないんだかんなー!」

「え、俺が悪いの!?」

「GAOGAO! 君以外、ウォーカーって名前、ほかに誰がいるの!?」


 ラスティはそう言うと、兄であるウォーカーの肩をぽかぽかと殴り始める。あんまり痛そうに見えないけど、彼は困ったような表情をしていた。

 さっきまでの敵愾心は、嘘のように霧散している。


「もぅ、言い忘れくらい誰でもあるし、その人がその人なら私は別に肩書も生まれも気にしないよ! 確かに王国貴族は嫌ーーーな人が多いって聞くけど、それだけで大っ嫌いって私はならないから」

「でもな、ラスティ……さっきの質問はちゃんと大事なもんであって」

「うっさい、ウォーカー。貴族とか平民って、そんなに重要? その人が何者であろうと、所詮はその人の装飾のひとつにしか過ぎないじゃん!」


 いきなり立ち上がったラスティは、私の手を握って、そう励ましてくれる。

 フードの奥から覗き込まれる紫水晶のような瞳。力強いその眼差しに、私は思わず吸い込まれるような気がした。

 

「だからエリザちゃんも、気にしないで良いんだよ? うちのアンポンタンが、ごめんね?」

「なに、そのアンポンタンって」


 ラスティとお兄さんの掛け合いを見ながら、私はふっと笑みをこぼしてしまう。


「ふふ、装飾のひとつ……か。確かにそうかもしれないわね」


 私がエリーザベータ・A・キルケーである事実は変わらない。キルケー家で育ったことも、あの男の腹違いの妹になってしまったことも、今こうしてコークシーン騎士団の大隊長をやっていることすら、全てが変えようのない事実である。


 けど、それが私の全てかと聞かれたら、違うと胸を張れる。


 それは私を構成する極小の飾りにすぎず、私という人間はもっといろんなものでできているはずなんだから。


「ありがと、ラスティ。少し気が楽になった気がするわ。私を貴族と知って、こんなに正々堂々言ってくる人は初めてね」


 私がそう笑うと、お兄さんも気まずそうに頬を掻いて、頭を下げる。


「はぁ……俺も悪かった。……いや、申し訳なかったです。貴族と聞いて、つい身構えてしまいました。この娘の不躾な態度も、悪気はないので許してやってください」

「GAOH?」


 やっぱり、本当の兄にもなると、こんな出来た妹は心配になってしまうのかしら……頭を上げたウォーカーは、ラスティの頭を撫でながら静かに笑っていた。


 ふーん……そんな顔もできるんだ。


「いいわよ、別に。こんな場所なんだから無礼講でしょ。ていうか、あなたも妹みたいに口調を戻しなさいよ」

「いや、俺は別にこのままで」

「貴族命令よ、戻せ」

「…………おう」

「そうそう、そっちの方が気楽でいいわね。こういう時、自分が貴族で良かったと思うわ。よく頑張りました、素敵なお兄さん♪」

「はぁ……ある意味では、あんたが一番貴族らしいよ」

「GAO……? GAOH……? ……なんだか良い雰囲気……でも、私は話がわからずぽつん……うぅ、ふたりとも私を置いてけぼりにするなー!」 

「あっはは! ごめんごめん、ラスティ! 素敵なお兄さんをとって悪かったわ! ほら、泣かないで」

「うぅ……取らないでぇ」

「いや、俺はお気に入りの抱き枕か」


 大森林の洞窟の中。

 雨音と木が弾ける音だけが聞こえていた寂しい空間に、私は2つの笑い声が追加されたことを、素直に嬉しいと思うのだった。

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