甘酒の 湯気の向こうで母語る

 眞宮氏との面談及び魔道具屋での買い物は、二時間足らずで全て終わった。眞宮氏は実に面倒見のいい妖物であり、世間話などから源吾郎の気質や特質、何が得意なのかについてあれこれと考察し、適したものを勧めてくれた。商売気や前途ある玉藻御前の末裔にゴマをすろうという俗っぽさが無かったのもまた、源吾郎には心地よかった。

 とはいえ結局のところ、源吾郎が購入したのは無地の護符に筆と墨、そして各種の護符の書き方ガイドブックだった。総額にして四万円弱である。源吾郎個人としては高い買い物である。だが、護符や魔道具の買い物として考えればこれでもささやかな買い物の範疇に入るらしかった。

 やっぱりガイドブック――これ一冊で一万八千円はするのだ――を買うのはやめておこうか。そんな風に尻込みする源吾郎を、他ならぬ母が押しとどめた。


「今回は誕生日プレゼントだと思っているから、源吾郎はお金の心配をしなくて良いの。それに、眞宮さんだって、源吾郎の事を思って選んでくれたのよ」

「三花ちゃん。折角末息子の源吾郎君を連れてきたんやから、そんなに叱らんとき。いやはや、若いのに奥ゆかしゅうてしっかりしとるわ。まぁそれも、三花ちゃんの教育が良かったんやろうなぁ」

「確かに、息子たちや娘には身分不相応な贅沢はしないように育てた事は事実です。血筋はどうであれ、贅を凝らした暮らしができる保証などありませんからね。

それはそうと、眞宮さんも本当に話し上手やないですか。それなのに商売っ気が薄いから、赤字にならないか心配になりますよぅ」


 気が付けば、当事者であるはずの源吾郎そっちのけで話が盛り上がり出したりしたが、それもまぁご愛敬であろう。女性陣の間で会話が弾みやすい事は、源吾郎も経験則として知っていた。

 その間源吾郎は何をしていたか。その頬に穏やかな笑みをたたえ、時に相槌を打ちつつ、母と眞宮氏の会話が終わるのを大人しく待っていた。ただそれだけである。幸いな事に、眞宮氏は島崎三花の末息子たる源吾郎の事を気に入ってくれたようで、源吾郎のいささか消極的な態度すらも「落ち着き払っている」とポジティブに解釈してくれたのである。


 普通に店内で待っていた兄姉たちと合流し、母が会計を済ませる。魔道具屋への来訪と買い物は、そのような形で幕を下ろしたのだった。


 母や兄姉と共に実家に到着したときは、昼下がりを過ぎて夕方に差し掛かり始めていた。魔道具屋で誕生日プレゼントを買ってもらってそれで終わり、という訳にはいかないであろう事は、源吾郎も解っていた。電話で呼び出しを受けた際、母は「今後について話したい事がある」と言っていた。そしてまだ、本題であろう今後についての話はまだ行われていない。

 であれば、今後の話とやらがこれから行われるであろう事は火を見るよりも明らかだ。更に言えば、母は源吾郎とサシで話したいと考えている事、兄姉たちにも極力聞かせたくない事――と言っても、妖怪に関わる話という程度の事だろうが――なども薄々解っていた。仕事の事とか源吾郎の体調についてだとか、聞かれてもどうという事のない話などは、それこそ昼食の場や魔道具屋に向かう道中であれこれと聞かれていたのだから。

 いずれにせよ、後数時間ばかりは実家に滞在する事になるだろうな。しれっとテーブルの空いている座席に腰を降ろし、源吾郎はそんな事を思っていた。


「母さんとの買い物は楽しかったかい、源吾郎?」


 長兄の宗一郎が問いかけてきたのは、源吾郎が腰を降ろした直後の事だった。不意打ちめいた宗一郎の発言に、源吾郎は一瞬だけ言葉を詰まらせた。そもそも、宗一郎が傍にいるとは思っていなかったのだ。


「私は楽しかったわよ、お兄ちゃん。庄三郎も、まぁそこそこ楽しんでたみたいだし。と言っても、この子ったら安い塗料とか墨しか買わなかったんだけどね」

「まさかケチだって事で色々と言われるとは予想外だよ……姉さん、僕は母さんがお金を出すからって事でちと気を遣っていたんだけど」

「そうかそうか。双葉と庄三郎も楽しんでいたんだね。君らも母さんに付いて行ってたし、無事に戻って来れてよかったよ」


 宗一郎の問いは源吾郎に向けられたものではあった。だが源吾郎が言葉を詰まらせている間に、兄姉である双葉と庄三郎が勝手に応じていた。宗一郎はしかし、気にせず鷹揚な態度を見せ、のみならず皆が無事に帰って来た事を喜んでいた。一番上の兄の面倒見の良さを、源吾郎はしみじみと感じていた。宗一郎は源吾郎を構う事が何かと多いが、他の兄姉たちの事もおおよそ気にかけている。それが長兄の務めだと言わんばかりに。いや、そうやって弟妹達の面倒を見てきたからこそ、歳の離れた末弟の事を嬉々として息子扱いするようになったと言った方が正しいのかもしれない。

 さて源吾郎。宗一郎の視線と言葉が、今度ははっきりと源吾郎に向けられた。兄姉たちの挙動を前にぼんやりしていて問いに答えていなかったではないか。その事に気付いた源吾郎は、しばし居住まいを正した。


「三月とはいえ、外は寒かっただろう。今、お湯を沸かして僕らも何か飲もうと思っていた所なんだ。源吾郎も何か温かい物を飲まないかい?」


 頷くと、宗一郎は尚も言葉を重ねる。


「それじゃあ、甘酒はどうかな。源吾郎も好きだし、何より甘酒は飲めば元気が出るらしいから。丁度ストックもあったし、飲みたいなら作るよ」

「それじゃあ甘酒で」


 やけに機嫌の良さそうな宗一郎に対し、源吾郎はほぼ即答した。愛想の良い、仔狐の笑みが浮かんでいるのは言うまでもない。


「俺も、ちょうど甘酒が飲みたいなぁって思っていた所なんだ」


 今丁度甘酒が飲みたかった。源吾郎のこの言葉は、実の所ささやかな嘘だった。宗一郎が嬉々として提案していたからそれに乗っかった。本当に、ただそれだけの事だったのだ。もっと言えば、宗一郎も源吾郎が来訪する事を考えて、甘酒のパック(個包装のフリーズドライの物だったとしても)を準備していた可能性とてある。

 いずれにせよ、宗一郎が機嫌よく頷いていた。そしてその脇で、双葉や庄三郎も各々飲みたいものを長兄に告げている。見事にてんでバラバラであったが、宗一郎は気にせずに飲み物の種類を復唱しているだけだった。

 島崎家の中では、好きな飲み物が親子や兄弟で異なっているのは特に珍しい事でも何でもない。母や源吾郎は妖狐の特徴が濃いため、人間用の飲み物の中には飲めない物も存在してはいる。しかし、生粋の人間である父や、人間の血が濃い兄姉たちも、それぞれ飲み物の好みは異なっている。だからまぁ、そういう物なのだと源吾郎は思っていたのだ。


「それじゃあ、これから本題に入れるわね」


 宗一郎の提案で夕食前のブレイクタイムとなったのだが、源吾郎は母に呼ばれて客間に向かう事となった。宗一郎はその事に目ざとく気付き、母の分と源吾郎の分はわざわざ盆にのせて運んでくれたのだ。母の生姜湯も源吾郎の甘酒もマグカップに注いであるから、あるいは自分たちで運ぶ事をも想定していたのかもしれない。

 ともあれ、宗一郎は母と源吾郎が客間に向かう事について、特に深く言及はしなかった。源吾郎としては、そんな長兄の態度がありがたかった。きっと母も同じように思っているだろう。

 念には念を入れて、源吾郎は客間の内部に結界を巡らせた。物理的な物というよりも、むしろ認識阻害に近しい物である。わざわざサシで話そうとしている事だ。母が何を源吾郎から聞き出そうとしているのか。その事についてはおおよそ想像がついていた。


「源吾郎。あなたはこの前の裏初午で――運命操作の力を発揮したそうね。いいえ、打ち合わせでは現実改変と呼ばれていたみたいね」

「え? あぁ――」


 母の口から飛び出してきたのは、恐ろしく直截的な言葉だった。母である三花がはきはきとした気質の持ち主である事は、源吾郎も知っている。だがそれでも、母の発言は予想以上に直截的だった。


「そ、その話は、母様もご存じだったんですね。ええと、やっぱり、若菜様からお聞きになったのですか」


 驚いた源吾郎は、母にそんな風に尋ねるのがやっとだった。

 母はしかし、源吾郎の問いに短く首を振って否定した。


「いいえ、その話を聞いたのは若菜様からではないわ。林崎さんから聞いたの。萩尾丸さんの部下の一人だけど、源吾郎も知ってるわよね」

「もちろんさ」


 母に問い返された源吾郎は、よどみない口調で応じた。林崎ミツコが、源吾郎の現実改変の話を母に打ち明けた。それもまた自然な流れだと感じていたのだ。ミツコは萩尾丸の忠実な側近であり、かつ玉藻御前の末裔を名乗る妖狐の一人でもある。直属の上司では無いにしろ源吾郎とは関りの深くなる妖怪であるし、そうでなくとも裏初午等の集まりでは母や叔父たちともつながりがあるのは明白だ。

 もしかしたら、有給を取って休む源吾郎を見舞った後にでも、母はミツコから現実改変の話を打ち明けられたのかもしれない。

 ミツコと母との会話の様子を思い浮かべていると、母が静かな口調で言葉を続けていた。


「と言っても、林崎さんも、詳しくお母さんに色々と話してくれたわけじゃあないの。ただ、現実改変の力をあんたが行使したって事だけを教えてくれたわ。その上で、『詳しい事はご子息に聞いてください。きっと彼は、母親であるあなたに包み隠さず語ってくれるはずですから』とも仰っていたの」

「林崎部長と、そんなやり取りがあったんだ」


 驚きと感嘆の入り混じった声でもって、源吾郎はしみじみと呟いていた。大まかな事だけを母に話し、後の事は当事者たる源吾郎に話すように仕向ける。いかにもミツコらしいやり取りだと源吾郎は思っていた。

 母に促されるままに、源吾郎は現実改変の事について話し始めた。要点を絞り込んで話したために、多くを語った訳ではないけれど。それでも、母を前に語るには、多くを語らなくても問題が無いようにも思えていた。


「――そう。そう言う事だったのね」


 母が再び口を開いたのは、源吾郎の話が一通り終わってからの事だった。喰い殺された女狐を蘇らせるため、あるいは彼女の死を無かった事にするために、現実改変が行使された。その話を母は眉一つ動かさず耳を傾け、そして先の言葉を放ったのである。


「林崎さんから直々に話があったから、尋常な事ではないと思ってはいたわ。だけど何というか、源吾郎らしい能力の使い方だともお母さんは思ったの」

「俺らしい、能力の使い方?」


 母の言葉を復唱し、ついで疑問符を浮かべる。そこで母は、ふわりと笑みを浮かべた。母性と魔性が入り混じった、不思議な笑みに感じられた。


「運命操作とか現実改変を、みみっちくてしょうもない事には使わないって意味よ。源吾郎自身は、そうした能力が自分の中にある事を、小さい頃から知っていたでしょ。だけど何度か使って代償が伴う事を知って、それから使わなくなったじゃない」

「そりゃそうさ!」


 何処か嘲弄的な母の言葉に、源吾郎はやや語気を荒げて声を上げた。


「だってさ、あの能力を使えば思い通りの物事が転がってくるかもしれない。だけどその度に、その代償として何かを失わなければならないんだ。初めからそう言う事が解っているのなら、そんなおっかない能力なんぞに頼っては。いくら俺でも、そんな事くらい解るよ」

「それはあくまでも、源吾郎がそう思っただけの事よ」


 母は褒めもせず怯みもせず、ただただ平板に告げるだけだった。


「逆に敢えて細々とした現実改変を行って、それで能力を制御しようと訓練したり、日々のちょっとした嫌な事を潰そうとしたりする。そんな風に考える可能性だってあったと、私は思っているの。小さな出来事を改変するだけであれば、源吾郎の言う代償とやらも小さくて済むでしょうし」

「…………」


 源吾郎は静かに、母の主張を聞き入っていた。現実改変に代償が伴うのならば、それを逆手に取って能力の使い方を模索する方法もある。母が言わんとしている事はおよそ理解できた――実際に行ってみようと思うか否かは別問題であるが。


「それでも、源吾郎はそう言う能力の使い方をしなかった。源吾郎は、物事は自分の力でどうにかしようという気持ちが強かったものね」


 そう言うと、そこで母の表情が変化した。穏やかな笑みが浮かんでいたのだ。自分の力でどうにかしようとする気概が源吾郎にはある。その部分については、母は褒めてくれているのだと感じた。


「でも逆に言えば、源吾郎が現実改変を行う際は、その対象も反動も大きなものになってしまうという事でしょうね。おのれの力を以てしてどうにもならない事に対して、その力を使いたいと強く望むのだから」


 母の表情はここでもまた一変した。穏やかな笑みは失せ、何処か物悲しげな眼差しで、静かに源吾郎を見つめていたのである。

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