山鳥のもたらしたるは波乱なり

 揺さぶりをかけるためにわざわざこのタイミングを狙ってやってきた。山鳥女郎が放ったその言葉だけでも、源吾郎たちを狼狽させ、揺さぶりをかけるのに十分すぎる威力を秘めていた。

 しかし、だ。その一言だけが揺さぶりの言葉ではない事が真に恐ろしい所とも言えよう。いわばジャブのような物なのだ、と。


碧松姫へきしょうき様ぁ。あ、あんまり雉仙女様を、いじめなすったら良くないと、俺は思いますぜぇ」


 底意地の悪さを淑やかさで押し隠して微笑む山鳥女郎に対し、声をかける者がいた。山鳥女郎の存在感に圧倒されて今の今まで気づかなかったが、彼女の隣には大柄な男が控えていた。源吾郎はここで、紅藤の言葉を思い出した。山鳥女郎はツレを伴ってやってくる、と。

 さてそのツレである男もまた、山鳥女郎と負けず劣らずの存在感と異形ぶりを見せつけていた。

 件の男は瘦せっぽちなのだが、先も述べた通りやけに背が高いので貧弱そうな印象は見受けられない。既に二メートル近くありそうな長身ながらも、しかし何故かまだ背が伸びそうな印象すら感じられた。

 風貌は一応人間らしい姿ではある。何となく山羊っぽい風貌な気がするが、別に山羊のような角を生やしている訳でもない。室内ながらも分厚いロングコートを身にまとい、足許は硬そうなコンバットブーツに身を固めている。その上両手は手袋で覆われていた。露出が少ないというか、素肌を見せないように苦心しているようにも見えなくはない。但し、今は三月に入ったばかりであり、極端に寒がりなのだと考えれば、それほど不自然でもないのかもしれないが。

 もっとも、源吾郎が彼を異形と断じたのは、見た目よりもむしろ匂いや妖気の類だった。山鳥女郎や紅藤のようなキジ科の鳥妖怪の匂いが、件の男からは立ち上っていたのだ。もっともその匂いは、同時に立ち上る名状しがたき奇妙な匂いとブレンドされ、かなりささやかなものになっていたが。


「碧松姫……様。その青年は、一体どなたでしょうか」


 ツレである男が何者なのか。直截的な質問を口にしたのは青松丸だった。のんびりおっとりとした口調と物腰も相まって、相当に胆が据わった妖物じんぶつであるように感じられた。

 だが考えてみれば、青松丸の遺伝上の母親は紅藤であり、紅藤たちの手によって育てられたという。であれば、気質や考えが紅藤のそれに似通っているというのも、ごく自然な事なのかもしれない。

 ともあれ、青松丸の問いに山鳥女郎とツレの男が反応した。互いに目配せを交わし、ツレの男の方が口を開いたのだ。


「あは、はぁ、初めまして雉仙女様とお仲間の皆様ぁ。俺はイルマと申します。お、俺自身はこんなパッとしないなりですがぁねぇ、お父っつあんは高名な、道ヲ開ケル者なんですよぅ」


 妙な訛りと奇怪な音程でもって、イルマは紅藤たちに自己紹介を行った。それも――より衝撃的な内容を伴いながら、である。道ヲ開ケル者の息子である。彼が悪びれずに放った言葉に、紅藤までもが電撃に打たれたようにびくりと震えたのだ。研究センター側の他の面々も震えたのは言うまでもない。

 イルマはそんな紅藤たちの様子を眺めながら、静かに微笑んでいた。顔つきは善良そうには見えなかったが、その笑み自体は無邪気さが滲み、山鳥女郎の笑顔のような邪悪さや意地の悪さとは無縁だった。何故だか解らないが、幼子の笑顔に似ているとさえ思ってしまった。

 山鳥女郎が手を上げたかと思うと、そっとイルマの二の腕あたりに手を添えた。肩に手を添える仕草とほぼ同質の動きを終えると、今度は彼女が口を開く番になったらしい。


「イルマの出自はまぁこんな感じね。あんたたちが恐れおののいてならない、道ヲ開ケル者の息子なんですけれど、実はイルマにはがあるのよ」


 山鳥女郎はそこで言葉を切ると、さも誇らしげな笑みを紅藤たちに向けたのだった。


「それはね、そんな血筋を持つイルマが、この私の忠実なであるという事よ」


 忠実な手駒。異形の男を見上げる山鳥女郎の面には、恍惚とした表情が広がっていた。その表情のままに、彼女はイルマに呼びかけたのだ。そうでしょう、と。


「そ、そ、その通りでさぁ」


 そしてイルマは、臆面もなく山鳥女郎の言葉に頷いた。発言はややぎこちなかったが、それが彼の躊躇いの念であるとは断定できなかった。元々からして、彼の言葉は奇妙な訛りが多く、そして何故かたどたどしいのだから。


「碧松姫様の仰る通り、俺は生まれた時からこのお方がご主人様で、そしてずぅっとお仕えしているんでさぁ。ええ、ええ、雉仙女様。俺は、ご主人様の、碧松姫様の命令であれば何だって――」

「山鳥女郎!」


 嬉々として語るイルマの言葉は、紅藤の金切り声によって遮られた。源吾郎や雪羽と言った若妖怪のみならず、萩尾丸やイルマなどもこの声にはぎょっとした。何となれば山鳥女郎ですら、訝しげに眉を動かしている始末である。

 そんな中で、尚も紅藤は言葉を続ける。山鳥女郎たちを見すえる紫の瞳には、烈しい憤怒の光が灯っていた。道ヲ開ケル者の息子を手駒として紹介している。その事を自分への宣戦布告だと思ったのだろう。源吾郎はそのように解釈していた。


「そこのイルマ君があなたの手駒ですって。よくもまぁ、をのたまうのね」

「のたまうも何も、事実だから仕方ないじゃない」


 鋭い紅藤の言葉に対し、山鳥女郎は肩をすくめた。


「あんたがそこまで咬みついて、蹴爪で私たちを蹴り飛ばそうとする気持ちも解らなくはないけどね。なんせあんたは、胡喜媚に仕えていたにも関わらず、その先祖である道ヲ開ケル者の事を恐れているんですから。その息子であるイルマを手駒にしていると聞いて、内心ビビってるんじゃあないの」

「イルマ君が道ヲ開ケル者の子供であるって事は、別にのよ。それが論点じゃあないもの」

「!」


 紅藤はしかし、イルマが恐るべき邪神・道ヲ開ケル者の実子である事はどうでも良い事であると言ってのけたのだ。しかも驚くべき事に、憤怒による勢いや、山鳥女郎に対してハッタリをかましているような気配は見受けられなかった。

 皆の視線が紅藤に集中する。その中で、彼女はゆったりとした口調で言葉を続けた。


「山鳥女郎。そこのイルマ君は道ヲ開ケル者の子供であり、そして――他ならぬ、あなたの息子でもあるんでしょう。私がその事に気付かないと思ったのかしら?」

「え、そ、そ、それってどういう――」



 イルマの母親が山鳥女郎である。驚きの声を上げたのはイルマその妖だった。先程の自己紹介を鑑みるに、イルマは山鳥女郎が母親である事を今の今まで知らなかったのだろう。知っていたとしたら、山鳥女郎の息子であると言うだろうし、ご主人様だの碧松姫様だのと母親の事を呼びはしないだろうから。


「雉仙女……あんたも余計な事を言うわね」


 山鳥女郎が憎々しげな表情で呟く。彼女が動揺するのを見るのが、これが初めてだった。紅藤の表情は揺らがない。傲然と、冷徹に山鳥女郎を見つめ返すだけである。


「散々私たちの神経を逆撫でしたような相手に、どうして迎合するような義理があるのかしら。それに私だって気に喰わないんですもの。実の子供を実の子供として扱わず、あまつさえ都合のいい手駒として育てるなんてね。イルマ君の様子を見る限り、あなたと彼が親子だという事すらも知らないみたいですもの」


 紅藤が激しているのはそこだったのか。源吾郎は半ば他人事のように考えていた。身内や仲間に慈愛と母性を惜しみなく注ぐような紅藤らしい意見ではある。しかしながら、それゆえの憤怒が、敵対者が恐るべき邪神の子供を手駒にしているという脅威と恐怖を上回っている事には驚きを禁じ得なかった。紅藤には存外脳筋な思考回路があるのだから、それもそれで彼女らしい考えとも捉える事は出来るかもしれないが。

 だが、紅藤と同じように実子を手駒扱いする事に憤慨している妖怪はもう一人いた。雪羽である。彼は拳を強く握りしめ、ぶるぶると震えながら山鳥女郎を睨むだけだった。激してそのまま思いをぶちまけないのは、もしかしたら化けネズミの真琴とのやり取りを踏まえての事なのかもしれない。仲間である真琴でさえ、雪羽の暴言に気を悪くして脅しをかけたくらいなのだ。はなから紅藤と敵対的な山鳥女郎に噛み付いたならば、文字通り首が飛ぶ事態は避けられないだろう。

 さて当の山鳥女郎はというと、紅藤の怒りを真正面から受け止め、その上で笑っていた。


「くふっ。あはははは。ああ、傑作ね雉仙女。私としては、道ヲ開ケル者の子を従えている事であんたをビビらせようと思ったんだけど、まさかそんな事に噛み付いて来るなんてね。無精卵すらマトモに産めない、そのせいで自分の仔を残す事に執着したあんたらしい考えね」


 笑いながらも、山鳥女郎は己のペースを取り戻したらしい。水を得た魚のように生き生きと、おのれの考えを吐き出していったのだ。もちろん、その面には邪悪な笑みをたたえながら。


「それに紅藤。私が自分の子供たちを手駒として利用している事を、あんたが糾弾する権利なんて無くってよ。

「ち、違うわよ!」


 反駁する紅藤の言葉には、若干の戸惑いの色があった。源吾郎たちは無言だったが、彼女以上に戸惑っていた。それでも二人の舌戦に介入する事も出来ず、ただただ手をこまねいて成り行きを見守るほかなかったのだ。

 違わないわよ。山鳥女郎はゆったりと、勝ち誇ったように言い放つ。


「あんただって、そこにいる息子の一人を自分の部下として手元に置いているし、何より雉鶏精一派の頭目に据えるために胡琉安とかいう息子をこしらえて、その上で雉鶏精一派を私物化してしまっているじゃない。それって私がやっている事と同じじゃあなくて?」

「それは…………」


 紅藤は更に反駁しようとした。しかし言葉が思いつかなかったのか、そのまま目を伏せて項垂れてしまったのである。山鳥女郎に言い返せなかったのが悔しいのか、彼女の言葉を正論だと受け取ってしまったのか。

 気まずい空気が漂う中で、ようやく萩尾丸が口を開いた。炎上トークを得意とする彼は、何故かこの場ではほぼほぼだんまりを貫いていたのだ。


「碧松姫様、でよろしいですかね」


 普段の彼らしからぬ慇懃な口調でもって、萩尾丸は山鳥女郎に呼びかける。


「恐れ入りますが、私どももそろそろ次の予定が迫ってきているのです。なので、お話したい事があればまた次の機会にでも……」

「私はもう良いわよ」


 様子を窺うような萩尾丸の言葉に、山鳥女郎は気軽な調子で返答した。


「ふふふ、当初の目的はもう果たせたからいいの。顔合わせも出来たし、雉仙女のしみったれた表情も見る事が出来たからね」


 山鳥女郎の口から出てきたのは、やはり無礼な言葉のみだった。

 そうそう。そして思い出したように頬に指を添え、彼女は言葉を続ける。


「雉仙女に萩尾丸だったわね。これから打ち合わせに出席するのならよく覚えておきなさい。私の手駒はこのイルマだけじゃあない。私のも手駒のうちよ。まぁ、あんたたちの事だから、誰の事を指しているのかはもうお解りでしょうけれど」

「そんな、碧松姫様――?」


 萩尾丸が山鳥女郎に問いただそうとしたが、それは全くの徒労だった。高笑いを放つ彼女は、イルマと共にその場から姿を消してしまったのだから。

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