女子との会談に花が咲く

「おやおやお兄さん。アタシらに対して熱っぽい目線を向けていたようですけれどぉ。やっぱりオトコノコだから、アタシらに興味があるんですかねぇ?」

「……! んんっ」


 女子の一人が佐藤青年に声をかけてきたのは、佐藤青年がメロンソーダを飲んでいる丁度その時だった。青みがかった灰色のショートボブを揺らしながら、彼女が興味深そうにこちらを見つめているのは解っていた。しかし飲み物を飲んでいる最中に返答するなどという芸当は佐藤青年には出来ない。ましてや、炭酸の泡が野放図に弾けている最中なのだから。

 もう一人の女子――こちらは淡い金髪だが、きっと染めているのだろう――もこちらを興味深げに見つめている。ともあれ佐藤青年はメロンソーダを飲み込み、それから口を開いた。

 あ、うん、ええと……特に意味を成さぬ言葉たちが、佐藤青年の喉を通り抜けていく。しかしその間に、どんなことを言えばいいのか頭の中で組み上がりつつあった。


「サークル主催の交流会は初めてなので、いろんな方がいらっしゃるんだなって思っていた所なんです。社会創造同好会は、どうにも顔が広いみたいで色んなゲストの方をお招きできるって話なので」


 佐藤青年の言葉に、女子三人が顔を見合わせる。灰色ショートボブの女子が、面白い事でも耳にしたと言わんばかりに顔をほころばせていた。


「そうだねぇ、そうだねぇ。ここの今回の交流会はさ、何というかザルみたいなもんだってアタシも内心思っているのさぁ。なんてったって、アタシらみたいな外様の野良連中だって、普通に参加できてるんだからさ!」


 彼女はそこまで言うと、何がおかしいのか高笑いを続けていた。その右手はジョッキグラスを握りしめており、ジョッキグラスの中では、半分まで減ったビールが揺れていた。酔っていてテンションが高いのだろうな。グラスの中で、琥珀色の液体とクリーム色の泡が小刻みに揺れるのを眺めながら、佐藤青年はそう思う事にした。


「ラス子ちゃん。あんまりペラペラと不用意な事を話してはなりませんよぅ」


 灰色ショートボブの女子の隣に控えている女子が、のんびりとした口調で彼女を嗜めた。ラス子、というのは件の女子のあだ名か何かであろうか。

 そんな事を思っているうちに、その彼女と目が合った。やはりこちらも髪型をショートボブに仕立てているが、癖のある明るい金髪である事と、全体的に小柄で華奢な感じなのが印象的だった。

 金髪の彼女は、気付けば佐藤青年に顔を近づけていた。比較的冷静そうに見えるものの、頬は桃色に上気しているし、吐息からはやはりアルコールの香りが漂っていた。


「佐藤さん、でしたっけ。ツレのラス子ちゃんがすみませんねぇ。あなたも色々と話しかけられてしまったら、困惑してしまいますよね」

「え、いえ、別に大丈夫ですけれど」

「メメト姐さんものっけから神経質にならなくても良いじゃないですかぁ。主催者も参加者も間抜けばっかりですし、その佐藤とかいう坊やも、何も知らないんですから」

「……何も知らないのであれば、余計にペラペラと話すべきでは無いでしょうに」


 この二人は一体何の話をしているのだろうか。ラス子と呼ばれた灰色頭の女子と、メメトと呼ばれた金髪の女子とを交互に見やりながら、佐藤青年は静かに首をひねった。口の中が渇いてきたような感覚を覚え、今一度メロンソーダを呷る。

 その際に、もう一人の女子の姿がちらと視線に入った。ラス子の隣に寄り添うように座っている彼女は、ラス子たちよりもやや年下のようだった。やや気弱で神経質そうな面立ちや、小柄な体躯は何処からどう見ても少女らしさをふんだんに示していたのだから。更に言えば、彼女の前にある飲み物は酒ではなく、ラクピスの類だった。


「ま、まぁ。今回は縁あって交流会で顔を合わせて、それで同じテーブルに着いたんだ。だからまぁ、短い間だけど楽しく交流とやらをやろうじゃあないか。だから佐藤君も、不安がらずにリラックスしなよ」


 今まで無言だった若い男が、やにわに顔を上げて佐藤青年に対してそう言った。サングラスの奥にある瞳には、優しく親しげで友好的な気配が宿っていた。

 それを見ているうちに、佐藤青年も一気に和んだ気持ちになり始めた。ラス子にしろメメトにしろ、見知らぬ相手だから自分のあずかり知らぬ事をああだこうだと話しているだけに過ぎないのではないか。別に彼女らにも彼女らのアレコレがあるのだから、特段気にしなくてもいいではないか。そんな風に、ごくごく素直に佐藤青年は思い始めていたのである。

 いずれにせよ、交流会は今始まったばかりである事には変わりはない。


「あはははは。佐藤君も学生さんって事で色々勉強して頑張ってらっしゃるんですねぇ」

「いえいえラス子さん。別に、勉強を頑張ってるとか、そんな大げさなもんじゃあないですよ。むしろ俺は、勉強なんぞよりも、青春をエンジョイする事に色々と心を配ってるんですから」

「そうは言いましても、若いってだけで青春はエンジョイできると私は思うんですがねぇ。いやはや、若いって本当にそれだけでも値千金のお宝ですよぅ」


 気付けば佐藤青年は、メメトやラス子たちと打ち解け、あれやこれやと世間話に花を咲かせていた。互いの会話は、自身の日常に根差す事柄ばかりだった。しかしながら、それこそが互いにとって刺激的なものだったのだ。

 佐藤青年にしてみれば、大学に通っているというだけでラス子に驚かれ、あまつさえ称賛の言葉すら浴びせられたのだ。少女のような見た目のラス子にそこまで褒められたのはむず痒くて気恥ずかしさも感じたが、さりとて悪い気はしない。

 一方で、ラス子たちが既に職を持っていて――ラス子とメメトの両名に関しては、実年齢的には佐藤青年よりも年長なのだといたずらっぽく語っていた――、その上での彼女らの暮らしの話は新鮮なものだった。

 話を聞く限り、彼女たちは単なるOLではなかった。詳しい職業は定かではないが、メメトは古物商に従事しており、時に探偵業も請け負うと言っていた。ラス子に至ってはフリーランスの便利屋だと言い出す始末である。職歴を持たぬ学生である佐藤青年が、ラス子たちの会話に引き込まれたのは至極当然の事だった。

 そもそも佐藤青年の中には、大学卒業後の明確なビジョンなどは特に無かった。ただ漠然と、サラリーマンになるのだろうと考えていた程度だったのだ。

 だからこそ、彼女らの話は興味深く面白いものだった。新しい世界を垣間見ているような気がして、少年のように胸が躍ったのだ。探偵業やら便利屋などと言った、浮世離れした職種だったから尚更に。

 言葉を紡ぎ、時に目を輝かせて佐藤青年はラス子たちの話に耳を傾けた。

 見れば他のテーブルでも、交流会は楽しげに進んでいるではないか。後で社会創造同好会の面々と合流するのが、佐藤青年は今から楽しみにもなっていた。彼らも彼らで、面白おかしい思いをした事を語ってくれるであろうから。


 そんな和やかな雰囲気を打ち破ったのは、一人の甲高い叫び声であった。

 何事か、と佐藤青年は一瞬身構えたが、すぐにその緊張も緩んだ。理由は二つだ。まず叫び声には恐怖よりも驚きの念が濃いと解ったため。次に、叫び声を誘発した元凶が、文字通り佐藤青年の前に飛び出してきたためだ。

 それは一匹のネズミだった。イメージ通りのネズミ色というよりは、むしろ茶褐色がかったそいつは、子供の握り拳ほどの大きさしかない。ドブネズミやクマネズミの類ではなく、きっとハツカネズミなのだろう。

 おいおい、ネズミなんぞが出てくるなんて……佐藤青年は叫ばなかったものの、ネズミを見ながらそっと眉根を寄せた。交流会の会場は居酒屋ダイニング、要は飲食店である。ネズミが出現は不潔で不自然な事なのだ。でっぷりと肥ったこのネズミは妙に毛艶が良いが、それでも体内には恐ろしい病原菌やウィルスをかくまっているのかもしれない。

 清潔な現代っ子である佐藤青年は、もうそれだけでもテンションが落ちてしまった。

 

 それはそうと、ネズミをどうすべきなのか。店員を呼んだ方が良いのか、はたまた秘密裏に追い出してしまえばいいのか。佐藤青年が考えあぐねているうちに、思いがけぬ事が目の前で繰り広げられた。


「あらあら~、こんな所にネズミちゃんがいるじゃあないですか」


 何処からともなく一人の女性が影のように近付いたかと思うと、そのままネズミを摘まみ上げたのだ。無造作なその動きは、彼女の身にまとう清潔で品の良い衣裳とは全くもってちぐはぐな物だった。

 もしかしたら、不潔極まりないネズミに対し、嫌悪どころか好奇の念でもって摘まみ上げていたから、そう思えたのかもしれない。


「ちょっとお姉さん。そいつは……」


 見かねた佐藤青年が僅かに手を伸ばし、女性に声をかける。あなたのような人が、そうやって不潔なネズミを摘まみ上げるような事は相応しくない。そんな考えが佐藤青年の中で渦巻いていたのだ。

 ところが、女性は佐藤青年の方をちらと見やると、にっこりと微笑んで口を開いたのだ。


「うふふ、とっても美味しそうなネズミちゃんだと、私は思うんだけどね」


 言うや否や、彼女は文字通り大口を開き、摘まんでいたネズミを頭から齧り始めたのだ。その頃にはもう、彼女の姿は貴婦人よろしくドレスを身にまとった奇怪な半獣の姿に変質していたのだった。

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