暦見て 邪神の遣いはほくそ笑む

「ふふふふふ。そろそろ潮時だねぇ」


 場所は変わって碧松姫へきしょうきが拠点とする屋敷の一室。食客でありながらももはや屋敷の一員として振舞っている八頭怪は、壁に吊るされたカレンダーを眺めながらほくそ笑んだ。

 カレンダーと言っても、その辺のホームセンタ―や文具屋で入手できるような市販の物とは一味も二味も違っていた。何月であるかだとか曜日だとかが記されている部分は確かに普通のカレンダーと同じところではある。それぞれの月と日がアラビア数字で記されている所も、だ。

 大いに異なっているのは、大安や仏滅などと言った六曜の記載がない事だ。その代わりとばかりに、日付の下に設けられた罫線の中には、見慣れぬ紋様の羅列が躍っていた。

 いや、見慣れぬ紋様というのは蒙昧なる者どもの抱く感想に過ぎない。これもれっきとした文字である事を八頭怪は知っている。往古より存在する者、道ヲ開ケル者やそれに並ぶ素晴らしい存在たちが遺した文字や言葉なのだから。

 もちろん、道ヲ開ケル者の末裔たる八頭怪も、カレンダーに記されている言葉を解読できる。

 そこに記された星辰の動きが示していた――自分たちがいつ動き出すべきなのかを。八頭怪はそれをもちろん知っている。だからこそ来るべき日に向かって色々と準備を進めてきたのだ。布石も打ってあるし、うじゃうじゃとこちらに干渉してくる敵対勢力へのフェイントについても考えているのだ。


「今さっき、あなたはと言ったわね」


 カレンダーをためつすがめつ眺めていた八頭怪の斜め後ろから、声が掛けられた。八頭怪は一応振り返ったが、実の所声の主は解っていた。

 声の主は碧松姫である。この屋敷のあるじにして、野望と嫉妬心に取り憑かれた山鳥妖怪だ。

 今日も今日とて彼女は戦闘的な華美さで身を固めて、八頭怪の前に姿を現していた。その上で、ぽってりとした唇を笑みで歪めながら言葉を吐き出した。


「そう言えば、あんたも九頭龍くとぅるーを信仰していた一族と親しくしていたそうじゃない。だからやっぱり……懐かしいのかしら?」

「懐かしいだって? そんな馬鹿な」


 さもおかしそうに問いかけた碧松姫の言葉を、八頭怪は一笑に付しただけだった。


「まぁ確かに、ボクが九頭龍くとぅるーを信仰していた一族に取り入った事があるのはその通りだよ。だけど別に、あいつらに思い入れも未練も何もないけどね。あいつらはとんだ間抜けだったんだからさ。九頭龍くとぅるーなんてようなやつを、唯一の尊い神だなんて思い込んでいるんだからさ」


 八頭怪の顔には、冷ややかな笑みが広がっていた。その脳裏には、妻だった万聖公主ばんせいこうしゅや彼女の一族郎党と過ごした日々が浮かんではいた。もっとも、そんな事を思い返したからと言って、何らかの感慨を抱いた訳ではないが。

 そもそも万聖公主も、彼女との間に設けた子供らも、全員とうの昔に死に絶えている。孫悟空に二郎真君と、襲ってきた敵は確かに尋常な連中などでは無かった。だがそれでも、くたばった妻子らについては、所詮はその程度なのだと思う程度だった。


「九頭龍を崇めると言えば、あの深キ者ドモとか、深海ヨリ来ル者を名乗る奴らですよねぇ、八頭怪の旦那ぁ」


 さらに二人の後ろから、のっそりとした声が上がった。やはり声の主が誰なのか解っていたが、それでも八頭怪はそちらに視線を向ける。

 全体的に鳥らしさを保ちつつも、何処となく山羊めいた風貌も併せ持つ、並外れて背の高い男だった。

 彫りの深い面立ちは既に成人男性のそれであるが、その表情は何処かあどけない。

 彼の名はイルマという。道ヲ開ケル者の実の息子であり、父神を喚ぶために日夜研鑽を励んでいる青年だった。もっとも、その彼も碧松姫にしてみれば、目的を叶える道具に過ぎないのだが。

 道ヲ開ケル者と地上の生物との間に生まれた半神の個体差は大きい。知性や強さ、往古の神々への影響力などにはばらつきがあるのだ。だが八頭怪が見る限り、イルマは魯鈍な雰囲気が勝っているようにも思えた。


「あの連中は、本当に躾のなっとらんバカ共ばっかりでしたよぅ」


 穏和なイルマにしては珍しく、その顔には怒りの念が滲んでいた。興味深いと思いつつ、八頭怪は話の続きに耳を傾ける。


「なにせ俺が様子を見に行った団体てのは、この俺の事を単なるカモだと思って喰い殺そうとしたんですぜぇ。なんかムカついたんで、俺の方で返り討ちにして喰べましたけれど」

「あんたが喰い殺されそうになったのは、所詮その程度の存在だと見くびられたからでしょ」


 冷ややかな、侮蔑交じりの言葉を視線をイルマに投げかけたのは、他ならぬ碧松姫だった。八頭怪は困り笑とも言った表情でもって、イルマと碧松姫とを交互に眺めていた。

 イルマを道具扱いしている碧松姫であるが、実は彼女こそがイルマの実母なのだ。だが彼女は、その事を彼に伝えずに、イルマに服従と隷属を強いてきた。気に入らなければイルマを折檻する事もままあったのだ。

 碧松姫の、傲慢で愚かしい行動を見物するのは八頭怪としてもまたとない娯楽だった。だがその一方で、道ヲ開ケル者の子息――血縁上で考えれば、八頭怪の叔父や大叔父と呼んでも遜色のない間柄でもあるのだ――が、暗愚なメス山鳥に虐待される事に対して、苛立ちで心がざわめきもした。

 あまり碧松姫のおイタが過ぎるようであれば、こちらも彼女に灸を据えなければならない。そんな風に考えていたが、碧松姫は結局イルマを言葉で詰っただけだった。

 というのも、碧松姫自身の関心が、ふいにイルマから外れたからだ。


「ああそうだ。カモって言葉で思い出したけれど。八頭怪、あんたやあんたの下僕やイルマとかがあちこちで見繕ったカモたちが……あんたの信仰する神様の新たな信者たちに、そろそろ発破をかけた方が良いんじゃあなくて? あの糞忌々しい雉鶏精一派も、私らに対して攻撃を仕掛ける準備をし始めているんだろうからさ」


 そうだね。碧松姫の言葉に、八頭怪はニヤリと笑った。それから手指をクイと動かして、イルマに進むように促した。


「まぁね。あの鳥頭連中も、スッカスカの脳味噌で色々と考えているみたいだもんねぇ。ふふふっ、わざわざご丁寧に、紫苑ちゃんの部下だった連中を見つけ出して、それで碧松姫ちゃんの屋敷にサプライズプレゼントまでやってるみたいだよ? ああ本当に、滅んでも仕方ないような畜生共だよ」


 言いながら、八頭怪はイルマと連れ立って部屋を後にした。隣を歩くイルマは、いかにも嬉しそうである。碧松姫のように折檻や言葉責めを行わないためか、八頭怪はイルマに懐かれていたのだ。八頭怪自身は、魯鈍な幼いこの半神に、そこまで親しみを感じていないというにも関わらず、だ。

 信者という名のカモたちを探している道中で、二人は紫苑とすれ違った。元々は雉鶏精一派の第五幹部だったのだが、彼女もまた碧松姫の実子にして手駒の一つだった。純粋な山鳥妖怪でありつつも、半神であるイルマとは異父姉弟の間柄でもあったのだ。


「おや、紫苑ちゃんじゃあないか。お疲れ様~」

「お、お疲れ様です、八頭怪様……」


 戯れに八頭怪が呼びかけると、紫苑は何処か緊張した面持ちで返事をしていた。碧松姫に何がしかの報告を行おうと思っていて、それ故に緊張しているのだろう。そんな事を思っている間にも、紫苑はそそくさと立ち去ってしまったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る