和やかな 空気の裏に不安あり

 さてひとしきり笑い合っていた源吾郎と雪羽であったが、ややあってから雪羽は笑うのを止めて真面目な表情で源吾郎をじっと見つめた。


「まぁ島崎先輩の言いたい事も、大体俺なりに理解できたよ。冷静に考えたら、案外先輩のそうしたドライな所って言うのも、米田の姐さんと付き合うにはのかもしれないとも思うんだよ」


 果たしてどういう意味であろうか。源吾郎が不思議に思っている間にも、雪羽は言葉を続けた。


「ほらさ、米田の姐さんって誰かにべったり依存するタイプなんかじゃあないだろう。その辺りはきっと、俺よりも正式な彼氏である島崎先輩の方が、よーくご存じかとは思うんだけど」


 正式な彼氏って、何とも大仰な言い方ではないか。そう思いつつも、源吾郎はその通りだと頷いていた。正式な彼氏という点ではなく、米田さんが誰かに依存する性質ではないという点に対して。


「そこは確かに、雷園寺君の言うとおりだよ。米田さんは、ご自身の生活を大切にしてらっしゃるんだ。そうだな、所謂自分で自分の機嫌を取れるひとになるんだろうね。俺の事は愛してくれているけれど、だからと言って……」


 俺が傍にいなかったとしても、米田さんは独りでも生きていけるだろう。最後に浮かんだ言葉だけは口にせず、唇を噛んで喉の奥に押し込んだ。

 源吾郎は誰かにベタベタされる事を好まぬ性質であるが、それは彼女である米田さんにも大いに当てはまった。それどころか、彼女は彼女単体で、自分の生活を完結させているのではないかと思う事すらしばしばあったくらいだ。

 もちろん、源吾郎の事は恋人として――ゆくゆくは将来の旦那になりうる存在として――愛してくれているはずだ。しかし米田さんの暮らしは、源吾郎への愛情とは別の機構で成り立っているようにも思えてならなかった。

 そして源吾郎にしてみれば、そこが少し寂しくもあった。自分の米田さんへの愛と、米田さんの源吾郎への愛の重みが同じではないのかもしれない。そんな風に思えたからである。少し前までは、米田さんと交際できた事だけでも満足できたというのに。それこそ、源吾郎がワガママ野郎であるからこそ、欲が出てしまっただけなのかもしれないが。


「はははっ。だからこそ米田の姐さんは良い女だし、島崎先輩にうってつけのお相手なんすよ」


 これまでとは違う理由でメランコリックな気分を味わっていた源吾郎であったが、そんな彼を見て雪羽は笑ったのだ。

 またその話か。源吾郎がじっとりとした眼差しを向けてみるも、雪羽は臆せずに言葉を紡ぐ。


「島崎先輩。前にも話したかもしれないけれど、世の中には『私と仕事、どっちが大事なの?』なんて世迷言を口にするような女の子だっているんですぜ。しかし米田の姐さんは、仕事を含めた私生活を大切になさってるじゃあないか。間違っても、そんな質問を島崎先輩に投げかけて、困らせるような事は決してなさらないでしょうね」


 そしてそれは、自分たちのような妖怪にとってはとても都合のいい事なのだ。雪羽は何処か得意気な様子で、そう言ったのだ。


「だって俺は、単なる末端の下働きなんかじゃあないんだぜ。互いに幹部候補生じゃあないか。それどころか島崎先輩は、紅藤様の跡を継ぐとか、手っ取り早く紅藤様の組織を乗っ取る事すら考えてるんだろうし」


 ニタニタ笑いを浮かべながら語る雪羽を、源吾郎は思わず叱責しそうになった。

 幹部候補生だの紅藤の跡を継ぐという話はまだ良い。しかし雉鶏精一派を乗っ取るだとか、それを源吾郎が画策しているなどという話は、源吾郎自体の忠義を疑われるような言葉になりかねない。たとえ研究センターの長である紅藤が、源吾郎による下剋上を望んでいたとしても、だ。

 源吾郎はだから、慌てて周囲に視線を走らせた。幸いな事に、少し離れた所でサカイ先輩が何やら作業をしているだけだった。彼女ならば多少話を聞かれたとしても問題は無かろう。そう思って源吾郎は安堵した。もしも萩尾丸などに聞かれていたら、源吾郎も雪羽もただでは済まなかっただろう。

 それでも、ヒヤッとさせられた事には変わりはない。源吾郎は咳払いをして、雪羽を睨んだ。


「雷園寺君。あんまり過激な発言はしないでくれよ。ただでさえ、八頭怪だとか紫苑殿の裏切り行為とかで、上層部はピリピリしているんだからさ」

「お、おう。俺だってそんな事は解ってるさ。というか、解っているからこそ口にしたんだぞ」


 たしなめた源吾郎に対し、雪羽は僅かに唇を尖らせて応じた。子供じみた屁理屈をこねやがって……と言えなかったのは、その顔に真剣な物を感じ取ったからだ。


「要するにさ。俺らは幹部候補生って事で忙しいだけじゃあないんだ。厄介な事とか、危険な事とかとも隣り合わせなんだよ。実際問題、島崎先輩だって、就職してから色々と大変な目に遭ってるじゃないか」

「ま、言うてヤバそうな事に巻き込まれたのは二、三回くらいだけど」

「一年間で二回もヤバい事に巻き込まれたんなら、それは妖怪社会の中でも多い方だぜ」


 そう言って雪羽は笑っていたが、それが本心からの笑みなのかは定かではない。むしろ源吾郎を緊張させないために、あるいは重々しい話である事を意識しないために、わざと笑っているようにさえ見えた。


「前も言ったかもしれないけれど、しかもそう言うヤバい出来事に巻き込まれるのは、俺や島崎先輩だけじゃあないんだよ。親しい間柄の妖怪だって、容赦なく巻き込まれるときは巻き込まれるんだ。普通の妖怪はな、そう言う事に巻き込まれるってだけで怖気付くやつだっているんだぜ。

 しかし米田の姐さんの事を考えてみろよ。彼女は島崎先輩が玉藻御前の末裔で、しかも雉鶏精一派の幹部候補生だって事もご存じだろう。しかも職業柄、血腥い事とか物騒な事には、俺ら以上に耐性もあるだろうからさ……他の軟弱なお嬢様方みたいに、しょうもない妖怪同士のいざこざ程度では動じないと思うんだ。先輩だって米田の姐さんと過ごす事があるから、その辺は解るでしょ?」

「うん、まぁ。雷園寺君の言う通り、だろうね」


 同意する源吾郎の言葉は、先程までとは打って変わりぼんやりとしたものだった。口早に語る雪羽の雰囲気に気圧されたためである。


 どうにか米田さんの話も一段落したために、源吾郎は何故浮かない顔をしていたのかについて語る事が出来た。それと共に、雪羽にはそれなりに充実した週末を過ごしていた事も伝えたのである。

 充実した週末と言っても、旅行に出かけたり遠出したわけでは無い。むしろ八頭怪やら敵対組織やらの行動を警戒し、概ね本宅に引きこもって過ごしていた。外出はせいぜいスーパーやホームセンターへの買い物や、図書館で借りた本の返却くらいである。

 自室に引きこもっていた源吾郎は、そこで護符作りに勤しんでいたのである。護符の内容については、もちろん母に買ってもらった護符図鑑の文言や紋様を参考にしたものである。

 そして件の護符図鑑も、一足早い誕生祝に買ってもらった物でもある。そう言う意味でも、誕生日である事を満喫しつつ、充実した週末を送る事が出来たと言えるだろう。

 意気揚々と自身の週末の過ごし方を説明した源吾郎であったが、雪羽の反応はそれほど芳しいものでは無かった。


「護符作りをして週末を過ごしていたんですか。島崎先輩も……何というか勉強熱心というか勤勉っすね」


 思案顔の末に絞り出された雪羽の言葉に、源吾郎は一瞬とはいえ顔をしかめた。勉強熱心や勤勉と言った褒め言葉が、雪羽の渾身の世辞であると解ったからだ。護符作りなんぞに精を出すなんて、全くもって地味でしょぼくれた過ごし方ではないか。口にされた美辞麗句の裏に隠された本音を、源吾郎は鋭く感知していたのである。

 しかし護符作りは地味でも無ければしょぼくれた事でもない。それを伝えるべく、源吾郎はまなじりを釣り上げた。


「護符作りも、いや護符自体もとても大切なものだぞ、雷園寺君。どうやら君は、護符というものを軽んじて考える傾向にあるみたいだけど、そんなんじゃあいっぱしの妖怪とは言えないぜ」

「軽んじるも何も、護符に頼らなくてもどうにかなってるから別に良いんだよ」


 源吾郎の言い方に思う所があったのだろうか。雪羽はややムキになった様子で言い返した。その後コスパがどうとも言っていたが、それもやはり護符に頼らぬ雪羽らしい考えだ。

 戦闘時の雪羽が、防御術に全く無頓着な事を源吾郎は知っていた。繰り返し行われる戦闘訓練にて、互いの戦闘スタイルを知る機会があったためだ。雷獣、それも純血の妖怪である雪羽は、機動力も素早さも源吾郎とは段違いである。普通の妖狐と比較してもその差は明らかであろう。それ故に攻撃も回避できれば問題ないと考えがちなのだ。だから防御術を覚える必要も無いし、その手の護符も要らないと思ってしまうのだろう。実際問題、市販の護符は値の張る代物であるわけだし。


「確かに、雷園寺ほどの機動力と回避力があれば、護符なんて要らないって思ったりもするかもしれないな。だけどさ、俺も今回の八頭怪との全面戦争に備えて、護符を用意しようと思い立ったんだよ」


 八頭怪との全面戦争に備える。その事を源吾郎が口にすると、雪羽の表情が一変した。怪訝そうな表情を浮かべていたのが、真面目な表情へと変化したのだ。


「そりゃあまぁ、俺らや俺が用意した護符が、どれだけ役に立つかなんかは解らないよ。だけど、それでもやるべき事はやっておきたいから」

「そうだよ。そうだよ……な」


 これまで飄々とした態度を見せていた雪羽であったが、やはり彼なりに思う所があったのだろう。彼はしおらしい表情で頷き、ついで右手を胸元に添えていた。

 まさぐりながら雪羽の手指が触れていたのは、安物のペンダントだった。プラスチック製の表面に金色のコーティングをしたそのペンダントを、雪羽は自身の宝であると公言していた。

 確かにそのペンダントは、夏祭りの屋台で購入した物に過ぎない。だがこのペンダントは、雪羽の母から買ってもらった物だったのだ。なればこそ、雪羽にとっては稀少な宝石と同じだけの値打ちがこのペンダントにあると、強く思っていたのである。

 不安に思っているのは俺だけじゃあなくて、雷園寺も同じ事なんだ――雪羽がペンダントを撫でるのを眺めながら、源吾郎は静かにそう思っていた。不安な時に、母からの唯一の形見に触れるという雪羽の癖を、源吾郎は既に知っているからだ。

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