若妖怪 与太話で緊張ほぐす

※※

 雉鶏精一派管轄の研究センターの実験室。研究センターにて留守を任された島崎源吾郎は、同僚である雷園寺雪羽と共に、朝から試薬づくりに励んでいた。普段通りの朝の光景である。

 とはいえ、全てが普段の日々と違わずに同じというわけでは無かった。


「ふむ。雷園寺君は全く問題ないとして、島崎君もピペットの扱いにゃあちと慣れたみたいだな。流石、若いだけあって新しい物事への飲み込みは早いなぁ」


 テーブルから少し離れた所で、一人の妖狐が腕を組みつつ源吾郎たちの様子を観察していた。金髪と金毛の二尾、そしてチャラ男めいた風貌が特徴的な彼の事は、源吾郎もよく知っていた。何せ彼は、萩尾丸の部下の一人なのだから。

 金毛二尾の青年の言葉に、源吾郎はやや畏まりつつも笑みを浮かべた。


「白川先輩。お褒め頂いてありがとうございます。ええ、ええ。理系肌で研究にお詳しい先輩にそう言って頂けて、本当に嬉しく思います。僕もまぁ、ずっと研究センターで試薬づくりとかに励んでいましたから、ね」


 世事と本心を織り交ぜながら、源吾郎は白川にそう言って頭を下げた。のっぺりとした面には懐っこそうな笑みを浮かべてはいたが、その裏では緊張の念が鋭く主張を続けていた。


 実を言えば、源吾郎は白川に対して苦手意識を抱いていた。向こうがこちらを良く思っていない事が伝わって来るからだ。もちろん、あからさまな敵意や悪意を向けられるわけでは無い。それでも、嫌味や毒気の入り混じった言動からは、源吾郎への儚い羨望やそこはかとない嫉妬が度々感じられた。

 しかも以前の飲み会にて、白川が米田さんに想いを寄せていた事まで明らかになっている。その事が、白川に対する申し訳なさやら気まずさやらを、源吾郎の中で一層膨らませる形にもなっていた。

 もっとも、白川の片恋は過去の物だという。白川自身は米田さんへの恋を諦めているし、そもそも彼自体も別の女狐を恋人にしている。ついでに源吾郎と米田さんが交際する事も認めてくれてもいる。だから実のところ、米田さんの件で源吾郎が気まずい思いを抱かなくても問題はないのだ。だが、それで割り切れるかと言えば別問題なのだが。


「島崎君。君も何というか、ちょっと褒められたくらいで大げさな反応をするもんだなぁ。それともあれか、玉藻御前譲りの籠絡術のつもりなのかい?」

「いやそんな……僕は誰であれ、籠絡するつもりなんてありませんよ」


 白川が軽口を叩いてきたわけだから、自分も軽口で流そうと思っていた。だというのに、源吾郎は気付けば真顔で白川の言葉に応じてしまった。

 変化術や認識阻害術などの妖術を得意とする源吾郎であるが、籠絡や魅了の術は使えなかった。よしんば使う事が出来たとしても使わないだろうし、親族たちも能力の濫用を許しはしないだろう。

 とはいえ、源吾郎が容易く年長者の心を掴み、可愛がられるポジションを得る事を得意としているのも紛れもない事実だ。しかしこれは先祖の籠絡術など、末っ子故のスキルに他ならない。年長の兄姉たちに囲まれ、時に叔父叔母に構われて育つ中で、年長者に歯向かうよりも甘えて可愛がられた方がメリットが大きい。その事実に、源吾郎は物心ついた頃に気付いてしまったのだ。

 だが、そうした事を白川に説明すべきなのだろうか。説明したとしても煙たがられるだけではないか。割合真剣にそんな事を考えていると、白川がにわかに笑い始めた。


「ははっ。すまんな島崎君。俺も少し戯れが過ぎちまったな。ああ、さっきのはほんの冗談だから、気にしないでくれよ」

「そうっすよ島崎先輩。先輩ってば真面目過ぎるんですから、冗談だってすぐに真に受けちゃいますし」


 雷園寺め、先輩の前で俺の事とは言え軽口なんて叩くなよ……何故か得意げな表情を浮かべている雪羽に、源吾郎はじっとりとした視線を寄越してしまった。だがそれでも、言い募ったりはしない。それよりも白川先輩に対し、頷いて同意を示す事を優先したためだ。

 源吾郎が頷くのを見ると、白川はにわかに神妙な表情を見せた。


「とはいえ、よくよく考えたら、生真面目なのは島崎君だけじゃあないもんなぁ。性格も遺伝するし環境の影響とかもあるから、島崎君がくそ真面目なお坊ちゃまに育つのも、まぁ無理からぬ話だと思うぜ」

「ええ。僕自身もその通りだと思います」


 源吾郎の親族には生真面目な者が多い。白川の主張に源吾郎は素直に同意した。まごう事なき事実だからだ。ついでに言えば、親族の女性陣は所謂な性格を持ち合わせてもいなかった。母は夫を愛しわが子を慈しむ賢妻良母であるし、叔母のいちかはそれこそ貞淑で潔癖な気質が強い。そして姉の双葉は色香のある美女だと世間では言われているようだが、パワフルな行動力と繊細な洞察力でオカルトライターの第一人者をこなす女傑である。弟たちの前では奔放に振舞う事は言うまでもない。

 母と叔母と姉。源吾郎の知る親族女性たちの個性は、まさしく三者三様である。だがいずれにしても、男を手玉に取るような悪女的な気質とは縁遠い事だけが、奇しくも彼女たちの中で共通している事だった。淫蕩な妖狐として後世に伝えられている、玉藻御前の子孫であるにもかかわらず、である。


 午前の中休み。源吾郎は研究センターの休憩スペースにて、キンカン湯を飲んでいた。研究センターには自販機は設置されていない。その代わりにポットが二台配置されていた。それで湯を汲んで、暖かい飲み物を摂る事が出来るのだ。


「先輩が自販機じゃあなくてこっちでお茶するのも珍しいっすねぇ。あ、でも、キンカン湯だからお茶するって言うのもちょっと変かな」

「そりゃあ俺とて、毎度毎度自販機に向かう訳でもないよ」


 キンカン湯を少しずつ飲もうとしていると、さも当然のように雪羽が近づき、丸っこい瞳を動かしながら話しかけてくる。ちなみに雪羽が手にしているマグカップには、甘酒がなみなみと注がれていた。雷獣だから摂取カロリーが多いのは解っていたが、午前中から甘酒を飲むとは。源吾郎はその事に少しだけ驚いてしまった。

 雪羽は源吾郎の驚きに気付いていないのか、源吾郎の隣に腰を降ろした。機敏を通り越してやや粗暴なその動きに源吾郎はヒヤリとしたが、雪羽が手にしている甘酒がこぼれる事は無かった。

 猫舌の雪羽は湯気の立つ甘酒を少しずつ口に含んでいた。だが何かを思いついたらしく、にわかに源吾郎の方を振り仰ぐ。その面には、早くもいたずらっぽい笑みが浮かんでいた。


「まぁ自販機も安いって言ってもお金もかかりますもんね。それに先輩は、時々米田の姐さんと会っておデートもしてるわけだから、節約もしないといけないでしょうし」

「なっ、何を言って……」


 雪羽からごく自然に米田さんの事を引き合いに出され、源吾郎はうろたえてしまった。確かに、自販機に向かう事を控えれば節約になる事は何となく解っている。とはいえ米田さんとのデートの為に節約をしているというのは、話が飛躍し過ぎていると思ったのだ。


「おお、島崎君。米田さんのデートがどうとかって聞こえたけれど、彼女とはうまくやっていけているのかい?」


 間の悪い事というのは、立て続けに発生しうるものであるらしい。雪羽の言葉に狼狽えている間に、白川もこの休憩スペースに姿を現したのだ。そして彼は、好奇の眼差しを向けつつ、源吾郎に質問を投げかけたのだ。ごくごく自然な態度で。

 米田さんとうまくいっているか。その問いに、源吾郎はすぐには答えられなかった。いかなお坊ちゃま育ちの源吾郎と言えども、自分の恋人に想いを寄せていた相手に対して「彼女とはもう仲良くやってるっすよ」などと無邪気に無神経に言い放つ事は出来なかった。

 そんな事を思って尻込みしていると、白川は屈み込んで源吾郎に目線を合わせた。


「何、恥ずかしがってもそれこそ今更ってやつだろうに。この間の打ち上げの時だって、米田さんの事で怪気炎を上げていたばっかりじゃあないか」

「…………」


 尚も無言を貫く源吾郎に対し、白川の表情がにわかに変化した。先程までの人を喰ったような笑みではなく、優しげな笑みへと変化したのだ。源吾郎は目を丸くした。白川の優しい笑顔を見たのは初めての事だったのだ。


「ああそうか。俺の事で気兼ねしているんだな。別にそんなんは良いぜ。俺ももう米田さんの事は当の昔に吹っ切れたし、俺も俺で彼女がいるからな。まぁそこは、島崎君も知ってるだろうけれど」

「……か、彼女さんがいらっしゃるのに、僕と米田さんの事について聞き出そうとなさるのですか」


 ややあってから口をついて出てきたのは、質問とも拒絶ともつかぬ言葉だった。源吾郎の言葉通り、白川には恋人がいる。そんな状況で、別の女性の恋愛事情についてあれこれ詮索するのは、不自然で不健全であるように、源吾郎には思えてしまった。

 源吾郎のそんな主張に、白川は目を細めていた。ややあってから目を開いた時には、その顔からは優しげな笑みは消えている。

 そんなに怖い顔をするな。白川の第一声はそのような物だった。


「確かに米田さんとは付き合えなかったがな、だからと言って俺は別に彼女を嫌っている訳でも無いんだ。どちらかと言えば、今でも彼女には良い感情を抱いてはいるさ。もちろん、仲間とかそう言う意味でだけど、な」

「確かに、仲間と言えば仲間なのかもしれませんね」


 仲間、という部分に源吾郎は反応し、当たり障りのない言葉を紡いだ。

 米田さんは雉鶏精一派の構成員では無いし、もちろん萩尾丸の部下でもない。しかし萩尾丸の部下たちや雉鶏精一派の面々と交流が深い事もまた事実である。さもなくば、生誕祭の折に派遣スタッフとして雇われる事も無いだろうから。

 もっとも、白川自身はそこまで深く考えている訳ではなく、互いに妖狐であるから仲間と言っただけなのかもしれないが。


「それにな島崎君。あの時は俺も酔った勢いってのがあったから色々と絡んじまったが……島崎君なら米田さんと付き合っていてもまぁ良いかなって、素面になってから思い直したんだよ」


 源吾郎が何と返そうかと考えあぐねているうちに、白川は尚も言葉を重ねる。


「何せあんたは、苅藻さんとかいちかさんの甥にあたるだろう。あの二人も何だかんだで誠実で筋を通すお方だから、島崎君だってそうだろうなって俺は信じてるんだよ。何せあの二人の甥なんだから、な」


 苅藻といちかの甥。念押しするかのように白川に言われ、源吾郎は曖昧に微笑むだけだった。


賢妻良母:中国における女性の理想像。良い妻=良妻賢母を求める日本とは対照的に、賢い妻・良き母を求めるという意味合いである(筆者註)

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