雉妖怪、意図を見抜きて仲間に話す

 紅藤とその配下たちにありったけの侮蔑と敵意を示し、その上で揺さぶりをかけた山鳥女郎との面談は唐突に終了した。

 しかしながら、その余韻が皆の心の中に深々と刻み込まれていたために、誰もすぐには動き出す事が出来なかった。それはもちろん紅藤も。

 山鳥女郎は鳥妖怪だったが、まさしく台風のごとき女妖怪だったな。源吾郎は膝が笑うのをそのままに、ただそう思うのがやっとだった。隣にいる雪羽などは、山鳥女郎の姿が見えなくなると同時に変化が解けてしまった始末である。


「大丈夫ですか、紅藤様」


 ややあってから、萩尾丸が口を開いた。その口調はいつになく穏やかで優しげだった。しかし本心から紅藤を労うというよりも、腫れ物に触るような雰囲気の方が強かったのだが。そしてそれは、萩尾丸の日頃の態度としては珍しい物でもあった。

 大丈夫よ。紅藤は顔を上げ、笑みを作ってから応じる。


「生きていればいくらでも驚くような事は起きるのはごく自然な事でしょう。今回の山鳥女郎の事だって、いずれ来る衝撃が先にやってきたようなものに過ぎませんわ」


 紅藤は強がっているのだろうか。不敬な事を考えているというのは解りきっていたが、何処か弱々しさの見え隠れする笑みを前に、源吾郎はそんな事を思ってしまった。


「イレギュラーの為に、本部への出発時間が遅れてしまいそうですね。転移術を使って帳尻を合わせましょうか」

「良いのよ萩尾丸。というか転移術は使わないで頂戴」


 転移術は使うな。萩尾丸の申し出に対し、その部分を殊更に強調して紅藤は返答した。


「転移術なんて使ったら、あっという間に向こうに到着してしまうでしょう。そうなったら、さっき山鳥女郎が齎した衝撃を、うまく心の中で中和出来ないままに打ち合わせに向かう事になるわ。

 いいこと萩尾丸。時には時間が物事を解決するの。言葉遊びじゃあなくて文字通りに、ね。だから社用車を用意して頂戴。私が運転をするわ」

「…………解りました」


 萩尾丸は、少しばかり間を置いてから紅藤の言葉に返答した。数秒にも満たぬ短い間であったが、萩尾丸の心中にわだかまる懊悩や葛藤を示すのには十分すぎるリアクションだった。


「お車の運転に関しても、紅藤様にお任せします。ですがゆめゆめお気を付けください。気晴らしとばかりに車を飛ばし過ぎた場合、免停を喰らいかねませんので」

「あら大丈夫よ萩尾丸。その辺は私も妖力でちゃんと誤魔化しますもの。ええ、もちろん不要な事故を起こさないように配慮もするわ」

「それは大丈夫という訳ではないでしょうに……」


 紅藤と萩尾丸のやり取りの後に、未だ獣姿の雪羽がツッコミを入れていた。

 センター長へのフランク極まりないこのツッコミは、他の誰かに咎められる事は無かった。それどころか言及される事すらなかったのだ。先程の、山鳥女郎の言動に較べれば可愛らしく常識的だと判断されたからなのかもしれない。

 あるいはもしかしたら、委縮している雪羽が少しばかり元気を取り戻した証拠であると、ポジティブに好意的に解釈されたが故の事なのかもしれなかった。

 源吾郎はというと、紅藤の運転が荒いという事をただ思い出しているだけだった。もっとも、同乗者が萩尾丸であるから、それほど心配する事も無いのかもしれないが。


 妖気の補助を行って、源吾郎は雪羽が人型に変化するのを助けてやる。彼は気の抜けたような声を上げつつも、普段の見慣れた少年の姿に戻っていた。白衣の裾にしわが寄っていないかを改め、髪形を手櫛で整えているものの、その表情は何処か気だるげだった。

 雪羽の簡単な身づくろいが一段落した丁度その時、青松丸が源吾郎たち三人に声をかけた。母親譲りのひとの好さそうなその面には、困惑混じりの笑みが静かに浮かんでいる。


「みんな、朝から大変だったね。お疲れ様」


 青松丸のねぎらいの言葉に、源吾郎たちはめいめいに返事した。朝からここまで疲れる事などは本当に珍しい事だった。玉面公主と対面した時の疲れ具合に匹敵するほどかもしれない。源吾郎は割と真面目にそう思ってもいた。


「取り敢えず、僕たちも通常業務に戻ろうか。紅藤様と萩尾丸さんは、本部で打ち合わせをなさるから、ね」


 互いに顔を見合わせ様子を窺いつつも、源吾郎たちはこの言葉に頷いた。雪羽の顔に不安が濃く滲んでいるのは別に驚くべき事ではない。しかし、サカイ先輩の表情も優れない事には驚きを隠せなかった。確かに、彼女は研究センター内では源吾郎たちと並んで若手研究員と見做される事がある。しかし妖怪としての力量やその他もろもろの事については、源吾郎や雪羽と一線を画する何かを具えている事もまた事実だった。元よりすきま女という特殊な種族である事もあるのだが、ともあれ彼女がしんどそうにしている姿は珍しく、見慣れぬものだった。

 青松丸は、気弱そうな笑みを崩さぬままに言葉を続ける。


「さて皆。碧松姫殿の、山鳥女郎殿の仰った事は気にしないように、ね」


 穏やかな青松丸の言葉に、源吾郎と雪羽はそっと目配せを交わした。青松丸が親切心でそう言ってくれているのは解るし、そうした方が良いであろう事も解っている。しかしその通りだと受け入れられるかどうかは別問題だった。

 そんな源吾郎たちの心境に気付いたのだろう。青松丸は神妙な表情をいつの間にか浮かべていた。


「ううん。この手の話は難しいとは思うんだけど。要するに、自分とは違う考えの持ち主だってこの世にはいるって事なんだ。そしてさっきも見たとおり、紅藤様と碧松姫殿では全く考えが違うって事であって……」


 ま、まぁとりあえずさ。青松丸は言葉尻を濁して視線を床に落としていたが、気を取り直し言葉を仕切り直し、やや強い語調で言い放った。


「僕自身は母様が……紅藤様が僕の事を利用しているとは特に思っていないから、ね。よしんばそうだったとしても、僕は別段不幸でも何でもないから」

「青松丸さんが幸せというか、日々を楽しんでらっしゃるのは、俺らにもよく伝わってます。だって紅藤様の御傍にいる事が出来るんですから」


 青松丸の言葉に賛同したのは雪羽だった。その面には得意げな笑みが浮かんでいるが、賛同し納得したと言っても微妙にニュアンスが違うのではないかと思われた。とはいえ、その事についてツッコミを入れるような野暮な真似は行わない。そもそも源吾郎も、今は頭が回らない状態であるのを自覚していたし。

 さて青松丸はというと、雪羽の言葉に頷き、かすかに微笑んでいた。


 それよりも。微妙な空気が流れる中で口を開いたのは、サカイ先輩だった。彼女の表情には揺らぎはなく、源吾郎たちに較べればはるかに冷静さを保っているように感じられた。そこは年の功なのか、はたまた心の隙間や闇に詳しいすきま女ゆえの事なのかは定かではないが。


「この直後に、山鳥女郎やその配下の者たちが、わ、わたしたちやお師匠様を襲撃するという可能性のほうは、け、懸念すべき事では無いかと思うんですけれど……そ、その辺りは大丈夫でしょうか」

「それは大丈夫じゃあないかな」


 たどたどしく、言葉を詰まらせつつ尋ねるサカイ先輩とは対照的に、青松丸はしごくあっさりとした様子で即答した。


「確かにさっきのやり取りを見れば、碧松姫殿と紅藤様が対立している事は明らかな事だよね。碧松姫殿ははっきりと言わなかったけれど、息子のイルマ君の出自を思えば、八頭怪との繋がりもありそうだし。だけど……本格的に攻撃を仕掛けるのであれば、わざわざ表立って煽り散らすなんて事は無いと思うんだ。皆も知ってる通り、紅藤様も萩尾丸さんも強いお方だから、正面からあのお二人にぶつかるような事が出来る手合いは限られてくるし……」

「よ、要するに、今回はわたしたちの様子見だけで、む、向こうも向こうで何がしかの準備を行っているだけって事、ですか?」

「概ねそんな感じかな」


 サカイ先輩の問いかけに、青松丸は頷いた。

「それでもちろん、雉鶏精一派でも、八頭怪を筆頭とした敵対勢力を迎え撃つ準備を進めている。というかそのために、今回は幹部たちで打ち合わせを行っているしね。それに昨夜、第七幹部の双睛鳥君が、とある邪神を信仰する輩を生け捕りにしたそうなんだ。どうやらそいつが信仰していた教団がにわかに活性化し始めたのも、八頭怪が裏で糸を引いているらしいんだけど……」


 青松丸はそこまで言うと、表情を変えぬままに言葉を続ける。


「まだまだ調査の最中だから、詳しい事は断定できないけどね。双睛鳥君も、それほど拷問……じゃなくて質問は得意じゃあないからさ。とはいえ、今回の打ち合わせではその話も持ち上がるんじゃないかな」

「そ、双睛鳥様って昨夜そんな事をなさっていたんですね。わ、わたしも教えて貰ってたら、一緒に協力できたんですけど」

「まぁ、双睛鳥君も彼なりに考えがあって動いたから……あの時もし君の助力が欲しければ連絡を入れていたんじゃあないかな。どうやら三國君にも昨夜の強襲の事は伝えていなかったみたいだし」


 青松丸はそう言うと、雪羽の方に視線を転じた。双睛鳥が邪神崇拝者を生け捕りにし、拷問にかけた上で八頭怪との繋がりを確認した。青松丸の口から淡々と語られたこの出来事に、雪羽ももちろん驚いていた。三國が知らぬのならば、雪羽も知り得ぬ事であろうし、何より刺激が強すぎるのだから。

 それはさておき、そんな陰惨な仕事に協力したかったと告げるサカイ先輩の姿も、異形らしい異形という風情を放っているように、源吾郎には感じられたのだった。

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