夢魔と混沌と夢見の狐

 アルテミシアの話通り、源吾郎は研究センターの一室に招かれ、話し合う事と相成った。もちろんそこには萩尾丸の姿もあった。雪羽を三國に預けた事もあるのだろうが、彼はごく自然に研究センターに詰めていたのだ。更に言えば、アルテミシアと源吾郎の話が終わってからも、残って仕事を続ける予定らしい。

 その萩尾丸はというと、目を丸くして驚く源吾郎を見て、遠慮なく笑っていた。話を振ったアルテミシアも、その面には微苦笑を浮かべている。

 源吾郎が何に驚いたのか。それはアルテミシアの正体についてである。彼女は夢魔、要はサキュバスの類だったのだ。

 サキュバスという魔族がどのような存在であるかは、源吾郎ももちろん知っている。魅惑的な女性の姿で現れ、男の精気を吸い取るという存在だ。萩尾丸や彼女は夢魔であると言っていたが、むしろサキュバスは男性型のインキュバスと共に淫魔とも呼べる存在ではないか。

 その事に気付いたからこそ、源吾郎は驚き、戸惑ったのである。何だってそんなモノが、源吾郎の許にやって来たのだ、と。


「ははははは。島崎君。アルテミシアさんがサキュバスだと知ったからと言って、何もそんなに驚かなくてもいいだろうに。君だって、淫蕩な大妖狐として有名な金毛九尾の曾孫なんだから、まぁ似たようなもんじゃないか」


 源吾郎の先祖が淫蕩な金毛九尾である。笑い交じりの萩尾丸の指摘に、源吾郎はその通りだと心の中で頷いていた。だがそれは口には出さなかった。源吾郎が発言する前に、取り繕うようにアルテミシアが喋り始めていたからだ。


「まぁまぁ萩尾丸殿。島崎君が、私の種族を知って戸惑うのは無理からぬ事だろうね。彼はまだ若いし。それに先祖たる金毛九尾が淫蕩で好色だったとしても、それは彼を含め、子孫たちには受け継がれていないみたいだからね」

「ふむ、言われてみれば君の言うとおりだね」

「確かに仰る通りです……」


 源吾郎はここで、二人の意見に同意の念を示したのだった。

 玉藻御前こと金毛九尾が、妖狐の中でも淫蕩な存在であったことは有名な話である。幾つもの王朝を堕落させ滅亡させた伝承もさることながら、生き残った子供らは全て父親が違うのだから。

 しかしながら、彼女の持つ淫蕩で好色な気質を子孫が受け継いだか否か。それはまた別問題である。少なくとも、源吾郎の親族は……玉藻御前の末子たる白銀御前に連なる一族の者たちは、玉藻御前の持っていた淫蕩かつ好色な気質とは無縁である。むしろ男狐たちは揃いも揃って禁欲的で、女狐は潔癖かつ一途な傾向が強かった。

 とはいえ、他の妖狐たちを見ていると、好色な個体はむしろ少数派のようだから、源吾郎の親族がおかしいという訳でもないのだろう、が。


「だがまぁ、私がサキュバスだからと言って、そんなに身構えなくても構わないよ。別に私は、君を性的な意味で誘惑するためにやって来た訳ではないから、ね」


 そこは直截的な言い方をされるんですね。反射的に思ったが、萩尾丸も同席しているので、源吾郎は心の中でツッコミを入れるだけに留めておいた。


「それよりも、君には夢見の才を持ち合わせているようだから、その事について少し伝えておきたいと思ってね。遅い時間になってしまって申し訳ないけれど」

「夢見の才、ですか」


 アルテミシアの口にした事を反芻してみる。特に具体的な事はイメージできなかった。俺は別に夢見がちではないけれど。そんな事を思う程度にとどまったのだ。


「アルテミシアさんは、夢や夢の世界に関する事のスペシャリストなんだよ。そこから派生して、精神療法とか心理学の方面にも明るいんだけどね」


 茫洋とする源吾郎に対して、萩尾丸が解説を行ってくれた。彼女は睡眠療法などの手腕も会得しており、かつては双睛鳥や雪羽の心を癒すのにも一役買ったのだという。学者めいた、何処か気難しそうな雰囲気を纏っているのはそのためだったのか。解説を聞きながら、源吾郎はぼんやりとそう思っていた。

 サキュバスやインキュバスは、確かにヒトを誘惑するという側面を持つ。しかし夢魔という呼称が示す通り、彼らは夢の世界の住民でもあるのだ。特に幾星霜もの歳月を経たアルテミシアは、むしろ夢の世界について精通しているほどなのだという。

 だからこそ、この度源吾郎が夢見の才を持つ事に気付き、わざわざ研究センターに出向いたという話であった。


「そうですか。アルテミシアさんは夢の世界についてお詳しいのですね。それで、僕がもつという夢見の才とは、一体どのような物でしょうか」


 源吾郎が静かに問いかけると、アルテミシアは思案するような表情を見せつつ、言葉を紡ぎ始めた。


「夢見の才とは、夢の世界にリンクする事が出来る才能の事になるかな。だがその前に、夢の世界という物について説明するのが筋だろうね。

 ところで島崎君。君は夢の世界が如何なるものか、知っているかな?」

「夢の、世界……ですか」


 やおら解説が始まるものと思っていたら、唐突に質問が投げられた。源吾郎は目をしばたたかせつつも、思案を巡らせて言葉を紡ぐ。


「夢というのは、もちろん寝ている時に見るアレですよね。ええと、夢自体は、寝ている時に脳が記憶とか感情を整理しているんだって聞いた事はあるんですが……夢の世界なので、それとは微妙に違うんですかね」


 そうだね。源吾郎の歯切れの悪い言葉に対し、アルテミシアは頷いてくれた。


「島崎君の言う通り、確かに夢の多くは記憶や感情を整理するだけの、脳の機構に過ぎない場合もあるんだ。しかしその一方で、これから説明する夢の世界が存在し、眠っている間に意識がその中に入り込む事があるのもまた、紛れもない事実なんだ。

 そして島崎君には、夢の世界に入り込む素質があるんだ」


 素質ですか。断定的なアルテミシアの言葉に対し、源吾郎は頓狂な声を上げていた。


「何せ君の先祖は這い寄る混沌を取り込んでいるからね。そして君もまた、その這い寄る混沌の権能を受け継いでいるのだろう? であれば、夢の世界に入り込むなど造作もない事だよ。這い寄る混沌は様々な力を持つのだけれど、夢の世界の支配者としての側面も持ち合わせているのだから」


 よく考えてみたまえ。アルテミシアはそう言うと、前のめりになって源吾郎の顔を覗き込んだ。灰青色の瞳は湖のように澄み渡り、それでいてその奥で何かが渦巻いているようにも感じられる。それを眺めていると、何か意識が遠のいていきそうな感覚さえあった。

 これが魅入られるという事なのだろうか。半ば他人事のように思っていると、アルテミシアが言葉を続ける。


「私の予想では、島崎君も既に夢の世界に入り込んだ経験があるんじゃあないかな?」

「島崎君ならば、夢の世界に入り込んだ事はあるんじゃあないかな」


 アルテミシアの問いかけは源吾郎に向けられたものであった。しかしその問いに真っ先に応じたのは、源吾郎では無くて萩尾丸だった。当の源吾郎は、夢の世界に入り込んだ際の夢が如何なるものか、思案している最中だったのだ。


「実はねアルテミシアさん。一か月ほど前に、僕は雷園寺君から興味深い話を聞いていたんだよ。島崎君が、何やらけったいな夢を見た、とね」


 臆面もなくそこまで言うと、萩尾丸は源吾郎に視線を転じた。


「それで島崎君。確かその時の夢って、八頭怪のような怪物と、棘だらけの狼のような怪物が殺し合う夢だったんだよね?」

「あ……はい。概ねそんな感じです」


 何で自分よりも、また聞きである萩尾丸の方が色々と詳しいのか。そんな事を思いもしたが、源吾郎は素直に頷いていた。記憶というのは不思議なもので、萩尾丸の話を聞いているうちに、彼の言う「けったいな夢」と思い出し始めたのだ。

 それだけではない。他にも夢の世界とやらに赴いたであろう夢を見た事があるのも、源吾郎は思い出しつつあったのだ。


「よくよく思い出してみると、雷園寺君に話した夢以外にも、夢の世界とやらに赴いた夢は見た気がします。玉面公主様に会った晩などは、他の這い寄る混沌に詰め寄られる夢を見ましたからね。何か物凄く腹が立って、それであいつらに怒鳴ったような記憶もありますが」


 源吾郎の報告に、アルテミシアと萩尾丸は顔を見合わせていた。源吾郎に向き直ったアルテミシアは、もう一度ズレた眼鏡の位置を直していた。その面に真面目な表情を浮かべながら。


「そうか。夢の世界に訪れただけではなくて、既に這い寄る混沌の化身たちとも接触を図っていたのか。まぁ……玉藻御前の末裔にして先祖の血が濃い事と、君自身夢見がちな気質である事を思うと、さほどおかしな話ではないが」

「ちょっと待ってください。アルテミシアさん、僕って別に夢見がちじゃあないですよ。むしろ僕は、バリバリに現実に生きる男なんですから」

「君自身そう思っていたとしても、僕たちから見れば夢見がちな所はあると思うんだけどなぁ。そもそもからして、君がかつて打ち立てていた野望とやらも、それこそ白昼夢のような物じゃあないか」


 萩尾丸にそう言われると、源吾郎も返す言葉もなく項垂れる他なかった。

 いずれにせよ、源吾郎には夢見の才があり、時に夢の世界に行き来する事がある。その事が明らかになった事には変わりはなかった。

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