オンドリたちはメス山鳥と相まみえる

「島崎君! ボケッとしていないで逃げるんだ! ここでそのまま野垂れ死にたいのか!」


 しばし思案に耽っていた源吾郎の耳に、鋭い言葉が突き刺さった。語気も強くいっそ野卑ささえ伴っているようなその言葉は、何と青松丸が放ったものだった。

 源吾郎はぎょっとして青松丸を見つめ返した。彼の知る青松丸らしからぬ言動だと思ってしまった。平素の……源吾郎の知る青松丸は、穏やかな気質の青年だった。萩尾丸のように皮肉や毒の混じった言葉を吐く事も無ければ、三國のように言葉を荒げる事もない。一年近く研究センターで働いていたから、その事は解っていた。


「ちゃんと避難場所もあるから、君らもそこに向かうんだ。大丈夫、そのまま走れば、歩き続けていれば必ず到着する」


 サア進メ。内なる言葉が、またしても源吾郎を促した。源吾郎の足は、ごくごく自然に動き出していた。磁石に引き寄せられる砂鉄のように、川底を転がる小石のように、源吾郎は進むべき場所に進みだしていた。

 半ば強制的に前を向こうとする首をねじり、源吾郎は後ろを振り返った。双睛鳥の隣に並び立つ青松丸は、もう既に雉本来の姿に戻っていた。双睛鳥とほぼ変わらぬ体躯と、闇を跳ね返さんばかりに七色に輝くその姿は、確かに力のある妖怪のそれだった。

 大妖怪としての姿を露わにしていた二羽は、しかし羽虫のように飛び回る夜鷹たちを一顧だにはしていなかった。彼らが鋭い眼差しで見つめているのは、女妖怪の一人だった。それは人型を取っていたが、鳥妖怪である事に源吾郎はすぐに気付いた。

 いやそもそも、源吾郎は彼女の事を知っていた――かつての第五幹部・山鳥妖怪の紫苑ではないか。

 紫苑もまた青松丸たちを見つめていた。その面に、表情の読めぬ笑みを浮かべながら。そしてそれは、猛禽よろしく殺気立つ青松丸や双睛鳥の恐ろしい形相とは、鮮やかなまでに対照的だった。


「山鳥女郎の娘、やっとお出ましになりましたね」

「紫苑姉様……出来ればあなたと闘いたくはありませんが、八頭鰥夫に与しているとなれば話は違いますね」


 言葉を紡ぐ青松丸たちに対し、紫苑もまた笑顔のまま応じていた。

 何と言っていたのか、どんな表情を見せていたのか、源吾郎にはもう解らなかった。双睛鳥の暗示とやらが、源吾郎をただただ誘導する道へと走らせたからだ。もちろん、その力に逆らって彼らを観察する事などはもはや出来なかった。


「ごきげんよう、お久しぶりですね」


 突如として姿を現した紫苑は、青松丸と双睛鳥を交互に見やりながらそう言った。戦いの、もはや殺し合いと化している最中には相応しくない程に、優雅で穏やかな声音だった。

 敵対勢力の幹部ともいえる彼女を前にして、青松丸の心中は複雑だった。隣に並び立つ双睛鳥のように、純粋に彼女を憎む事が出来れば良いとさえ思っているほどに。

 紫苑は雉鶏精一派の第五幹部という地位に収まっていたが、その実態は八頭鰥夫の……というよりも山鳥女郎の諜報員だった。紫苑を雉鶏精一派に引き上げたのは峰白たちであったが、元より彼女は雉鶏精一派を引っ掻き回し、あわよくば破滅させるためだけに、雉鶏精一派に接触したのだ。

 端的に言えば裏切り者であり、長らく組織に寄生していた獅子身中の虫でもある。烈しく憎み、殺意さえ抱くのが正しい事だと、青松丸は解っていた。青松丸はしかし、純粋に紫苑を憎む事が出来なかった。雉鶏精一派を裏切り母を悩ませた元凶であるのだが、思い出すのは昔の事ばかりだった。母である紅藤が彼女の事を義理の姪として可愛がり、半弟の胡琉安が、従姉として親しむシーンばかりが、青松丸の脳裏をちらつくのだ。

 しかも、そうして彼女に親しみを抱き、姉のように思っていたのは、青松丸も同じ事だった。過去の思い出が蘇ったがために、青松丸は紫苑を憎み切れなかったのだ。萩尾丸の言う「母親譲りの甘っちょろい考え」とやらに、青松丸は今まさに支配されていたのだ。

 しかし、と青松丸は頭を振る。自分が戸惑ってはならぬのだ。隣にいる双睛鳥は既に興奮し、臨戦態勢に入っている。彼の方が立場は上であるが、自分は年長者として振舞わねばならぬ。人型だった時のように嘴の端を舌で湿らせてから、青松丸は嘴を開いた。


「紫苑様。貴女は何故、ここにいらっしゃるのですか?」


 青松丸の口から漏れ出て来たのは、何とも間の抜けた問いだった。

 もっと他の言い方があっただろう。青松丸は自身の嘴を噛み締めながら、そんな事を思った。彼としては、紫苑には大人しく投降してほしかった。紫苑が投降する事を、八頭衆が受け入れるかどうかは解らない。結局のところ、峰白たちの手によって紫苑は処刑されてしまうだけかもしれない。

 それでも、同じ殺されるにしても、闘い抜いた挙句に討ち死にしてしまうよりはまだマシな方ではなかろうか。そんな考えがあったからこそ、青松丸は紫苑に対して説得を行いたかったのだ。だというのに、いざ彼女に向き合ってみると、気の利いた言葉などは出てこなかった。

 しかし忘れてはならない。この場はやはり――戦場であるという事を。

 生き残っていた化け夜鷹とホトトギスの妖怪が、青松丸たちめがけて急降下していたのだ。青松丸の火焔を回避するために高く飛び上がっていたのだろう。舞い降りてくる彼らの軌道は、見事ならせんを描いているようだった。

 青松丸は見た。彼らの顔に、嗜虐心と憤怒が入り混じって浮かんでいる所を。もちろん、狙いは青松丸と双睛鳥だ。

 とはいえ、あんな夜鷹やホトトギスの妖怪など、襲ってきたところで敵のうちには入らない。そしてそれは、隣の双睛鳥にしても同じ事であろう。向こうはせいぜい中級妖怪クラスに過ぎないが、こちらはそれよりも格上なのだ。双睛鳥に至っては、大妖怪に相当する力量を持つ化鳥である。


「二人とも、攻撃をやめなさい」


 ところが、である。紫苑がさっと左手を挙げ、獲物に向かって進む鳥妖怪たちの動きを制したのだ。面食らったのは夜鷹たちだけではない。青松丸と双睛鳥もまた、紫苑の思いがけぬ行動を不審に思い、互いに顔を見合わせた。


「ちょ、ちょっと、何なんすか姫様」

「敵に仏心を起こしても碌な事にならないって、ご主人様も八頭怪様も仰ってませんでしたかぁ?」


 夜鷹とホトトギスは青松丸たちの頭上を掠め、それから互いにぶつからぬように気を付けながら再び高度を上げた。紫苑が動きを制したと言えども、ある程度の速度を持った物体が急に動きを止める事などは物理的には不可能だ。

 それに単なる物体ではない夜鷹たちは、思う所があるらしく紫苑の周りをしばし飛び回っていた。

 

「大丈夫よ。このオンドリたちの事は、あなたたちよりも私の方がよく知っているわ」


 紫苑の言葉は冷ややかで、そして決然とした響きを伴っていた。夜鷹たちもそう思ったのだろう。彼らも何事か啼きながら、そのまま別の所へと飛び去って行った。青松丸は夜鷹たちが何処へ向かったかなどは気にしていない。ただただ、紫苑が口にしたオンドリという言葉が心の柔らかな部分に突き刺さっていた。

 それで。冷然とした様子を崩さぬままに、紫苑が問いかける。青松丸は戸惑い、それでも紫苑の瞳をじっと見据えながら口を開いた。


「し、紫苑様。あ、貴女は本心では何を思っておいでなのですか。山鳥女郎の娘であり、山鳥女郎と共に八頭怪に与しているようですが……ぼ、僕と母は、貴女の事を……」

「私はあくまでも、母である碧松姫の意のままに動いている。それ以上でも以下でもないわ」


 たどたどしく、つっかえ気味に問いかける青松丸に対し、紫苑は淀みない口調で言い放った。言葉が出てこない青松丸と双睛鳥を眺める紫苑の表情は変化していた。曖昧な笑みを浮かべていたはずの彼女の顔には、嘲りとも憐みともつかない笑みが浮かんでいたのだ。


「どうかしら青松丸。さっきの言葉があなたの、いえあなたの母親である雉仙女殿の欲していた答えになるんじゃあないかしら」


 やはり最初から、裏切るためだけに雉鶏精一派に近付いていたのか。

 と、にわかに紫苑の表情が険しくなった。険のある紫苑の顔つきは、先程夜鷹たちが見せた表情に何処となく似ていた。強いて言うならば、嗜虐の色が薄くその分怒りの念が濃いと言った塩梅だろう。しかも怒りも燃え上がるような憤怒ではなく、冷ややかな怒りと言った風情だった。


「――そもそもあの女に、碧松姫に逆らえる妖怪が存在すると、あんたは無邪気に思っているの? いえ、思うでしょうね。あんたはあの雉仙女殿の息子なんだから。

 でもね青松丸。冥土の土産に教えてあげる。碧松姫の思惑がどうであれ、初めからあんたの事は気に入らなかったのよ。ああもちろん、あんたの異父弟の胡琉安の事も、ね」

「――!」


 母の事を叔母のように慕っていたはずの紫苑が、青松丸や胡琉安を嫌っていた。それは一体どういう意味なのだろうか。互いの母である、紅藤と山鳥女郎が互いに反目しているようなものなのだろうか。

 とはいえ、青松丸もそんな事をああだこうだと考えている暇は無かった。双睛鳥が甲高い啼き声を上げて、青松丸に躍りかかって体当たりを喰らわしたのだ。

 興奮の果てに乱心したか――瞬時に浮かんだ双睛鳥への考察は、しかし次の瞬間には間違いである事に気付いた。印を組んだ紫苑の指先から、濃密な妖力によって生成された焔が迸っていたからだ。それはもはや光の柱のごとき様相を見せ、地面を削っていたのである。


「さぁ、おいでなさい青松丸! 八頭怪を、山鳥女郎を止めたければまずは私と闘うのよ。母親や義兄に甘える事しか出来ないボンボンに、闘うなんて事が出来ればの話だけれどね」


 青松丸を睨み付け、紫苑は高らかに言い放った。堂々とした挑発の文句であるはずなのに、何処かやけっぱちめいたニュアンスが伴っているのは、青松丸の気のせいでは無かろう。

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