異形の一行 辿り着きたるは八頭怪なり

 化け夜鷹の青年に導かれ、亜孤姫あこひめは夜の街を静かに通り抜けていった。もちろん、亜孤姫が疲れたと言えば休憩を挟んでくれた。それだけではなく、「食べたら元気が出るよ」と言ってちょっとした菓子などもくれた。最初は銀紙に包まれた茶色い塊――ミルクチョコレートだと青年は言っていた――などだったが、途中からラムネだという白くて丸くて少し粉っぽいものも、亜孤姫は貰ったのだ。

 そのためだろう。休憩と言っても数分ベンチや椅子で座るだけで事足りたのは。特にラムネを貰ったあたりで眠気は吹き飛んでいた。先祖の血ゆえに他の食屍鬼よりも頑健な肉体ではある。しかしラムネを口にすると、頭が冴えて力がみなぎって来るのを感じたのだ。少し心臓の拍動がうるさくなったような気もするが、今の彼女にはそんな事すら些事だった。

 それにだ。道中では思いがけず仲間と合流する事も出来た。

 仲間と言っても、初対面の相手であるし、そもそも食屍鬼ではない。しかし亜孤姫が仲間だと無邪気に思えたのは、彼もまた同じ志を持っている事を確認できたからだ。ついでに言えば、相手が深海ヨリ来ル者の一族である事もまた、亜孤姫に好印象をもたらしていた。他の食屍鬼グールはいざ知らず、亜孤姫は深海ヨリ来ル者に対して好意的だったし、親近感すら抱いていたのだ。


「へぇーっ。食屍鬼なんてのは野蛮な腐肉喰らいだと思っていたけれど、亜孤姫さんの話を聞いていたら、そうでもないのかなって思って来たぜ」

「いいえ。他の連中はそんな感じなのよ。でも私は違うの。お祖父様やお祖母様たちのおかげでね。本当は、群れの連中を説得して教育したかったんですけれど……そこまで出来るほどの教養がないみたいだったから、見限ってやったのよ」

「そいつぁすげぇや。亜孤姫さんって、やっぱり先見の明があるんじゃあないかな」

「もう……褒めたって何も出てこないわよ?」


 ツレとなった男はまだまだ若いようだった。ついでに言えばかなり実直で、童子のような純粋ささえ見え隠れしている。だからこそ、群れを出て独りで自分の道を探ろうとする亜孤姫の事を尊敬しているのだ。そんな風に、彼女も思っていた。

 そして深海ヨリ来ル者の若者も、色々と難儀しているという事を彼女は知った。少し前まで人魚と称して自分の眷属たちを仲間と共に育てていたのだが、謎の男によってこれを襲撃され、職と大勢の仲間を喪ったのだという。

 それでもなお、くじけずに前を向く彼の事が、亜孤姫にはとても尊い存在であるように思えた。旅立ってすぐに、そんな若者と出会えたのも運命ではないか。亜孤姫は無邪気にそう考えてもいたのだ。

 そんな中で、前方から奇妙な音が聞こえて来た。風が通り抜けるかのようなその音の主は、夜鷹の青年だった。リズムからして笑い声であろう。何か面白い事でもあったのか、面白い事でも思い出したのだろうか。


「さて皆。ここが八頭怪様のおわすお屋敷さ」


 夜鷹の青年による案内が終わったのは、夜明け前の事だった。まだ明るい青空が広がっている訳ではない。しかし墨色の夜の帳は薄れ、空の一端は明るい藍色や赤紫に変貌している。

 乗り物などを使わずに歩き通しだった亜孤姫であったが、屋敷に到着したと言われて意識が高揚し始めていた。そしてそれは、亜孤姫だけではなく他の面々も同じ事だろう。

 夜鷹の青年に先導されている者たちは、ゆうに十名を超える大所帯となっていた。最初は亜孤姫だけだったのだが、歩いている道中で仲間を見つけ、少しずつ行列が出来上がっていったのだ。

 亜孤姫たちの行進を目の当たりにした者たちがいたのかは定かではない。しかしもしいたのならば、それこそ百鬼夜行か何かかと思ったのかもしれない。そんな愉快な空想が、亜孤姫の頭の中で駆け巡っていた。

 余談であるが、亜孤姫たちと合流した仲間たちは、複数の種族にまたがっていた。半数以上が深海ヨリ来ル者であり、後は山羊めいた風貌の者や蛇らしい特徴を持った亜人などだった。奇しくも、食屍鬼は亜孤姫だけだった。


「実際には八頭怪様は食客として逗留されているだけだから、実際にはこの屋敷は碧松姫様という鳥妖怪のご婦人のお屋敷なんだけれど……」


 門扉の前で行われていた説明が、不意に途切れた。何かが自分たちの足許めがけて落ちてきたからだ。地面に叩きつけられたそれは、湿った破裂音と共に強烈な臭いを立ち上らせた。それはむせかえるような鮮血と、青臭いほどに生々しい死の臭いだった。


「な、何だ」

「鳥の死骸じゃあないか」

「酷いな……めちゃくちゃに拷問されているじゃあないか」

「何だってこんな所に投げ込むんだよ。新手の嫌がらせかよ」


 投げ込まれたものに気付いた仲間たちが、気味悪そうに何事かを言い合っている。その間亜孤姫は無言だった。こみ上げてくる食欲を押さえるのでやっとだったからだ。食屍鬼の悪食姫とも呼ばれている亜孤姫にしてみれば、死んだばかりの肉の方が食欲をそそるのだ。しかも先程まで夜通し歩いたばかりである。空腹を覚えるのも無理からぬ話だった。

 と、夜鷹の青年が大げさな身振りで咳払いをした。その動きが耳目を引いたために、ざわついていた一行は一瞬で静まりかえった。


「ああ失敬。これはあくまでも幼稚なアホ連中のアホな嫌がらせに過ぎないから、皆もこんなのにはビビらないように、ね。

 何でも、碧松姫様のご息女が、とある妖怪組織の中に密偵として諜報活動をなさっていたんだけど、向こうのアホ組織共は背信行為だと思ったらしいんだよ。それで腹いせとばかりに、ご息女の配下だった妖怪を捕えてぶち殺し、その上でああやって死骸を屋敷に投げ込んできているって訳さ。本当に幼稚であほくさい事さ」


 言いながら、夜鷹の青年は今再び動いた。何を思ったか、彼は横にその身をずらしたのである。直後、鴉の糞が青年の立っていた場所に落ちていた。上空では、鴉のだみ声が響いている。何処となく腹立たしげな啼き声だった。


「さて、長話はこれくらいにしておこうか。大丈夫だよ。八頭怪様も山鳥女郎様も、君たちを快く受け入れてくれるから、ね――」


 青年はそこまで言うと、門扉の右端にあるインターホンのボタンを押した。そこから聞こえるのは無機質な電子音であったが、今の亜孤姫にとっては、それはまさしく福音そのものだったのだ。


「ふふふふふ。皆の者、本日は遠路はるばるやって来てくれて感謝する。苦しゅうない、苦しゅうない」


 赤黒い絨毯の敷き詰められた広間にて、亜孤姫は八頭怪なる妖物に出迎えられる事となった。

 いかにも異形らしい名称とは裏腹に、八頭怪は人間にほぼ近い姿を取っていた。白いワイシャツに黒いベストとズボンという、ごくごく普通の身なりである。強いて言えば、小鳥の頭を模した首飾りが、奇妙なアクセントになっていると言った所であろうか。

 亜孤姫はしかし、そんな八頭怪の存在から目が離せなかった。こいつはただならぬ力を持つ異形であると悟ったためだ。理屈ではなく、本能がそう叫んでいた。


「ちょっと八頭怪。わざわざカモがネギを背負って……じゃあなくて前途ある若人がわざわざやって来てくれたんだから、変な事を言って困らせてもダメでしょ」


 八頭怪の隣にいた女妖怪が、呆れた調子でツッコミを入れていた。彼女は碧松姫というらしい。正体は年数を経たメス山鳥の妖怪であると言うが、やはり彼女も人間の姿を取っている。くっきりとした目鼻立ちにシンプルながらも鮮やかな色味のドレスが特徴的だった。姫というよりも、むしろ女王や女帝と言った方がふさわしい気もする。

 ともあれ、八頭怪は碧松姫にたしなめられると、へらりと笑いながら亜孤姫たちを見つめ直した。


「あはははは、さっきのは軽ーい冗談みたいなものだからさ、キミたちもそんなに気にしないで、ね。ボクもね、ボクなりに、キミたちが遠くからここにやって来て疲れてるだろうなぁって思って、それでちょっとボケてみただけなんだよ。何というか、この土地でのコミュニケーションってさ、ボケとツッコミのバランスが大切なんでしょ。まぁ知らんけど」


 飄々とした口調で言葉を紡いでいた八頭怪であるが、一通り話を終えると、真剣な表情を作って亜孤姫たちを睥睨した。掴み所の無い、しかし高貴さと禍々しさを併せ持つ存在。亜孤姫は八頭怪の事をそんな風に認識し始めていた。


「ともあれだ。これからボクたちは闘わねばならないんだ。闘って、この土地でのうのうと暮らす下賤な連中を一掃して――そしてボクたちの神様を迎え入れる。キミたちには、そのために頑張ってもらうから、ね」


 闘う。神様を迎え入れる。突飛な八頭怪の言葉に、亜孤姫は一瞬だけ戸惑った。

 しかしその戸惑いも、興奮した群衆の叫び声に搔き消されてしまった。のみならず、叫び声は自分の喉からも放たれていたのだった。

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