第三話 サロンへ集められた人々

 子爵邸の門を潜ると、見事な前庭が私たちを出迎えてくれた。

 咲き乱れる花や木々は、一見して統一性がないように思えるが、知識があるものにとっては宝の山だと解る。

 どれも効き目が極めて高く稀少な薬草だったからだ。


 しばし庭を観賞し、案内人をあまり待たせてもいけないと邸宅に入れば、今度は美術品が出迎えてくれた。

 ハーフフッドの作と思わしき黄金の壺や、エルフが手がけたと一目でわかる木工細工。

 なにより目をいたのは、エントランスに掲げられた『毒を吐くドラゴン』の絵画。

 見事な筆致で描き出されたそれは、噂話に名高い黄金郷の守護者だろうか。


 そんな風に目の保養をしつつ歩き進めれば、とうとう屋敷の中枢へと辿り着く。

 純白のテーブルクロスと銀食器が眩しいそこは、非常に豪奢な食堂だった。

 その主催者の席に腰掛けていた、でっぷりとした腹の、禿頭の中年男性が、私たちを一目見るなり立ち上がる。


「これはこれは、ハイネマン辺境伯夫妻様、よくぞ来て下さいましたな!」


 両手を広げ、人好きする笑みで私たちを歓待した彼こそがハゴス子爵。

 成金という言葉とは裏腹に、身につけている服装はむしろ大人しい。

 ただ、上質な生地を使っていることは一目で解り、ケバケバしさや嫌味よりも清潔感が伝わってきた。


 顔を合わせて解る、この人物は謎を秘めている。

 なんてことを考えていると、閣下が笑った。


「クク。子爵、貴様が我が家の扉を叩いた数は忘れていない。その熱心さは俺を動かすに足りた。誇りに思うがいい」

「もったいなきお言葉。奥方様にまでお越しいただけたこと、まっこと光栄至極。ささ、どうぞおかけになってくだされ。一息を入れられましたら、宴を始めさせていただきます」


 すすめられるまま子爵の横合いに私たちは腰掛ける。

 ふむ……ということは、閣下に並ぶ地位の人物はこの場にいないらしい。

 つまり他の参加者……五名の人物は、貴族でない可能性もあるということだ。

 そこまで思考したところで、子爵が私たちの紹介をはじめた。


身共みどもなどよりよほど有名な御方ですが、今日が初顔合わせという方もございますからな、あらためてご紹介致しましょう。こちらの貴公子殿が、ハイネマン辺境伯様。隣に御座おわしますが奥方のラーベ様。なんと名門クレエア家より嫁がれたとか」


 実家の名前が出ると、僅かに空気がぴりついた。

 さすが、と形容していいものかどうか解らないので、どうぞよしなにと当たり障りのない挨拶をしておく。 


「次に、右手前から、トマス男爵。領地運営では身共など及ぶべくもない御仁です」

「辺境伯様にはいつもお世話になっておりまして。そしてラーベ様お初にお目にかかります。トマスでございます。記憶の隅にとどめていただければ幸甚の至りにて」


 立ち上がってお辞儀をする、キリッとした顔立ちの壮年男性。

 早口だが滑舌がよく、それも相まって大変有能そうに見える。

 会釈をすると、子爵が今度は反対側を指し示した。


「こちらはとある商会の代表でベツトリヌ様。攻めた姿勢の経営で業績を伸ばされており、将来有望ともっぱらの噂です」

「どうぞ呼び捨てで。いやはや、たいして年も違わぬというのに俺と子爵様では商才が違いすぎましてねぇ……この場にいることが場違いだと感じていますぜ」


 応じたのは、仮面をかぶった人物。

 感覚拡張魔導具を装備することは珍しくないし、ここは公式な社交の場でも無い。

 顔を隠しても失礼には当たらないが……なにかしら秘め事があるのかもしれない。

 例えば偽名であるとか、身分が異なるとか。

 考えている内にも紹介は続く。


「マーズ夫人。身共の冒険譚を最も贔屓ひいきしていただいておりまする」

「うふふ。初めましてラーベ様。あなたもきっと気に入りますわよ。だってハゴス子爵の口は本当に達者なんですもの」


 こちらも顔の上半分に仮面をかぶっている女性で、なかなか立派な体付きをされている。

 やはり偽名だろうが、かすかに鼻先をくすぐる香水は高級品。

 ……いや、ほのかに嗅ぎ覚えのある香りもするが……何だったろうか……思い出せない。

 とかく、金と暇を持て余した貴族夫人か、大店おおだなのマダムという線が有力だろうか。


「トレニー導師。大変秀でた魔術師様です」

「ハゴスの私的な友人じゃと思っておくれ。あるいはやとわれじゃ」


 白い髭の老人が、顔中の皺を歪める。

 笑ったらしかった。


「最後に、剣聖ノイジー閣下。こちらは……さすがにご紹介の必要はないでしょうか?」

「ノイジー・ミュンヒハウゼンだ。諸国漫遊武芸旅の途中、子爵殿の軒先のきさきを借りてな、今は食客しょっきゃくとして居候をさせてもらっている。ところで――久しいな、エドガー。剣の腕は落ちていないか?」


 ニッカリと笑ったのは、メガネの老爺。

 だが、トレニー導師のように老いているという雰囲気はなく、むしろ全身から精悍さが滲み出ている。

 この場のおそらく全員が、彼については知悉ちしつしていただろう。

 だからこそ、閣下――エドガーさまが口を開かれる。


「お前が目をわずらわなければ、あの悲劇を起こすことがなければ……俺の日々は武にかたむき、剣技のいただきを目指していただろう。だがノイジー……我が領地を訪れたのなら、顔を見せろ。いささか寂寥せきりょうを覚える」

「かっかっか。うれしいことを言ってくれる。どうだ? 何ならこのあと、一手まじえるか……?」


 隠す気のない闘志がほとばしった。

 ノイジー・ミュンヒハウゼン。

 かつて、神前試合においてエドガーさまと武人の頂点を競った人物であり、大陸最強の名をほしいままにした剣聖でもある。

 領地こそ持たないが、大騎士爵グレート・ナイツと呼ばれる特別な爵位をパロミデス王から直々に叙勲じょくんされており、信頼も極めてあついという。


 すでに一線を退しりぞき、楽隠居をされているという話だったが……武術素人の私でも理解出来る。

 このかたは、強い。

 あるいは、エドガーさまよりも。


「小鳥」


 エドガーさまが、私を見遣る。

 瞳の色は、緑色。


「俺が、まさる」

「……?」


 えっと、なんです?

 それは、どういう感情からのお言葉で?


「かっかっかっかっ!」


 大笑いされたのは、ノイジー閣下だ。


「なるほどなるほど? さてはエドガー、武術に傾倒しなかった結果、もっと素晴らしいものを手に入れたか? いやはや、真っ当で安心したぜ。ああ、いいものだよな、守るものがあるってのは。いまのそれがしにはよく解る」

「????」


 混乱する私。

 むすりと黙り込むエドガーさま。

 見るに見かねたのだろう、ハゴス子爵が穏やかな表情で二度手を叩かれた。


「さてはて、秘密の集まりですので、顔合わせはこんなところで。それでは、宴の始まりと致しましょうかな。まずは、乾杯を」


 給仕たちが現れ、私たちの前にあるものを置いていく。

 透明な容器で出来たグラスだ。


 表面には見事な彫刻がほどこされており、一目でドワーフ製だとわかる。

 これほど透き通った、純度の高い硝子ガラス、あるいはクリスタル製の器は相当な技術と資本がなければ作れまい。

 まさしくぜいらした一品。

 だが、驚くべきことに、中に注がれた黄金色の液体には、さらなる工夫が凝らされていた。


「このように暑い日には、うってつけかと思いまして」


 なんとそこには〝氷〟が浮いていたのだ。


 魔術で作られた氷は、瞬く間に消え失せる。

 だが、この氷は今も酒を冷やし続けていた。

 自然に作られた氷を、手間暇かけて準備したのだろう。

 恐るべき贅沢、そして手腕である。


「あら?」


 そこで、マーズ夫人が首をかしげた。

 彼女の視線の先にあったのは、子爵のグラスで。


「ハゴス子爵様、氷はどういたしましたの?」

「はは、お恥ずかしい話でしてな」


 指摘された成金貴族は、照れたように禿頭とくとうを撫でる。


「財をなしたばかりの頃、贅沢だからと氷入りの酒ばかり飲んでおりましたら腹を壊して死にかけまして……以来、ぬるいものか温かなものしか口に出来なくなってしまったのですよ」


 なるほど、資産家には資産家の失敗があるということか。

 小さな部屋で人生を送ってきた私には経験がないことだ。


 全員にグラスが行き渡ったのを確認して、ハゴス子爵は音頭を取る。


「それでは、本日の出会いに感謝を表しまして」


 そのまま乾杯の流れになりそうなところで。

 悪戯いたずらっぽい声が上がった。


「しかし、これでは黄金郷の毒杯、その再現だぜ」


 ぴたりと、子爵が動きを止める。

 彼の視線の先にいたのは、仮面の人物ベツトリヌさん。

 ベツトリヌさんは居合わせたものたちの杯を順番に指差し、飛びきりの冗談でも口にするように告げた。


「ひょっとして全員のグラスに、毒でも入ってんじゃないか?」

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