悪辣なりしは邪神の計略 ※残酷描写あり
無理からぬ話だ。意識なくぐったりとする亜孤姫を抱え上げていたのは、源吾郎ではなく筋骨隆々としたオークなのだから。そのオークというのは、源吾郎が分身術で顕現させたものに過ぎないのだが。
源吾郎の膂力では、四十キロ前後の人型のモノを抱え上げる事は、まぁ出来なくもない。しかし先の亜孤姫との闘いで負った傷が痛み始めていた。そんな状況で重労働は流石に厳しい所である。
あるいはもしかしたら、分身術をこのように行使できるのだという事を、皆にアピールしたかっただけなのかもしれない。自分でも、その辺りの考えはうやむやだった。
「ああなんだ。オークみたいな畑好きの臆病者が今回参加しているのかと思ったら、島崎の分身だったか」
「それにしても、小娘一人を運ぶのに、分身術を使うとは大げさだなぁ」
「いやいや先輩。よく見てみてくださいよ。島崎君も満身創痍ですし、分身術を使って楽をしたいと思っても仕方がないんじゃないですかね」
「分身術を使うのが楽とはけったいな話だなぁ」
ああだこうだと言い募る先輩妖怪たちにざっと視線を走らせ、源吾郎は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。そうしている間に、分身のオークは亜孤姫をどさりと地面に降ろしていた。やや荒っぽい動作ではあったが、それで亜孤姫が目を覚ます気配はない。分身を消すと、源吾郎は一息ついた。
一体戦局はどうなっているのだろう。自分たちはまだ闘わねばならないのだろうか。
そんな事を思っていると、三尾の妖狐がこちらに駆け寄ってきた。狐狸精第三部隊の隊長を務める粟村先輩である。屋敷に潜入してきた時とは異なり、人型に変化した姿だった。源吾郎と同じように戦闘服を着込んでいるため、戦闘員や軍人にも見えた。
「雑兵たちの制圧は大方終了したと思うけれど……そちらはどうだね」
落ち着き払った表情で周囲を見渡し、粟村先輩は妖狐たちに問いかけた。部隊長を担っているという事であるから、八頭衆やその側近たちなどの上層部からの意見を受け、それを末端の妖怪たちに伝える役目ももちろん担っているのだろう。
余談であるが、紅藤や萩尾丸を筆頭とした八頭衆の面々も、もちろん屋敷の殴り込みには参加している。とはいえ源吾郎たちのように雑兵狩りを行っている訳ではない。雑兵たちを纏める司令官や八頭怪たちの側近、そして八頭怪そのものと闘うために、末端の部隊とは別行動を取っているのだ。
もっとも、八頭怪や山鳥女郎、そして邪神の息子たるイルマなどは、斃すのではなくて封じ込める事が今回の戦闘の目的である。猟犬が獲物を猟師の前に引き立てるように、峰白たちもまた、八頭怪共と闘いながら彼らを封印予定地に誘導せねばならなかったのだ。闘いながらそれとなく八頭怪たちを誘導する――それは百戦錬磨の猛者で無ければ出来ぬ事でもあるのだ。
なればこそ、若妖怪や一般妖怪たちは、雑兵の制圧というより簡単な役目があてがわれていたのである。
話を戻そう。粟村先輩が現れた事で、その場の空気は一変した。しかも、二つの感情が二分され、その場に共存していた。
源吾郎の仲間や先輩たちは、僅かと言えども安堵の念を抱いていた。その一方で、捕虜として捕まった者たちは緊張し、殺気だった訳である。
その感情が噴出した一人が、人型ながらも蛇の鱗を持つ男が、粟村先輩を睨みながら憎々しげに言い捨てた。
「制圧が大方終了しただと! ふざけるなこの畜生共が」
いいか貴様ら。蛇男は不自由な身体を揺らしながら言葉を続けた。
「俺は、俺たちは、八頭怪様からとびっきりの術と、その呪文を教えてもらっているんだ。それを唱えたら、一発で形勢逆転できるんだからな」
だったらその呪文とやらを唱えて見ろ。そんな事を言うものは誰一人としていなかった。危険な挑発であると認識する聡明さを、この場に居合わせる者たちは具えていたためだ。
それに何より、蛇男は既に口を動かしていた。その口から紡ぎ出される音は、何処の国の言葉なのか、何を言っているのかは皆目判らない。しかし何やら不吉なものを、源吾郎は感じ取っていた。
そしてそれは、源吾郎以外の妖怪たちも同じ事だった。特に部隊長である粟村先輩などはその筆頭であろう。
「おいお前ら、ボサッとしてないで逃げろ! 敵も味方も関係ねぇ!!」
狐ながらも狼のごとき形相を浮かべ、粟村先輩が吠えた。彼の言葉に先立って、蛇男から距離を取ろうとしていた妖怪たちもいた。源吾郎は少し考えてから、周囲に結界術を展開しようと思い立った。何かよろしからぬ事から皆を護るのは、自分の術に他ならぬ。そんな考えが、痛みと疲労で鈍った脳の中にひらめいたのだ。
結局のところ、源吾郎は先輩妖狐たちにズボンの裾を咬まれ、そのまま引っ張られるような形でその場を離脱する事になった。
蛇男の、謎めいた詠唱が終わったのはその直後だった。
折しも源吾郎は蛇男に背を向けていたから、何がどうなったのかは直接目の当たりにはしていない。
しかし、背中越しであっても、何が起きたのかを十二分に知る事が出来た。
雷鳴のごとき凄まじい爆音に周囲をなぎ倒さんとする突風、そして血と肉の混じった名状しがたい臭気。源吾郎が感じたのはそれらの三つの現象だった。
いや……感じるという生易しいものでは無かった。爆音と爆風と血肉の臭いが、源吾郎や周囲の妖狐に叩きつけられたのだから。これは比喩でも何でもなく、文字通りの意味でだ。実際問題、周囲にいた妖怪の数名は爆風に煽られて吹き飛び、吹き飛ばなかった者も地面に転げた。かく言う源吾郎も、衝撃に耐えられずその場に頽れたほどなのだから。
爆発が起きたのだ。視覚と聴覚と三半規管の機能が戻ってから、源吾郎はどうにかそう思う事が出来た。生臭い臭いがまだ辺りには立ち込めている。頬には生暖かい血がべっとりとこびりついていた。
自分の血であろうか。反射的にそう思い、指先で頬を拭う。痛みはない。しかも自分の血の臭いとはまるきり異なっている。返り血だと気付いた。
それから何気なく背後を振り返り――直後、源吾郎は烈しく後悔した。
爆発の中心地と思しき所には、血まみれの肉塊がただ転がっているだけだった。周りの捕虜たちも巻き込まれたと見えて、血液や緑色の体液を垂れ流し、うずくまったり悲鳴を上げたりしている。
血肉の万華鏡の中央にいるのは蛇男であり、彼が絶命しているのは明らかだ。しかし生命を落としたのは、彼だけではないはずだ。周囲にいた深海ヨリ来ル者や、黒山羊めいた輩なども、手足や頭を欠損して微動だにしないものがいる。
いや、死んだのは敵の雑兵だけではないのかもしれない。それこそ、蛇男の近くにいた――
「ああ、あああ……」
源吾郎の喉から、無意味な呻きが漏れる。命がけの戦いというのがいかなるものなのか。その事を思い知った気がした。
しかもそれだけではなかった。いつの間にやら夜鷹が寄り集まり、悪魔めいた哄笑と共に肉塊の周囲を飛び回っているのだ。まるで、コウモリが闇の中で羽虫を捕えるかのように。
邪悪なまでに無邪気な彼らの声は、聞こうとせずとも源吾郎の耳に入ってきた。
「あーあ。それにしても、信者サマっていうのが間抜けなカモばっかりで助かるぜぇ~! 自爆の術を、ありがたい術だなんて信じて、コロッと騙されてしまうんだからなぁ」
「まぁしかし、それでこそ我らの仕事がはかどるってもんだろうさ。くたばった連中の魂を捕えて、八頭怪様やイルマ様の滋養にせにゃあならんのだからな。ま、俺らも多少はピンハネできるから、まさに役得ってやつさ」
「お前はつまみ食いし過ぎだろうに」
無事だった妖狐に鼻先で突かれ、源吾郎ははっと我に返った。夜鷹の言葉に耳を傾け、そして勝手にショックを受けていた。その事に源吾郎は気付いたのだ。冷静な心持と――燃え盛る憤怒と共に。
しかし悲しいかな、源吾郎は夜鷹に攻撃する力も気概ももはや無かった。それどころか未だに地べたにうずくまったままで、立ち上がれるか同化すらも解らぬ状況だったのだから。
と、夜鷹の哄笑にまぎれて聞こえてくる、別の音を源吾郎の耳は拾い上げた。あの詠唱だ。事もあろうに、またしても誰かが自爆の術を唱えているのだ。いやもしかしたら、新たな魂を得るためだけに、夜鷹どもが術によって強制的に唱えさせているのかもしれない。
いずれにせよ、逃げなければ。源吾郎は決意を固め、手足を動かそうとした。
――ソウダ。逃ゲロ。力ヲ振リ絞リ、今ハ生キ延ビルンダ
力強く、それでいて優しさを伴った言葉が、源吾郎の脳内に響き渡る。次の瞬間、源吾郎は全身を苛んでいた痛みや倦怠感が霧散した事に気付いた。立ち上がろうとすれば、当然のように労せず立ち上がる事が出来た。
それは他の妖怪たちも同じだった。流石に肢を折っている者は無理に立ち上がる事は無かったが、それでも多くの者は、傷のダメージなど無かったかのように立ち上がり、恐ろしい自爆の現場から逃れ始めていた。のみならず、動けない負傷者を抱え上げて逃げる余裕のある者さえいたほどだ。
とはいえ、そんな彼らを以てしても、何が起きたのかを把握するのは難しいらしい。誰も彼も、狐につままれたような表情を浮かべていたのだから。
それから次に、上空を一筋の火柱が横へと迸った。橙色の龍のごとき焔は、笑いながら飛ぶ夜鷹共を飲み込み、そのまま焼き鳥にしてしまったのだ。
「申し訳ないが、皆には僕の方から暗示を掛けさせてもらったよ。君らが負った痛み、あるいは心の中にある不安や恐怖を一時的に遮断したんだ。動けるうちに遠くに逃げるんだよ。ここから先は、僕たち八頭衆が本格的に闘わねばならないから、ね」
心の震えを押し隠し、穏やかさを装った声が耳朶を打つ。視線の先には、巨大な化鳥がコウモリめいた翼を広げて仁王立ちしていた。オスの七面鳥に勝るほどの巨躯と蛍光色めいた黄色い羽毛を持つ彼は、第七幹部の双睛鳥だ。
彼はコカトリスとしての魔力を行使しているのだろう。その両目は闇の中で輝き、しかもドロドロとした涙を流していた。
その隣には、紅藤の息子たる青松丸の姿もあった。橙色の焔をともす両手は、半ばオス雉の翼に戻っており、半人半鳥の様相を呈していた。
「我々が末端の者たちを制圧したのを、向こうも頃合いだと感じたようなんだ。それ故に、八頭怪がようやく動き出したみたいでね。彼らも賢しくも結界の中に閉じこもっていたようだから、峰白様たちも手をこまねいていたのだが……」
そう語る青松丸の表情は、普段の気弱な青年のそれなどでは無かった。萩尾丸が弟分として密かに可愛がり、より強い妖怪に成長するのを期待するのも無理からぬ事だ。今考えるべきではない事だというのに、源吾郎はふとそんな事を思っていたのだった。
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