母狐 誕生祝を画策す

 自分勝手に拗ねていた源吾郎を一通り諭した庄三郎は、思い出したと言わんばかりの調子で言葉を続けた。


「そう言えば源吾郎。今気づいたけどさ、源吾郎ってば僕に彼女がいた事をカミングアウトしたよね。それは良かったの?」


 やけに大真面目な調子で庄三郎が言う物であるから、源吾郎も思わず吹き出しかけた。色々と話し合い、諭された事もあって、緊張した心がほぐれているのだと、源吾郎は思っていた。


「別に良いよ。もう既に兄上たちには知られてるんだからさ。それにさっきも言ったとおり、元々米田さんは苅藻の叔父上や叔母上とも交流もあるしさ」


 言い終えてから、源吾郎はそれとなく庄三郎の出方を窺った。上の兄二人が何故源吾郎の恋愛事情を知っているのか。その事について問いただしてくるだろうと、少し身構えていたのだ。

 庄三郎はしかし、特に気にする様子もなく受け流すだけだった。

 その代わり、若干の親身さを浮かべた笑みを見せながら、彼は思った事を口にし始める。


「苅藻叔父さんたちだけじゃあなくて、兄さんたちも米田さんの事を知ってたんだね。それだったら、別にここに米田さんを連れてきても良かったんじゃないかな」

「何でそうなるのさ。それとこれとは話が別だろうに」


 何とも突拍子もない提案を前に、源吾郎は呆れの声を上げてしまった。やはり末の兄は男女の機微に疎いのだ。そんな事を、源吾郎はとっさに思ってもいた。


「あら源吾郎。朝からずっと具合悪そうだったけれど、お昼になってから元気になったのね」

「良かった良かった。折角実家に戻って来たのに、元気がないから心配していたんだよ。特に源吾郎は、小さい頃はちょっと病気がちだったしさ」

「でもお兄ちゃん。男の子って小さい時は女の子よりも身体が弱い事ってよくあるじゃない。お兄ちゃんや誠二郎だって、結構熱出して寝込んでた事とかあったみたいだし」

「双葉。兄さんの事は良いんだよ、今は」


 居間に集まっていた親兄姉たちは、誰も彼も入って来た源吾郎に注目していた。末弟を先導するように歩いていた庄三郎そっちのけで、である。もちろんと言うべきか、庄三郎も気づかわしげに源吾郎を見つめていたし。

 源吾郎は微苦笑を浮かべつつ、両親や兄姉らを見て頭を上下させた。

 自分が家族と一緒にいる時には、源吾郎の挙動こそが皆の注目を集める。そうした家族集団の特性については、源吾郎も嫌というほど知り抜いていた。簡単に言えば、末っ子の源吾郎は家族のアイドルであり、可愛い仔狐なのだ――良い意味でも、悪い意味でも。

 学生時代の同級生や教師、あるいは近所の人などは「源吾郎君はご両親やお兄さんたちに可愛がられていて幸せねぇ」などと微笑ましく語るが、あくまでもそれは外様の意見に過ぎない。注目され、必要以上に庇護され、可愛い存在である事を暗に強要される事は、齢十八の若者にはいささか息苦しい物があった。

 かといって、そんな親兄姉の態度を無碍に出来なかった。家族たちの態度は純粋な愛情に起因するものだと知っているからだ。それに何より、源吾郎も親兄姉に仔狐として庇護され可愛がられる事を散々利用してきた立場でもある。利用するだけ利用して、用済みになったから突き放す事が、道理としておかしいという事は、源吾郎もきちんと心得ていたのだ。

 いずれにせよ、源吾郎は落ち着いた気持にもなっていた。不機嫌そうでは無くて具合が悪そうと言われたためである。母は源吾郎の心中を察して敢えてそう言ったのか、単にむっつりとした源吾郎を具合が悪そうだと思い込んだのかは定かではない。だが不機嫌そうと言われたら、それこそ源吾郎は一層拗ねてしまっていたかもしれないのだから。

 そんな事を思っていると、母の三花が近づいてきた。


「三月も中頃で春っぽくなったけれど、それでも寒暖差とかもあるでしょ。だから源吾郎も、天候とか気温の関係でしんどさを感じるのは仕方ないかなって、お母さんは思うのよ」


 そこまで言うと、母はやや改まった表情で言い足した。


「ましてや、源吾郎は就職してまだ一年も経ってないし、仕事をこなすだけでも色々大変でしょ。それに紅藤様たちからは、玉藻御前の末裔という事で、何かと期待を掛けられているんだから」


 グルグルと、犬の唸り声のような音が源吾郎の喉から漏れ出た。頷いて返事をしようとして、だというのにその事を躊躇ったために、このような事になったのである。

 しかし母は、源吾郎の心中をある程度察したのだろう。少しばかり息を吐き、それから言葉を続けた。


「もっと言えば、源吾郎は出張先でテロ事件に巻き込まれたばかりだし、今後もそうした事が起きるかもしれないって状況にあるものね。本当に、源吾郎も……」

「巻き込まれたって言っても、もう一か月以上前の事だよ。大分前の事さ」


 母の言葉を遮って、源吾郎は告げた。テロ事件というのは、もちろん裏初午で発生した牛鬼襲撃事件の事だ。源吾郎も昏倒したので病院に運ばれたり有給を取得したりしたのだが、幸いな事に大事には至らなかった。

 その間に源吾郎の能力や先祖の秘密などが明らかになりはしたが、それ以外は特に変わった事は無い。昏倒した時の後遺症もないし、元気だってある。源吾郎としては、牛鬼襲撃事件は遠い過去の事だと思いたかった。


「一か月前なら大分昔とは言わないわ」


 しかし、母の考えは源吾郎とは違っていた。何処か怒ったような、それでいて哀しげな表情で母はきっぱりと告げた。


「別にね、母さんが三百年近く生きていて、それで妖怪の感覚だからそう言っているんじゃあないの。人間の感覚に照らし合わせても、一か月前って最近の事になるわ」


 そうでしょう。同意を求めるように放たれた母の言葉は、果たして誰に向けられたものだったのだろうか。父に向けたのか、兄たちに向けたのか、姉に向けたのか。それを考えるのは詮無い事だと、源吾郎はすぐに思い直したが。

 そしてその時には、父も兄らも姉も、それぞれ目配せしつつ口を開こうとしていたのだから。


「そうだよ源吾郎。一か月前なんてごく最近の事じゃあないか」


 皆を代表して口を開いたのは、長兄の宗一郎だった。彼が代表っぽく発現するであろう事は、源吾郎にも薄々解っていた。兄弟たちの中ではもちろんリーダー格であったし、両親からの信頼も篤いためだ。

 宗一郎は源吾郎の方に歩み寄ると、少し身をかがめて目線を合わせた。


「良いかい源吾郎。社会人になったら時間は短く感じてしまうようになるんだ。学校に通っていた時の一か月と、今の一か月は全くもって別物なんだよ」

「社会人になってからの一年は短いって、俺も大学生の時に言われたなぁ」


 宗一郎に被さるように発言したのは、二番目の兄の誠二郎である。曰く大学に入学したばかりの時に、誠二郎は教授から「社会人生活は大学生活の四倍速である」と言われたのだそうだ。

 大学に進まずに高校を出た俺にも、その法則は当てはまるんだろうな。源吾郎はそんな事を思っていた。

 その周囲で兄らは何やら話し合い、居間から遠ざかっていく。集まっていたのに兄たちが、特に長兄や次兄が源吾郎の傍からさっと離れる事もまた、島崎家ではしばしばみられる事だった。

 これは別に、兄らが末弟を疎んでいるだとか、置いてけぼりにするために行っている訳ではない。兄たちがそそくさと立ち去るのは、父母が源吾郎に妖怪絡みの話をする時だけなのだ。

 そのタイミングを、長兄や次兄がどうやって知るのかは、源吾郎も未だに解らない。

 気が付いたら、源吾郎の周囲にいるのは母と長姉、そして末の兄だけになっていた。廊下の方では「しばらくぶりに戻って来たから、部屋とか家の掃除を手伝うよー」と、誠二郎がわざとらしく言っているのが聞こえてきた。父はきっと、そんな兄たちの傍にいるのだろう。

 母の三花は、源吾郎たちを見やってから口を開いた。


「実はね源吾郎。そろそろ源吾郎も誕生日が近いから、お祝いがてらに良さそうなお店まで案内しようと思っていたのよ」

「あ、ありがとう、母様」


 源吾郎の言葉はたどたどしかった。母の言葉を前に、幾つもの考えが膨らんできたからである。まず誕生日が近いという事を思い出し、それから母の言う良さそうな店がどのような物か考えていたのだ。

 良さそうな店とはどんな店か。それはもちろん妖怪絡みの店舗に他ならない。十中八九護符や魔道具を扱う店であろう。母は家庭生活を行うにあたって主婦業に専念していたが、かつては骨董や魔道具の類を売買して生計を立てていたらしい。そしてその時の妖脈やコネクションは、今でも健在なのだという。

 母の三花の視線が、源吾郎から逸れた。源吾郎の傍らにいる双葉と庄三郎を交互に見やり、二人に問いかけた。


「双葉に庄三郎。あなたたちも私と源吾郎の買い物に一緒に付いて行きたいのね?」

「もちろんよ。お母さんが源吾郎にお勧めするお店って、絶対面白そうだもの。宗一郎兄さんとか誠二郎は興味無さそうだけど」

「……僕もまぁ、双葉姉さんと同じ意見かな。ただ、源吾郎の事もちょっと気になっていたからさ」


 かくして、白鷺城下町の何処かにある魔道具店への買い物は、四名で向かう事と相成ったのである。

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