異形顕現し妖狐が跳ねる

 半獣めいた様相を見せる女が、ネズミを生きたまま貪り喰らう。異様極まりない光景に、佐藤青年は悲鳴を上げる事も忘れていた。身じろぎ一つ出来ず、ただただその光景を凝視するのがやっとだった。視線が外せなかった、と言った方が正しいであろうか。

 瞬く間に、女はネズミを平らげてしまったらしい。口許は口紅などよりも鮮やかな紅で彩られ、もちろん血とカビと動物の尿の臭いが漂っていた。


 そして、佐藤青年は、そんな状態の半獣の女と、目が、合った。


「あれあれ、どうしたのかな坊や。そんなにこわ~い顔をしてどうしちゃったの?」


 忌まわしき半獣の姿に変貌した女は、佐藤青年を見つめながら微笑んでいた。山羊とも犬ともつかぬ醜怪な面立ちにも拘らず、笑顔である事が解るのが恐ろしかった。そしてそんな姿を晒しているのに、声自体は元々の女性姿の時と大差ない事が、不可解であり不気味だった。


「そんなに驚かなくても良いでしょう? あなたたち人間にだって、仔ネズミちゃんを生きたまま食べたり、そうでなければ生きたままお酒に漬け込んだりするような料理法があるんですから」


 半獣の女の言葉に、佐藤青年は思わずぐぅっと喉を鳴らした。

 そんな料理などあり得ない、などと思ったからではない。奇しくも彼は、生きたまま仔ネズミを食べる料理というのを知っていたからだ。もっとも、それはメジャーな料理などではないのだけど。


「人間って……あなたは一体何者なんですか?」


 ブルブルと震えながら、気付けば佐藤青年は質問を投げかけていた。強い恐怖と驚きの為に、彼の心は却って冷静さを保っていたのだ。それ故に、この場にはそぐわぬほどに理知的な質問が飛び出してきたとも言えるだろう。


「えへへ、私はね……」

「おおっ。食屍鬼グールの悪食姫も、本性を晒しちまってるじゃあないか。って事は、俺らもフリーダムにお食事タイムに入っても大丈夫って事だな!」


 半獣の女の言葉は、少し離れた所で迸った男の叫びにより掻き消されてしまった。

 佐藤青年は、反射的に男の叫び声が聞こえた辺りに視線を向けていた。そこにいたのも案の定異形の半獣だった。頭部は黒々とした毛皮に覆われ、羊のごとき巻き上がった双角が、頭部から生えている。デフォルメされた悪魔のようにも、希臘ギリシャ神話に伝わるサテュロスにも見えた。

 人ごみの向こう側で男が何かを掴み、口を開いて何かにかぶりつく。短い悲鳴と共に、血しぶきと肉片が飛び散るのが、群衆の壁越しに見えた。見えてしまった、のだ。


「よっしゃ。そうなったら、俺らも正体を露わにしても大丈夫だよな!」

「そうだそうだ。そもそも僕は、正体を隠す事自体が不自然だって思ってたんですから」

「くくく……どの道我らの血を受け継いだ子孫たちは、いずれ海に還るのだ。種牡はさておき、台牝にはその事も呑み込んでもらわねばならないだろうからな」

「この間は変な輩に人魚養殖場も襲撃されちまったし……仲間を増やさなきゃあノルマが達成できないぜ!」


 そして飛び散った肉片と血しぶきを皮切りに、方々から声が上がる。その頃にはもう、交流会の参加者の半数以上が、奇怪な異形の姿に変貌していた。ネズミを喰らった女のような半獣もいれば、水生生物と人間を掛け合わせたような姿の者もいる。

 いずれにせよ冒涜的で、邪悪で、人間たちと交流を持ってはいけないような者たちばかりだ。理性や表層的な考えではなく、本能に近い所で、佐藤青年はそう思ったのだった。


「そんな……何なんだよ一体……」


 会場内がパニックに陥ったのは言うまでもない。何も知らぬ、善良な人間である参加者は、逃げ出そうと出口に向かっていた。しかし出口に殺到する者が集まっているので中々前に進めない。更にはそこに異形共も待ち構えているので、尚更収集が付かないありさまだ。

 しばし逡巡した佐藤青年は、ひとまず同席する女子たちの安全を確保しようとした。逃げ出そうにも逃げ出せそうにないし、女の子を置いて逃げるのは外道の極みだと思い始めていたのだ。

 だが、いつの間にか彼女たちは席を外していたらしい。テーブルの方を見やっても、彼女らの姿は見当たらなかった。


别动うごくな快臥下ふせるんだ!」


 聞き慣れない、しかし切迫した声が斜め横から佐藤青年を貫く。日本語ではないな。佐藤青年がぼんやりとそう思っている間に、彼の身体はぐらりと傾いだ。無防備な彼の身体に、何者かがぶつかってきて押し倒したからだ。

 ぐっ、ぐっ、と優しくも容赦なく、そいつは佐藤青年の身体を抑え込もうとした。ズボン越しに伝わるふさふさとした感触と、荒い獣の息遣いに、佐藤青年はただならぬものを感じた。

 誰だ。誰がこんな事をしているんだ。もがいているうちに、佐藤青年は己の上に覆い被さっている者の正体が明らかになった。

 そいつは留学生の趙だった。牙を剥きだしたイヌ科獣のような表情を浮かべ、その腰からは黄金色の尻尾が二本、露わになっている。

 佐藤青年はそんな趙の姿に身を震わせた。ああ、こいつも異形だったのか、と。

 彼の震えが伝わったのだろう。趙の表情がにわかに緩んだ。申し訳なさそうな、何処か気弱そうな表情を彼は見せていた。


「ああ、ああ。驚かせてしまったね」


 趙がゆっくりと口を開き、言葉を紡ぐ。先程とは異なり、何を言っているのか佐藤先輩にもはっきりと伝わった。


「大丈夫。僕は君らの敵じゃない。尻尾は出ちゃったけれど、それも仕方ない。とりあえず動かずにじっとしてて。そうでないと結界が壊れるから」

「尻尾に結界って……趙さん、何の話なんだいこれは。てか君って……」

「僕は妖狐なんだ。故郷では狐狸精とも言うかな」


 妖狐、狐狸精。佐藤青年は趙の放った言葉を反芻した。妖狐ならば佐藤青年も知っている。文字通りキツネの妖怪の事だ。人間に化けたり化かしたり美女だったり美少女だったりするのだが、目の前の趙が妖狐だと言われても、はいそうですかと素直に受け入れるのは難しかった。

 とはいえ、趙が本当の事を言っているのだろうと思い始めてはいた。散々恐ろしくおぞましい異形連中を目の当たりにしてきたところなのだ。そんなのがいる位なのだから、化け狐の一匹や二匹いたとしても、何らおかしくないだろう、と。それに彼の腰から生える尻尾は、言われてみればキツネの尻尾にそっくりではないか。


「妖狐って、本当にいるんだな」


 まあね。趙は穏やかな口調で応じ、困ったように少し眉を下げた。


「と言っても、僕自身は純粋な妖狐じゃあなくて、遠い先祖が純血の妖狐だったんだけどね。でも、真祖の妖狐はとても強かったから、人間の血が混ざっていても先祖返りしちゃっただけなんだ。まぁ、こういう話は忘れちゃっても構わないけどね」

「何を言って――」


 視線をずらした佐藤青年は、横たわったままの状態で見える景色に絶句した。

 異形たちが暴れ回って阿鼻叫喚の様相が露わになっているのだろうと思っていたのだが、実際の光景はそんなものでは無かった。

 冒涜的な異形共が跋扈している事には変わりはない。しかしよく見れば、彼らはただはしゃいでいるのではなく、別の異形と闘っているのだ。狐や狸や巨大な鳥に見えるそれらは、おぞましい異形連中に立ち向かい、そして屠り、狩ろうとしているではないか。

 一体何が起きているのだ――それらを眺めているうちに、佐藤青年は意識が遠のいていくのを感じたのだった。

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