第三章 幸運な犯人 ~成金子爵毒殺事件~

第一話 猛暑日と成金子爵

「小鳥よ、慈善事業に出かけるぞ」


 ある猛暑日のことだ。

 うだるような暑さを無視して、ライフワークたる謎解きに勤しんでいた私の元に閣下は現れると、そのようなことを言い放たれた。


 ハゴス子爵、という人物がいる。

 冒険者から一代で成り上がり、爵位を買い取ってしまった傑物で。

 世間に疎い私でも、彼の噂は耳にしていた。


 いわく、冒険者成金。

 曰く、ほら吹き子爵。


 黄金郷を見つけ、山ほどの金銀財宝を持ち帰って身を立てたとされる彼。

 そんな子爵が開くサロンでは、驚くべき冒険譚や武勇伝がまことしやかに語られ、客人を楽しませるのだという。

 閣下はそのサロンに、私を連れて行きたいのだという。


 興味はもちろんある。

 下世話ではあるが、どのようにして成り上がったのか、莫大な資産を作る切っ掛けとなった黄金郷の財宝とは何だったのか。

 解き明かしてみたい謎は盛りだくさんだ。


 だから子爵の別邸を訪ねたとき、私の胸は大いに高鳴っていた。


「……それほど愉快か、ほら吹きの謎を暴くことが」


 子爵邸の門を潜り、庭に植えられた小さな花々――おそらく薬草の類いだ――を眺めていると、どこか不満げな口調で、閣下が言葉を投げかけてこられる。

 普段からコロコロと変わる瞳の色は、心なし緑色をしていた。

 言うまでもなく、秘密の暴露は大好きだ。

 けれどそれ以上に。


「正しくは、精神性を知りたい、でしょうか」

「ほう?」


 つまらなさそうにしていたエドガー閣下の眉が、僅かに持ち上がる。

 どうやら意外な言葉だったらしい。


「閣下から見て、ハゴス子爵はどのような方です?」

「奇特なる篤志家とくしか、金払いは湯水の如く、それでいて会計は明朗。成り上がりでありながら貴族の責務をわきまえた男。しかして嘘吐き」


 これは凄まじい高評価だ。

 子爵の背後になにかしら後ろ暗いものがあったとしても、その全てが帳消しにされるほど、閣下はかの御仁ごじんを買っておられるらしい。


「ちなみに、嘘といえばどのような?」

「冒険者としての武勇伝。あれは偽りか、或いは誇張されたものであろうよ」

「しかし主賓ホストが客人を楽しませるため、大げさに話すことなどよくあることでしょう」

「……読めたぞ、小鳥。お前はハゴスの仮面を引っ剥がしたいのか」

「そこまで乱暴にするつもりはありませんが」


 急速に成長した金満家。

 それは、裏社会との繋がりを疑うには十分では?


「あるいは、〝結社〟と繋がっているとか」

「お前はおおよそはじめの推理を間違えるが、重要な部分で本質を射貫いている」


 と言いますと?


此度こたびの訪問、サロンへの招待を受けた理由は子爵を探るためではない」


 彼が。

 防人さきもりの顔で笑った。


「ハゴスの周囲に集まってきた虫どもの内情を、白日の下へ照らすためだ。そう――〝結社〟の末端が、確実に今日の宴を訪問しているのだ」


§§


 邸宅の中へ案内されると、いくつもの美術品が私たちを出迎えてくれた。

 ハーフウッドの作と思わしき黄金の壺や、エルフが手がけたと一目でわかる木工細工。

 なにより目をいたのは、エントランスに掲げられた『毒を吐くドラゴン』の絵画。

 見事な筆致で描き出されたそれは、噂話に名高い黄金郷の守護者だろうか。


 そんな風に目の保養をしつつ歩き進めれば、とうとう屋敷の中枢へと辿り着く。

 純白のテーブルクロスと銀食器が眩しいそこは、非情に豪奢な食堂だった。

 その主催者の席に腰掛けていた、でっぷりとした腹の、禿頭の中年男性が、私たちを一目見るなり立ち上がる。


「これはこれは、ハイネマン辺境伯夫妻様、よくぞ来て下さいましたな!」


 両手を広げ、人好きがする笑みで私たちを歓待した彼こそハゴス子爵。

 成金という言葉とは裏腹に、身につけている服装はむしろ大人しい。

 ただ、上質な生地を使っていることは一目で解り、ケバケバしさや嫌味よりも清潔感が伝わってくる。


 顔を合わせて解る、この人物は謎を秘めている。

 なんてことを考えていると、閣下が笑った。


「クク。子爵、貴様が我が家の扉をノックした数を忘れてはいない。その熱心さは俺を動かすに足りた。誇りに思うがいい」

「もったいなきお言葉。ささ、どうぞおかけになってくだされ。奥方様もどうぞ。一息を入れられましたら、宴を始めさせていただきます」


 すすめられるまま子爵の横合いに私たちは腰掛ける。

 ふむ……ということは、閣下に並ぶ地位の人物はこの場にいないらしい。

 つまり他の参加者……五名の人物は、貴族でない可能性もあると言うことだ。

 そこまで思考したところで、子爵が私たちの紹介をはじめた。


身共みどもなどよりよほど有名な御方ですが、今日が初顔合わせという方もございますからな、あらためてご紹介致しましょう。こちらの貴公子殿が、ハイネマン辺境伯様。隣に御座おわしますが奥方のラーベ様」


 どうぞよしなにと私は頭を下げる。

 さすがにその程度の礼儀作法は身につけていた。

 子爵は説明を続ける。


「次に、右手前から、トマス男爵。領地運営では身共など及ぶべくもない御方です」

「辺境伯様にはいつもお世話になっておりまして。そしてラーベ様、お初にお目にかかります。トマスでございます」


 立ち上がってお辞儀をする、キリッとした顔立ちの壮年男性。

 私も礼を返す。

 子爵が反対側を指し示す。


「こちらはとある商会の代表でベツトリヌ様。攻めた姿勢の経営で業績を伸ばされており、将来有望ともっぱらの噂です」

「どうぞ呼び捨てで。いやはや、対して年も違わぬというのに子爵さまとは商才が違いすぎましてねぇ……この場にいることが場違いだと感じていますぜ」


 応じたのは、仮面をかぶった人物。

 感覚拡張魔導具を装備することは珍しくないし、ここは公式な社交の場でも無い。

 顔を隠しても失礼には当たらないが……なにかしら秘め事があるのかもしれない。

 例えば偽名であるとか、身分が異なるとか。

 考えている内にも紹介は続く。


「マーズ夫人。身共の冒険譚を最も贔屓ひいきしていただいておりまする」

「うふふ。初めましてラーベ様。あなたもきっと気に入りますわよ。だってハゴス子爵の口は本当に達者なんですもの」


 こちらも顔の上半分に仮面をかぶっている女性。

 やはり偽名だろうが、かすかに鼻先をくすぐる香水は高級品。

 つまりは金と暇を持て余した貴族婦人か、大店おおだなのマダムという線が有力だろうか。


「トレニー導師。大変秀でた魔術師様です」

「ハゴスの私的な友人じゃと思っておくれ。あるいはやとわれじゃ」


 白い髭の老人が、顔中の皺を歪める。

 笑ったらしかった。


「最後に、剣聖ノイジー閣下。こちらは……さすがにご紹介の必要はないでしょうか?」

「ノイジー・ミュンヒハウゼンだ。諸国漫遊武芸旅の途中、子爵殿の軒先のきさきを借りてな、今は食客しょっきゃくとして居候をさせてもらっている。ところで――久しいな、エドガー。剣の腕は落ちていないか?」


 ニッカリと笑ったのは、メガネの老爺。

 だが、トレニー導師のように老いているという雰囲気はなく、むしろ全身から威風が吹き荒れていた。

 この場のおそらく全員が、彼については知悉ちしつしていただろう。

 だからこそ、閣下――エドガーさまが口を開かれる。


「お前が目をわずらわなければ、あの悲劇を起こすことがなければ……俺の日々は武にかたむき、剣技のいただきを目指していただろう。だがノイジー……我が領地を訪れたのなら、顔を見せろ。いささか寂寥せきりょうを覚える」

「かっかっか。うれしいことを言ってくれる。どうだ? 何ならこのあと、一手まじえるか……?」


 隠す気のない闘志がほとばしる。

 ノイジー・ミュンヒハウゼン。

 かつて、神前試合においてエドガーさまと武人の頂点を競った人物であり、大陸最強の名をほしいままにした剣聖でもあった。

 領地こそ持たないが、大騎士爵グレート・ナイツと呼ばれる特別な爵位をパロミデス王から直々に叙勲じょくんされており、信頼も極めてあついという。


 すでに一線を退しりぞき、楽隠居をされているという話だったが……武術素人の私でも理解出来る。

 このかたは、強い。

 あるいは、エドガーさまよりも。


「小鳥」


 エドガーさまが、私を睨む。

 瞳の色は、やはり緑色。


「俺が、勝る」

「ん」


 えっと、なに?

 それは、どういう感情からのお言葉で?


「かっかっかっかっ!」


 ノイジー様が、大笑いをされた。


「なるほどなるほど? さてはエドガー、武術に傾倒しなかった結果、もっと素晴らしいものを手に入れたか? いやはや、真っ当で安心したぜ。ああ、いいものだよな、守るものがあるってのは。それがしにはよく解る」

「????」


 混乱する私。

 むすりと黙り込むエドガーさま。

 見るに見かねたのだろう、ハゴス子爵が穏やかな表情で二度手を叩かれた。


「さてはて、秘密の集まりですので、顔合わせはこんなところで。それでは、宴の始まりと致しましょうかな。まずは、乾杯を」


 給仕たちが現れ、私たちの前にあるものを置いていく。

 透明な容器で出来たグラスだ。

 表面には見事な彫刻がほどこされており、一目でドワーフ製だとわかる。

 これほど透き通った、純度の高い硝子、あるいはクリスタル製の器は相当な技術と資本がなければ作れまい。

 まさしく贅を凝らした一品。

 だが、驚くべきことに、中に注がれた黄金色の液体には、さらなる工夫が凝らされていた。


「このように暑い日には、打って付けかと思いまして」


 なんとそこには〝氷〟が浮いていたのだ。


 魔術で作られた氷は、瞬く間に消え失せる。

 だが、この氷は今も酒を冷やし続けていた。

 自然に作られた氷を、手間暇かけて準備したのだろう。

 恐るべき贅沢、そして手腕である。


「おや?」


 そこで、マーズ婦人が首をかしげた。

 彼女の視線の先にあったのは、子爵のグラスで。


「ハゴス子爵、氷はどういたしましたの?」

「はは、お恥ずかしい話でして」


 指摘された成金貴族は、照れたように禿頭とくとうを撫でる。


「財をなしたばかりの頃、贅沢だからと氷入りの酒ばかり飲んでおりましたら腹を壊して死にかけまして……以来、ぬるいものか温かなものしか口に出来なくなってしまったのですよ」


 なるほど、資産家には資産家の失敗があると言うことか。

 小さな部屋で人生を送ってきた私には経験がないことだ。


 全員にグラスが行き渡ったのを確認して、ハゴス子爵は音頭を取る。


「それでは、本日の出会いに感謝を表しまして」


 そのまま乾杯の流れになりそうなところで。

 悪戯いたずらっぽい声が上がった。


「しかし、これでは黄金郷の毒杯、その再現だぜ」


 ぴたりと、子爵が動きを止める。

 彼の視線の先にいたのは、仮面の人物ベツトリヌさん。

 ベツトリヌさんは全員の杯を順番に指差し、飛びきりの冗談でも口にするように告げた。


「ひょっとして全員のグラスに、毒でも入ってんじゃないか?」

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