討伐前の最後の日常
八頭怪の討伐についてのその後の説明は、しごく簡潔なものとなっていた。
強いて言うならば、萩尾丸が「当日には雉鶏精一派の妖怪たちだけではなく、地元の妖怪にも討伐およびその後方支援に協力してもらう。その手立ては僕の方で進めておく」と付け加えたくらいであろうか。
八頭怪との因縁は雉鶏精一派だけの事であるはずなのに、全面戦争に無関係な妖怪たちも巻き込むのか。萩尾丸の言葉に、源吾郎は半ば反射的にそう思っていた。
その源吾郎の考えを見透かしたのか、萩尾丸はうっすらと微笑みながら言い添える。
「何も僕は、無関係な妖怪たちを、何も知らぬままに巻き込もうなどと考えているわけでは無いんだよ。彼らには事情を話しているし、きちんと相応の報酬も支払うつもりだ。もちろん、それでも断りたければ断れば良いとも思っている。
言うなればこれは――ビジネスの一環でもあるんだよ」
戦いまでをもビジネスと捉えるとは、一体どういう了見なのだろう。若き部下の身を案じていた所から一転し、萩尾丸が途方もなく邪悪な存在であるように、源吾郎には思えてならなかった。
それにね。老獪な大天狗の言葉は尚も続く。
「確かに八頭怪と浅からぬ因縁を抱えているのは、我々雉鶏精一派に他ならない。しかし、八頭怪や彼に賛同する者たちを疎み、滅ぼしたいと思っているのは我々だけでは無いんだ。
現に年末には邪教集団の目論見に多くの妖怪たちが巻き込まれたし、この間だって双睛鳥君が邪教集団と交戦した時には、土着の野良妖怪たちも大勢いたという話だからね。
その事を考えれば、僕は別に理不尽な事を言っているとは思わないんだがね」
「そう……ですね」
諦観めいた源吾郎の思いは、気付けばそのまま言葉としてまろび出ていた。得意気に語る萩尾丸を見ていると、兵の増援の件はそれで終わらせておくのが一番だと感じられた。
元より萩尾丸は、対外的な交渉を得意としている。外部の妖怪たちを説得し、奮い立たせる手段についてもちゃんと算段が付いているのだろう。
そしてその辺りについては、若狐に過ぎない源吾郎がああだこうだと言及するのは野暮というものにしかならないのだ。そんな風に源吾郎は思っていたのである。
※
昼休み。源吾郎は手早く昼食を済ませるとそのまま工場棟の広場をぶらついていた。目的もなくブラブラしている源吾郎の全身に、同じく工員たちの視線が降り注ぐ。無理もない事だ。源吾郎はもはや九尾の末裔として有名な存在になってしまっているし、一緒にいる雪羽の存在も目を引くのだろう。何より源吾郎自身、昼休憩の最中に工場棟の広場をぶらつく事は殆ど無いからだ。
とはいえ、源吾郎とて群衆の無遠慮な眼差しに晒されたからと言って、怖気付いて研究センターに引き戻るような手合いなどではない。むしろ今は、気が紛れて丁度良いとすら思っているほどだった。
八頭怪やその一味との全面戦争がおよそ一週間後に迫っている。それこそが、源吾郎の心中に巣食う最大の懸念事項だったのだ。
「あ、島崎君にユキ君!」
幾つもの視線の合間から、源吾郎たちを呼ぶ声が迸った。その声は明るく、しかしいつになく甲高い。源吾郎と雪羽はほぼ同時に、声の主の方を振り仰いだ。
源吾郎たちに呼びかけたのは鳥園寺さんだった。工員姿の彼女は、源吾郎の姿を確認すると何処かホッとしたような表情を浮かべていたのだ。そしてそんな彼女の隣には、珍しい事に使い魔のアレイも控えているではないか。
「こんにちは、鳥姐さん」
「鳥園寺さんですね。アレイさんまでお揃いとは……一体どうされたんですか」
「あらあら。二人とも普段通りね。島崎君は生真面目な感じだし、ユキ君は親しみやすい感じがするわ」
「お嬢。素直さは美徳ではあるが、思った事をすぐに口にしてしまうのは時と場合によってはよろしくない事を招きかねないぞ」
源吾郎たちがそれぞれ挨拶を交わすと、鳥園寺さんも笑って応じてくれた。率直過ぎる彼女の言葉に、使い魔たるアレイが冷静な調子でたしなめる。鳥園寺さんとのやり取りはごくごく普段通りのもので、源吾郎はしばし緊張や不安を忘れる事が出来た。
ところが、源吾郎が和んだ気持ちを維持できたのもほんの数秒に満たない間の事だった。というのも、他ならぬ鳥園寺さんが、緊張した面持ちで源吾郎たちを見つめ返したからである。
源吾郎もまた、表情を引き締めて鳥園寺さんとアレイを見た。ただならぬことを語ろうとする気配を感じ取ったのだ。
「良かった、良かったわ……二人とも、本当に普段通りだったから」
「な、何が、一体どうされたんですか、鳥園寺さん」
源吾郎はとうとう、鳥園寺さんに問いかけていた。鳥園寺さんはまだ何も、具体的な事は一つも口にしてはいない。しかしだからこそ、彼女も何事か不安を抱えているのだとすぐに解った。そうでなくとも、何処か不安げな表情を見せてすらいたのだから。
「雉鶏精一派は、八頭怪とかいうバケモノと戦うんでしょ? 私もその事は知ってるわよ。だってその……私も戦力として出向くようにって工場長からお達しがあったから……」
「厳密に言えば、お嬢というよりも、わたしを戦力として欲していたという方が正しいのだけどね」
鳥園寺さんの隣にいたアレイが、落ち着いた口調でそう言った。
確かに、アレイを戦力と見做したくなるのは源吾郎にも解る。少なくとも二百年以上生きている訳であるし、妖力の保有量も大妖怪に迫るものがあるからだ。
そして鳥園寺さんは――形式的と言えどもアレイのあるじなのだ。そうなれば、彼女も八頭怪討伐に駆り出されるのは致し方ない事であろう。若いだとか術師として未熟であるなどという事は二の次だ。
源吾郎は言葉も出ぬままに、鳥園寺さんやアレイに視線を向け、雪羽と顔を見合わせる事しかできなかった。
八頭怪と戦わねばならない。その事実が、源吾郎の全身に重くのしかかるのを、ひしひしと感じていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます