23.騎士団総長はいりまーす!




 シルヴェスタたちが、フリーディ山脈に向かっている頃。

 同コークシーン地方内にあるアミースーコット港町では、日々の営みで賑わいを見せていた。男たちは船から荷を降ろし、女たちは網を修繕する。堤防で駆ける子どもたちは、魚の影を追っては、純粋な笑い声を空に放った。


 しかし、そんな賑わいにもかかわらず、突如として静寂が港を覆う。

 

 一隻の大型船がゆっくりと港に近づいてきたのだ。

 その船は黒い竜骨と赤い木板、金の金具作られた船体をしており、船首には翼の生えた男を模った彫刻像が据え付けられていた。 


「綺麗だなぁ……」

「なんだなんだ、どこぞの貴族け?」

「いやぁ、うちにはあんなデカい船を持つ貴族はおらん」


 初めは奇異の目で見られていた船も、次第に羨望の眼差しに変わり、誰もがその華麗さに目が釘付けとなった。老若男女を問わず、皆が今までの行動を忘れ、遠く海の彼方に浮かぶその大型船に心を奪われていく。

 アミースーコットは、確かに港町として栄えてはいるものの、広い王国の中ではまだ田舎だ。こんな綺羅びやかな船が来航すれば、そこに住む人々にとっては異界から来たもののように映る。

 

 されど、そんな魅了された時も長くは続かなかった。


「待て……あの帆にある紋章、もしかして……」

「っ――――、間違いねぇ! 赤の紋章だぁ!」

「おい、早う女子供を家に隠せ! 血の侯爵が来るけ!」


 一部の男たちがあげた怒号を皮切りに、人々は夢から覚めたように顔を青褪めた。


 帆に描かれた紋章――双頭の赤い竜。


 それを掲げることが許されている貴族は、王国内では1人しかない。それが分かっているからそ、港で働く民のほとんどが、かの船に乗船している貴人から逃れようとした。


 

 騎士団総長 イドヒ・A・キルケー公爵。


 

 一週間前。正式に第二王女ルリスとの婚約が発表されたことで、見事公爵の爵位を得た貴族の名であり――


「平民嫌いのクソ貴族け」

「いンや、女殺しのカス貴族だ……」

「どっちでもいい、あんなのを歓迎してやる必要はねぇ」


 ――民衆から最も恐れられる男でもある。


 

 


◼️ 






「随分と嫌われてるもんですね、うちの総長様は」


 港の桟橋に立つカイエンが、後ろで静かに立っていたゴーシューに向かって言った。

 背後の市場では、港町の住人たちが海の彼方から現れた船に気づき、騒然としている。 


「力を持つ者は、どの時代においても忌み嫌われるもの。この大騒ぎ、ある意味ではイドヒ卿の権威の証明とも取れますよ?」

「物は言いようってことですかい」

「君はいつもそう、斜に構えて。困りものですねぇ」


 ゴーシューとカイエンがそんなやり取りをしていると、やがて遠くにあった船が港に着岸した。船の甲板上では、乗組員たちが忙しく動き回り、錨を下ろす準備に取り掛かっている。 


 しばらくして重い錨が海に沈む音が響いた。

 ゴーシューらは来航した船へと近づき、下船してくる貴人を出迎えるため、階段の下にて待ち構える。

 その間も、乗船員たちは縄梯子を下ろし、船の側面に取り付けられた小舟に荷物を移し始めていた。その中に、一際異彩を放つ大きな檻があるのにゴーシューは気がつく。


「おや。あれが、今回の竜狩に使うドラゴンですか」


 小舟を複数隻使い運ばれる巨大な檻。その中に収められている赤い鱗を持つドラゴン。

 町の中ではまず見かけることのない生命体が、ぐるると喉を震わせながら、腕を枕に眠っていた。

 

「おいおい、マジですかい? ありゃ、火竜サラマンダーでしょ。総長様は、マトークシーの山肌を裸にする気ですかね」

「さぁ。私たちには関係ないことです」


 カイデンの驚きを横目に、ゴーシューは後ろで手を組みながら待ち続ける。彼にとっては、あの竜が何者であろうと、どうでも良かった。

 アレが自分を襲ってくる存在であるならば、少しはカイデンの会話に乗ったかもしれない。けれど、今はそのような危険性もないのだから、思考を割くだけ無駄というものだ。

 

 赤い竜が運ばれてまた少し経った頃。ようやく船の扉が開き、内部から1人の男が姿を現す。 

 紅蓮の髪、白と金の鎧、そして高慢な眼差しを持つその男。

 騎士団総長イドヒは、ゴーシューらをほんの一瞥で確認し、次に市場で動揺する民を見下ろした。殺風景だったはずの表情は嘲りに変じており、乗組員をまるで空気のように扱いながら階段を降りてくる。


 ゴーシューは、そんなイドヒが目前まで降りてくるのを待ち、お辞儀する。

  

「長い船旅は、さぞお疲れだったでしょう。ようこそ、緑豊かなコークシーンへ」

「フン……なるほど、貴様がゴーシューか」

 

 たった二言ゴーシューが発しただけなのに、イドヒは当然のような態度で、彼が何者かであるかを看破したようだった。

 イドヒの顔に不機嫌そうな色は見えない。どちらかと言えば、ゴーシューの一挙手一投足すべてを楽しむ様な目で見ている。

 ゴーシューもそれを感じ取ったのか、軽く微笑みを入れると、少し焦ったような演技を振り撒きはじめる。

 

「いやはや、先ほど運ばれていくのを見ましたが、立派な竜でしたねぇ。あの強かさ……もしかすると四大精霊の火竜サラマンダーではないですか?」

「気がついたか。田舎のサル騎士にしては、なかなか目が良いようだな。私ほどの存在となれば、並の竜では使い魔として釣り合いが取れん。故にあの竜を飼いならしたのだが……安心したぞ、地方騎士にも、少しはマトモそうなサルがいて」

「流石は騎士団総長にまで上り詰めた、お方です。四大精霊と契約するとは感服いたしました」


 イドヒの罵声にゴーシューは笑みで返したものの、後ろにいたカイデンは無言で返す。

 そんな彼の様子に気がついたのか、ゴーシューは「あー、そうでした」とわざとらしい声音で、さらに切り出した。

 

「紹介が遅れましたね。こちらは私の部下のカイエン君です。今回は護衛として彼が付きます」

「サラマンダー持ちの騎士団総長様に、護衛なんぞ要らないと思いますが。どうぞよろしくお願いします」

「……」


 カイデンの礼に、イドヒは一瞬だけ目を細めると、ゆっくりと腰に収められた剣へ手を送る。

 

 刹那――放たれる意識の間隙を狙った一撃。


 綺麗に抜かれた剣身は、鞘の縁を火花を散らして走ると、そのまま頭を下げたカイデンの首――――ではなく、その背後にいる者へと向けられた。

 

「さっきから、目障りだ。1秒以内に姿を表せ。出なければ、次は殺すぞ」

「……」


 イドヒの警告に、剣を向けられた犯人である男が姿を現した。

 紫色の長髪。右目は髪によって見えないが、それでも露出された左目が妙に仄暗い帷が降りているように見える。

 そいつは、シルヴェスタたちが神殿迷宮にいた際、ゴーシューからシエンと呼ばれていた男であった。


「すみませんねぇ、私が命令していたのですよ。もしかしたら、イドヒ総長を狙う不届者がいるかもしれない、と思いましてね。シエン君には影に潜みながら、その脅威を取り除いてもらうつもりでした」

「フン、理由など、どうでもいい。下手な隠遁は逆に気色が悪くて目立つ。地方のサルなら特にだ。貴様ら地方騎士は、ただでさえ臭くてかなわん」


 鼻をつまみながら、剣を鞘へと収めたイドヒは鬱陶しそうに眉間に縦皺を刻む。

 ゴーシュ=はそんなイドヒを見ながらも、まだにこやかな笑みを続けていた。


「これは失礼しました。一応、彼もカイエン君と同様、貴方の護衛に就かせてもらっていますが、問題はありませんか」

「好きにしろ」

 

 イドヒはそう言って、桟橋を渡り始める。

 ゴーシューらも、イドヒに付き従うように移動を開始した。


「そう言えば貴様、コークシーン騎士団の副隊長だったな」

「ええ。不肖の身ではありますが、なんとか務めさせていただいております」


 ゴーシューがそう答えると、イドヒは目を鋭くさせ、低い声音で問いかけた。

 

「ならば最近、この王国南西部で不可解な死体は届いていないか」

「と言いますと?」

「魔力が一切ない死体だ」


 間髪入れず、イドヒはゴーシューに視線を投げることもなく、淡々とつぶやく。


「そうですねぇ、そのような奇怪な死体があれば、騎士団に報告が上がりそうですが……どうですか、シエン君」

「どうだ、カイエン」

「いや、聞かれたのお前だろーが……」


 イドヒ、ゴーシューの後ろを歩くカイデンは、さらに自分の後ろを歩くシエンに苦言を呈した。


 カイデンは致し方ないと言った様子で、シエンが持っていた報告書類を奪い取ると、一枚ずつ目を通していく。活字を追うのは苦手なカイデンだが、彼だって腐っても第一等騎士。性格上は不向きでも、書類を読み漁るだけなら、ものの数十秒でやってしまえる。


 カイデンは書類に目を通し終えると、首を横に振った。

 魔力のない死体。

 それらしい死体はないという合図だった。


「今のところ無いようですねぇ」


 カイデンからの合図を受け取ったゴーシューが、半歩前を歩くイドヒにそう告げる。

 

「そうか。届いてないのなら良い。……あのクズめ、まだ生きているのか。クク、それとも食われたか?……」


 イドヒが口を押さえ、笑みを噛み殺すように。

 ゴーシューらに聞こえない声量で、最後にボソボソとそう呟いた。


 桟橋を渡り終えると、慌てふためく市場の横を通り、港町の街道へと出る。そこに留められていた蜥蜴リザードが引く車へと乗り込めば、ふとイドヒが思い出したように会話を再開させた。


「おっと、あの愚昧のことを忘れるところだった。アイツはどうした? 婚礼間近の兄に挨拶もなしとは、そんな雌に調教した覚えはないが」


 蜥蜴車の奥に座り込んだイドヒが、頬杖をついてゴーシューにそう問いかけた。真正面に座るゴーシューは、蜥蜴車の揺れを感じさせない強靭な体幹で背筋を伸ばし、元からない目をさらに細める。


「エリザさんのことですか。彼女なら兄である貴方のために、一足先へフリーディ山脈に向かわれましたよ。いやはや、流石は騎士団総長の妹君。少しでも兄の婚礼祝いを華々しくするべく、護衛もつけず1人で先に行ってしまわれるとは」

「フハハハ、なるほど。噂は本当のようだな。貴様は腹黒い狐だ」

「はて、どのような噂かは存じ上げませんが、前向きな言葉として捉えさせていただきましょう」

「好きに捉えろ。どうせ、私に害をなすことでもない」


 イドヒは上機嫌な様子で、蜥蜴車に常備されていたワインボトルを手に取る。年代が書かれたラベルを見ながら、他のボトルにも手を伸ばし、吟味し始めた。

 ゴーシューは、そんなイドヒの前から一本の黒いワインボトルを手に取ると、「これが良いかと」と言い、丁寧にテーブルの上に置いた。

 イドヒは差し出されたボトルに何の文句もないのか、愛でるようにそのボトルを光にかざして眺める。


「それで、フリーディ山脈には、いつ頃向かわれる予定で?」

「今夜には発つ。明日には、その何とか山脈を地図上から消さねばならぬかもしれんが、ハハハ、王女と私の婚礼祝いだ。盛大にやらねば、王国の民草クズどもにも悪いだろう」


 すぽん、と軽快な音を立てて抜かれるコルクに、イドヒはますます獰悪な笑みを深めていった。下卑た黄金色の瞳に映るのは、一体なんなのか。

 体の弱い王女への劣情か。

 もしくは、怨念を抱く元騎士の悲惨な最期か。

 それとも……。


「さて、あのクズにも、この祝福の鐘が届きてるといいのだが」









「……」

「GAO、どうしたのウォーカー?」


 フリーディ山脈に向かう途中、俺はなんだか嫌な予感がした。

 鈍色の空が、そうさせたのか。はたまた、この先に待ち受けていることが、それほどまでにヤバい案件なのかは分からない。

 ラスティも、そんな俺が気になったのか、歩みを止める。

 

「……なんかきな臭いな」

「さっきから、ウンコ踏んでるからじゃない?」

「え? そんなわけ…………あ、本当に踏んでるぅ」


 やっぱり、ただの気の所為だったかも。

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