恋人は仕事の調査に参加せり

 形はどうであれ、米田さんと出くわしたのは想定外の事だった。

 元より今日はデートの予定だったのだが、母に呼び出しを喰らった事もあり、実家に向かうと予定変更をした。その際にデートの予定は消滅したために、今日は米田さんと会う事は無いだろうと思っていたのだ。彼女は尼崎で暮らしており、外出先も大阪や阪神地区の東部である事が多いのだから尚更だ。

 しかも叔母であるいちかと共にいたのだから、源吾郎は余計に困惑してしまった。


「あら、どうしたのよ源吾郎。変な顔をしちゃって……」


 言いながら、いちかは半歩ほど前に進み出た。さも不思議そうにこちらを眺めているが、源吾郎の心情などどこ吹く風と言った風情でもある。

 どんなふうに説明すれば良いのか。そう思っていた丁度その時、いちかのツレたちの中で動きがあった。赤味がかった金髪を揺らしながら動いたのは米田さんだった。


「いちかお姉様。島崎君は、私がお姉様と一緒にいるのを見て、それで驚いてしまっているんですよ」


 そうなの? いちかはそう言うと首を傾げた。


「三花お姉様が、源吾郎を実家に呼び戻したって話は私も知ってるんだけど……どうして私と玲香ちゃんと一緒にいたら驚かないといけないの?」


 いちかの質問は妙に鋭い物だった。源吾郎や米田さんの表情を見て察してほしいと思いはしたが、それが儚い望みである事も源吾郎は解っている。いちかは面倒見がよく、ややお節介な所もある。血の繋がらぬ妖怪たちをも弟妹分として可愛がるような妖狐なのだ。実の甥となれば、良くも悪くも遠慮しない事は明らかな事だった。

 源吾郎がへどもどしているうちに、米田さんがまたしても口を開いた。


「いちかお姉様。実を言いますと、私と島崎君とは予定を立てていたんです。それが今日だったんですが、島崎君は三花様からの呼び出しを受けたので、そちらを優先してもらったんですよ」

「あら、そう言う事だったのね」


 いくばくかの照れを伴った米田さんの言葉に、ようやくいちかは納得した素振りを見せていた。面倒見が良いわりに、叔母は男女の機微にやや疎いのが、源吾郎にはちときつかった。あるいは女性親族とはそういう物なのだろうか。

 気が付くと、いちかの視線は米田さんから源吾郎に向けられていた。


「成程ね。今日は元々玲香ちゃんに会う予定だったけれど、三花お姉様から呼び出しを受けたから、そっちを優先したって事ね」

「はい。まぁ、その通り、です」


 叔母相手ながらも敬語になったのは、米田さんや他の若妖怪たちがいたためだった。いちかはしかし、何か不満でもあったのか、呆れたような表情を見せて息を吐いた。


「……呆れた子ね。お姉様の許に向かうのなら、別にでも良かったんじゃあないの? そうすれば、三花お姉様や幸四郎お義兄にい様や宗一郎君たちとの用事も、玲香ちゃんと会うって事も一緒にこなせたのに」

「叔母上! いくら何でも……」


 いちかの言葉に、源吾郎は尻尾の毛を逆立てんばかりの勢いで声を上げていた。

 米田さんを連れて実家に戻る。この選択肢は源吾郎の中にもあった。だがそれは、悪手であろうと真っ先に切り捨てたものだ。米田さんとの関係は決してやましいものではない。ただ、彼女を実家に連れて行くような時期事は、仔狐たる源吾郎にも解っていた。

 息子が親しい女の子を連れて実家に向かう。家人たちは二人がである事はすぐに察するであろう。そうした事が現時点ではややこしい事態を招くと思っていたからこそ、源吾郎はデートを断り単身で実家に戻る事を選んだのだ。

 それを叔母のいちかに説明したかった。しかしいかんせん興奮してしまったために、上手く言葉が紡げない。口を開いたらとんでもない言葉が飛び出してしまいそうだった。

 そんな中で助け舟を出したのは、やはり米田さんだった。


「いちかお姉様。島崎君もまだ若いですし、私をご家族に紹介するのはまだ少し恥ずかしかったんだと思いますわ。私自身は、三花様たちが島崎君にお会いしたいと思うのなら、そちらを優先すべきだと思っていましたし」


 穏やかに語る米田さんの言葉に、源吾郎は人知れず感動の念を抱いていた。源吾郎が実家に戻る事を快諾した上に、叔母の頓珍漢な意見に対しても理にかなった事を伝えてくれる。まさしく人格者ではないか、と。源吾郎の事をここまで容認してくれる様には、一周回ってそこはかとない恐怖も感じはするのだけど。

 流石にいちかも、米田さんからここまで言われれば察してくれるだろう。源吾郎はそう思い始めていた。元よりいちかは、源吾郎と米田さんが交際している事を知っている訳だし。


「まぁ確かに、源吾郎もまだまだ仔狐だもんね。自分の事全てを、母親に知られるのは恥ずかしいって思っちゃう年頃よね」


 さも納得したような叔母の言葉に、源吾郎は安堵の息を漏らす。まさにその通りですよ叔母上。その言葉を吐き出そうとしたが、いちかは更に言葉を重ねていた。


「でも源吾郎。玲香ちゃんの事なら三花お姉様も少しは面識があるわよ。そりゃあまぁ、苅藻兄さんや私ほど交流していた訳じゃあないけれど。だけど玲香ちゃんも玉藻御前の末裔を名乗っているし、そもそも私らの妹分だもの」

「まぁ、それもそうでしょうけれど」


 それよりも叔母上。いちかの言葉に半分ほど同意を示しつつも、源吾郎は言葉を重ねる。話の流れを変えるために。


「叔母上たちは今日はどうされたんですか。米田さんと一緒にいるのはどうしてなのですか。いえ、叔母上と米田さんは俺よりもうんと前から交流があるので、一緒にいてもおかしくはないのですが……」

「ちょっと仕事の下準備があって、それでみんなに協力してもらっていたのよ」


 若干おどおどし、探るように問いかけた源吾郎に対し、いちかはごくあっさりとした様子で答えていた。やましい事など何一つないと言わんばかりの勢いだった。源吾郎も、叔母上の言葉は真実なのだろうと信じていた。いちか自身は術者として活動しているし、米田さん以外の若妖怪――名前はすぐに出てこないが、何となく見覚えのある顔ぶれだった――も、術者だとか使い魔だとかでバリバリ働いていそうな気配があったからだ。


「仕事だったんですね。叔母上は便利屋だから、土日だから休みって訳でも無かったですもんね」

「土日だからって休んでいたら、便利屋稼業は閑古鳥が啼いてしまうわ」


 いちかはややおどけた調子で言い、その面に笑みを浮かべた。だが次の瞬間には、甥たる源吾郎を見つめる眼差しに、真剣な物を宿らせていた。


「それにね、ここ最近怪しい団体の動きが目に見えて活発になってきたの。まぁアレよ、カルトとか新興宗教とか邪教と呼ばれる類のものだわ。もしかしなくても、源吾郎だってその手の話は知ってるんじゃないかしら」


 つらつらと語るいちかの瞳は、既に仕事妖モードになっていた。源吾郎はその事に気付き、気圧されていたから、反応するのに少し時間がかかってしまった。

 叔母から放たれる圧から意識を逸らそうと、視線を逸らした。いちかの隣にいる米田さんとばっちり目が合ってしまう。何という事であろうか。米田さんは、源吾郎と目が合うと、何ともばつの悪そうな表情を見せたではないか。


「島崎君と会う予定が無くなった後に、いちかお姉様から仕事の手伝いをしてほしいって話があったの。それでさっきまで、いちかお姉様や狛澤さんたちとお仕事をなさっていたんだけど……内容が内容だから、島崎君には伝えられなくって。ごめんなさいね島崎君。色々と気を揉ませてしまって」

「いえ! 俺は大丈夫ですよ、米田さん」


 思いがけぬ謝罪の言葉に、源吾郎は目を白黒させつつも告げた。


「米田さんも叔母上とは交流がおありですから、叔母上とお会いしていたとしても、それはごく自然な事ではないですか。ましてや、仕事の事ならば尚更です」


 いちかが米田さんを仕事の準備とやらに誘ったのがいつなのかは定かではない。だがいずれにせよ、米田さんがその事を源吾郎に連絡しなかったのも、まぁ致し方ない事だと思っていた。

 というのも、米田さんは源吾郎に対して何でも連絡する性質ではないからだ。秘密主義の傾向が強いのかもしれないし、職務の内容上秘密にせねばならない事もあるのかもしれない。そして今回の事は、職務上秘密にしておいた方が良いと判断したのだろう。そんな風に源吾郎は解釈していたのだ。

 思いがけぬ形と言えども、米田さんに会えた事には変わりはない。それだけでも、源吾郎の心中には嬉しさの念が満ち満ちていた。

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