打ち合わせ 司会の鴉は高らかに啼く

 萩尾丸がハンドルを握っていたためか、研究センターから本部までの道のりは、思っていたよりも短く感じられた。これから始まる打ち合わせが八頭衆と共に行うものである事、八頭怪を討ち裏切り者を粛清するための作戦会議である事もまた、ドライブの時間を短く感じさせた要因なのかもしれないが。

 紅藤や萩尾丸と共に、源吾郎も本社ビルに足を踏み入れた。そのまま会議室に向かうべくエレベーターのある先まで歩を進めれば良いのだが……源吾郎はふと足を止めてしまった。エントランスに会った物に、視線が吸い寄せられたためである。


 思わず源吾郎が凝視したもの。それは雉鶏精一派の初代頭目・胡喜媚を模した彫像であった。その名の通り、九個もの頭部を具える異形の鳥の彫像は、高さ二メートル余りの大きさも相まって、異様な迫力を具えていた。単純に頭の多い鳥ではなく、頭足類や爬虫類などと言った、複数の生物の特徴を具えているのだから尚更に。

 あるいは、これが胡喜媚の真の姿であると、本能的に知っているからなのかもしれなかった。


 だがともあれ、源吾郎が目を留めたのは単にそれだけでは無かった。というのも――件の彫像が、動いたような気がしたからだった。

 彫像が動く。常識的に考えれば有り得ない話だろう。だが今の源吾郎には、それを有り得ない事と笑い飛ばす事は出来なかった。彫像とはいえ胡喜媚の姿を、単なる雉妖怪ではなく妖怪仙人にもなっていたはずの、それも邪神に連なるモノの姿を模しているのだ。それだけでも、何がしかの権能を具えていてもおかしくはない。

 源吾郎が割と真剣にそう思うのは、自分の手許にも似たような彫像があるからだ。

 無貌の神を模した彫像。若菜の手によって託されたそれは、やはり邪神の一つ、這い寄る混沌の化身の姿を象っていた。這い寄る混沌の権能を借りる日がいずれやって来る。若菜から託された言葉を源吾郎は素直に信じ、無貌の神の彫像を自室の一角でこっそりと祀っていた。邪神とはいえ往古の神には変わりないからと、毎朝饅頭を供えているのだから、まぁまぁ本格的な祀り方であろう。

 もっとも、無貌の神の彫像が実際に動くのか。それは源吾郎にも定かではない。祀っているとはいえ、源吾郎は件の彫像を凝視する事は無いからだ。彫像を正式に継承した身であると言えども、冒涜的な異形の神の彫像を見つめ続ける程の胆力を、源吾郎は持ち合わせてはいなかった。

 それこそ、恐ろしいほどに緻密に刻み込まれた冠の紋様が蠢いているのではないか。その瞬間を目の当たりにするのが恐ろしかったのである。


「島崎君。行くよ」


 凍り付いたように立ち止まっていた源吾郎の呪縛を解いたのは、やはり萩尾丸の声だった。


 やはりと言うべきか、会議室は緊迫した空気に包まれていた。初めから解りきっていた事ではあるが、それでも源吾郎は緊迫した空気にあてられてしまい、早くも神経質な心臓はその鼓動を速めた。

 集まっている面々は、雉鶏精一派の中心妖物とその側近や重臣たちだった。

 すなわち頭目である胡琉安に幹部である八頭衆の八名――但し第五幹部は最近就任した化けネズミの真琴である――、そして彼らが最も信頼を置く、数名の部下たちである。

 こうした錚々たる面々の中では、自分は場違いな仔狐のように思われるのではないか。そのような考えが、源吾郎の四尾に生え揃った銀白色の毛を震わせた。しかしだからと言って逃れる事など不可能である。既に彼の席は、紅藤の隣に指定されてもいたのだから。そして紅藤の、源吾郎の周囲に腰を降ろすのは、八頭衆やその側近たちの中でも古参の者たちばかりである。研究センターの中では大雑把でひょうきん(?)なセンター長である紅藤だが、雉鶏精一派・第二幹部の地位はやはり途方もないものだ。座席の順だけであるというのに、源吾郎は今更のようにその事に思いを馳せていた。

 よく考えれば、紅藤様がお傍にいるのだ。そう思って心を落ち着かせた源吾郎は、ある事に気付いた。頭目である胡琉安の隣に、見慣れぬ青年が座しているのだ。しかもその青年、隣にいる胡琉安に驚くほどそっくりなのだ。

 源吾郎はだから、この青年をまじまじと凝視し、この青年は誰なのだろうと考えていた。胡琉安の隣にいるのだから、彼の兄弟や親族なのだろうか――そんな考えが真っ先に浮かび、源吾郎は即座に首を振った。胡琉安に似ているからと言って、彼の兄弟や従兄だと考えるのは浅はかだと悟ったためだ。

 元より胡琉安は、初代頭目たる胡喜媚の血を引く妖怪である。もっと言えば、峰白と紅藤は、雉鶏精一派という組織を作るために、彼を生み出したのだ。そんな胡琉安に、もしも兄弟や親族がいたとなれば、紅藤たちはその事を大々的に宣伝していた事であろう。

 実際問題、紅藤の長男である青松丸は、胡琉安の半兄――公的には異父兄という事になっていた――であるという事が公言され、要職に就いていた可能性も示唆されている。、だ。


「どうしたの、島崎君」


 源吾郎の挙動に気付いたのだろう。紅藤が僅かに首を動かし、こちらを見やりながら尋ねかけていた。胡琉安様の隣にいるのは誰でしょうか。源吾郎の脳裏には質問内容が浮かんでいた。だが、実際にそれを口にする事は無かった。

 源吾郎が口を開くよりも、打ち合わせの準備が整った方が早かったためだ。

 いつの間にか、会議室の廊下側の一角にはスクリーンが降ろされ、映像が投影されていた。映像自体はどうという事は無い。テーブルに置かれたラップトップの画面が、プロジェクターに投影されているのだ。画面の七割程度はスライドの画面であったが、残りの領域にはアカウントを示す丸いアイコンや、もっと直截的に画面を覗き込む妖怪の顔などが表示されていた。


「はい。こちら雉鶏精一派・第六事業所の今宮です。私の声は聞こえますか?」

『こちら研究センター、もとい第二事業所です。はい、聞こえます』

『第七事業所でっす。聞こえますよー!』


 ノートパソコンを操作しているのは化け狸の今宮紅葉だった。六尾の妖狐・林崎ミツコと同じく、彼女もまた萩尾丸が信頼を置く側近中の側近である。その割には、ミツコに較べてこのような雑事を担う事が多いようだ。まぁ確かに、雑事も行う者がいなければ仕事は立ち回らないのだが。

――今宮さんも、俺の現実改変能力について知っているんだろうな。真面目な様子でノートパソコンを睨む今宮女史を前に、源吾郎は唐突にそんな事を思った。

 考え自体は唐突であるが、根拠はあった。源吾郎の権能を知る林崎ミツコと、今宮紅葉は、両者とも萩尾丸の側近である。いわば同僚同士だ。末端の若妖怪であればいざ知らず、側近として信頼されている者同士であるから、密な情報共有も行われていたとしても何らおかしくはない。

 更に言えば、妖狐と化け狸という種族の相性もまた、根拠のうちであると源吾郎は思っていた。淡路や四国、あるいは佐渡などとは異なり、関西圏では妖狐と化け狸の対立は殆ど無いという。萩尾丸も妖狐のみならず化け狸の部下も大勢抱えていたし、源吾郎も狸連中から狐であるという事で白眼視された事はない。


「――それでは準備が整ったようですので、早速打ち合わせに入りましょうか」


 気付けば今宮が実施していた通信テストも終わっていた。打ち合わせに入る。深みのある、朗々とした声音でそう宣言したのは、第四幹部の灰高だった。頭目や峰白と言った上位幹部を差し置いて、彼が打ち合わせの音頭を取っているという事なのだろうか。

 そう思っている間にも、プロジェクターの画面が切り替わる。スライドの表紙が全体的に映し出されたのだ。「平成三十年 三月度打ち合わせ」白い背景に骨太で無機質なフォントにて、ただその文字だけが記されていた。表紙のあまりのシンプルさに、源吾郎は面食らった。八頭怪の討伐だとか、そうでなくとも緊急会議などと言った文言が躍っているだろうと思ったためだ。


「……ここにいる皆は、何の打ち合わせを行うか既に知ってるわ。だからこそ、別段単純なタイトルだったとしても問題はないのよ」


 源吾郎の驚きを読み取ったのか、紅藤がそっと耳打ちをしてきた。

 彼女はそれから、メモを取るのは構わないが議事録は源吾郎が作成すると言い添えた。

 この言葉にも源吾郎は大いに戸惑った。議事録を作成しろと命じられる事はこれまでにも何度かあったが、議事録を――実際には作成する必要はないと言われただけであるが、暗にそう言われているも同然だと感じていた――と言われる事などなかったからだ。


「内容が内容だから、ね。島崎君が書いた議事録が、リークしてはならない所にリークしてもいけないでしょう。そう言う事が無いように、今回の議事録は、八頭衆の誰かか八頭衆に近しいひとのどなたかが作成する手はずになってるわ」


 そう言うと、紅藤は源吾郎の方に手を伸ばした。彼女の細く白い指は、さも当然のように源吾郎が広げたノートに触れていた。

 彼女の指先を起点として、半透明の紋様が浮き上がる。それはすぐに、ノートの表面に溶け込むように消えていった。源吾郎は呆然とそれを眺めていた。何がしかの術を施したのは明らかな事だと思いながら。


「大丈夫よ、島崎君。これであなたのノートに書いた情報は、おかしなところにリークしないようになったから」


 紅藤はそう言って微笑むと、そのまま伸ばしていた手指を引っ込めた。

 その間わずか数秒の事である。


「改めて打ち合わせの内容についてお話ししましょう。今回の議題は、我らが雉鶏精一派の怨敵・八頭怪への対策会議となります」


 そうしている間にも、灰高は朗々とした声で言葉を紡いでいる。それによると、今回の打ち合わせは二部構成であり、第二部ではより込み入った話になる事、それ故にメンバーの変化もある事などが灰高の口から語られていた。

 源吾郎はボールペンを握って構えた。既に手指は汗で湿り、左手の指を置いたノートの端が、早くもふやけ始めていた。

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