八頭怪 邪教の活動もたらすか

 打ち合わせの序盤では、八頭怪の来歴や雉鶏精一派との因縁についてが粛々と語られていった。

 それらの内容は、源吾郎が知っている事と源吾郎が未だ知らぬ事とが混合されたものだった。胡喜媚の実弟でありながら、胡喜媚や彼女の義姉妹を白眼視し敵対視している事。元々は胡喜媚と同じく――胡喜媚も最終的には七頭雉鶏精になってしまったが――九頭の化鳥であった事。それ故に九頭駙馬きゅうとうふばと名乗り、万聖龍王と万聖公主を誑かし、無理やり婿に収まった事。

 ともあれ源吾郎はペンを走らせていた。知っている事であれ、知らぬ事であれ、記録せねばならないのだと思っていたからだ。あるいは、妙な所で学生だった頃の癖が抜けきってないだけなのかもしれない。実験や実技以外の授業では、教師の言った事・板書した事はノートに取るべし。その考えは、十二年間の学校生活で刷り込まれていたのだ。

 まぁもちろん、就職先である研究センターでもノートやメモを取る事は強く推奨されているのだが。


「――いずれにせよ、彼奴は道ヲ開ケル者の子孫であり、遣いでもあるのです。道ヲ開ケル者は全宇宙にはじき出された存在ではありますが、いずれはこちらの世界への侵蝕を望んでいる……八頭怪は、その手助けを行うために暗躍しているのです。女媧じょか様が胡喜媚様たちを配下にしていた頃から、今に至るまで」


 そこまで言うと、灰高が大きく息を吐き出すのが聞こえて来た。ずぅっと話通しだったのだろう。そのため息には、はっきりと疲労の色が感じ取れた。

 話し手である灰高の言葉が止まったが、沈黙が会議室を覆う事は無かった。話を聞いていた妖怪たちが、思っていた事を口々に語り始めたからだ。


「道ヲ開ケル者って詳しくは知らなかったけれど、全宇宙から出禁を喰らってるってなんかヤバそうだなぁ」

「三國君は勉強不足なのよ。道ヲ開ケル者なんてのは、小説でもオカルト方面の本でも結構有名どころなんですから。そりゃあまぁ、九頭龍くとぅるーの知名度が高くて圧されているかもしれないけれど」

「それにしても、何だって八頭怪は胡喜媚様と対立してる、してたんですかね? 実の姉弟なんだから、仲良くしても良い気がするのに」

「実の兄弟だからこその軋轢ってのもあるだろうが!」

「下手に血が繋がっていたら、余計に争いの許になる事もありますもんねぇ。異父兄弟や異母兄弟でもありますけれど、場合によっては実の兄弟の方が争いが烈しくなる事もあるでしょうし……」

「多分だけど、胡喜媚様が信奉していた物と、あいつの信奉していた物が違っていたから、姉弟と言えども仲違いが発生したんじゃないかしら。

 こんな話をするのは業腹だけど……八頭鰥夫はっとうかんぷの気持ち、私も何となく解るもの」


 陶酔と追憶、そして憎悪。様々な感情の入り混じった峰白の言葉に、会議室の場は一瞬で静まり返った。業腹とはいえ八頭怪の気持ちは解る。峰白が口にしたこの言葉が衝撃的な物だったのだ。

 峰白と言えば、八頭衆の中でも最高位の地位を護る女怪である。だがそれ以上に……過激思想の持ち主である事も有名な話だ。

 胡喜媚とその孫である胡琉安を狂信し、それ以外の存在は塵芥か敵か手駒でしかない。それが峰白の思想なのだ。彼女にしてみれば、数少ない部下も、八頭衆たち――第二幹部にして義妹たる紅藤もだ――すらも、雉鶏精一派を運営するために必要なに過ぎない。そんな彼女の考えも、きわめて有名な話だった。それこそ、新参者である源吾郎ですら知っているほどなのだから。


「……皆様、宜しいでしょうか」


 だがそれでも、この会議室に集まっているのは、海千山千の猛者たちばかりだ。衝撃に打ち震えて沈黙していた会議室の空気も、今宮の呼びかけによって元通りになってしまったのだから。

 その中で、真っ先に口を開いたのは灰高だった。


「私からの報告は、一旦この辺りで終わりに致しましょう。皆で策を考えるにあたり、私ばかりが話していても仕方ありませんからね。他にお話のある方はいらっしゃいませんか?」


 はい。短い返事と共に手が挙がる。手を挙げたのは、第五幹部の真琴だった。八頭怪が信奉している物、道ヲ開ケル者やそれに連なる邪神たちについての報告を行うと、彼女は宣言していた。

 眷属の数が目減りしたという話も近頃持ち上がっているが、それでも真琴は諜報員の長である。他の八頭衆とは異なったアプローチで、情報収集を実施していると言っても過言では無かろう。


「八頭怪が道ヲ開ケル者の狂信的な信奉者である事、道ヲ開ケル者が如何なる神格であるのかは、灰高様の方で一通り説明があったと思います。とはいえ、それ以外にも、道ヲ開ケル者に連なる神格というのはいくつか存在します。九頭龍や母なる黒山羊、そして黄衣の王や這い寄る混沌。この辺りが有名どころですかね。

 とはいえ、彼らや彼らの信者も一枚岩ではなく、敵対している場合もあるようなのですが」


 自分でもクトゥルー神話の内容は今一度確認し直そう。真琴の説明に耳を傾けながら、源吾郎は静かに思っていた。

 その間にも、真琴はつらつらと言葉を重ねていた。


「今回は、別に邪神同士の対立については深く説明いたしません。本筋ではありませんからね。それよりも重要なのは、そうした邪神たちを信奉している者たちの活動が、ここ数か月の間で顕在化している事なのです」


 真琴の言葉に、居合わせた妖怪たちの間から反応があった。頷いたり、その通りだと同意する声が上がったりしていたのだ。

 言われてみればその通りかもしれない。そう思いながら、源吾郎は「邪神の信者たちが活性化する」とノートに記した。筆圧の強いその文字は、ノートの罫線からはみ出してしまったが。


「そしてその活性化の裏に、八頭怪の……彼の一味の活動が密接に関係しているのです」

「そりゃあそうだろうな!」


 真琴の言葉に勢いよく喰いついたのは三國だった。早くも額や首筋に青筋が浮き上がっており、隣で春嵐がおろおろしていた。


「去年の秋に、雪羽と時雨君たち異母兄妹が狙われる事件があったけど、あの時だって、八頭怪が裏で糸を引いていたって話だったじゃあないか。

 あの頭ばっかりのゲテモノチキン野郎め、俺に力があれば、頭を全部引き千切ってローストチキンしてやるというのに」

「三國さん」

「あー、三國君。やっぱり雪羽君たち兄弟の事を思い出したから、スイッチが入ったみたいだねぇ」

「三國君。気持ちは解るが落ち着きたまえ」


 憤懣やるかたないと言った様子で、三國は勢いのままに言葉を吐き出していた。見かねた萩尾丸も、呆れた様子で声を上げている。

 その様子を見ていた峰白が、片頬を釣り上げて嗤った。

 

「三國。あんたがあの八頭鰥夫はっとうかんぷの頭を引き千切ってやりたいという気持ちはよぉく解るわ。胡喜媚様を下賤な畜生扱いしているような畜生以下の畜生なんぞ、この世に生きている価値なんて無いもの。可能ならば、私だってそうしてやりたいわよ。

 だけど――それは私たちにはのよ。我らが雉鶏精一派最強を誇る、紅藤であってもね」


 そうよね紅藤。峰白はここで首を動かし、紅藤の方を見やった。紅藤は少し考える素振りを見せてから頷いた。


「ええ。かつて九頭駙馬きゅうとうふばと呼ばれていた八頭怪は、二郎真君様の矢によって翼の一枚を射抜かれ、あのお方の猟犬である哮天犬こうてんけんに頭を咬み落とされました。しかし二郎真君様と哮天犬の奮起があっても、八頭怪は隙を見て逃げおおせたのです。

 その事を考慮すれば、八頭怪を斃すには、二郎真君様や哮天犬と同等か、それ以上の力が無ければ難しいという事になります。そして言うまでもなく、


 またしても、会議室は静寂に包まれた。紅藤の強さ、保有する妖力の途方の無さもまた、有名な話である。その彼女を以てしても、八頭怪と渡り合う事は難しい。その事実が、重たい暗雲のように会議室にのしかかっているかのようだった。


「そ、それに、私どものコネや伝手では、二郎真君様に八頭怪の討伐を依頼する事も困難でしょうし」

「残念ながら緑樹の言う通りね。むしろそれどころか、二郎真君様や哮天犬様に、標的と見做されない事を僥倖と思わなければならないくらいだわ。何しろ私たちは、胡喜媚様を祖とする組織に属していて、その胡喜媚様は、二郎真君様と敵対していたのだから」


 伏し目がちの紅藤の目元には、まつ毛の細かな影が落ちていた。それ故に、彼女の物憂げな表情が一層強調されているようだった。

 そんな義妹の様子を一瞥し、峰白は息と共に言葉を吐き出した。


「二郎真君や哮天犬共は、まぁ手を貸さないでしょうね。それどころか、私たちが共喰いして共倒れすれば良いとさえ思っているかもしれないわ。それならまだ王鳳来様や玉面公主に縋った方が、望みは濃いんじゃあないかしらね」

「峰白のお姉様。玉面公主様は、私どもと八頭鰥夫との闘いには関与しないと、あの場で仰っていたではありませんか。あのお方も牛魔王様や鉄扇公主様と共に一族や眷属を護る事で手一杯でしょうし……」

「峰白様に紅藤様。この前の打ち合わせでお話できたかどうかうろ覚えなのですが……実は僕、邪教集団の摘発を行った際に、玉藻御前の末裔だという青年に出会ったんですよ。大陸からの留学生だったので、もしかしなくても本物でしょうね。趙君は、彼は僕ら雉鶏精一派の事も存じていましたよ」


 玉藻御前の末裔、それも自称している妖狐ではなく大陸出身の青年に出会った。世間話のように語られた双睛鳥の言葉に、源吾郎は瞠目した。趙なる妖狐の青年に出会ったという話は、源吾郎にとっては初耳だったからだ。

 それって本当ですか。源吾郎は身を乗り出して尋ねようとしたが、彼が発言するよりも先に、幹部陣の方が口を開く方が早かった。

 源吾郎はだから、喋るタイミングを見失い、話の行方を見届ける他なかったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る