打ち合わせの終わり、戦いの予感
物憂げで含みのある表情を浮かべていた灰高ではあったが、その後の解説もきちんと行ってくれた。
灰高が紫苑を仕留められなかったのは、すんでの所で彼女が転移術を行使して逃亡してしまったからだった。転移術は誰でもお手軽に使用できるような術ではないが、ある程度の妖力と術の心得があれば行使する事が出来る。その程度の術だった。研究センターでは、主に萩尾丸や紅藤が時々使ってもいた訳であるし。
ともあれ紫苑は誅殺の場から逃げおおせてしまった。だが灰高は、というよりも雉鶏精一派の面々はただ取り逃がしただけではないそうだ。
というのも、真琴が使役している小ネズミを、紫苑の衣服の間に忍ばせていたためである。眷属である小ネズミたちとのテレパシーや妖気の残滓を追跡する術も持ち合わせている彼女であるから、小ネズミが一匹憑いているだけで、相手が何処へ逃げたのかを察知する事は可能なのだという。
眷属から直接情報を聞き出すだけではなく、彼らの見聞きした物をテレパシーにて知る。後者の術は、妖怪たちの中にあっても高度な術だった。
「もっとも、私が調査のために小ネズミを憑けていた事は、紫苑ちゃんも気付いていたみたいなんだけどね」
真琴はそう語ったものの、不思議と悔しそうな表情を浮かべてはいなかった。それどころか余裕の色が見え隠れしている。
「ともあれ、紫苑ちゃんに憑けた小ネズミのお陰で、紫苑ちゃんが如何なる方法で転移術を行使したのか、その道中にどのような次元のルートを辿ったのか、およそ掴む事が出来たのよ」
そこまで言うと、真琴は一旦軽く目を伏せ、深く息を吐き出していた。
「そしてそこで解ったのが、彼女の使っていた転移術が、私どもの知る――丁度紅藤ちゃんや萩尾丸君たちが使っているものね――転移術とは異なるという事だったの」
転移術にも違いがあるのだろうか。そんな事を思っていると、源吾郎の隣にいる雪羽が、早くも疑問の声を上げていた。
「真琴様。転移術には色々な種類があるのですか? 俺、転移術なんてのは転移術だって単純に思っていたから……」
「転移術の原理については、紅藤ちゃんや灰高様に後で聞いた方が良いかもしれないわ。私の専門は、あくまでも情報処理の方面なのだから」
しごくあっさりとした真琴の表情と物言いに、雪羽があからさまに落胆したような表情を見せていた。彼のある意味正直な態度に源吾郎はハラハラしていたが、真琴は若妖怪の言動など全く気にせずに、淡々と言葉を続けていた。
「ただね、紫苑ちゃんに取り憑けていた小ネズミの情報から解る事があったのよ。紫苑ちゃんは転移術を行使している際に、異なる次元に道を作って、そこを通り抜けていったのよ。ええ、私が小ネズミを使って追跡できたのはそこまでよ。
そしてその事から――転移術を使った紫苑ちゃんを、あのまますぐに追跡は出来ないと判断したという事なの」
「いかな我々と言えども、この世界の次元に縛られた存在ですからね。別次元などに飛び込んでしまえば、どうなってしまうか解った物ではありません」
灰高はそう言うと、思わせぶりな眼差しを紅藤に向けた。
「あるいは、雉仙女殿であれば別次元に飛び込んでも無事やもしれませんがね」
「……別次元に飛び込んでも私が無事に戻れるかどうかですか。恐れ入りますが、そちらについては考える時間を頂かなければすぐには回答しかねますわ、灰高のお兄様」
冗談とも本気ともつかぬ灰高の言葉とは対照的に、紅藤の言葉は真剣そのものだった。おっとりとのほほんとした印象のある紅藤であるが、実の所真面目で、冗談が通じぬ所も持ち合わせている。今更のように、源吾郎はその事を思い出していた。
と言っても、別次元に出向くという話に興味を惹かれた者たちもいるらしい。別次元ではなくともある種の異世界である夢の世界ならば入り込む事が出来る。萩尾丸の側近の一人と思しき女怪が、そんな事を言っていたのが聞こえてきた。
そして、灰高がもう一度口を開いたのは、他の妖怪たちの会話が終わってからの事だった。
「もっとも、雉仙女殿には他に話していただくべき案件があると、私は思っているのですが」
灰高のその言葉に、紅藤がびくりと震えるのを源吾郎は見た。
彼女にしてみれば、やはり紫苑が裏切り者である事、よりによって八頭怪に与している事を認めるのは、やはり辛い事なのだろう。
それでも紅藤はゆっくりと頷き、決然とした様子で口を開いた。
「はい。実を申しますと、本部での打ち合わせに向かう前に、この研究センターに山鳥女郎が訪れたのです。それも、道ヲ開ケル者の血を引く仔を配下として従えた上で、です。ちなみにその配下である邪神の子は、山鳥女郎の実の息子でもあったのです。何と言いますか……あの女は、手駒として利用するためだけに、自分で仔を産んだようなのです」
紅藤はここで言葉を切ると、目を伏せてテーブルの上でこぶしを握り締めていた。何かをこらえるかのような紅藤の表情は複雑だった。色濃く浮かんでいるのは憎悪の念のはずなのだが、それでも山鳥女郎を憎み切れない。それどころか相反する感情の板挟みになっている。そんな気配が感じられたのだ。
だがそんな懊悩を見せていたのもほんの数秒の事だった。紅藤は深く息を吐き、結審したかのように再び言葉を紡ぎ始めた。
「それだけではありません。山鳥女郎はその時、我々雉鶏精一派の中に、八頭衆の中に娘を自分の手駒として送り込んでいると、その事を仄めかしていたのです。ええそうです。その山鳥女郎の娘こそが、我らが雉鶏精一派の第五幹部・紫苑だったのです。そして今回の転移術も、八頭怪の術や力を借りたものであり、だからこそ私どもの使う転移術とは異なっていると言えるのです……私からの報告は以上ですわ」
そこまで言うと、紅藤は再び項垂れていた。膨大な妖力を持つはずの彼女のその姿は、先程の会話だけで烈しく消耗したと言わんばかりだった。
いずれにせよ、紅藤の報告は衝撃的な物だったのだろう。会議室に居合わせた妖怪たちは、互いに顔を見合わせながら口々に喋り始めていた。
「ああ、それにしても、自分の娘や息子を利用して手駒扱いするとは、山鳥女郎もとんだ外道だな」
「三國君。残念ながら世の中には利用できる者は利用しようとする手合いがいるんだよ。あはは、僕はそう言うの詳しいからさ」
「全くもって三國殿は純真であらせられるなぁ。あなたとて、実の甥である雪羽君を、雷園寺家の次期当主にすべく腐心していたではありませんか。雷園寺家の威光と血筋を借りようと思っているのならば、三國殿も同じ穴の狢ですよ。もちろんそれは、私たちにも当てはまる事ですが」
「山鳥女郎ねぇ……私がまだ野良の頃から噂は耳にしていたから、そこそこ長生きの妖怪よね。ま、あんな腰抜けの卑怯者なんて、私が一捻りすればすぐにくたばるでしょうけれど」
「峰白様。流石に母様の、いえ紅藤様の御前で、そこまでおっしゃるのは言い過ぎかと……」
源吾郎は雪羽と共に無言を貫いていた。だからなのか、口々に語る妖怪たちの言葉の一つ一つが、はっきりとその耳に入り込んできた。
ややあってから、紅藤も頭を上げた。その時にはもう、彼女の面には迷いや悩みの色は一切無かった。
その様子を見届けるや、灰高は再び口を開く。
「紫苑殿にしろ山鳥女郎殿にしろ、いささか軽薄な動きであるのが気にはなりますが……いずれにせよ、我々と八頭怪共がぶつかり合う事は、もはや避けられません。ここは我々の方から、彼らを潰す勢いを見せねばならないでしょう」
これから我々は戦争を行うのだ。灰高が暗にそう言ったように、源吾郎には思えてならなかった。
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