第三章 幸運な犯人 ~成金子爵毒殺事件~

第一話 名探偵令嬢と辺境伯の密偵と

 私の前に、エドガー閣下がふたりいた。

 ……自分でも矛盾をはらんだ表現だとは思うが、事実として閣下と同じ姿の誰かが、執務室に存在しているのである。

 一方は椅子に腰掛け、もう一方は帯剣礼装で壁に背を預けていた。


「「では小鳥、どちらが俺か、当てるがよい」」


 二人は声を揃え、挑戦的な表情でそんな問いかけを放つ。


 さきほどまで、私は使用人さんたちと楽しいお悩み相談へ打ち込んでいた。

 前回の一件ですっかり打ち解けた皆さんは、自主的に困りごとを私の元へ持ち込んでくれる。

 種々諸々の謎をつまみ食いできる至福のひとときは、しかし閣下からの呼び出しで中断を余儀なくされた。

 そうして執務室にやってくると、待っていたのはこの大きな謎だったわけである。

 閣下は私をよく理解しておいでだ。


 じつに、そそる。


 私は両手を顔の前で打ち鳴らし、そのまま揃えた。

 推理を行うためのルーティーン。

 脳髄が活性化し、思考が高速で駆け巡る。


「こちらが本物の閣下です」


 壁にもたれた閣下を指し示すと、ふたりは「ほう?」と片眉をあげた。


「なぜそう思う? 主人は席に腰掛けているものだろう」

「明瞭なことです。まず、匂いが違います」


 髪を撫でつけるための香油。

 これはどちらも同じものだが、僅かに椅子に腰掛けられた人物の方が濃い。

 つまり、塗られたのは後、ということになる。


「次にお腰の剣です」


 ハイネマン家の家紋が入った品物を軽率に閣下が人へ預けるとは考えがたい。

 椅子の人物は身につけておらず、壁にもたれた方は完全装備。

 となれば少しばかり、後者に重きが置かれるが……もちろんこれをフェイクと読むことも可能。


「ただ、椅子の方は机との高さが微妙に合っていません」


 辺境伯ほどにもなれば、椅子も机も特別あつらえの一点もの。

 身長や体重、体格などから逆算された最適な仕上がりのものが用意され、事実として昨日まではぴたりと高さが一致していた。

 だが、いまは違う。


「それが決定打か?」

「いいえ、一番気になったのは……」


 壁側の閣下からの問い掛けに、私は真っ直ぐに顔を向けて答える。


「その瞳です」


 不躾ながらマジマジと観察すれば、やはり色彩と照り返しが異なる。

 椅子の人物の瞳も間違いなく虹色なのだが、ときどきに応じて色合いを変えたりはしない。

 対していま視線を合わせている彼の瞳は、興味深そうな太陽の色をしていた。


「なにより、普段から慣れ親しんでいる視線は、こちらなので」

「クク」


 壁際の彼が、喉の奥で笑った。


「聞いたか? 俺の視線を普段から感じていると。この勝負の軍配は、明らかだな?」

「……致し方ありません」


 ため息を吐いて、椅子からその人物が立ち上がる。

 先ほどまでエドガー・ハイネマンの皮を被ったいた彼は、いまはもう、別人の姿をしていた。


「あなたは……衛兵さん?」


 辺境伯領へ初めてやってきた日に起きた事件。

 そこで顔を合わせた衛兵さんだ。


「いえ、それも変装ですか?」

「是だ、小鳥。これが俺の懐刀かいとうである」


 閣下の懐刀。

 なるほど。主人に変わって椅子へ腰掛けても怒られないとは、どうやらよほど信頼されているらしい。


「ご無沙汰しております、奥方さま」


 頭を下げてみせる衛兵さん。

 改めてみると、細身だが鍛え上げられた体付きをしている。

 ふむ……ちなみにお名前を訊ねても?


「どうか名は勘弁を。すでに捨てた身、影に身をやつす者ですので」


 ああ、そういう立場には、よくよく覚えがある。

 配慮をすべきだろう。


「では、代わりに質問を一つよいですか」

「なんなりと」

「先ほどまでの変装は魔術ですか? それから閣下。閣下は私に、釘を刺したかったのですか?」


 矢継ぎ早に問いをかければ、男性二人は顔を見合わせ、


刮目かつもくせよ、これが俺の妻だ」

「……お見それしました」


 意味不明なやりとりをするのだった。



§§



 衛兵さんは、普段こそ衛兵をしているものの、その本来の役割は密偵なのだという。

 彼は変装魔術の達人で、どのような人物にも擬態へんそう出来る、らしい。

 実際に、私の目の前で男性女性を問わず姿を変えて見せたが……体格だけはどうしてもオリジナルに引っ張られているようだった。


 そんな衛兵さんが私の前に現れた理由。

 これは極めて単純明快だ。

 前回起きた鉱山での一件、そう、こそ泥さんとの接触だ。

 衛兵さん曰く、


「特徴が無い、記憶に残らないというのは、それだけで密偵の大きな武器です。あらゆる場所にとけこみ馴染めますから。つまり、奥方さまにはこれ以降、万人を警戒していただかなければなりません」


 とのこと。

 大げさだとは思わない。

 逆に、彼は私を監視していると宣言したに近い。

 なぜならその瞳には、疑いようのない閣下に対する忠義が宿っていた。


 彼の主はエドガーさまなのだ。

 そうして私は、政敵から送り込まれた獅子身中の虫。

 いつ間者と接触して、お家の事柄を内通するか解ったものではない……そんな不安があるのだろう。

 だからこそ、不用意な接近を許したくない。


 ……というのを口に出すと角が立つことぐらい、さすがの私も心得ている。

 なので、こくりと頷くにとどめた。


 私のそんな様子を見た閣下は肩をすくめ、衛兵さんはため息を吐く。

 なにか、期待に添わない振る舞いをしてしまったらしい。


「奥方様」

「クク、そこまでにしておけ」


 なにかを言い募ろうとする彼の言葉を、閣下は笑みで遮った。


「賭けは俺の勝ちだった、違うか?」

「……資格あり、と見做すしかありませんね。解りました」

「よい、それでこその懐刀だ。それよりも、だ」


 ぐいっと。

 閣下が私に顔を近づけられて。

 こう訊ねられた。


「腹はかぬか、籠の中の小鳥よ?」

「茶菓子を食べ損ねましたので、空いてはいますが……」

「では、テーブルマナーの確認といこう」

「――はい?」


 私は、大きく首をかしげ。

 衛兵さんは、なぜかため息を吐いた。



§§



 カレンと衛兵さんが絶句している。

 場所は辺境伯邸の中庭。

 特別に設営されたテーブルには、様々な菓子やフルーツが並んでいた。


 閣下は主としての席に腰掛けている。

 では、私はどこにいたかといえば。

 ……なぜか、閣下の膝の上にいた。


 おかしい、奇妙だ。

 最初は私に、辺境伯夫人としてのマナーや気品があるか確認する、そんなノリで始まった食事会だったのだが。

 気が付けば私は閣下に抱えられている。

 幼子のようなダッコで、である。


「えっと、閣下?」

「食べよ。ナイフ程度、扱えぬ訳もあるまい?」


 それは、もちろん使えるが。

 どうにも反論を受け容れてはくれなさそうな雰囲気なので、私はスプーンに手を伸ばしてスープを口にし、ナイフを使って魚を切って食べ、最後に音を立てずお茶を喫する。


 一応、令嬢としての振る舞いは叩き込まれているので失礼はなかったはずだが、そもそも膝の上にいる時点で失礼とか全部関係が無いのでは? と思わなくもない。

 それは衛兵さんたちも感じているらしく、大変視線が痛い。


 紅茶を飲み終えたところで、カレンがあとしまつをしようと近づいてきてくれるが、これを閣下が止めた。

 何事かと思っていると、彼はナプキンを取り出し、手ずから私の口元をぬぐう。


「~~~~!?」


 カレンが奇声を上げた。悲鳴だったかもしれない。

 ついで辺境伯閣下はポケットを漁られて、飴玉を取り出されると、私の口唇へと押し当てられた。

 え、えー?


「餌をついばめ、小鳥」

「……そこまで愛玩あいがん動物としてみられているとは思いませんでした」

「愛玩? 字義の通りであれば、俺は既にして節操を捨て、飴玉を介することなく、この指先で直に、お前の唇へと触れているだろうよ」


 脳髄が理解を拒絶した。これは謎でもなんでもないからだ。

 私は飴玉に食らいつき、なんらかの甘さを、砂糖の甘さで誤魔化す。

 顔が熱い気がするが、知ったことではない。


 それを視て、閣下はたのしそうに笑い、瞳を悪戯っぽい紫色にして。

 衛兵さんの方を振り返った。


「この通り、我が妻は想定外の事態にもうろたえず、テーブルマナー、気品、奥ゆかしさを心得ている。くだんの宴に同行させること、異論は無いな?」


 閣下の宣言を受けて、彼は。

 盛大にため息を吐き、頭痛を堪えるように額を押さえてから、弱り切ったような笑顔で、こう答えたのだった。


「では、奥方様も参加出来ますように取り計らいます。ハゴス子爵邸の宴、そう」


 彼は、厳粛な表情で、告げた。


「成金子爵の、仮面武勇伝披露会へ」

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