第12話 非情なハプニング

「どうしたんだ? 彼女とケンカしたか? 女は勝手なんだよ、気にするな」

 アランから慰められた勇士は、

「玲奈が日本に帰るんだ。1時間後にヴェローナ空港からフライトする」

「早く行けよ! 送って行くぞ、ゲームなんてFottuto Krae(くそくらえだ)!」

「試合を休んではいけない、ちゃんと自分の責任を果たせ、見送りに来ても嬉しくないと言った。だから空港に行けない。僕はとても寂しい。いつかは帰るとわかっていたがこんなに哀しくて辛いとは思わなかった。半年は会えないだろう、彼女は学生を卒業して社会人になる。そのうち新しい男と出会って僕は忘れられてしまう」

「レイナはそんな子か?」

「いや違う、僕に抱かれて本当の大人になったと泣いた」


「ユージ、もう一度訊くが、彼女はアルペンスキー選手のレイナか?」

「嘘をついて悪かった。あのアクシデントがあってスキーをやめた」

「会ったときからフランスのレイナだと思っていた。彼女に何があったか知りたくてwebで供述書と裁判記録を見て真実がわかった。ユージ、お前は知りたいか?」

「少しは知っているが話してくれ」

「兄が亡くなったと知ったレイナは部屋で泣いていた。コーチはもう遅いから寝なさいとレイナの服を脱がした。彼女が何も疑わずに着替えようとすると、コーチはレイプ目的で飛びかかった。ヤツは全裸だった。床に倒されたレイナはコーチの顔を蹴飛ばした。しかしヤツは再び襲ったんだ。レイナはベッドの側にあったスキー板でヤツを叩いた。何度も叩かれたソイツは謝ったが、レイナは恐怖で錯乱していた。ヤツは逃げ場所を求めてバルコニーに走ったが、レイナは追いかけてスキー板で叩いた。落ち着けと叫んだが叩き続けた。殺されるかも知れないと恐怖を感じたヤツは自分で飛び降りた。


 これがすべてだ。レイナは悪魔に出会った。少女のレイナは何も悪くない。ユージ、レイナの傷ついて壊れた心を救って欲しい、フランス国民として心からお願いする」

 そうだったか……

「アラン、ありがとう、よくわかった。玲奈はアクシデントに心を閉じたままだ。そんな最悪の恐怖を忘れろとは言えないが、僕に抱かれて眠る玲奈は可愛い普通の女性だ」

「友人としてアドバイスする。最高の解決策はレイナをママンにするんだ。そしたらレイナはユージのもとに帰って来るよ」

 へっ! そんな手があったか? 玲奈を抱いた愛しい夜を思い浮かべた。ただ1度だけ避妊しなかった夜があった。あれは玲奈が帰ると言ったときだ。別れたくない、離れたくない、もう会えなくなってしまう、そんな絶望で取り乱し、玲奈を壊したくなったときのことだ。俺は狂気の欲望に支配されて幾度も抱いた。俺の肉片は何度も狂い叫んで踊ったが、心はさらに悲しみに沈んだ夜だ。


 しばらく経って卒業式の画像が届いた。学位証書を抱えた紫の袴姿でVサインして笑っていた。

「とっても忙しいです。入社式までぎっしりスケジュールが組まれて、しごかれています。働いてお金をいただくって大変なんですね、初めてわかりました。勇士さんが頑張っているから私も負けられません。でも挫けたらそっちへ行こうかな、ふと弱気になります。褒めてください、如月先輩はスタメンですよ」

「卒業おめでとう、大人になった玲奈は綺麗だ! 強がり言ってるけど玲奈が帰ったからとても寂しいよ。早く弱気になれ、早く挫けて戻っておいでよ!」 

 勇士は寂しさに耐えてエースのポジションを守った。卒業式の画像をメンバーに自慢したが、心にぽっかり穴が空いていた。

 玲奈は勇士のインスタで確認していた。ゲーム中のスパイクやディップにブレはない。最近はスクワットクリーンで85Kを挙げると自慢した。頭部を強打した後遺症はないようだと安心した。

 勇士さん、見えますか? 入社式は送られたスカーフを首に飾った。配属は東京本社の食料部門に決まり、当面は先輩たちのアシストを務め、多忙だが充実した日々を送った。


 ところが、ゴールデンウィークが過ぎたあたりから、玲奈は疲れた表情になり食欲がなくなった。

「姉ちゃん、会社でいじめられてるのか、どうしたんだよ?」

 大輔が心配するほど顔色が悪かった。商社勤務はハードだと聞いてはいたが、口を押さえて吐き気を我慢している玲奈に気づき、もしや? もしそうだったらお父さんに言わなくては。その前に本人に訊いてみよう。叔母はことさら何でもないように、

「レナちゃん、どこか悪いの? 気持悪いようだけど胃が痛いの? 大事なことだけどちゃんと生理はあるの?」

 視線を動かして黙っていた玲奈は、

「ありません」

「いつからなの?」

「3月からです」

「とにかく病院に行きましょう、尿検査ですぐわかるのよ。慣れない仕事で遅れているだけかも知れないし、何かの病気ってこともあるの。はっきりさせた方がいいわ、悩んでもしょうがないでしょ」

 叔母は嫌がる玲奈を宥めすかして産婦人科に連れて行ったが、予感どおり診断結果は妊娠3カ月だった。これは隠せることではない、叔母は夫に話した。


 部屋に戻ってメンテ中だった勇士は、知らない番号の電話に躊躇した。東京からだ! 誰だろうとタップすると、

「谷本君、俺は玲奈の叔父だ、覚えているか?」

「はい、あのときは大変お世話になりました」

「そんなベンチャラはいい。谷本君、単刀直入に訊くが君は玲奈を抱いたか? そうならそうとはっきり言え! 玲奈は妊娠3カ月だ!」

「はい、そうです。申し訳ありません」

「誰が謝れと言った! 今さら責めても仕方ないがなぜ避妊しなかったんだ。君は父親になる覚悟はあるか、玲奈を嫁にする気持はあるか! そう訊いてるんだ!」

「あります! 喜んで嫁さんになってもらいます。寺田さんには大変申し訳ないですが、僕は最高に嬉しいです!! すみません、ご心配かけて。それで玲奈さんは大丈夫でしょうか?」

「大丈夫なはずはないだろう! 玲奈は妊娠3カ月の診断にショックで倒れたが、家内がついている。ショックは大きいぞ、そりゃそうだ! 立派な会社に入社してこれからというときだ、やりたいことや夢があっただろう。まだ玲奈から何も聞いてないが、その前に君の気持を確認したかった。玲奈が落ち着いたら話してみるが、もし中絶したいと本人が望んでもモンク言うな。君はそれだけのことをしたんだ、わかったな。それからな、女を泣かすな! 女を泣かすやつは男のクズだ。よく覚えとけ!」


 玲奈の妊娠を聞いた勇士は驚いたが、喜びと嬉しさがじんわり込み上げた。俺はひとりじゃないぞ、玲奈に子供が出来た! 玲奈と話したかったが日本はまだ夜だ、起こしたくないとメールを入れた。

「君を苦しめて本当に申し訳ない、心から謝る。君が帰ると言った夜、絶対に離れたくないと夢中で何度も抱いた。君が消えてしまう絶望に潰されて、何も考えられずガムシャラに君を求めた。悪いのは僕だ。イタリアへ来てくれないか、こっちで子供を育てながら仕事に就くという選択もある。君が社会で羽ばたく夢を摘み取ろうとは思っていない。

 もう一度言う、僕の嫁さんなって一緒に暮らしてくれ。日本に戻って欲しいと君が望むなら帰って来る、バレーをやめてもいい。わかってくれるか、僕の願いは玲奈と暮らしたい! それだけだ」


 日本時間の午前7時、勇士は出勤前の父に電話した。どうしたかと心配する父に、

「父さん聞いてくれ、玲奈に僕の子が宿った。今はショック状態で産んでくれるかわからないが、彼女の選択を大事にしたい。玲奈は伊藤忠に入社したばかりなんだ。もし玲奈がママになると決めたら、日本に戻れない僕の代わりに会ってくれないか、お願いだ。僕は玲奈と結婚したい、絶対する!」

 朝っぱらから何事かと驚いた父にそう告げた。

「おめでとう! 産んでくれることを願うよ。玲奈さんが心を決めたら教えてくれるか、母さんも喜んでくれるだろう。どうだお前は変わりないか」

「うん、大丈夫だ」


 それから幾度もメールやケイタイしたが玲奈は出なかった。不安でどうしようもなく、「休みをもらって日本へ戻る」と送信すると、「帰って来ないで! 会いたくないです。少し待ってください」、やっと返事が届いた。


「ユージ、どうしたんだ? お前はグチャグチャだ、何があったか話せよ、仲間だろう」

 キャプテンとアランが心配顔で寄って来た。

「玲奈は僕と結婚するかしないか、そして彼女は産むか産まないかで悩んでいる。日本へ戻るとメールしたが帰って来るなと拒絶された。僕はどうすればいいんだ!」

「おめでとう! ユージはpère(父親)になるのか。Devenez ainsi(なるようになるさ)、心配するなよ」

「そんなに簡単に言うな! 不安でたまらない!」

「いつかレイナはそんな子かと訊いたら、そうじゃないとユージは応えた。信じろよ、彼女の判断に任せろ。僕のカンではレイナはこっちに来るさ」

 勇士は玲奈がひとりで悩んでいるのに何の役にも立たない自分が情けなかった。玲奈、勝手なお願いだが産んでくれ! 頼む! 言ってはいけない言葉を噛みしめた。


 辞表を提出した玲奈に上司は目を丸くして、

「神崎さん、何かあったのですか? それとも会社や仕事に失望したの?」

「すみません、そうではありません」

「一身上の都合ではわからないわ、何か事情がありそうね。私で良かったら聞かせて」

 上司は子育て中の女性だった。

「恥ずかしいですが、学生のときから交際している方がいて、私は妊娠しています。3カ月です。それでご迷惑をおかけする前に辞めさせていただきたいと思います」

「まあ、おめでとう! それで産むのね?」

「はい、やっと決心しました」

「だからと言って辞めることはないわ。あなたは社会人としてスタートしたばかりなのよ。結婚しようとどうしようと、会社はプライベートに干渉しません。さっき3カ月と言ったわね、あと1カ月もすれば楽になるわ。辞表は私が預かります。早まって結論を出さないでよく考えなさい。いつでも相談に乗るからまた来なさいね」


 ゲームが終わって帰ろうとした勇士のケイタイが鳴った。玲奈だ!!

「大丈夫か!! 玲奈が元気になってくれるなら僕は何もいらない!」

「決めました! 勇士さんの子を産みます。パパがない子にしたくありません、私と結婚してください」

「えっ!! もう一度言ってくれ、君は誰と結婚するんだって?」

「ふざけないで! まだ流産するかも知れない時期で気持悪くて最悪なんです。怒らせないでよ!」

「嬉しくてついふざけてしまった、ごめん。そんなに気持悪いか?」

「赤ちゃんはたったの6センチと聞いたけどダメージは大きいです。ママになるのは思ったより大変だと未知の体験にフラフラです。詳しいことはメールに書きました。毎日のルーティンはしっかり守ってください」

「ごめん、謝る。僕のせいで悩んで苦しんでいる君を救けられない、自分が情けなくて恥ずかしい。だけどママになる玲奈に早く会いたい!」


 PCを開いてメールを読んだ。

「私の思い込みでしょうが、お腹の子は勇士さんそっくりの男子の気がします。ちっぽけな存在のくせに、勇士さんのようにヤンチャでワガママで暴れまわって、私を泣かします。昨日、山岡監督さんから電話をいただきました。戸籍謄本や婚姻証明書を用意してくだったそうです。忘れてたけど監督さんは法学部の教授でした。

 申し訳なかったのは私の両親に叔父が平謝りしたことです。両親はひどく怒って叔父を責めてキツイことを言ったらしく、叔父は逆ギレしたそうです。結婚相手はバレーボールで世界No.1のプロリーグで活躍している有名なアスリートで年収は1千万以上だ、玉の輿だ、どこが気に入らないかとタンカを切ったと、大輔から聞きました。笑いましたけどね」

 玲奈はまだ両親とは会ってないようだ。僕のために頭を下げた寺田さん、申し訳ありません。婚姻届は伯父がやってくれるのか、みんなの気持が嬉しかった。つわりがキツイらしいが頑張れ! 産もうと決心するまで心細くて辛かったろう、ごめんな、玲奈、みんな僕が悪いんだ……


 翌日、アランに玲奈からケイタイとメールが来たと言った。

「言ったとおりじゃないか、たまには僕を信じろよ。誘ったりしないからレイナのナンバーかアドレスを教えてくれ。祝福したい」

 玲奈のケイタイを教えてもらったアランは目の前で呼び出したが、玲奈は勇士だと思ってすぐ応答した。勇士はフランス語が飛び交う会話に割り込めず、やっとケイタイを切ったアランに、

「お前はいつも喋り過ぎだ。フランス男はみんなそうか?」

「僕はイタリア男ほどお喋りじゃないよ。レイナは8月頃こっちへ来るかも知れないと言った。良かったなあ、レイナに会えるぞ! 今度は帰さなければいいんだ、簡単な話だろう。知ってたか、彼女が来ることを?」

「そんなこと聞いてない! お前は勝手に喋り過ぎだ!」

「怒るなよ、ユージはシャイだから僕が勧めたんだ。夏のヴェローナはコンサートやフェスティバルがあって、ピエトロ大聖堂のてっぺんで見る夕陽は感動するよ、腹の子に見せたらいいよってさ。そしたら彼女が笑ったんだ。こっちに住んだ方が子供のためにはいいはずだと言ったら、行こうかなって言ったよ」

 あー、お喋りめ! 俺が言いたいことを全部喋ったようだと、ため息ついた。

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