閑話 昏い屋敷で異形は嗤う

 市内某所。昼なお昏いその土地は、夜の帳に囲まれるとドロリとした闇がわだかまっているかのように感じられた。

 それもそのはずであろう。元々は山鳥女郎の屋敷であったその敷地には、今や大いなる邪神の遣いとその子が住まわっているのだから。

 そしてドロドロとした闇を取り囲むように、屋敷の周囲では何かが羽虫のように飛び交っている。飛び交っているのは羽虫ではない。夜鷹であった。彼らは、聞く者によっては震え上がるような啼き声を上げながら、二重三重と輪になって飛び交っていたのだ。死せる者の魂を捕えるためなのか、はたまた別の理由があるのか。その理由は、それこそ神のみぞ知るという所であろう。

 ドロリとした闇に包まれた敷地の中にある屋敷では、果たしてどのような情景が繰り広げられているのだろうか?


 暗い緋色の絨毯が敷き詰められたその部屋には、三人の人影があった。

 人影と言っても、三者とも人間ではない。屋敷のあるじたる山鳥女郎にその息子にして邪神の血を受け継ぐイルマ。そして食客にして邪神の遣いたる八頭怪。それがそれぞれの影の主だった。

 この三者は、それぞれ思い思いの事を行っていた。山鳥女郎は革張りの椅子にどっかりと腰を掛けて、石板のごときタブレット端末を膝に置いたまままどろんでいた。イルマは文机に向かい、羊皮紙でできた本を開いて何事かぶつぶつと呟いていた。そして八頭怪は窓辺に寄りかかり、暗い空を飛び交う夜鷹の姿を、ぼんやりと眺めていたのだ。


「うんうん。そうか……あはっ、中々面白そうな事になるだろうねぇ」


 夜鷹は慣れているのだろうか。自由気ままに飛び回っているはずの彼らは、開かれた狭い窓の入り口から屋敷に入り込み、八頭怪の周りを巡回した。啼き声を上げながら八頭怪の周りを一巡し、そしてそのまま窓から屋敷の外に出る。

 その間、八頭怪は抜け目なく夜鷹を観察し、時に頷き言葉を交わしていたのだった。まるで、夜鷹の言葉が解っているかのように。

 いや実際に、八頭怪であれば、夜鷹の啼き声から彼らの意志を探る事は造作もないのだろう。

 あいつらも無い知恵を絞って策を弄しているが、所詮はボクの手のひらの上だよ――夜鷹たちが全て部屋から抜け出したのちに、八頭怪は声を低めて笑っていた。

 まどろんでいた山鳥女郎の瞼が動き、暗唱を続けていたイルマが口をつぐんで顔を上げる。

 

 屋敷の中で、異変が生じたのはまさにその時だった。まず屋敷の中央部分が怪しく揺らぎ、玉虫色の霧があたりに立ち込めたのだ。かと思うと、そのまま空間に裂け目が生じ、そこから何かが吐き出された。ソレが裂け目から放り出されたようにも、あるいはおのれの力で飛び出してきたようにも見える。

 いずれにせよ、飛び出してきたのは一羽の鳥であった。茶褐色の地に所々紅色の羽毛の入ったその模様は、山鳥のメスの特徴を示していた――山鳥というには大きすぎるほどの巨躯を別とすればの話であるが。メス山鳥の姿をしたそれは、通常の山鳥の三倍ほどの大きさはあったのだ。それこそ、メスの七面鳥と並んでも遜色ないほどだろう。

 このメス山鳥の名は紫苑という。かつて雉鶏精一派の第五幹部だった事もある女怪だ。そして、山鳥女郎の娘であり、邪神の血を引くイルマの異父姉でもあるのだ。


「あ、あ、お姉さま。お戻りになられたんですねぇ」


 古文書を読み解いていたイルマが、例によって間の抜けた声を上げる。水か何かを用意しようと立ち上がろうとしていたのだが、その際に机の端に置いていた古文書たちが散らばって落ちてしまった。

 結局のところ、イルマは異父姉に向かうよりも、散らばった古文書を片付ける方を優先してしまったのだ。


「紫苑ちゃんもお帰りなさ~い。ボクの術式を大いに活用してくれたみたいだけど……でも疲れたでしょ?」


 結局のところ、裂け目から飛び出して喘ぐ紫苑の許ににじり寄ったのは、食客たる八頭怪だった。いつ用意したのかは定かではないが、彼は小さな丸い椀を片手に持ち、未だ本性を晒したままの紫苑の嘴に突き付けていた。椀の中になみなみと注がれているのは、黄緑色の半透明の液体である。

 椀を向けられた紫苑は、躊躇わずに名状しがたい液体を飲み始めた。その勢いたるやすさまじく、羽毛で覆われた喉が幾度も波打ち、水を飲む音が聞こえるほどである。

 しばらくすると、紫苑も液体を飲み終えたらしい。頭を上げた彼女は一度ゆっくりと瞬きをし、それからゆっくりと嘴を開いた。


「ええ。私も転移術は存じておりますし心得はありますが、八頭怪様の転移術は、私どもの知るものとは異なっているようですね」


 そこまで言うと、紫苑はすっと立ち上がる。既に喘ぎは止まっていたし、イルマも手持無沙汰ではあるものの彼女の傍ににじり寄っていた。山鳥女郎もまた、座したままではあるが完全に目を覚ましていた。

 それらを確認した彼女は、翼を畳み直して打ち震わせ、そのまま人型に変化した。山鳥女郎よりも若い、栗色の髪の女の姿である。地味ながらも密やかな魅力を隠し持つ容貌であるが、身にまとう衣裳はやや乱れていた。

 用心深く周囲を見渡す紫苑に対し、八頭怪は笑みを浮かべていた。幼子や孫の奮闘ぶりを見守るような、そんな笑みである。


「へぇ、流石だね紫苑ちゃん。ボクの転移術が、ほかのボンクラ共のそれとは違うって事も、ちゃんと解っちゃうだなんて、さ。流石は碧松姫様のご息女だけあるね」

「そりゃあ当然よ。紫苑だって私の血を引いているんですから。後付けで力を貰っただけのメス雉や、とうにくたばった胡喜媚を信仰するようなメンドリなんぞとは格が違うのよ、私たちは」


 気付けば山鳥女郎も椅子から立ち上がっていた。自分と娘の血筋を尊ぶその言葉は、誇らしげでもあり憎々しげでもあった。

 紫苑はというと、周囲の確認が終わると今一度八頭怪に向き直る。


「ところで八頭怪様。今は何月何日、いえ私が転移術を使ってから何日ほど経っているのでしょうか?」

「どうしたのさ急に」


 にこやかな、しかし表情の読めぬ八頭怪に対し、紫苑は口ごもりながらも言葉を続ける。


「いえ……普通の転移術とは異なる感覚がしたというのは、先程申し上げたばかりかと思うのです。私は雉鶏精一派の方たちの目を欺くためにあの中に潜んでいたのですが、相当な時間が流れているように感じましたので。

 もしかしたら、私があの中でも動き回っていたのも関係するのかもしれませんが」


 紫苑が疲れ果て、ついでに羽毛が乱れていたのも、つまるところそう言う事だったのだろう。大体一週間じゃあないかな。八頭怪は事もなげに告げる。これには、紫苑のみならず山鳥女郎も驚きの表情を見せていた。

 ところが、言い出しっぺである八頭怪は、手をひらひらさせながら笑うだけだった。


「あはは。碧松姫ちゃんも紫苑ちゃんもさ、そんなに驚かなくて良いんだよ? 確かにタイムラグはあったと言ってもさ、所詮は七日程度なんだから、さ。驚くなら、数か月とか数年ぐらいタイムラグがあってから驚いてほしいな」


 それにね。八頭怪はここで笑みを深める。さしもの山鳥女郎もたじろぐほどに。


「ボクらが仕えるモノたちってのは夢見るままに待ち至る事で有名だけど、それだって数万年、何となれば数億年単位なんだからさぁ。それにもしかしたら、僕たちだってそう言うポジションになるのかもしれないし。ふふふっ。驚くってのは若さの特権かもしれないけれど、大局的に物事を見据えるのは大切だと思うよ」


 そこまで言うと、八頭怪はイルマを見据えて言い足した。


「特に碧松姫ちゃんには、イルマ君がいるんだからさ。僕たちの中で、最も道ヲ開ケル者に近いんだよ、あの子は」

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