打ち合わせ前の一コマ――狐は語り、運転を思う

 源吾郎と雪羽も、若手妖怪ながらも八頭怪討伐のいち戦力として投入される。その事が明らかになったのは、火曜日の夕方の事だった。萩尾丸が「島崎君たちを戦力として使うか否かは悩ましい所だ」と口にしたのが月曜日のミーティングの事であるから、そこから一日しか経っていなかった。


「そうかぁ」


 その報せを聞き、敢えて間延びした声を上げたのは、金毛二尾の白川青年だった。今日も彼は、例によって萩尾丸の命によって、研究センターに派遣されていた。妖力の保有量は源吾郎や雪羽に劣るものの、一尾の若狐連中よりも年長である事、何より研究職の経験と適性があるという事から、萩尾丸の部下たちの中でも彼が派遣される事が多かったのだ。

 なお、白川からは折に触れて米田さんと源吾郎の交際について聞かれもした。源吾郎はその事にも慣れてしまった。良い事なのかどうかは別問題であるが。


「ボスも……萩尾丸さんもこのところ、八頭怪がどうとか、第五幹部殿の粛清がどうとか、物騒な事ばかり仰っていたけれど、とうとうこの時が来てしまったか」

「僕たちが、萩尾丸先輩たちに戦力として投入される事も、致し方ない事だと思っています」


 いつになくしんみりとした物言いの白川に対し、源吾郎は即座に応じた。白川の表情や態度が何とも気弱な感じがして、源吾郎なりに励ましたかったのだ。

 だが少ししてから我に返り、源吾郎は神妙な面持ちとなってしまった。暗に自身が強いとアピールしているように解釈されるのではないか。そんな考えが脳裏をよぎり、源吾郎は僅かに身構えた。

 源吾郎の予想に反し、白川はすぐには何も言わなかった。ただ思いがけぬ事に――物悲しげな眼差しを、源吾郎と雪羽の両者に向けていたのだ。


「ああ、全くもって、運命というやつは苛酷だよなぁ。お前らみたいな仔狐と妖獣であったとしても、八頭怪みたいな得体のしれん、とんでもねぇ奴と闘わなければならないんだからさ」


 白川から吐き出された言葉は、更に思いがけぬものだった。何と彼は、源吾郎たちの身を案じていたのだ。


「白川先輩。僕たちの事を心配して下さっているんですね。その優しいお心遣い……痛み入ります」

「優しい心遣いだと。そんなんちゃうわ」


 源吾郎の言葉に、白川は即座に反応した。短く鋭く言い捨てたかと思うと、ふと源吾郎たちから視線を逸らしたのだ。


「あんたらの身に何かあったら、身内とか知り合いの連中が大勢悲しむだろう。雷園寺君は叔父夫婦に猫っ可愛がりされているみたいだし、島崎君の所だって似たり寄ったりじゃあないか」

「……」

「あは、そうっすね……」


 身内の事を引き合いに出され、源吾郎も雪羽も微苦笑を浮かべる他なかった。

 親族たちがおのれの身を案じている。その事については思い当たる節が十二分にある。この前だって母から呼び出しを受けた訳であるし、兄姉たちなども源吾郎の為にわざわざ小遣いを用意してくれたのだ。しかも直接渡すのではなく、長兄が持たせた夕食入りのタッパーの裏側に、それと判らぬように封筒に収めて貼り付けていたのだ。妖術を操る源吾郎すら欺く用意周到さと、ともあれ末弟にささやかなプレゼントを送ろうとする長兄の心遣いを前に、若狐たる源吾郎はただただ恐れ入る他なかったのである。

 そしてそのような心遣いを受けているのは、隣にいる雪羽も同じ事であろう。

 しかし、と源吾郎の脳裏にある考えが浮かぶ。相手はあの白川だ。源吾郎の身を案じる者の中に、米田さんをも内包しているのかもしれない。源吾郎の身に何か起きれば、米田さんとて嘆き悲しむ。そしてそれは、かつて米田さんに想いを寄せていた白川にとっても悲しい出来事になろう。

 そんな事をつらつらと考えていると、白川は源吾郎たちから視線を逸らし、頬を赤らめながらぼそりと呟いた。


「それにな、あんたらが今度の闘いでくたばったとか、大けがをして病院送りになっただなんて話を聞くと思ったら気が悪いじゃあないか。俺とあんたらはそれほど親しいとは言い難い間柄かもしれんが……何度も顔を合わせるうちに、狐並ひとなみに情は湧いてきたからな。それに二人とも、萩尾丸さんのお気に入りみたいだし」

「お、お気に入りだなんて。白川さん、冗談きついっすよ」


 白川の言葉に面食らったらしく、雪羽が目を白黒させながら声を上げていた。最後の一言は半ば冗談だったのかもしれない。だが源吾郎たちを見やる白川の眼差しは、物憂げであり優しげでもあった。

 なんだかんだ言いつつも、彼もまた妖狐なのだ。素っ気ない態度の奥底にある状の深さを感じ取り、源吾郎は思わずそんな事を考えていた。


 水曜日。八頭怪一味の討伐にあたっての打ち合わせは、ひとまず雉鶏精一派の本部にて行われる事と相成った。

 研究センターの面々は、全員がこの打ち合わせに参加する事になってはいる。しかしそれは、全員が本部の会議室に向かうという事を意味している訳ではなかった。本部に向かうのは、紅藤と萩尾丸、そして源吾郎の三名のみである。

 残りの三名――青松丸、サカイ先輩、そして雪羽だ――は研究センターに留まり、そこからリモートで打ち合わせに参加する運びとなっていた。

 同じ打ち合わせだというのに、敢えて本部に向かう者と留まる者の二手に分けているのは何故なのだろう。疑問を抱く源吾郎に対し、萩尾丸は澄まし顔でその理由を教えてくれた。

 その理由は大きく分けて二つだった。第一の理由として、重要な打ち合わせと言えども研究センターのメンバーが全員出払うのは不用心であるという事だった。有事の際に対応できるものを置いておくのが鉄則である、ましてや今の状況を鑑みれば尚更に。

 第二の理由はやや抽象的な物だった。あまりに多くの出席者が、一か所に集まっていてもよろしくはない。やや意味深な調子で萩尾丸はそう言ったのだ。源吾郎はしかし、萩尾丸の言わんとしている事を理解してしまった。すなわち、源吾郎の現実改変能力について、あまり多くの妖怪たちに知られないようにしているのではないか。そんな推測が脳裏に浮かんできたのだ。

 だからこそ、雪羽は本部に連れて行かず研究センターで留守番(?)させる形になったのではないか。口には出さなかったが、源吾郎は密かにそう思っていた。


 例によって萩尾丸がまめまめしく言葉を放ち、留守番組の三人に打ち合わせ前後の諸注意について言い含めていた。それらが終わると、源吾郎は紅藤たちと共に研究センターの事務所を後にした。本部に向かう訳であるから、社用車を使うのだ。

 そして社用車の運転席には、さも当然のように萩尾丸が乗り込んだ。


「萩尾丸先輩」


 助手席の方に回った源吾郎が声をかけると、萩尾丸は不思議そうな表情で源吾郎を見やった。短い間ではあるが、萩尾丸は既にシートベルトを着用していた。


「本部までの運転は……萩尾丸先輩がなさるのですか」

「そのつもりだけど、どうかしたのかな?」


 萩尾丸はそう言うと、ちらと後部座席の方に視線を向けた。後部座席の片隅に陣取っているのは、センター長の紅藤である。むしろ紅藤が後部座席に座っているからこそ、源吾郎は助手席に乗り込んできたのだ。萩尾丸の隣というのは確かに緊張する。だが紅藤の隣よりはいくらかマシだろうと判断したのだ。


「もしかして、島崎君は紅藤様の運転する車に乗りたいって言うのかな」

「いえ違います、そうじゃないんです」


 紅藤と萩尾丸の両者に誤解されてはならぬ。そう思った源吾郎は声を張り上げて首を振った。


「本部に向かうのなら、僕が運転した方が良いのかな、と思っただけなんです。ご存じかとは思いますが、僕も車の免許は持っていますし」


 幸いな事に(?)社用車はオートマ車であるから、オートマ限定の源吾郎でも、この社用車を運転する事は可能である。

 萩尾丸は源吾郎の顔を見つめていたが、微苦笑を浮かべながら首を振った。


「今回は構わないよ。僕だって車の運転には慣れているからね。君には車の運転などよりも打ち合わせでどんな事を話すかの方が重要だから、大人しく車に乗って考えを固めておきたまえ」


 そこまで言うと、萩尾丸は一呼吸置いてから更に言葉を続けた。


「それに島崎君。免許を取ったと言っても最近の事でしょ? しかも車を運転している雰囲気も無さそうだし」

「確かに現状ペーパードライバーまっしぐらですね。でも免許を取ったのは去年の事なので、言うて最近とも言い難いですが」

「妖怪的には去年なら最近の事になるけどね」


 そう言うと、萩尾丸は茶目っ気たっぷりの表情を源吾郎に向けた。源吾郎は無言だった。毒気を抜かれたというのもあるし、萩尾丸の言葉もその通りだと思ったからだ。元より彼は三百年以上生きている大妖怪だ。それほどの歳月を生きているとなれば、去年・一昨年などは確かに最近の事と思えてしまうのかもしれない。

 そんな事を考えているうちに、萩尾丸は更に言葉を重ねる。


「それに島崎君。君も晴れてガールフレンドが出来たんだろう? 彼女とのデートとかでドライブもするだろうから、そう言う所で車の運転は慣れていけば良いんじゃないかな」


 ガールフレンド。萩尾丸の放ったその単語に、源吾郎は思わず目を見開いた。源吾郎が誰と交際していようと特に気にはしない。かつてそんな事を言ってた萩尾丸からの思いがけぬ言葉に、ついつい驚いてしまったのだ。

 源吾郎はしかし、米田さんの愛車の事を思い出すと、少しばかり意気消沈してしまった。


「ですが萩尾丸先輩。米田さんの愛車はマニュアル車なのです。僕はオートマの免許しか持っていませんから……どうあがいても僕がドライブする事は出来ないのです」


 源吾郎がそう言うと、萩尾丸のみならず紅藤も笑い声を漏らしたのだった。それだったらレンタカーとかもあるだろう。まぁマニュアル車だったら運転出来ない手合いもいるから、そう言う事を見越してのチョイスだろうね。

 萩尾丸は二言三言そんな事を言いながら、車を走らせ始めたのだった。

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