1.世界で2人目の魔女





 追放されてから一週間後。

 俺は王国から離れ、辺境の地マトークシにいた。


 マトークシは王国領土南西部と公国領土の間にある集落地帯の総称だ。ベイベリー大森林やフリーディ山脈が隣り合った場所で、土地の95%は大自然。残り5%だけ人が住める地域になっているらしい。


 緑豊かすぎる為、ここではよく魔物が現れる。

 追放された際、装備品は全部持っていかられた俺は、急造の糞石短剣ストーンダガー一本で、それら魔物の相手を余儀なくされていた。


 そんな今の俺には危険としか言えない土地に何故来たのか。


 理由は簡単だった。

 昔からマトークシには、被呪者の呪いを解く秘密のスポットが眠っていると有名だからだ。


 あのクズ……イドヒとルリス王女の婚礼を取りやめさせるには、何としてでも力を取り戻す必要がある。魔力を生成できない体では、どんな些細な魔法でも致命傷になりかねないからな。

 呪いを受けてから散々と解呪を試してきたがどれも効果なし……もはや頼れる場所は、ここしか無かった。


「グォオオォン!」

「うぉお、出たぁ!」


 大樹の根っこを踏みしだきながら歩いていると、さっそく魔物が出てきた。

 猪型の魔物だ。名前は知らん。

 ただ猪型の魔物は基本的に足が速いやつが多いらしい。最速の個体なら、トップスピードはAライセンス詠唱師が放つ魔力弾速と同じだとかなんとか。

 

「グォ!!」


 前かきをしていた魔猪が、俺に向かって一直線に駆けてきた。

 

「っ――、ばっか野郎! 予想よりも速いじゃねーか!」


 俺は咄嗟に糞石短剣を構え、腰を低くする。


「しっ!」

「グ、ォォォ!」


 魔猪の頭と俺の胸がぶつかり合う瞬間、俺は糞石短剣の先端を魔猪の脳天に叩き込んだ。

 脳天を穿たれた魔猪は、細く悲鳴を上げながらも俺の体へ倒れ込んだ。


 別に帝国との戦争時、俺は魔力とスキルだけで最強と謳われたわけではない。

 当然、騎士であるためそれなりに剣術や徒手空拳にも自信がある。

 なにより呪いを受け魔力とスキルを失ってからも、肉体強化と体捌きの研鑽だけはずっと続けてきたのだ。今更、この程度の魔猪に負けてやるつもりは毛頭ない。

 

「やっぱ難題は魔力膜が張れないことだよなぁ……魔法攻撃だけは、魔力膜で体を覆う以外に防御手段が存在しないし。なにより、相手の魔力膜を貫通させる手段が、魔力を帯びた糞石短剣こいつ頼りって。……イドヒ相手じゃ、一瞬で燃えカスになるぞ、これ」


 俺がそうボヤいていた時である。


「グオォォォ!!」


 左後方――つまり死角から、さっきの魔猪と同じ鳴き声が聞こえた。


 咄嗟に目配せをする。さっき俺を襲ってきた個体の番か、それとも親か。分からないが体は一回り大きい魔猪が一匹。

 しかも既に走り始めており、何なら俺の懐まで、目測で4メートルのところまで迫っていた。

 

 俺はさっき倒した魔猪から、急いで糞石短剣を引き抜こうとする。

 しかし――、


(――まずい、抜けねぇ!)


 糞石短剣は魔猪の頭蓋骨に深く食い込んでいて、なかなか抜けなかった。力を込めて魔猪の頭も押してみるが、血が俺の手に滑り、糞石短剣は魔猪の頭に残ったままだった。


「――やばい!」

 

「<生物よ転べベネローサ・ランべ>」


 俺が糞石短剣を抜けず、体に力を入れ踏ん張るのを覚悟した時だった。

 横合いから魔法を唱える少女の声が聞こえた。


 何かに躓く魔猪。

 そのまま自身の早すぎる速度も相まって、軌道を逸らし吹っ飛んで大木にぶつかる。


 大きな大木を揺らして直ぐ、襲ってきた魔猪は頭を左右に揺らすも、訳が分からなかったのだろう。大きなたん瘤を頭に作ったソイツは、体を起こした途端に逃げていった。


「GAO、間一髪ってところかな。<地直猪アグリオス>の夫婦に襲われるなんて、運がないね」

「女の子……?」


 いつの間にか俺の前に立つ少女が一人。

 短杖を翳したまま、フードの奥から静かに俺を覗き見ていた。


 



 ■



 

 

「安心していいよ。魔物避けの施しを掛けたから」

「助かった。もうさっきのも来ないのか?」

「うん。アグリオスは意外とビビりだからね」


 軽やかな声音で少女はそう告げる。


 どうも彼女はこの近辺に住む先住民らしい。やたらと魔物にも詳しそうだ。

 そんな少女は、俺のことを足のつま先から頭のてっぺんまで一通り舐めるように見ると、こてんと小首を傾げた。


「このマトークシにいるってことはさ、やっぱり騎士さんも解呪目的だったりするの?」

「え? あー、まぁそんなところだけど……って、ちょっと待てくれ。なんで俺が騎士だって?」


 俺の言葉を聞いて少女はフードの奥で目を皿にした。何を言っているんだコイツ、と言わんばかりの表情である。

 そして俺の胴あたりを指差し言うのだ。


「なんでって、それ騎士服でしょ。それもかなり位が高いやつ」

「あっ」

「もしかして、天然?」


 そういえばそうだったと思わされた。


 流石の詠唱師連中も、俺から服装まではぎ取ることはしなかったからな。

 着替える暇もなく(と言うより、新しい服を買うお金が無く)王都から追い出されたのだ。

 平時からいつも騎士服を着ていたから、すっかり私服気分でいたのもあるけど。

 

「それにしても大層な呪いに掛かってるんだね。どこで掛けられたのって、聞きたくなるレベルですごい」

「……呪いが分かるのかい?」

「GAO、まぁ」


 フードの少女は指で丸を作り、そこから覗くようにし唸ると、天を見上げ黙った。

 俺はその間に、転ばしていた魔猪の死骸から糞石短剣を引き抜く。

 

 少女がこっちを見た。


「騎士さんは呪いで魔力も生成できてないでしょ? 魔力膜が張れない人間なんか、マトークシにいたら普通死んじゃうよ。魔物の中には魔法を放ってこないにしても、魔力膜でしか防げない魔霧や魔毒を放つ種類もいるんだから。ほんと今日まで運が良かっただけ」

「それはまぁ……確かに魔力膜なしじゃ危ないけど」

「でしょ? 悪いこと言わないから、さっさと解呪なんて諦めて帰ること! 一度助けた人が死ぬなんて、私も目覚めがわる――」

「それは駄目だっ!」


 咄嗟に俺は彼女の言葉に覆い被せ、叫んでしまった。


 流石に少女も怪訝な表情を浮かべて返してくる。分かってもらいたいなんて気持ちは、さらさらない。

 だが諦めろと言われて、「はい、そうですか」で済ませるほど、俺もできた人間じゃないってことだ。

 例え死ぬかもしれないとしても、それでもやらなきゃならんことがある。


「悪い、大きな声出して……」

「GAOH、別に気にしては無いけど……なんでそんなに必死なの? やっぱり王国の人間ってことは地位が大事ってこと?」

「地位じゃねぇ。……大切な人にもう一回逢うためさ」


 感謝の言葉も伝えられず、追放されてしまった。

 しかも自分のせいで最悪な人間に嫁がされる羽目にもなって。


 これは俺がやらかしてしまったことだ。エリエスタ嬢やイドヒなんかに嵌められた俺のせいだ。

 だから何とかしてやりたいという気持ちがある。

 けど、それを何とかするためには今の俺ではあまりに無力すぎた。


「どうしても助けたい人がいるんだ…………あんたにはなるべく迷惑をかけないようにするよ、だからすまん……見逃してくれ」


 俺がそのまま頭を下げ、踵を返そうとした時だ。

 フードの少女が短杖を俺を突き付けてきた。


「気が変わった。いいよ、私が呪いの解き方を教えてあげる」

「…………は? 今なんて!?」

「GAO、私の眼はちょっと特殊でね。騎士さんに掛けられた呪いの詳細も、それに対する裏技も教えてあげられる」


 まじか、この娘……!

 

 呪いの詳細が見える眼なんて聞いたことが無い。それが本当なら物凄い事だ。

 何十年……いや、何百年とこの世界に生まれなかった逸材である。それこそ、出るところに出れば超重要人材として召し抱えられるほどに……。


 だからこそ、俺は少し警戒してしまう。


「どうして急に気が変わったんだ。悪いけど、あんたにメリットがないだろ」

「別に気にしなくていいよ。もちろん、こっちも打算ありきってだけだからさ。私はどうしても王城に入りたい。騎士さんが何をするか分からないけど、呪いを解いたら王国に乗り込むんでしょ? 私もその時に連れて行ってほしい」


 少女は俺の方に向き直りそう言うと、ゆったりとした歩調で俺に近づいてくる。


「だからこれは契約。私が騎士さんの呪いを解呪させてあげるから、騎士さんは私の役に立って」


 完全に俺の真ん前まで来た少女は、静かな口調でそう告げた。

 身長差のせいで、自然と俺が見下ろす形になっているが、どこか見下ろされているような感覚になるのは、気のせいだろうか。

 俺はごくりと唾を飲んでしまう。


(本当に信用していいのか、この娘を……)


 目の前で佇む少女に、一抹の不安を覚えない訳ではない。

 が、この子と出会い、はじめて光明が見えたというのもある。

 これはきっとチャンスなのだろう。腹を括るべき瞬間が来てしまった、ということだ。


「……シルヴェスタだ。シルヴェスタ・H・ウォーカー」

「?」

「騎士さん、って呼ばれても今の俺は騎士じゃないからな。名前だよ」

「GAOH、名前か。じゃあ、シルヴェスタってながいし、ウォーカーの方でいい?」


 合点がいったという様子で、ラスティはこくりと頷いた。


「私はラスティ。好きに呼んでいいよ」

「好きにって、ラスティ以外どうも呼べんだろ」

「たしかにそうかも! 私もラスティ以外で呼ばれたことないや」


 続けて、驚いた様子でそう言うと、少女はくすくすとあどけない感じに笑った。

 まじで変な子に目を付けられた感じしかしないんだけど、もしかして俺、今選択を間違えたか……?


 一瞬、そう思いそうになるも、すぐに俺は首を横に振る。

 いいや。今まで呪いについて何の手掛かりもないんだ。縋れるものには、なんでも縋った方がいい。


「よし。なにはともあれ、俺は呪いを解呪したい。アンタは何をするか知らんが王城に入りたい。俺たちの目的はある意味では交わっているってことで相違ないか」

「GAO。相違ないよ」

「だったら俺も拒む意味はない」


 俺はそう言って右手を差し出す。

 だけど、彼女にはどういう意図かわからないらしかった。


「?」

「あぁ、マトークシでは無いのか? 握手っていうんだ。友達とか仲間内での挨拶としてやるんだけど……知らないか?」


 俺はそう言って自分の手と手を結んで説明してみた。

 ラスティはそれをフードの奥からまじまじと覗けば、快活に頷く。


「なるほど。私その王国文化はちょっと好きかも」


 そう言って、ラスティが自分も握手を返そうとしてくれた時だ。

 ふわりと風が吹き少女の被っていたフードが取れる。


「あっ」

「え?」


 面貌をあらわした少女には、常人離れした特徴が2つあった。

 紫水晶のような瞳に灯る揺らぐ光。

 フードのせいで隠れていた、一対の太巻き角。

 ふわりと溢れんばかり零れ落ちた、綺麗に結ばれたピンクブラウンの髪や、讃える言葉を一瞬無くすほど可憐な面立ちより、明らかに目を引く特徴たち。

 平時ではまず見ることがないだろう、それらはまさしく――。


「あんた……それ、魔女の……?」


 ――ラスティが魔女であることの証明だった。


「あはは、もうバレちゃったかぁ……GAO、私は魔女と呼ばれる存在。まだ見習いなんだけどね」


 魔女。

 それは王国で最も欲され、現在でも世界で一人しか存在を確認されていない伝説の存在。

 

 ――『魔女に見初められしもの、いずれ国の長となるだろう』

 

 かつて魔女に選ばれたとされる初代国王。彼がそう予言を残したこともあり、その不思議な存在は今もなお王家によって探索されていると噂があった。


 だがここに、歴史上存在しない2人目の魔女が俺の前に立っている。


「今更、契約破棄は無しだよ、ウォーカー! 君は私――見習い魔女のラスティに拾われちゃったんだからね」


 見習い魔女ことラスティ。

 彼女はそう言い放つと、遠慮なく俺の右手を握るのだった。

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