混ざり者の一騎打ち ※暴力描写あり
憎悪に塗れた眼差しを向けながらと言えども、向こうは名乗りを上げたのだ。であれば、自分も名乗り返すのが筋であろう。ごくごく自然に、源吾郎はそんな考えに行き当たっていた。
「いかにも。玉藻御前の末裔にしてその血を色濃く継いだ男・島崎源吾郎とはこの男の事さ」
亜孤姫はというと、源吾郎の名乗りを聞くや口惜しそうに歯噛みしていた。拳は固く握りしめられており、鋭い鉤爪が手の平に喰い込まんとしていた。
「大妖狐の末裔と言えども、所詮は人間の血が混ざった薄汚い混ざり者でしょ? そもそもからして、妖狐なんてものも単なる獣臭い畜生でしかないくせに……だというのに、何であんたはそんなに堂々としていられるの? 迫害されずのうのうと暮らしているの?」
妖狐は獣臭い畜生――この言葉が怒りの導火線であった事は言うまでもない。そうでなくとも戦場にいて、気が昂っているのだから尚更だ。
しかし、と源吾郎は敢えて考えを巡らせ、冷静さを取り戻そうと奮起した。挑発に乗るのは悪手である。誰かが教えてくれたアドバイスを、この時運良く思い出していたのだ。
そうでなくとも、妖怪であれ何であれ、自分の種族が一番だと考える節はある。その裏で、他の種族を下賤な畜生だと見下す事も珍しくはない。他ならぬ妖狐だってそうだ。
だからきっと、食屍鬼や邪神の眷属連中もそう言った考えに取り憑かれているだけなのだ。だからこれは自然な事で、特段立腹する事でもないのだと、源吾郎は自分に言い聞かせていた。
そんな事もあり、冷静さを取り戻した源吾郎は、話題をそれとなく別の事に逸らしてみた。間合いを図っているのか、亜孤姫はまだ襲い掛かってくる気配はない。
「一つだけ聞きたい事があるんです」
「なぁに? 言っておくけれど、命乞いは聞かないから」
亜孤姫の将も無い軽口を聞き流し、源吾郎は問いかけた。
「その口許の血は誰の者なのですか? 俺たちの仲間なのか、それとも……」
「これは、屋敷に召集されていた連中の血よ」
亜孤姫はそう言うと、乱雑な手つきで口許を拭った。手の甲や鉤爪に付着した、未だ乾いていない体液を舌で舐めとっている。何故だかわからないが、彼女はいらだった様子で顔をゆがめていた。
「もうあいつらも死にかけているか死んでいたから、それで血肉を頂いたのよ。昔から言うでしょう? 腹が減っては戦は出来ぬってね」
「お前っ――」
傷ついたり戦死した仲間の肉を亜孤姫は喰らっていた。その言葉に、源吾郎は強い衝撃を受けていた。しかし感じたのは衝撃だけではない。より強い憤怒の念もまた、源吾郎の心の中で沸き立っていたのだ。
「それが浅ましい事だって言うのは私だって解ってるわよ。でもやってしまうのよ。糞忌々しい
「それがどうしたって言うんだ、この外道が!」
直後、数メートルほど距離を取っていた亜孤姫の姿がブレた。彼女が源吾郎めがけて躍りかかってきたのだ。その事に気付くまでに、数瞬の時間を要してしまったのだが。
流石の源吾郎も咄嗟の事ゆえに迎撃は難しい。ひとまず結界を展開し、相手の攻撃を受け流そうとした。普段使いの結界術と言えども、獣じみた異形の攻撃を弾くくらいならば訳ない話だ。
「……ッ!」
振るわれた鉤爪の一撃は、源吾郎に驚きと衝撃をもたらした。戦闘服の袖が引き裂かれ、そこから更に血が飛び散った。血の匂いと切り裂かれた痛みを感じたのは、それから一瞬の後の事である。
「な、何だ……何をしたんだ?」
「馬鹿ね。それをわざわざ伝えると思う? 闘っている最中にさ?」
新たな血――源吾郎が流した血だ――を舐めとりつつ、亜孤姫はまたも構えの姿勢を取った。
また来るか。源吾郎もまた半ば怯えながら、亜孤姫の攻撃に対して身構えた。但し今回は結界術ではなく、狐火を錬成させたのだが。小ぶりながらも殺傷能力は十二分に具えているそれを、源吾郎は迷わず彼女に向けて放った。
事ここにきて、相手の生命を奪ってしまうのではないかという迷いは、もはや源吾郎の中には無かった。仮にあったとしても、先の発言に対する憤怒の念が、脆弱な迷いの念を押し流していた。こいつはとんでもない外道だ。こんな奴は生かしてはおけない、と。
仲間の血肉を喰らったという亜孤姫の言動は、源吾郎にしてみればそう思うに値するほどの物だった。彼女自身はやりたくてやった訳ではないみたいな事を口にしてはいたが、そうした言い訳もまた、浅ましさを感じこそすれ同情心を引き起こす事は無かったのだ。
更に言えば、亜孤姫に対して源吾郎の結界術が効力を発揮しなかったからこそ、狐火にて攻撃するという判断に踏み切ったとも言えた。何故源吾郎の結界術が、亜孤姫に対して効果を発揮しなかったのかは解らない。それでも、相手に対して効果の無かった術を再び使うような事をするほど源吾郎も間抜けではない。
そんな事もあって、源吾郎は亜孤姫を狐火で仕留めようという考えに踏み切ったのだ。
「…………」
ところが、である。源吾郎は狐火を以てしても亜孤姫を仕留める事は叶わなかった。それどころか、放った狐火は有効打にならず、そもそも亜孤姫にかすり傷を負わせる事すらなかった。彼女に着弾する寸前に、狐火たちは急に消え失せてしまったのだから。
ある程度のエネルギーと速度を持つ狐火が、相手に対して何の影響をもたらさずに焼失してしまう。これは本来であれば有り得ざる事だった。だがその有り得ざる事は、源吾郎の目の前ではっきりと起きていた。一体何が起きているのだ――源吾郎は、自分の背に冷たい汗が流れていくのをはっきりと感じた。
「気が変わったわ。種明かしをしてあげる」
言葉と共に、亜孤姫の拳が飛んでくる。咄嗟に左腕を出してガードした事で、顔を殴られる事をどうにか防げた。しかし、彼女の拳には重みがある。源吾郎はそんな事を感じていた。雪羽や珠彦と言った、十キロ足らずの獣妖怪とは異なり、人型の異形であるが故の重みだった。亜孤姫の体重は定かではないが、体格や背の高さからして、四十キロはあるだろう。
そんな事を考えているうちに、亜孤姫は言葉を続けた。
「私の持っている宝玉たちが、邪悪な術による攻撃を無効化してくれるの。いいえ、無効化できるのは、何も攻撃だけじゃあなかったわね」
歌うように説明する亜孤姫の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。その笑みはうっそりとした笑みにも、晴れやかな笑みにも見えた。
やはりこの女と決着をつけるには、肉弾戦でどうにか持ちこたえる他ないのか。嬉々として語る亜孤姫を前に、源吾郎は思わず身を震わせた。源吾郎は妖術に頼って闘う事を得意としていた。だからという訳ではないが、体術や肉弾戦はそれほど得意ではないのだ。その辺りも克服せねばと常々思っていたが、だからと言って敵が容赦してくれるわけなどない。
現に今も、亜孤姫は哄笑と共に源吾郎を屠らんと爪牙を振りかざしていた。考えろ考えろ。生き延びるには、彼女を打ち負かすには何か方法があるはずだ。亜孤姫の攻撃を受け流してかわし、時にかわし損ねつつも、源吾郎はこの状況を打開する活路について考えを巡らせていた。
彼女の持つ邪悪な術を無効化できるという宝玉が何なのか、一体何処から入手した物なのか。闘っている最中の切迫した状況だというのに、源吾郎はふとそんな事が気になりもした。
とはいえ、宝玉云々については、亜孤姫を打ち負かすなり斃すなりしてから考えても問題はないだろうけれど。
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