第13話 神に召された勇士
「1週間後の土曜日に勇士さんのお父さまと山岡先生が来てくださるそうです。かなり賑やかな宴会になりそうだけど、この宴にいないのは誰でしょう?」
「僕か?」
「そうです。私をこんなにした犯人が海外に逃亡中です。捕まえたいのでそっちへ行きます、いいでしょうか?」
「ああ、僕は凶悪犯だ。いつでも逮捕に来てくれ、首を洗って待ってるよ」
「話は違いますが、如月先輩はスタメン定着で頑張ってます、知ってますか?」
「彼から画像添付のメールをよくもらう。ここで失敗したんでアドバイスお願いしますなんて。君は僕とのことを如月君に話したか?」
「いいえ、話してません。余計なことを言って混乱させたくないです」
混乱? 玲奈は如月の恋心を知ってたか?
「如月君は君に惚れていたと思うが、違うか?」
「さあ~ どうでしょう。先輩は勇士さんに追いつこうと必死です。やっとプロのアスリートになれそうで期待してます」
話をすり替えたなとわかったが、玲奈は俺の愛しい人だ、何も心配はない。遠く離れてまどろっこしいこともたくさんあるが、玲奈と話すたびに幸せを実感した。あと1カ月、遅くとも2カ月我慢すると玲奈と毎日安らぎに包まれて眠れる。勇士はクリスマスプレゼントを指折り数えて待つ少年のように、胸を弾ませていた。
1週間後の土曜日の昼下がり、和やかに顔合せが始まった。
「恥ずかしくも事を急いだ本人に代わりまして父の私がお詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした」
勇士の父と山岡が座布団を降りて、畳に額をつけて叔父と玲奈に謝った。
「どうぞ、頭を上げてください。まあ、私らの出番じゃありませんな。覚えがあるでしょう? あの年頃はそりゃあビンビンでどうにも仕方なかったですな」
オッサン3人は互いに見合ってニヤリと笑った。
「僕は勇士の亡くなった母の兄で、バレー部監督の山岡と申します。玲奈さんをあっさり勇士にいただいて、彼女の夢を潰したのではないかと申し訳なく思っています。」
「まず、お顔をお上げください。谷本君は三国一、いや、世界一のダンナさんだ。どうぞ、膝を崩して気楽にやりましょう」
昼過ぎに始まった顔合わせは、薄闇になっても和気藹々と話がはずんでいたが、1本の電話で絶望の底に引きずり込まれた。
「レイナ、聞こえるか! アランだ、大変だ! ユージが倒れた! すぐ来てくれ! 午後の試合に向けてみんなでアップしていたんだ。スパイクしたユージが頭を抱えて倒れた。助け起こしたが、レイナと叫んだ後は意識がぼんやりしていた。すぐ救急車で病院に運ばれた。レイナ、早く来てくれ! こっちへ着いたら連絡くれ!」
玲奈はすぐPCでフライトを検索したが、イタリアへの直行便は終了していた。パリに飛び立つエールフランスの深夜便に空きがあるようだ。乗り継いでヴェローナに行くしかない。
「私、行きます、行かせてください!」
その横で山岡は誰かと交渉していた。
「甥っ子が倒れて緊急なんだ! 彼はイタリアで少年を助けたアスリートで、そのときの後遺症で倒れたらしい。急いでいる! パスポートを申請する時間はない! お前がイタリアと交渉して何とかしろ! そのための大臣じゃないか、かけあってくれ! 時間がない、大至急だ。今晩の深夜便で飛び立つ、頼むぞ、何とかしてくれ!」
パスポートがない勇士の父は大臣決裁で出入国が認められ、3人は慌しく午後22時発の便で飛び立った。
ぽつんと座敷に取り残された叔父は大輔から詰問された。
「父さんはどうして姉ちゃんを行かせたんだ! あんな体調で20時間以上の飛行機はキツイだろう、姉ちゃんが心配なんだ、本当に大丈夫か?」
「止めたがどうしても会いたいと言い張った。腹の子が危ないと脅かしたが、生命力が強い子なら育ちますと言い切った。そこまで腹を決めたら行って来いと言うしかないだろう」
「谷本さんは助からないのか、死ぬのか? 教えてくれよ!」
「死ぬかも知れない。イタリアで子どもを助けたが3日間も意識がなかった。多分、脳の中に血の塊が出来たのだろう。それとも脳の細い血管がダメージを受けて、傷やねじれが起きたことに気づかず、血管が破れたか? 素人だからわからんが、こっちに戻って精密検査を受けていれば助かったかも知れない。日本は世界No.1の先進医療なんだ。今さら言ってもしょうがないが……」
「姉ちゃんはどうして幸せになれないんだ! また昔のような姉ちゃんになって欲しくない!」
幼子のように大輔は肩を震わせてわんわん泣き出した。つられて妹の桃子もしゃくりあげた。
「まさか、やっと心を開いた男が死にそうだとはなあ、玲奈が不憫でどうしようもない……」
「姉ちゃんは父なし子を産むのか? ひとりで育てるのか?」
「あの気性だ、そうなるだろう。今は谷本君が生きていることを願うしかない。せめて生きているうちに会わせてやりたい。大輔、もう夜中だ。子どもは早く寝ろ」
「いやだ! 父さん、姉ちゃんがどんな目にあったか視聴覚室の古新聞で知った。それであんなにボロボロになってこの家に来たとわかったんだ。僕は姉ちゃんが好きだ、やっと幸せになれると喜んだんだ!」
「大輔、よくわかった。お前は玲奈のいい弟だな、せめて谷本君が生きているのを願うしかない」
親子はいつまでもグズグズ泣いていた。
深夜近くなってヴェローナ空港に到着した一行を待っていたのは、チームの移動用バスだった。
「レイナこっちだ! ユージは生きている、時々小さく息を吐く。急ごう!」
ベッドに横たわった勇士はさまざまなチューブや機器に囲まれていた。「勇士!」と父が叫んだが反応はなかった。玲奈はそっと手を握ったが陶器のように青白く冷く濡れていた。
玲奈は勇士の手を自分の腹にあて、耳元で、
「玲奈です、やっと会えました。ここに勇士さんの息子がいます、早く起きて! 目を覚まして!」
その声が聞こえたのか勇士は力なく目を開けて、「ああ、玲奈……」、つぶやいて静かに目を閉じた。医師はモニタで心臓と呼吸停止を確認して瞳孔を観察した後、Sta morendo(ご臨終です)と告げて病室を去った。玲奈は泣くことすら出来ずに勇士の手をずっと腹にあてていた。
「私と子どもを残してどうして死んだの!」、玲奈の哀し過ぎる叫びが病室に響いたが、勇士の父は玲奈の肩を抱いて詫びるしかなかった。
長い夜が明けて、勇士は住んでいたマンションのベッドに移された。枕元には玲奈の卒業式の写真が貼られていた。まるで眠っているように穏やかな表情の勇士は、「へっ、僕は寝てたか?」と今にも起き出すように見えた。
玲奈を抱きしめてアランが泣き出し、息子の顔を見ることなく亡くなったユージに大男たちは涙をボロボロ落として泣き続けた。
イタリア政府は、セリエA1に所属する若きエースが神に召された。彼は交通事故からイタリアの少年を救ったが、そのときの後遺症で亡くなった。25歳の日本人選手、ユージ・タニモトに心から哀悼の意を捧げるとコメントした。
翌日、サンゼーノ聖堂で行われた葬儀は大勢のファンや市民が駆けつけ、ユージ、ユージと連呼して花を捧げた。棺はイタリア国旗と日本国旗で包まれ、ローマから日本大使やイタリア政府からは内閣府スポーツ局長が参列した。この日はセリエA1男子バレーの試合は全て中止され、各チームの人気選手や有名選手が参列した。
ミサの途中で玲奈はこぼれ落ちる涙を拭おうともせず、心情を述べた。
ヴェローナで20日足らずを過ごし、この街の美しさと人々の温かさが忘れられない、私のお腹にはユージの子どもがいる、まもなく結婚してヴェローナに住むつもりだったと、たどたどしい言葉もあったがイタリア語で話した。玲奈の挨拶が終わると、レイナ、レイナの大合唱と同時にすすり泣きが聖堂内を包んだ。
谷本の訃報をテレビニュースで知った健斗は仰天して、すぐ玲奈にケイタイしたがつながらない。玲奈の叔父にバクバクする胸を抑えて電話した。
「そうだ。君の心配どおり谷本君は亡くなった。玲奈は今イタリアだ。あの子がやっと男を好きになったが、彼は死んでしまった。酷い話だ! 俺は混乱と絶望で脳みそが昇天してしまった。はっきり訊くが君は玲奈が好きだった、違うか? 玲奈は迷っていた。そこに強引に割り込んだのが敵のキャプテンの谷本君だ。イタリアに行く寸前だった。
アクシデントに遭って男という生物を拒否していた玲奈は、谷本君に戸惑った。君がもっとしっかりしていれば、玲奈は谷本君を断ったかも知れない。だが全て終わったことだ。俺は谷本君に言ったことがある。女を泣かす男はクズだと。そのとおりになってしまったが哀しすぎる!」
「それで玲奈さんは元気なんですか? ケイタイはつながりません」
「この世で谷本君と過ごしたのはたった20日間もなかったが、玲奈は妊娠している。かれこれ4カ月だ。もう中絶は出来ない。シングルマザーになるしかないだろう」
さすがに健斗は動転した。そうか、そういう仲になったのか、たった20日間か…… 想像すらしなかったオレはとんだピエロだ。玲奈が仕事に慣れた頃に恋人宣言しようと勝手に考えていたが、シングルマザーか…… 谷本さんが相手ならオレは諦めたかも知れないが、まさかオレと同じ年で死ぬなんて考えられない! 健斗も叔父と同様に脳みそが昇天どころかぶっ飛んだ。
それ以後も健斗は毎日メールやケイタイしたが、玲奈からの返信はなかった。1カ月ほど経ってようやくメールが届いた。
「ずっと連絡しないでごめんなさい。昨日から職場復帰しました。当面はデスクワークです。ご存知でしょうが私のお腹には谷本さんの男児がいます。いつまでもメソメソしていると谷本さんが悲しみます。この子と生きて行く覚悟を決めました。次の日曜日に四十九日の法要が長野であります。そんな話を聞いても本当に死んじゃったの? 信じられません。
心配してくれてありがとうございます、私はもう大丈夫です。如月さんは体のケアを忘れないでくださいね」
「やっと復活してくれたんだね、ほっとしたよ。とても残念で残酷な結末だったが、谷本さんが残したものは子ども以外にもたくさんあるはずだ。キミが息子さんと生きようとするママ根(ママだけが持つ強い心かな?)を応援するよ。ガンバレ! キミだったら出来る!
日曜はフリーで東京ゲームは火曜日スタートだ。僕も法要に参加したいがどこに行けばいいか教えてくれるか? まだ谷本さんの死を受け止められない、こんな僕を谷本さんはどう思っているかと考えたりする。また連絡くれるか、待っている」
「法要は午後なので9時前の新幹線に乗るつもりです。お寺は長野駅から車で10分くらいと聞きました。叔父はあれ以来ショックで元気がありません。大輔がフォローしてますが、持病の腰痛もきつくなったようです。叔父は法要には出ません。勝手に死んじまって許せない男だとまだカンカンに怒ってます」
「叔父さんの気持もよくわかるよ。僕は君のサポート兼ボディガードでついて行きたい。東京駅で会おう、時間と場所を教えてくれ」
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