狐たち 気遣い交わす単発デート

 源吾郎の注意がいちかから米田に向いた丁度その時、何かを思い出したかのような高い声が、すぐ傍で聞こえて来た。

 米田さんが声を上げたのだろうか。まずそう思った源吾郎であるが、声の主は米田さんではない。すぐ傍にいたいちかの方だった。

 目が合うと、いちかはにやりとあからさまに笑い、再び口を開いた。


「ま、源吾郎も玲香ちゃんもお互い顔を合わせる事が出来たから嬉しいでしょう。そんな気分に水を差すわけにはいかないから、は退散するわね」

「そんな、いちかお姉様だってお若いじゃあないですか」


 叔母上も茶目っ気に溢れた言葉を口にする事があるんだな。米田さんが焦った様子でフォローを入れる様を見つめながら、源吾郎はぼんやりと思った。オバサン、という単語が「叔母」と「年長の女性」というダブル・ミーニングである事を、甥である源吾郎は即座に見抜いていたのだ。

 さていちかはというと、米田さんに対して気取った笑みを浮かべながら手を振り、そしてその手をもう一人のツレの肩にさりげなく添えた。


「うふふ、そう言ってくれてありがとね玲香ちゃん。まぁとりあえず、仕事も終わったしここで解散しましょうか。狛澤君もそれで良いわよね?」

「――もちろんです、桐谷の姐さん。姐さんのご要望ならば、俺は何でも従いますぜ」


 狛澤と呼ばれた青年は、いちかの言葉に二つ返事で頷いていた。狛澤青年と言えば、源吾郎たちと同じく半妖の青年であるらしい。もっとも、母親の種族は妖狐では無くて狗賓天狗であるらしいが。

 いつの頃からかいちかは弟分として彼を伴っており、従って源吾郎も狛澤青年の事は知っている。だが、狛澤青年がいちかに抱く感情が恋慕である事に、今初めて気が付いた。

 そうした男心の機微に気付けたのも、あるいは源吾郎自身が恋を知ったからなのかもしれない。もっと言えば、おのれを弟のように扱う女性に恋をしているという点では、狛澤青年と同じだった。

 そして、嗚呼、いちかは、そんな狛澤青年の恋慕には、一切気付いていないのだ。何せ彼女の笑みは、聞き分けの良い弟分に喜ぶ姉の笑みだったのだから。


「うふふ。狛澤君ってば、もう仕事は関係ないから、そんなに畏まらなくても良いのに。それじゃあ玲香ちゃん。今日はありがとうね。あと源吾郎、あんたは家に帰るまで気を抜かないように気を付けるのよ――」


 最後に米田さんや源吾郎たちに声をかけると、いちかは狛澤青年を伴って静かにその場を立ち去って行った。

 源吾郎も、米田さんと共に手を振りつつ、叔母とツレの青年が立ち去るのを、しばし見守っていた。叔母上も罪作りなお方だ。とはいえ、他妖ひとの恋情に口を挟む事はそれこそ野暮という物であろう。もしかしたら、狛澤さんもあれで満足しているのかもしれないし、俺だって似たようなものだと思われているのかもしれない。

 そこまで考えを巡らせていた源吾郎は、軽く頭を振ってから米田さんを今一度見つめた。折角米田さんに会う事が出来たのだ。その事を楽しまねばと思い直したのだ。


「いやはや米田さん。今日ここでお会いする事が出来て、本当に嬉しいです」


 いちかと狛澤青年の姿が見えなくなったのを確認してから、源吾郎ははっきりとした口調で告げた。この時源吾郎は米田さんを真っすぐ見据えていたが、彼女は臆せず源吾郎を見つめ返していた。


「本当に、今日はいい塩梅にタイミングが重なったわよね。私にしろ島崎君にしろ、少しでもタイミングがずれたら、こうなりはしなかったでしょうから」


 米田さんの言葉に耳を傾けながら、源吾郎は満足げに目を細めていた。一見すると、米田さんは不思議そうな表情を浮かべているだけにも見える。しかしそれでも、心の奥底では源吾郎と会えた事を喜んでいる。言動の節々から、源吾郎はその事を確信していたのだ。


「今日、米田さんが叔母上とお会いしていた事には、正直驚きました。ですが、米田さんも退屈なさったり寂しい思いをなさったりせずに、充実した一日を過ごされたみたいなので、何よりです」


 きな臭い組織の動きを調査するための活動を「充実した」と表現して良かったのだろうか。そんな事を思う源吾郎とは裏腹に、米田さんは気負った様子を見せずに頷いていた。


「いちかお姉様もお忙しそうだったから、ね。それに私も、今日はゆっくり過ごすよりも、外で動き回りたい気分だったから、ちょうど良かったのよ。だけど、島崎君を驚かせてしまったかしら」


 自分と姉と慕ういちかが行動を共にしていた事を、島崎君は戸惑ったのではないか。米田さんがそんな風に考えているであろう事は、源吾郎にもうっすらと感じ取れた。実際に米田さんの傍にいちかがいたので、源吾郎としては気恥ずかしさもあるにはあった。それはまごう事なき、事実だ。

 源吾郎はしかし、ほのかに笑みを浮かべながら首を振った。


「いえいえ米田さん。確かに驚きましたけれど僕は大丈夫ですよ。米田さんも僕だけじゃあなくて、様々な方と交流なさっているでしょうから。そしてその交流しているひとたちの中に、僕の叔父上や叔母上がいる。ただそれだけの話だと思うのです」


 むしろ米田さんは源吾郎の叔父叔母と長らく親交があり、源吾郎と交際し始めたのはつい最近の事ではないか。脳内の冷静な部分がツッコミをかましてきたが、源吾郎はもちろんそれをスルーした。いかな関西出身と言えども、こんな所でセルフツッコミをしている場合ではないからだ。


「それに僕にも、僕自身の交流とかがありますからね。なのでお互い様ですよ」

「そう言えば島崎君は、今日はご実家に戻ってたものね」


 言いながら、米田さんは源吾郎の姿を注意深く観察していた。先約だったデートをふいにされた事を非難する気配はない。ただただ、源吾郎が両手に提げている物が気になるだけのようだ。

 源吾郎はだから、安心して頷く事が出来た。


「はい。母親もまぁ……先月の事とか仕事の事とかで、僕がちゃんとやっているのか色々と心配しているみたいでしてね。いやまぁ、心配しているのは母親だけじゃあなくて、父親や兄姉たちも同じ事なのですが」


 源吾郎はそう言うと、宗一郎から渡された紙袋を上下に揺らした。


「日帰りで夜には家に戻ると家族に伝えていたら、長兄から夕飯のおかずまで貰ったんですよ。タッパーは返さずに貰っといても構わない、とね。兄上も気前が良くてびっくりしましたよ」

「そうだったのね。お料理の匂いが漂っていたから、きっとお弁当か何かだろうなと思っていたんだけど……そちらの紙袋は?」


 米田さんが関心を示したのは、もう一つの紙袋の方だった。こちらは母から、誕生日プレゼントにと買ってもらった魔道具類が収まっている。


「こっちは母からの誕生日プレゼント、です。昼頃につてのある魔道具屋に連れて行ってもらって、今後の僕に必要そうな物を一緒に選んでくれたのです。僕はどちらかというと術を扱う方が得意なので、護符作成のための筆や、護符についての図鑑を選んだのです」

「お母様からの、誕生日プレゼントだったのね」


 米田さんは興味深そうに呟き、そして少し首を傾げた。


「島崎君。そう言えば私、まだ島崎君の誕生日がいつだったか聞いてなかった気がするわ」

「ぼ、僕の誕生日は三月二十三日なのです。ですがまぁ、確かにまだお伝えしていませんでしたね。と言っても、付き合いだしてまだ日が浅いですし、言うタイミングを逃していたのです」


 普段よりも早口気味に源吾郎は言い、そうして頬の筋肉を意識して笑みを作った。交際して一か月程度と日が浅いから、自身の誕生日を伝えていなかった。実はこれはささやかなだった。

 実のところ、源吾郎は敢えて、米田さんにおのれの誕生日を伝えていなかっただけである。そんな判断を下したのは、源吾郎が米田さんと交際し始めたのが二月の事だったからだ。バレンタインの折にもきちんとプレゼントを用意してくれた彼女の事である。源吾郎の誕生日についても、何かと気を回してくれるに違いない。それが金銭的にも米田さんの負担になるのではないか。そんな風に思っていたから、源吾郎は敢えておのれの誕生日に言及しなかったのだ。幸か不幸か、その手の話が持ち上がる事も無かったし。


「あ、でも米田さん」


 しかし今、迂闊に誕生日の事を口にしてしまった。その事に気付いた源吾郎は、やや大振りに手を動かしながら言葉を続ける。


「僕の誕生日の事は、どうかお気になさらないで下さい。先程お話しました通り、誕生日プレゼントなら母からもらいましたし、米田さんからはバレンタインのプレゼントを頂いたばかりなのですから……」

「うふっ、島崎君も色々と気を遣ってくれているのね」


 源吾郎は、しどろもどろになりながら言葉を紡いでいた。色々な考えが脳裏をかすめ、渦巻き始めていたからだ。米田さんからは色々と与えられているから、あまりにも多くを求めるとがめつくなるではないか。もしかしたら、誕生日プレゼントは要らないと告げる事自体が、却って催促している事になりはしないか――などと言った塩梅である。

 米田さんはというと、源吾郎に対して目を細めて微笑んでいただけだった。


「私の事は大丈夫よ、島崎君。本当のことを言えば、私だって私がやりたい事をやっているだけですもの。バレンタインのプレゼントだって、今こうして島崎君に会う事だって、ね」


 それにね。米田さんがその表情を一変させて言い添える。笑顔である事には変わりはないのだが、何処か諦観の混じった表情を、彼女は浮かべていた。


「私もある程度生きているから解るんだけど、お金の価値も時間が経つと変化しちゃうでしょ。その事を思うと、あんまりお金を大切にしすぎて、沢山手許に置いていても仕方がないって時々思うの。

 特に私は、日頃は気ままな暮らしをしているんですもの。と言っても、そんな暮らしがいつまで続くかなんて、私にも解らないんだけどね」

「…………」


 源吾郎は無言だったが、米田さんが言わんとしている事は何となく察する事が出来た。傭兵稼業に身を置く米田さんであるが、彼女は本質的には野良妖怪である。組織に属する妖怪と異なり後ろ盾は無く、自分の身は自分で護らねばならないのだ。

 その上彼女は……過去の出来事も相まって危険な出来事の周囲に身を置きたがっている。「気ままな暮らしがいつまで続くか解らない」と柔らかく表現しているが、実際には自分がいつまで生きるか解らない、と言っているのと同じような事だった。


「ともかく、島崎君も素敵なプレゼントを貰ったみたいで良かったわね」

「あ、はい。ありがとう、ございます」

「ご家族の皆さんも、島崎君の事で色々と気を揉んでいるものね。それはもちろん、いちかお姉様とて例外ではないわ」

「そう、ですね……」


 家族や叔父叔母が、源吾郎の暮らしに気を揉んでいるのは何故なのか。この所邪教集団が動いているためなのか、そう言う事とは無関係に仔狐の身を案じているだけなのか。源吾郎にはどちらなのかは判然としなかった。

 だが今は、米田さんが傍にいて、彼女と笑い合っている。その事こそが重要な事だと源吾郎は思っていた。

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