6.山劔猪戦 後編



 

 こいつ、詠唱保有スペルホルダーの魔物かよ!?

 

 第二の口腔から紡がれる呪文。

 それは魔法を発動するための基本工程である。

 

 背中にあった第二の口腔から、ふっと小さな火が噴かれ、それが赤い闘気に伝播し赫炎へと変質する。体毛に沿って燃え広がったその様は、さながら炎の鎧を着込んでいると表現するべきだろう。

 

 燃える山の如き巨体が、地面を蒸発させながら猛然と俺に迫ってくる光景。

 

 気がつけば、熱気と圧力に押しつぶされそうになるほどの距離まで迫られた。

 

(――かわs)

 

 否、それはできないと瞬時に判断する。


 今これを避けると、そのままラスティに突っ込んでしまう。せっかく距離を離していた努力も、一瞬で水の泡だ。

 ここで、あの娘を守るように一直線上に立っていたことが裏目に出てしまった。


(だったら、残された選択肢は1つしかねぇ……!)


 この時点で、俺との距離は僅か2メートル弱。

 衝突するまでの時間、体感でコンマ数秒。


 俺はすぐさま思考を投げ打ち、騎士服から素早くベルトを外す。狙うは後ろ右脚。そこにはヴノオロスの炎の鎧が纏われていない。

 

 突進してくるヴノオロスを、僅かに横へ体をずらすことで直撃を防ぎ、すれ違い様にベルトを奴の後ろ右脚へと絡ませる。

 そして、自分の体を起点にしてベルトを引っ張った。

 

「重、た!」

「ブゴォ!?」

 

 ヴノオロスは予想外の浮遊感に驚いたのか、悲鳴を上げる。俺はそのままベルトに渾身の力を込めて巨体を投げ飛ばし、突進の軌道を逸らさせた。


 しかし、流石は魔猪の頭領。


「投げられてから宙返りって……もはや猪の動きじゃねーだろ」


 ヴノオロスは、まるで二階建て家屋のような巨体とは思えない身軽さで宙返りし、そのまま難なく地面に着地。再び俺へと突進しようとてきやがった。


(このままベルトで掬い投げても、いたちごっこか)

 

 ヴノオロスが、あまりに巨体すぎるせいで、さっきの一回でベルトは既に千切れかけてしまっている。

 もう一度同じことはできないだろう。


「ならあの攻撃を受け止めろってか……冗談だろ?」


 魔法を魔力膜なしで受けたらどうなるかなど、想像するに容易い。

 イドヒに追放されたあの日、俺はほぼ無抵抗のまま魔法によって落とされた。ラスティが心配していた通り、魔力膜なしで魔法を受けるのは自殺行為だ。

 

 そもそも人間には、最低限の魔力抵抗というものが備わっている。それは自身で張った魔力膜で傷ついたりしないため、自然と進化の過程で手に入れたものだ。

 しかし、俺の魔力抵抗が平人より並外れているとしても、それでも抵抗値はざっと500あるかないか。それに対し魔力膜は、どんな奴でも張るだけで抵抗値10000くらいは叩き出せる。

 まぁ、その抵抗値10000を破ってくるのが魔法攻撃というものなのだが……。


 つまり、俺はほぼ裸一貫で魔法攻撃を受けなければいけない。いくら糞石短剣があると言えど、こいつもどの程度耐えられるか……所詮はウンコだしな。

 

(だからって、今からラスティを頼る――当然その選択肢は無い)


「ふぅ……いいぜ、腕の一本くらいは覚悟してやるよ、猪野郎」


 俺は呼吸を整え覚悟を決める。

 懐に仕舞ってあった革水筒を取り出し、全身と糞石短剣に真水を手早く掛ければ、空っぽになった革水筒を地面へ投げ捨てた。水の中にも微弱な精霊がいて、そいつらが魔力を帯びているというし、文字通り焼け石に水だが、多少は抵抗値があがっただろう。

 

 頼れるのは俺お手製のクソ武器(文字通り)と、さっきかけた真水のみ。この短剣で受け止めつつ、真水で濡れた俺の体で押し返せば、なんとか体の全焼は避けられる……はず。 

 俺はヴノオロスを返り討ちにするため、糞石短剣を逆手に持ち直し静かに構える。


「かかってこい、テメーの腹かっさばいて牡丹鍋にしてやる……!」

「ブゴオオオオオオ!」

「オラ!」


 だがしかし、突き出した糞石短剣とヴノオロスの鼻先が衝突すると同時だった。

 パキンっと、そんな小耳の良い破裂音が響き、石短剣が刀身の半ばまで砕けてしまったのは。


「こんな、時にっ!」


 されど、そこで破壊は止まった。

 嬉しい誤算だ。

 この一週間、マトークシの森で散々魔物をこれ1本で相手していたため、たらふく魔物の血を吸い、思いのほか武器強度が増していたのだろう。

 

 柄を握っていた手の皮膚は蒸発し、骨と肉は焼けるような痛みが走るが――――問題なし。

 俺の体は吹き飛ばされていなければ、ましてや灰燼に帰したわけでもない。柄を握る右手は惨たらしい有様へ刻一刻と変わり果ててゆくものの、それでもなお自身の両足で受け止めることができていた。

 

「ブゴ、ブゴオオオオオオ!!」

「可笑しいよな、なんで魔力も持ってないひ弱な人間が、テメーの攻撃を受け止められてるのかって……!」


 ヴノオロスは唸り声を上げ、炎の勢いを増させた。

 疑問に思うのは当然だ。起こってはいけない現象が目の前で起こっているのだから、魔物であろうと驚愕するのだろう。しかも、こいつはスペルホルダーの魔物。知性も他の魔物と比べて高いに違いない。

 

 確かに魔力の存在は絶大だ。魔力を扱える者と扱えない者では、天地の開きがあると言われるほどにこの世界は不条理にできている。騎士団の中でも、魔力を使えない騎士はいないほどに戦闘では必須技能として挙げられる基礎能力だ。

 

 魔力を伴った攻撃は魔力膜で防ぐしかなく、魔力膜を打ち破るには魔力を伴った攻撃でなければならない。

 それが一般常識。

 けれど、一般常識なだけであって、それが真理ではない。

 魔力は絶大であっても絶対の力ではないのだから。微弱な魔力の盾と、頑丈な体、あとは意地でも受け止めてやろうとする根性さえあれば耐え忍べないものではない。今まさに、ヴノオロスの魔法攻撃を折れた短剣だけで押し留めている俺のように。


「いいことを、テメーに教えてやる……!」


 そして魔力が万能でなければ、それを源にする魔法もまた万能ではないということ。

 

「さっきから魔法に夢中になり過ぎてて、魔力膜の維持が疎かになってる、ぜ!」


 何度も無意味な攻撃を続けてきたわけじゃない。

 どれだけ弾かれようと、どれだけダメージが入って無かろうと。俺が何十と打ち込んだ蓮撃には全て意味がある。

 ヴノオロスは山と見紛うほどの巨体。さぞかし全てを澱みなく魔力膜で覆うのは辛いだろう。それに赤い闘気をだだ漏れさせていたところを見る限り、燃費もすこぶる悪いに違いない。

 

 魔法攻撃をしてきたのだって勝負を急いだからだろ?


 俺の攻撃が魔力膜なしでは受け止めきれないと、本能で理解したんだろ? 


 魔法攻撃のせいでかなりおざなりになってるのが、砕けた糞石短剣からも、爛れた右手を伝って理解できる。テメーの魔力膜が、薄皮みてーになってるのがな。


「今! 俺が全力でテメーを叩けば、倒せるってことだよなぁ!!?」


 俺はわざと突進を受け止めるために使っていた糞石短剣の力を緩め、ヴノオロスの頭上へ跳ぶ。

 当然、俺と押し合っていたヴノオロスの体は前へと進もうとするだろう。俺という標的が居なくなった前へと。

 

 俺はそんな無防備を晒したヴノオロスの、最も柔らかく魔力膜がほぼ無い左目へと、砕けた石短剣を突き立てた。

 魔力膜の練度、張られた薄さによっては、さっきまで効いていなかった攻撃も決め手となりうる。俺の渾身の突きを、今のコイツは受け止めきれない。


「ブゴォ、ブブゴオオオオオオ!」


 くり抜かれた左目の痛みによってか、ヴノオロスの魔法がキャンセルされる。その場で暴れ狂い、纏っていた炎の鎧は赤い闘気へと戻った。

 すぐさま魔力膜を張った防御へとシフトしようとしている。

 

 だが――。

 

「おせぇ!」


 魔力膜を強固にされる前に畳み掛ければ、倒せる可能性がある。

 

 ――今が、好機。


 俺は突き立てた糞石短剣を引き抜かず、爛れた右手で拳を作り、その上に左手を覆う。ハンマーに見立てたその両腕を勢いよく振り被り、魔力膜がおざなりになっている脳天へと叩き込んだ。

 

「震天撃!」


 間髪入れず、俺の両拳がヴノオロスの脳天に突き刺さる。頭蓋骨は硬いが、それを無視して一気に振り抜く。するとヴノオロスの顔が大きくひしゃげ地に沈み、弾力性が皆無であろう重さ1トンの肉体が、地面にバウンドして宙に飛んだ。

 騎士団養成所で教わる徒手空拳の技だ、隙も大きいし使い勝手は悪いが、破壊力だけはそこそこある。

 

 大きく跳ねた巨体がもう一度地面へと返ってきて、ずどんと地が揺れる。

 だがそれでも……いやここはあえてやはりと言っておこう。ヴノオロスは、のろのろとよろめきながらも立ち上がった。


「ブヒュゥゥゥ……」

「……そうか、そっちがその気なら俺も構わん」


 俺は殴った衝撃で抜け落ちた刀身半分もない糞石短剣を拾い、ヴノオロスを静かに睨む。


「――――とことん殺り合おう。どっちかが死ぬまでだ」

「…………ブブゥ」


 そう言った俺の言葉を理解したのか、はたまた理解せずただ興が削がれてしまったのか、ヴノオロスは小さく唸り声を漏らすと、そのまま踵を返して森の中へと帰っていった。 

 のっしのっしと巨体を揺らしながら消えていく姿は、試合に負けても勝負には勝ったような風貌である。


「ふぅー、やれやれ……なんとか帰ってくれたか」


 あぁー、しんどっ。

 

 俺は自分の醜くなった右手を見ながら嘆息した。

 ざっと今のヴノオロスの強さは第一等騎士くらいだったか? いや、少し盛りすぎかもしれん。いくらスペルホルダーとは言っても、魔法も弱かったしな。少し警戒しすぎたか。ラスティの言った通り、警戒指定がいいところかもな。

 

(だが、そんな魔物にこれだけダメージを与えられ、しかも逃がしてやるようじゃ、どれだけ自分が弱くなったか身にしみる)

 

 そう思い、俺はさっさとラスティに終わったことを報告しようと振り返れば、ちょうど彼女も解錠呪文を当て終わったところらしい。濁流のように流れていた赤色文字が緑色へと変化し、ぱらぱらと崩れ落ちているのが見えた。


「はぁはぁ……やっと、やっと開いた……! こんのーーー、陰湿魔法めーーー……! って、ウォーカーは!? 施錠魔法が解けたこと早く知らせなきゃ……って、GAO?」

「おう、ラスティ。そっちも終わったのか」

「も、もしかして1人で倒しちゃった?」


 ひどく焦った様子のラスティを見ながら、俺は頬をかく。

 んー、とりあえず、にんまり笑ってピースでもしとくべきか?

 しかし、そんな風に悩んでいる俺を見たラスティは、まるで目が死んだ狐のような表情になるも、気が抜けたのかぺたりとその場に座り込んでしまった。


「うへぇ、もう心配して損した〜……めっちゃ私急いだのに。なんか呪文みたいなものも聞こえてきたしさ!? もしかしたら、ウォーカー大ピンチかもって、泣きそうになったんだからね!?」

「近い近い! 分かったから落ち着いてくれ! ……なんかすまんな、心配してくれたみたいで」

「そういう時は感謝でしょ、この白髪お化け!」

「それはただの悪口じゃない!?」


 顔をグッと近づけて涙目になっているラスティを宥めながら、俺はなんとも言えない顔をするしかできなかった。

 

 だがまぁ、終わりよければ全てよし。

 時間のロスも最小限に抑えたのだから、呪いを受けている身としては上々な成果だったと言えるだろう。

 これで神殿迷宮への入り口が開いたのなら、あとは神器を手に入れるため、先に入った奴らを追い越すのみだ。










 ラスティが施錠魔法を解除した頃。

 神殿迷宮の中に、シルヴェスタ達とは違う、1つの団体がいた。

 

「――」

「どうかしましたか、シエン君?」

 

 1人の糸目の男が、僅かに息を呑んだ部下へと優しく声をかけた。

 息を呑んだ部下は、その特徴的な紫色の長い前髪から、ぐっと片目を剥き出すと――


「……施錠の術が破られた」

「ほう……つまり?」

「我ら以外に攻略者が来るぞ、ゴーシュー」


 ――厳しい声音でそう報告するのであった。


「そうですか。それでは祈るとしましょう。その方が、私たち第一等騎士よりも弱いことを、ね」

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