5.山劔猪戦 前編





「でっけー……」


 おいおい、どんだけ巨体だよ。ざっと目測だけでも、二階建ての家屋くらい体高はあるって。剣のような形の牙も、一本で俺の体より太いし、大きいんじゃない?


「GAO、そいつって山劔猪ヴノオロスじゃん! なんでこんなとこにいるの!?」

「あいつを知ってるのか、ラスティ」

「マトークシの森東部を支配する魔猪の頭領だよ! 魔物脅威度は推定でも警戒指定オーダーⅢはあるって言われてる! 滅多に縄張りから出てこないのに、どうして……」


 流石に集中していたラスティも、さっきのヴノオロスの咆哮で気付いたのか、扉から目を逸らして驚愕していた。目まぐるしく流れていた赤色文字も止まっている。

 

 ラスティの告げた魔物脅威度。

 それは魔物学者団が定めた魔物のランク付けである。実際には、指定基準の項目は強さだけではないものの、それでも上の指定に行けば行くほど、魔物が強いことが多い。


 警戒指定は騎士団でも第二等騎士以上で編成される十人隊での対処が推奨される分類――最大でも、小都市程度の壊滅が可能と判断されるだけの脅威を持つ魔物だ。

 

 つまり何が言いたいかと言うと。


「そこそこの強さだな、こいつは……!」


 俺は目の前のヴノオロスを警戒しながら続ける。

 

「ラスティは解錠呪文の特定に専念してくれ。こっちはこっちでなんとかする」

「バカバカバカ、何言ってんの!? 地直猪アグリオスにやられかけたウォーカーが、一人で勝てるわけないじゃん!」


 俺はラスティの制止も聞かず、腰ベルトから無言で糞石短剣を引き抜いた。


 たしかにな、ラスティの言う通り。

 今の俺は魔力膜を張れず、スキルも使用できない落ちこぼれだ。装備品も自作の短剣ひとつ。

 しかもこの糞石短剣、魔物の糞石を利用して作ったから軽い魔力を帯びているだけで、それでも警戒指定の魔物の魔力膜を貫くかは博打である。


 警戒指定ともなれば、ほぼ間違いなく体表全体に魔力膜を張っている。あの赤い闘気みたいなのがそれか?

 アグリオスのような雑魚魔物であれば、どこかしらに魔力膜が張られていない部位もあるんだが、やはりコイツにそれを期待するのは難しいようだ。


 だが。


「安心しろ、ラスティ。魔力が生成できなくても、この程度にサシで負けるほど、俺は落ちぶれちゃいない」

「――――っ!?」

「それに優先順位は神殿迷宮に入ること! こんなイノシシ野郎に時間を割いてる暇は、無え!」

「あ、ちょ、ウォーカー!」



 俺はそう叫びながら、ラスティの制止も振り切ってヴノオロスに吶喊する。

 


 シルヴェスタ流 魔物討伐の心構え

 その1 ――先手必勝。



「いくぞぉ!」

「ブゴオォ!」


 魔物は種類も多く、また搦手を使う個体もいる。相手のペースに合わせていては、いつの間にか窮地に立たされていたっていうことがざらに起きることだ。

 初撃で殺せるなら殺せ。殺せないとしても、相手に本領を発揮させるな。いやと言うほど体に染み込ませた鉄則である。

 

 俺はジグザグな軌道を描きながらヴノオロスの目の前に躍り出ると、同時、糞石短剣を引き絞る。


 ――小細工は要らん!


 フェイントも、ジャブもかなぐり捨てて一発目から大本命。ヴノオロスの鼻先に糞石短剣を叩きつける!


 ――ガギィン。


 しかし、まぁ、予想通りの結果が起こる。

 被呪後、幾度となく感じた魔力膜に阻まれる手応え。糞石短剣は敵の肉に突き刺さるどころから、硬い防具に阻まれたように体皮を滑る。


「――……ま、刺さるわけないか」

「ブゴゴ」


 ヴノオロスは、俺に向かって嘲笑するように鳴いた。


 戦闘中に失敗を引き摺るのは三流のやることだ。しかも、失敗するリスクがあると予め分かっているのなら尚のこと。次どうするべきかを考え、それを行動に移すべきである。


 俺はすぐさま地面を蹴ってヴノオロスの腹に潜り込み、振り回される牙を躱す。牙は掠めることもなく空を貫き、俺は尻尾側から這い出ると、すぐさま糞石短剣で切りつけた。

 が、当然それもダメージなし。


「GAOH、勝手に戦闘始めて……! バカバカバカ! もー、どうなっても知らないからっ」


 息継ぎの合間をぬって、後方にいるラスティを見る。どうやらちゃんと解錠呪文を当てる作業に戻ってくれたようだ。

 安心した。ここであの娘がこちらに気を取られていたら、それこそ俺が体張っている意味がなくなってしまうもんな。 


「さて、魔物討伐の心構え その2――臆すな斬れっ!」


 びびって攻撃をとめたらお終いだ。

 攻撃こそ最大の防御。どれだけ相手が強くても、殺される前に殺してしまえば必勝となる。


 土を抉りながら地面を蹴り、俺は何度も糞石短剣を振るっては回避を繰り返す。十発、二十発、三十発、目にも止まらぬ速さで蓮撃を繰り出すも、全て魔力膜に遮られているような感触がする。

 ヴノオロスも、俺の斬撃に微弱な魔力しか乗っていないことに気が付いたのか、次第に回避しようとすらしなくなった。


「ブオッフォ!」

「こん野郎っ……魔力膜の防御頼りのくせに、舐めやがって!」


 大木をなぎ倒しながら振り下ろされる頭頂部。

 地面を深く削りながら蹴り上げられる後ろ脚。


 どんどんヴノオロスの攻撃も大胆になっていく。

 巨大すぎるせいで、躱すにも大きく体を動かさないといけないのは面倒だが、動き自体は鈍い。

 なるべく、ラスティがいる入口扉から離しながら、かつ、俺のことを見失わないレベルをキープしつつ、木々が繁っている方へと一歩一歩、じりじりと誘因していく。


 魔物は基本的に魔法を使わない。

 魔力の伴う攻撃といえば、専ら魔力膜を張った物理攻撃に限定される。

 この物理攻撃も、ヴノオロスなら突進、ボディプレス、噛みつき、牙、脚蹴りくらいなものだ。そこまで対処し辛い攻撃でもない。それに魔力が乗っただけの攻撃なら、生身で喰らっても数発は耐えられる。


 警戒指定はそこそこ強いが、それは世間一般の話だ。俺の相手としては、呪いを受けていたとしても、かなり分不相応もいいところだと誇張なしで思う。

 ましてや不意打ちも、第三勢力も、罠もない真っ向勝負なら尚のこと。

 戦場でもないここでの戦いで、このまま戦闘が続いたとしても、なにかアクシデントが起きない限り、俺が負けることは――。



「――――ちょ、おま、それありかよ!?」


 脊髄反射で出た驚嘆とともに、俺はすぐさま目を疑った。

 どれだけ慎重になっていても、読めない展開というのはこの世にあるらしい。しかもそれが奇を衒ったようなものではなく、素で常識とかけ離れたものだったならば致し方がないのかもしれない。


 突如、ヴノオロスの額部分に一文字の切り込みが入る光景。ぱっくりと割れたその穴は、まさしく人間の口腔と瓜二つにしか見えない。


 俺はこの状況にごくりと唾を飲む。

 魔物に第二の口が出現する意味――その危険性は俺でなくとも誰もが理解していることだろう。この世界で普遍にして不朽の常識。

 

「こいつ、詠唱保有スペルホルダーの魔物かよ……!」

『Συνθλτε σφδρς φλόες』


 肉体に刻まれた種族スキルしか使えないはずの魔物が、唯一、自由に魔法を行使する手段――その奥義。膨大な魔力を保有することにより、新たな疑似器官をも生み出してしまう魔物だけが持つ、特異な現象。

 つまり眼の前にいるコイツは、呪いに掛かった俺にとって――



 ――命を摘み取るに足る天敵であった、というこだ。

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