第2話 心霊トンネルの向こう側


 俺だった。回っているのは俺の視界だった。

 目が回ってるんだ。頭が、全部が回って、気持ち悪い。

 どっちが正しいのかが分からなくなって、立ってられなかった。


 真っ暗で懐中電灯の明かりの範囲しか見えない中、急にそれを動かしたから、平衡感覚とかが狂ったのかもしれない。

 落ち着くまではすぐだった。五秒も経ってないはずだ。


 けど、立ち上がってみると、正面に入り口の光が見えた。

 いつの間にか百八十度回ってた。割と三半規管強い方だと思ってたんだけど、やっぱ緊張とか、外との温度差とかのせいなのか。


 ……なんとなく、もう地蔵の確認はいい気がして、入り口の方に戻る。


 走って出ていくのもダサい気がするから、余裕ぶって、歩いて。

「やっぱこのトンネルヤベーかも。なんか中で一瞬目眩みたいなんしてさー」と。

 まずは笑いながらあいつらをビビらせてやるつもりだった。


「あ、お、おかえり、そ、ソラモリ君」

「は」


 でも、外にあいつらはいなかった。

 代わりに顔も見たことがないような男子が、話しかけてきた。


 ……まさか俺一人だけ置いて帰ったのか。ドッキリ的な、どっかに隠れて反応を窺ってたりするのか。

 他にも同時に色々な可能性が浮かんでぐるぐる回ったけど、どれも上手く今の状況に繋がってくれなくて。


 ……最後になんとか繋がってる気がしたのは、「実はトンネルは貫通していて、間違えて反対側に出てきてしまった状況」だった。


「そ、ソラモリ君?」

「ごめん、人違い。俺、中村だから」


 そのソラモリ君は、そんなに俺に似てるのか。にしても聞いたことない名前だ。名字にしたって名前にしたって、結構なインパクト。まあ、俺が言えることでもないけ――


「なか、むら……え、ちょ、ど、どういう? ちょ、待ってそら……ふ、冬空君!」


 は。


 トンネルへ引き返していたが、思わず振り返ってしまう。

 ソイツは、俺とタメくらいの小柄なメガネだ。あんまり手入れしてないようなモサついた髪と、ヨレたセンスのない服、おどおどした態度の、クラスでのカーストが低そうな男子。


 俺にこんな知り合いはいない。同級生だったら顔くらい覚えてるはずが、全く記憶に無い。


「君、名前は?」

「え、て、寺林……。ほ、ホントに、どうしちゃったんだよ、ソラモリ君」


 今度は、可能性も何も出てこない。

 ただ意味が分からない。なんでこんな見たこともない奴が俺のことを知ってる。なのになんで、俺をソラモリって呼ぶ。

 なんで、暑いはずなのに、こんなに寒気がする。

 ……意味わかんねえ。


「ごめん、俺、あっちで友達待たせてるから。じゃ」

「え。ま――」


 何か聞く前に、トンネルの中へ走り出していた。


 なんだ。なんだあいつは。なんだこの感覚。

 怖いのか。何が。あいつか。一方的に知られてるのが怖いのか。あいつが俺のストーカーで、当たり前みたいにトンネルの反対側で待ち伏せてたのが怖いのか。……いや、多分これも違う。

 じゃあなんで、不思議そうに、心配そうに俺を見るあいつの目が、あんなに怖かったんだ。


「――っ⁉︎」


 懐中電灯の円の中に、ふっと人型の何かが現れた。

 声を上げる前に、それが地蔵だと分かった。

 膝くらい、子供くらいの背丈の、道の真ん中に立つ地蔵。宮野が言っていた、何かと見間違えた地蔵。


「は」


 ――そして、その後ろではコンクリートで固められた壁が、少しの隙間もなく道を塞いでいた。


 どんどん意味不明が溜まってくる。

 脇道なんてなかった。トンネルは完全に直線だった。


 ……突然、寒気より強い悪寒がして、今度は外へ向けて走り出していた。

 この意味不明な状況がトンネルのせいなら、もう一度抜ければ何か変わるんじゃないのかと思った。だとしても、意味はわからないけど。


「――ぁ」


 く、そ。


「ま、待って、そ、冬空君!」


 また見えてしまったメガネの隣を抜けて、俺はクソ暑い外に飛び出した。

 そのまま夏の山道を、走り抜ける。


 どこかにあいつらがいるんじゃないのか。あのメガネも、松島あたりが用意した最低のドッキリだったりするんじゃないのか。


 走れば走るほど、可能性が遠くなっていく。

 まず、最初から景色が違っていた。少し下ったら綺麗に手入れされてる畑があった。こんなに道の幅は広かったか。あんなマークの標識なんかあったか。この辺までバスは登ってこないんじゃなかったか。そもそも、バスってあんな形だったか。



 ――ていうか、人って空飛べたっけ?



 少し開けた場所に出たとき、何かが見えたと思ったら、頭の上の高いところを人が飛んで行った。かなり速かったからはっきりとは見えなかったけど、雨合羽みたいなものを着ていたように見えた。


 そのまま街を見下ろして、完全に気付いた。

 全部が全部、俺が知ってるのと微妙にズレてる。

 ここは、俺が知ってる場所じゃない。


「ふ、冬空、君……!」


 振り返ると、さっきのメガネが追いかけてきていた。お決まりみたいに運動も苦手なのか、やたら息を荒くしている。

 考える前に、俺はそいつに尋ねていた。


「なあ、ここって、どこ?」


 するとそいつは、息を切らした苦しそうな顔のまま、しばらく俺を見返してきたが、突然、何かに気づいたみたいに息を止めた。


「も、もしかして、君は、ソラモリ冬空君じゃ、ないの……?」

「俺は、中村冬空。そんなバカみたいな名前じゃない」

「で、お、俺のことも、知らなくて、ここがどこかも、分からない……?」

「そう」


 それだけだと記憶喪失みたいだ。もうついでだ。分からないこと全部言ってやる。


「お前のことも知らないし、人がなんで空飛べてんのかも知らない。あんな形のバスなんか見たことないし、あんな東京タワーみたいな塔なかった。外で、待ってたはずの篠田とかいなくなってるし、ソラモリってどんな字だよ。……なんだ。なんなんだよ。どうなってんだ!」


 最後まで言ってから、自分の声の大きさに気付いた。案の定、メガネはビビったみたいに固まっている。でもどうでもよかった。それよりどうなってるのかを、とにかく知りたかった。


「……俺が知ってる、そ、冬空君は、もうちょっと言葉が丁寧だった」

「は」


 思わず口から漏れた音も、強い声だった。それにいちいちメガネは震えるけど、


「髪型も、服装も、さっきまでと、ちょっと違う。でも、さっきから言ってることはおかしいけど、お、おかしくなってるようには見えないし、記憶喪失にしては、ないはずのことをあるって言ってるのがおかしい」


 声も震わせながら、喋り続ける。正直、こいつがぶつぶつ何言ってんのかは分からない。そんなことより早くここがどこなのか教えろと、怒鳴ってやろうかとも思った。

 でも、さっきから引っかかってるのが、こいつがさっき言った「俺が知ってる冬空君」。


 こいつが知ってて、俺が知らない俺って、


「もし、冬空君が、トンネルの中で頭を打って、いろんな記憶が奇跡的にねじ曲がったとかじゃなかったら……」


 俺は頭なんか打ってない。

 だったら、



「――君は、どこか別の世界線、パラレルワールドから来た冬空君、かもしれない」



 別の世界線、パラレルワールド。

 ふっと笑いそうになって、思わず口元を押さえる。

 なんだそれ。そんなの。

 それくらい、聞いたことはある。どこかで別の可能性とか別の未来とか、そういうの。なんかの映画か、漫画で見た。


「なあ、君、寺林君、だっけ」

「え、はい」

「君、オタクだろ」

「へ」


 ほら見ろ。この反応は当たりだ。

 アニメの見過ぎだから、そういう思考回路になるんだ。パラレルだとか別の世界だとか、そんなことが現実に起こるわけがないだろ。

 そんなものが実在して、俺一人だけが全く別の場所に飛ばされたとか考えるくらいなら。


 ――俺一人が狂ってるって考えた方が、断然信じやすいんじゃないのか。


「そうだ。俺さっき、トンネルん中で急に目回ったんだ」

「え」

「あと、頭打ったのも、忘れてるだけかも。そういやさっきからなんか左のこめかみ痛いし、暑いからかなんかフラフラする。ごめん寺林君、悪いんだけど、ちょっと病院連れてってもらっていいかな?」


 と、俺はできるだけ反論しにくい口調で言い切った。するとメガネはまた少し固まってから、「……うん。わ、わかった。その方がいい、と思う」と言って、前を歩き始めた。


 そのまましばらく山道を下って行って、途中の自販機でメガネは飲み物を買ってくれた。渡されたのは微妙に見たことのないスポーツドリンクで、自販機の中身も大半は知らないメーカーのもので、自販機自体も何となく見慣れない雰囲気だったけど、当たり前みたいにコーラはあった。それも追加で買って、俺は久々に冷たいものを飲んだ。そういや金は普通に使えた。スポーツドリンクは、どっかで飲んだ味だった。


 もう少し歩くと、バス停は大体記憶と同じ場所にあって、ちょうどさっきのバスが引き返してきたから、メガネの奢りでそれに乗った。車内は変わらなかったけど、揺れとエンジン音がほとんどしないバスだった。


 街中に戻ってくると、違和感はさらに大きくなった。

 道は同じでも、建物が違う。大きな建物の大きな看板に、全く見たことのないロゴが書かれている。見たことあるようなものもあって、書かれてる文字は同じでも、上手くできた偽物みたいに微妙な違いがある。あったはずの店がない。さっきまでのバスと同じように、車もバイクも電気自動車より静かに走ってる。


 ……さっきは「気がする」くらいだったけど、そろそろ本気で頭が痛くなってきた。ついでにまた目眩みたいな、突然足元がなくなったみたいな感覚と、寒気までしてきた。

 やっぱり、本当にこれは、俺がおかしくなっただけなんじゃないのか。


 もう一度その可能性を信じ始めたときに、駅で乗り換えていたバスは病院へと着いた。

 病院もある場所は同じでも、建物の規模が違っていた。全体的に小さくて、三階建てが二階建てになっていた。

 それを見上げながら歩いて、入り口を開く手前のところで、そういえばなんて言って診てもらえばいいのかが分からないことに気付いた。


 そこで立ち止まって、なんとなく視線を横に向けたとき。

 喫煙所の灰皿の前で、咥えた煙草に指先から出した炎で火をつけるオッサンを俺は見た。

 ……あんまりにも当たり前みたいな動きだったから、一瞬何がおかしいのかも分からなかった。


 それから喫煙所と反対側の、金網で囲われたテニスコートみたいな広場で人が浮き上がって、そのまま空へと飛んでいくのも見た。やっぱりさっきのは、見間違いじゃなかった。

 他にも気を付けて見てみると、おかしいところはいくらでもあった。人は飛ぶ。指から火は出る。あそこでは物が浮いてるし、向こうでは人型をした土の塊が工事を手伝っている。


 ――ああ、分かった。

 俺はこういう不思議な現象を、それこそ映画で見て知っていた。

 笑われたって仕方ない。でも俺はこのとき、さっき自分が出した疑問の答えを、突然理解できたような気がした。


 ああ、そうだ。



 たぶん「魔法」がある世界なんだ、ここは。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る