第四話 二つの死体と、成立不可能殺人

 アゼルジャンさんは、宿舎の前で亡くなっていた。

 この場合の宿舎とは、労働者用のものを指す。


 その胸にはナイフが突き刺さっており。

 彼の両手は、柄を掴んでいる。

 第一発見者は同僚の技師であるローエンさん。


「徹夜でゴーレムを修理してて、かわりばんこに休んでいたんすよ。それで、交代してもらおうと思って宿舎に戻ったら」


 アゼルジャンさんは、死んでいたのだという。


「自殺とも他殺ともつかない状況ですね」


 周囲の野次馬が現場を荒らすことがないよう、カレンに指示を出しつつ、私は黒の手袋を装着。

 遺体を検分する。


 座り込んで傷口をよく見るが、さすがに鑑定術式でもないと生前に出来た傷か死後に出来た傷かは解らない。

 見て取れたことといえば、傷口が真っ直ぐではなく下方から上方に向かっている点。

 これは彼よりも身長が低い人間が刺したとも考えられるし、自ら掬い上げるように心臓を貫いたとも考えられる。

 あるいは、そう偽装したのか?

 ……違う、これはおそらく欺瞞ぎまん、ノイズの類いで。


「なんで、笑ってるんすか……?」


 ローエンさんが、青ざめた顔で私を見遣る。

 口元に指を這わせると、確かにそこは弧を描いていた。

 おっと、いけないいけない。ひとさまに見せちゃいけないものだ。

 気を取り直して、閣下に訊ねる。


「武術に秀でた閣下へ質問です。これは自死でしょうか、他殺でしょうか?」

「愚問だな。自ら命を絶つなどありえぬことだ」

「なぜ?」

「…………」


 そこで沈黙されますか。

 つまるところこの場では話せない流があるって。

 それは答えを言っているようなもの。


「ふむ」


 同時に、自分の視野が狭窄きょうさくしている事実にも気が付いた。

 一つ息をついて顔を上げれば、三つの事実が見えてくる。


 ひとつ、モーガンさんがしきりにこちらと接触を図りたがっていること。

 ふたつ、ミズニーさんの姿が、どこにも見えないこと。

 みっつ、周囲から敵意が押し寄せていること。


 こいつらが殺したのでは?

 俺たちに罪をなする付けるつもりだ。

 仕事を奪いに来た。

 監督どもの仲間だ。

 なら敵だ。

 敵だ、許すな。


 ……怨念のこもった囁きは無数。

 当然それは閣下の耳にも届く。


「……小鳥よ。間もなくこちらの手勢が駆け付ける。お前は調査をしたいのだろうが、しばし待て。俺か、メイドの側を離れるな」


 これに対して拒絶の意思を述べられるほど、私も自分の身が可愛くないわけでもないのだった。



§§



 さほど待たずして、増援はやってきた。

 閣下の忠実な配下である彼らは、即座に現場を保全。

 同時にこの場から一切誰も逃げ出せないように物理的、及び魔術的な結界を準備する。


 テキパキとした振る舞いで状況は整備され、私たちは幾つかの情報を手にすることになった。

 監督官ミズニー・バルデモの姿が、やはりどこにも見えないこと。

 その他に、この場から姿を消している人物はいないこと。

 宿舎から離れた場所で、いくつかの血痕が発見されたこと。

 そして――アゼルジャンさんの遺体から遺書のようなものが見つかったこと。


 書面には次のようなことが書かれていた。


『――これ以上の暴挙、看過しがたく。ミズニーの行う裏取引を阻むことかなわず。よって一命を賭してでも責務を全うするものなり』


 まるで告発の文面だが、肝心のミズニーさんは不在だ。

 考えられるのは、ミズニーさんの悪事をあばこうとしたアゼルジャンさんが返り討ちにあった。

 もしくは告発の正当性を示すため、自ら血を流した、といったあたりか。

 しかし監督官が不在となると事情が異なる。


 ミズニーさんは、昨晩の内に鉱山が逃げ出したのかもしれない。

 では、彼はいまどこに……?


 と、そこまで考えたところで、私の意識は現実に引き戻された。

 あてがわれた来客用の部屋に戻ってきていたのだが、窓が音を立てたような気がしたのだ。


 陣頭指揮を執っているため、閣下はこの場にいない。

 カレンも丁度席を外している。

 思考の間に、また窓が鳴る。


 どうやら小石が投げつけられているらしい。

 そっと外をうかがえば、そこに見覚えのある――否、覚えることが困難な人物がいて。


「――――」


 軽率な行為だ。

 絶対に後で閣下からお小言をもらうことになるだろう。

 それでも私は我慢がならず、部屋を飛び出していた。


 館の裏手の森へと飛び込み、その人物の背中を捉える。

 荒れた呼吸を意志の力でりっし、カーテシー……ドレスの裾を持ち上げ、足を引いてお辞儀をしてみせた。


「また、お会いしましたね――こそ泥さん?」

「へっへ……来ると思いやしたよ」


 そこにいたのは彼。

 辺境伯領にて初めて遭遇した殺人事件の、第一発見者であった人物。

 こそ泥さんが、にやけ面で立っていた。


「早速ですが、御用向きをうかがっても?」

「へぇ、あっしなんてのが奥方様のお時間を取らせるわけにはいきやせんからね。ここは単刀直入に申し上げやす。ある事柄と引き換えに、情報を差し上げてぇって話で」

「その情報というのは?」

「ここから半日ほど行ったところに崖があるんですがね」

「はい」


「そこで、ミズニー・バルデモが死んでますよ」



§§



 宿舎へと戻った私を待ち受けていたのは、両目を厳しくつり上げ、腕を組んで仁王立ちしている閣下だった。


「小鳥よ、独断専行が悪である理由を知らぬ訳ではあるまい」

「……私に万が一があった場合、閣下の御名にも傷がつくからです」

「ならば、以降控えろ。解るな?」

「はい」


 首肯し、しょんぼりと肩を落とせば、響く盛大なため息。

 彼はこちらを真っ直ぐに見詰めると、


「小鳥よ、無謀をするな」


 ぐいっと、私を抱き寄せられた。

 思わず目を白黒させてしまう。


「――私を、愛されないのでは?」

「愛ではない」


 違うのか。

 全身を彼のマントに包み込まれ、分厚い胸板の奥から鼓動の音さえも聞こえてきそうなぐらい密着したこの状況にも、愛などというものはないのだと彼は言う。


「だが、懐に飛び込んできた窮鳥きゅうちょうたすくは、貴族の使命と言える」

「招かれたのは閣下では?」

「同じことだ」

「…………」


 等価であるというのなら。

 閣下にとってそうなのであれば、何も口を出すことではない。

 私は彼に身を預けて――


「お嬢様」

「うわぁ!?」


 にゅっと横合いから飛び出してきたカレンが、私を閣下の腕の中から引きずり出し。

 そして自分の頬をこすりつけてきた。


「このカレン、お嬢様を大変お探し致しました。一言、せめて一言お声がけを給われれば無念に思うこともなく。ああ、お帰りがあと数刻遅ければ自害を志しておりましたところで」

「待って、待って、カレン」


 恐い、恐い、恐い、目が笑ってない。ドス黒い闇が渦巻いている……!

 このメイドは、やると言ったらそのぐらいのことはやる。

 やはり軽挙妄動だったか。

 方々に迷惑をかけてしまった。


「申しわけありません。カレンもごめんなさいね?」


 とにかく謝罪をし。

 それから、こそ泥さんからもたらされた情報を共有しようとしたところで。

 閣下が先回りするように、こう言われた。


「捜索隊によって、ミズニーの遺体が見つかった。ここより北に半日ほどの距離だ。全身の骨がへし折れており、皮膚を突き破っている。よって、崖から転落しての死亡。あるいは」

「それに見せかけた殺害、ですね?」

「……なぜ解る」


 怪訝そうに目を細める彼。

 私は、無意識に閣下の情報網をあなどっていたことを反省する。

 冷酷無慈悲な辺境伯という二つ名は嘘なのかもしれないが。

 しかし、彼が極めて怜悧な頭脳を持ち合わせていることは間違いないのだから。


 ならば、こそ泥さんとの接触すら、私を泳がせていただけという線だってあり得るか。実家の策謀を突き止めるためになら、やるだろう。

 ゆえにこそ、私は訊ねる。

 確認すべきことがあったから。


「閣下は、この事件が傍目からどう見えていると思われますか?」

「……アゼルジャンがミズニーを殺害した。悪政に耐えられず、だ。その後、罪を清算するために自決した。無関係な人間にはそう映る」

「では、アゼルジャンさんの死亡推定時刻は?」

「昨晩の、早い段階。今からおおよそ、半日前だ」


 口元が歪みそうになるのをかろうじてこらえ。

 私はただ確認を行う。


「つまりこうですね? アゼルジャンさんはミズニーさんを殺害後、自ら命を絶った。ミズニーさんはそれから、ここより半日の距離がある場所まで運ばれた。そして現場から姿を消した人物は、ミズニーさん以外いない。現在、半日分の時間が経って彼らの遺体は見つかった」

「待て、小鳥よ。それはつまり」


 そう、つまりだ。


「これは、成立不可能な殺人事件です。なぜって、移動するための時間的猶予が皆無なのですから」

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