第19話 城からの密命

「…っ!!」


 寝苦しさを感じ、雪華は寝台から飛び起きた。急に起き上がったことで軽く眩暈を起こし、掛け布を強く握りしめる。


 目の裏に赤い炎が明滅する。……熱い。けれどしばらくするとそれは炎などではなく、柔らかい光が窓辺から薄く差し込んでいるだけだと気付いた。


「夢……」


 一瞬ここがどこだか分からなくなったが、徐々に意識が覚醒し、見慣れた自分の部屋にいることが分かる。

 全身から汗が吹き出していた。掛け布を握りしめたまま、雪華は大きく息をつく。


「やっと起きたか」


「…ッ!?」


 ふいに頭上から低い声が落ちてきて、肩を波立たせる。飽きるほどに聞き慣れた、この声。

 まだはっきりしない視界で振り仰ぐと、寝台のそばに立った長身の男がこちらを見下ろしていた。


「……航、悠…?」


「ああ、おはよう」


 男――航悠が、中途半端に雪華に向かって伸ばしていた片腕を引っ込めた。そして部屋の隅に置かれた水がめの方へと歩いていく。

 それに手を突っ込み、杯を手に再びこちらへと戻ってくる一連の動きを雪華は呆然と眺めた。


「……なんで、私の部屋にいる……」


「あ? ……安心しろよ、お前の寝込みを襲うほど俺も命知らずじゃねぇから。朝餉あさげの時間になっても起きてこないから来てみたら、うなされてたんでな。ほら、喉乾いてるだろ」


 そう告げ、手に持った杯を雪華に手渡す。水の満たされたそれを見て、自分の喉がからからに乾いていることをようやく自覚した。

 水を一気に飲み干すと、急速に意識がはっきりとする。同時に引きつれるような痛みを腹部に感じ、雪華は顔を歪めてそこを押さえた。


「……っ」


「どうした、痛むのか」


「いや……大丈夫だ」


 痛みを感じたのは一瞬で、すぐに腹から手を離す。今着ている夜着の下、ちょうど背中から腹を半周するように雪華の腹部には火傷の痕がある。……古傷だ。

 それはあの逃亡の際に負ったもので、さいわい早く救出されたことで大事は免れたが、火傷痕だけは消えることがなかった。特に引きつれたりもせず、皮膚の色が違うだけなので普段は大して気にもしていないが――


「航悠。お前な……うなされてたんだったら起こせ。というか、勝手に入ってきたのか? 私だからいいものの、他の女性にやったら殺されるぞ」


「お前ならいいのかよ……。つーか、他の女は殺すとか言わねぇから。部屋入る前に確認はしたさ。でもうんうん言ってんのが聞こえたから、まずは起こそうとしてやったんだろ」


「……そうか」


 空になった杯を両手で包むと、体がひどく冷えていることに気付く。それを隠すように掛け布を引き上げると、寝台の端に航悠が静かに腰かけた。

 二人分の重みを受け、寝台が軽くきしむ。乱れた髪を整えながら、横目に航悠を窺った。


「……何か、言っていたか」


「いや? 別に」


 先ほど見た夢の光景が、おぼろに頭に残っている。だが特に不審な言動はしていなかったようだ。航悠に気付かれぬように雪華はほっと息を吐く。


「変な夢を見たんだ。驚かせてしまってすまない」


「別に珍しいことじゃないだろ。気にすんな」


「ああ……」


 整えた髪を崩すように、航悠が大きな手で雪華の頭を撫でる。その無骨な温かさに内心で息を吐き出した、そのとき――


「姐御~! 朝っつーかもう昼っすよー! 主人に怒られるんでいい加減起きて下さ――、あ」


 合図も何もなく、いきなり扉が開いた。外の光が部屋に差し込み、まぶしさに目を閉じる。

 明るさに慣れて顔を上げると、梅林が扉の取っ手を掴んだまま入口で固まっていた。


「お……お邪魔、しやした……。どぞ、ごゆっくり。かしら、いいときに邪魔しちまってすんません…!!」


 叫ぶようにそう告げ、扉が勢いよく閉められる。頭に手を置いたままの航悠と、雪華は無言で見つめ合った。


「……どうする? まあ梅林だし、放っとくか」


「……そうだな。梅林だしな……」


 大して考えもせずにそう結論付けると、航悠はもう一度雪華の頭を撫でて部屋を出ていった。

 ……もう、体の冷えは感じなかった。




「おはよう。……と言っても、もう昼か。梅林、わざわざ悪かったな」


「あ、いえ……。起きたんすね、姐御。もうちょっと遅くなるかとばかり……。オレ、やっぱり邪魔しやしたか」


「いや、まったく問題ない。……どうした飛路、風邪か?」


「……いや、別に……」


 階下に下りていくと、いつもの面々が卓に集まっていた。赤い顔をした梅林を適当にあしらい、視線を転じると飛路まで微妙に顔を赤くしている。

 飛路は雪華と航悠を見比べると、溜息をついて椅子へと腰かけた。その隣に座り、雪華は卓に置かれていた裏返しの紙を手に取る。


「なんだ? 依頼書か?」


「……あ。馬鹿、しまっとけって言っただろ」


「げ、すんません! うっかりして……」


「……?」


 不審な航悠と梅林のやり取りに、眉をひそめる。……雪華に隠しておきたい依頼なのだろうか。飛路の気遣わしげな視線を感じながら、その依頼書をざっと眺める。


「…………」


 読むごとに、顔が険しくなっていくのが分かる。そこには陽帝宮内の今の情勢と、依頼内容が細かにつづられていた。


「また、城からの依頼か……。ずいぶんとシルキア贔屓びいきが入り込んでるようだな」


「そうだな。俺らに密偵を頼むくらいだ。向こうさんでも把握できてないんだろう」


「……そうか」


 城の上層部からもたらされたらしい依頼の内容は、こうだった。

 『外朝に潜入し官とまじわって、シルキアと繋がりがある――まではいかなくとも、滞在している高官と懇意にしたり怪しい動きがある者を、洗い出してほしい。特に外朝内を自由に移動でき、官吏にも怪しまれにくい女官に足るものがいれば助かる』

 ……この「暁の鷹」で女と言ったら、雪華しかいない。


「受けるのか」


「報酬はいい。だが、できれば断ろうかと思ってる」


「? なぜだ」


「危険が大きすぎる。いくらお偉いさんが身分を偽装してくれるっつったって、バレないとは限らない。斎側の奴らならまだマシだが、シルキアにくみしてる奴らだと……面倒だ。それに城に住み込みになるからな。しばらくは他の任務ができなくなる」


「そうか……」


 珍しく乗り気でない様子の航悠に、再び依頼書へと目を落とす。

 斎の外朝への潜入、身分の偽装、内通者の洗い出し――たしかに危険だ。だが、なぜだか無視できない。


「もし暁の鷹うちが断ったなら、この依頼はどうなる?」


「内容が内容だけに、よそへは持ち込まれんだろうな。うちは情報の管理だけはしっかりしてるから。どうやら、城の上層部にえらく信用されてるらしい」


 つまりは、ここで断れば内通者の洗い出しは城の人間でのみ行われるということだ。それは不可能ではないだろうが、顔が知れている分どうしても限界はある。


「…………」


 ――迷う。国のために働くとかそんな気はまったくないが、この任務が結果的にはシルキアの干渉を多少は防いでくれるかもしれない。

 けれどそれは、胡朝を手助けすることに他ならない。


 龍昇の顔が頭に浮かぶ。目を閉じてその姿を打ち消すと、雪華は心を決めて顔を上げた。


「この任務、受けるぞ。……私だけでもいい。依頼に応じる価値は十分にあるだろう」


「えっ……」


 胡朝の――ひいては龍昇のためではない。

 受けたいから受ける。迷うなら自分の心が従う方を選ぶ。……ずっと、そうやって選んできた。


「やめろよ。……危ないだろ」


 だが驚きの声を上げ、真っ先にそれを止めてきたのは意外にも飛路だった。横を向くと、真摯な瞳が雪華をじっと見つめている。


「別にどこかに潜むわけじゃない。誰かと戦うわけでもないし、いつもよりも安全なぐらいだろ。大丈夫だ」


「でも……! あんたが、胡朝のために動くことなんてないだろ」


「胡朝のためだなんて誰も言ってない。依頼があれば、受ける。まして好条件なら当然だろ」


「……っ」


 何も言えなくなったように飛路が目を逸らす。そこでふと気付いた。飛路もまた、胡朝が好きではない……もしかしたら、憎んでいるのかもしれない。


「航悠は、どう思う」


「どう思うって……さっき言ったとおりだ。だが、お前の意見はもう決まっちまったんだろ。お前が一度決めたら動かないことぐらい分かりきってる。……仕方ねぇな。うちの姫さんの意見を尊重しますか」


 やれやれと依頼書を受け取り、航悠がわずかな苦笑を浮かべる。彼は真顔に戻ると雪華と飛路に視線を向けた。


「任務は少人数であたる。雪華と、俺と……飛路、お前も来るか? 嫌だったら青竹に回すが」


「……いえ……行きます。頭領と雪華さんだけだと、なんか滅茶苦茶なことしそうだし」


「滅茶苦茶かよ。……じゃ、俺らは任務の間ここを空ける。松雲、留守は頼むぞ」


「ああ。お前が仕切ってる時よりも実績を上げておく」


「さすがだな。帰ったら、俺と雪華の寝る場所がなくなってそうだ」


「俺は首領の器じゃないよ」


「松雲、すまないな。……いいのか、航悠」


 苦笑で応えた穏やかな年上の部下に礼を告げてから、雪華は今一度航悠に向き直った。相棒は肩をすくめると軽い調子で口を開く。


「ま、なんとかなるだろ。……だが絶対に、危険な領域にまでは首を突っ込むな。嗅ぎまわってることがバレたら切り上げる。何も情報が出てこなくてもいい。期間中、無事に過ごせりゃそれに越したことはない。飛路もな」


「はい」



 それから慌ただしく城の担当官と打ち合わせを重ね、月も終わりに迫った頃――三人は陽帝宮の官として外朝に潜入した。



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