鴉天狗 封印が佳いと言い募り
少しの間ではあるが、話題は八頭怪への対策から、趙と名乗る妖狐の青年の事へとスライドしていた。双睛鳥が彼の事について語り、他の幹部たちがあれやこれやと言及したためである。
「成程、趙君というのは玉藻御前の御子息・伯服様の系統なんですね。であれば、白銀御前様の孫である島崎君とは遠縁と言えども親族になるでしょうね」
「双睛鳥。趙君とやらに少し慕われたからと言って、彼らの一族から力添えが出来るなんて考えるのは厚かましくないかしら。伯服だって、異父妹の玉面公主と同じく、私たちと八頭怪との闘いには無関係を貫くスタンスだもの」
「……その上伯服様の一族にも、妖狐の血が薄まるという呪いが代々かけられていますからね。厳密に言えば、妖狐の血が濃い子孫や、一定以上の力を持った子孫は、すべからく早死にしてしまうという呪いですがね。とはいえ、伯服様が二尾を犠牲にしているから、その程度で済んでいるのですが。いずれにせよ、あのお方の一族の力添えは不可能でしょう。人間の血が濃い上に、それほど強い者はあの一族にはいないのですから」
灰高がしみじみと語るのを聞きながら、源吾郎は静かに目を伏せた。伯服の一族もまた、玉藻御前の所業に起因する呪いが掛かっているという話は、他ならぬ伯服自身から聞かされていたためである。
妖狐の血が濃く、妖怪の力が強い子孫ほど事故死や狂死にて早世しやすい。成程苛烈な呪いである。そして伯服から連なる子孫たちは全て半妖ないし人間である――半妖であっても、人間との間に八世代以上子孫を残したら、その子孫は人間と同じ扱いになるのだ――というのも、無理からぬ話であろう。基本的に、半妖は妖怪の血が薄まり、それによって親世代よりも弱体化するのだから。
「私も話に乗っかっておいてなんですが、そろそろ本題に……八頭怪への対策の件に話を戻りましょうか」
灰高はテーブルの上に肘をつき、組んだ手指の上におとがいを乗せながらうっそりと笑う。源吾郎はそんな灰高の言葉に、引っかかるような違和感を覚えた。何がおかしいのかは解らないが。
「峰白様や紅藤様は主に、八頭怪と闘い、これを討ち滅ぼす事を前提に物事を考えておいでだと思われます。ですが、八頭怪を討ち滅ぼそうと思う事そのものが間違いであると、私は考えているのです」
八頭怪を討ち滅ぼすという考えが間違いである。笑みをたたえつつ語った灰高の言葉には、やはり大きな衝撃が伴っていた。
だが今回は、会議室の中でざわめきは生じなかった。灰高の言葉を聞いた紅藤が、ただならぬ空気と妖気を纏いながら、彼を睨んでいたためである。
平素の紅藤は、穏和でいっそ優しい気質の持ち主である。しかしだからこそ、ひとたび怒らせれば恐ろしい事になりうる。雉鶏精一派の妖怪たち、特に幹部たる八頭衆の面々は、その事をよく心得ていたのだ。
だからこそ、彼女を刺激せぬように敢えて声を上げなかったのかもしれない。
「八頭怪を討ち滅ぼす事は、確かに私どもには不可能です。ですが――封じるだけであれば、まだ勝算はあります」
「封じるだけ……要は封印するという事でしょうか、灰高のお兄様」
紅藤の発言を皮切りに、場の空気がにわかに緩んだ。他ならぬ紅藤の、途方もない憤怒の気配が霧散したからだ。
その通りでございます。灰高は静かに、しかし得意げな様子で頷いた。
「これはですね、新たに第五幹部に就任した、真琴様とも情報共有をして対策を練った上での結論になります。古来より、我々の手に負えない異形のモノは、無理に斃さずに封印してしまうのが手っ取り早い対策になりますからね。もちろん、真琴様の仰ったような邪神やその眷属、あるいは信者たちとて、封印されてきた過去がありますし」
「ああ、ああ。あの九頭龍とかいう巨大なタコのバケモノみたいなやつも、確か海底宮殿に封じ込められているとかって話だったもんなぁ」
「……封印術なら、私や緑樹も心得がありますわ。簡単な物であれば、萩尾丸や彼の部下たちも出来るでしょうね。そしてもちろん、灰高のお兄様もお得意なのですよね」
「そりゃあそうでしょうとも。そもそも、自分でできない事などを、どうして真面目な会議の場で披露しなければならないのですか」
生真面目な紅藤の言葉に対し、灰高はおどけた様子で応じていた。他の生物を小馬鹿にしたような態度は腹立たしさを伴っていたが、その一方で正論である事にも源吾郎は気付いていた。真面目な対策の場で、自分が出来ないような事を口にするなどという愚かしい事はしないだろう、と。
そしてそうした点においては、灰高は誠実な妖怪でもあるのだから。
「灰高様のお考えはよく解りました。ですが、その、八頭怪たちを封じるための場所や準備などは行ってらっしゃるのでしょうか」
第三幹部である緑樹が、おずおずとした口調で問いかける。封印に向けた準備を行っているのか。そう問うた物言いも、灰高を詰る気配はなく、むしろ手伝う事は無いかと相手の身を案じている気配が滲んでいた。
その問いに応じたのは、第五幹部に就任した真琴だった。
「緑樹君。八頭怪封じ込めの術式構築や場所の選定は、私や私の眷属も一緒に携わっているのよ。だから心配しなくても大丈夫よ。とはいえ……何かあればあなたたちにも協力を要請する可能性もあるから、それだけは心に留めておいてほしいの」
「解りました。その際は、僕たちも惜しまず協力いたします」
最後の真琴のやや曖昧な申し出に対し、緑樹は丁寧な口調で告げて頭を下げた。
鬼と妖怪仙人たる白猿の血を引く緑樹は、配下として主に鬼と猿妖怪を大勢召し抱えていた。特に緑樹の母方の祖父が酒呑童子だったという事もあって、鬼たちの配下は相当数いるという。そうした鬼たちの中には、やはり仙道や神通力に準じた不可思議な術に精通した者もいるだろう。
鬼と言えば粗暴なパワーファイターというステロタイプが憑きまとうらしいが、それは真実とも言い難い。鬼の中には死体の良い所を集めて人造人間として蘇らせる業を持つ者もいたというし、「偽りあらじと言いつるに、鬼神に横道なきものを」という言葉を遺した酒呑童子の心根は、ただただ暴虐な悪妖怪とは言い難い。
そもそも論として、緑樹の配下の中には妖怪向け病院を運営したり、医者として働く者――雪羽や時雨たちがお世話になったのは、鬼では無くて猿妖怪たる狒々の主治医だったそうだが――すらいるという。
緑樹自身もまた、他の妖怪たちに較べて仙道に詳しいという。であれば、彼の部下たちの中にも、その手の心得がある者がいたとしてもおかしくは無かろう。
さて紅藤はというと、恭しく頭を下げる緑樹と、ふんぞり返らんばかりの灰高とを交互に眺めていた。そして決心がついたのであろう。灰高を正面から見つめつつ、言葉を紡いだ。
「緑樹君たちだけではありません。不肖私紅藤も、八頭怪並びに彼の協力者の封じ込めに協力いたしますわ。灰高のお兄様」
灰高はしかし、決意に満ち満ちた紅藤の言葉に対し、笑いながら手をひらひらさせただけだった。
「雉仙女殿。あなたの尽力が必要な時は前もってお伝えしますから、別段気負わなくても大丈夫ですよ。私や真琴様の方で、協力者はあらかた選定済みですので」
「そう、だったのですね……」
瞠目する紅藤の言葉には、いくばくかの驚きの念が滲んでいた。第五幹部・紫苑の裏切りと、八頭怪との全面戦争が秒読み段階になっている事が明らかになってから、まだ一、二週間ほどしか経っていない。それなのに、既に灰高は八頭怪を封じる手はずを講じ、既に妖選も決めているという。
その事については、源吾郎も素直に驚きを覚えていた。相手が千年近く生きている大妖怪である事を考慮しても、だ。だからこそ、紅藤の驚きもそのためであろうと思っていたのだ。
それにしても雉仙女殿。驚きの抜けきらぬ紅藤を見据え、灰高が言葉を紡いでいた。彼はさも愉快そうに目を細めている。光り物か、珍しい食材でも見つけ出した鴉のごとき表情だった。
「封印というのは良いですよねぇ。巧く封じ込める事が出来れば、斃さずとも彼らはもはや我々に手出しする事は出来ないのですから。
ああそれと雉仙女殿。この度私どもが封じ込めるのは、八頭怪だけではございません。かつての第五幹部で裏切り者である紫苑とその母たる山鳥女郎。彼女らも、封じる対象になるのです」
「それは、そうでしょうね」
紅藤の声はかすかに震えていた。その声を聞くや否や、灰高はまたしても笑った。
「ふふふ。雉仙女殿としても良い話なのではありませんか。あなたは身内への情が篤すぎるのが欠点です。まぁ時には美徳になるのかもしれませんがね。ともあれ、彼女らについても、殺すのではなくて封じるだけで良いのです。紫苑殿を義理の姪として可愛がっていたあなたにしてみれば、多少は気が楽なのではありませんか?」
「……あなたもヤキが回ったのかしら、灰高」
灰高の言葉は、明らかに紅藤への問いかけだった。しかし、彼の言葉に真っ先に応じたのは、第一幹部の峰白だった。
彼女は酷薄そうなその面に不機嫌さを滲ませながら、灰高を睨んでいた。
「いいかしら灰高。私たちが、義妹の紅藤が、今更身内の情などという下らないものに縛られて、それで紫苑や山鳥女郎を斃せないと思っていたら大間違いよ。仮にそうだったとしても、この私が山鳥女郎諸共あのメンドリはぶち殺して差し上げるから」
そうよね紅藤。雉ながらも猛禽めいた気配を漂わせながら、峰白もまた紅藤に問うた。兄貴分のみならず義姉からの問いかけに、紅藤は一瞬身を震わせていた。しかし彼女は、決然とした表情で頷いたのだった。
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